ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

一泊忘年ウォーキング(2日目 鹿島)

2014年12月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年12月20日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」所属有志による、
一泊忘年ウォーキング(銚子犬吠埼)」に参加した。
前日は、銚子外川の民宿「犬若」で一泊し、忘年宴会で盛り上がった。

一夜明けた翌日は、7時過ぎに起床。
朝食前に外川漁港を散歩がてら歩いてみた。
民宿の直ぐ前の外川漁港に、繋がるように天然記念物の「千騎ヶ岩」(せんがいわ)があった。


案内板には、以下のように記されていた。
「千騎ヶ岩」は、標高17.7m、周囲約400mの岩礁である。
古くは赤松宗旦(あかまつそうたん)の「利根川図志(安政二年)」にも紹介されている
銚子磯めぐりの名勝地の一つでもある。
この岩礁は、硬質砂岩から出来ており、千葉県最古の地質時代の岩石である。
地質時代は約二億四千万年前の古生代二畳系とされていたが、最近の研究によると
約二億千万年前の中生代三畳系との考えもある。


かつては海鵜の越冬地として知られ、毎年十一月頃になると500羽を超す海鵜が飛来するのが見られた。
一方、ムクドリの繁殖地であるとともに、県内では珍しい磯ヒヨドリの繁殖も確認されている。
また、「千騎ヶ岩」には、ソナレムグラ、ハマボッス、タイトゴメ、ヒゲスゲなど、
海岸の岩場に生育する植物が自生する。


外川漁港の堤防
県外ナンバー(所沢・川崎・多摩など)の車が何台か停まっていた。
釣りに来た人の車と思われる。この時期の狙いとしては、ヒラメだろうか?


「千騎ヶ岩」から漁港を望む。
中央少し左が民宿「犬若」辺りだ。


外川漁港中央の漁協付近


銚子電鉄外川駅方向を望む。


犬若の岩礁地帯
源義経を慕って七日七晩鳴き続けて岩になったと伝えられている、「犬岩」のある方面
今回は、時間がなくて見ることが出来なかったが、そのうち再訪の機会があれば、見てみたい。


沖には、風力発電用の風車が建てられていた。
もう1基が工事中のようだ。


朝食後、鹿島方面へ向かう前に、銚子名物の”ぬれ煎”を求めて、銚子駅へ。
9時を少し過ぎたばかりなので、普通の店はまだ開店前なのだ。
そこで、銚子駅へ行ってみようということで、立寄った次第。


案の定、銚子駅前に”ぬれ煎”専門店があった。
既に営業していた。


店内には所狭しと”ぬれ煎餅”が並んでいる。
どれにしようか迷ってしまう。


『この薄味にすっかなぁ』


めいめい手にビニール袋をぶら提げて、満足そう。


9時56分、鹿島港公園に到着し、早速記念撮影。


港公園展望塔への入場料は、70歳以上は無料となっている。
結局、2人がそれぞれ200円を払って展望台へ。
この時ばかりは、70歳以上の年寄りが羨ましいと思った。
『いやぁ これは素晴らしい眺めだなぁ』


高さ52mの展望塔から、鹿島港が一望できる。
日本一早い初日の出が見れることで有名だそうだ。
元日は、朝6時から開館する、とのこと。
見えているのは北公共埠頭
港公園の堤防から中央水路に向かって竿を出す人が絶えない。自分もその一人である。


新日鉄友金の工場群


鹿島港中央水路


鹿島石油、東電鹿島火力発電所


南公共埠頭
この港公園から4Kmほどもある広大な水路である。
手前が鹿島港で、巡視船やタグボートなどが常時待機している。


鹿島港動画


鹿島港公園
この辺りは、飼料工場が多く、いつも飼料の独特の匂いが漂っている。


鹿島港を後にして、次は鹿島神宮へ向かった。
鹿島神宮大鳥居
昭和43年に竣工した大鳥居は、平成23年3月11日に発生した、東日本大震災により、
根本部に亀裂が発生、30分後の余震により倒壊してしまった。
大鳥居は、笠間市稲田産の御影石製で、国産花崗岩の鳥居としては日本一を誇るものであった。
木製で新造することに決定し、境内から杉の木4本を切り出し、酒田市の木工場へ輸送し、加工。
平成26年6月1日、震災から3年の時を経てめでたく竣工となった。
イベントは35,000人もの人で賑わった、そうである。


参道の先に山門(楼門)が見える。


楼門は、寛永十一年(1634)に水戸初代藩主徳川頼房公の奉納によるもの。
頼房公は、水戸黄門(光圀)の父君である。
重要文化財に指定されている。


楼門の少し先右手に拝殿・本殿がある。


拝殿
元旦まであと10日余り、少し早いが初詣していこう。
『来年も良い年でありますように』


本殿・拝殿の前に立派な新祈祷殿が出来ていた。
まだ出来たばかりのようである。


これから正式参拝に向かうところのようだ。
正式参拝とは、拝殿の手前で参拝する一般参拝に対し、団体で殿内に上がって神職奉仕のもとに行う参拝をいう。
服装は、礼服または背広にネクタイ(女性はこれに準ずる服装)が正式らしい。


新祈祷殿入口
中は、祈祷の受付や参拝の待機場所になっている。


両側に立ち並ぶ巨木に圧倒されながら奥宮へ。


境内の6箇所に、BS時代劇「塚原卜伝」の撮影現場がある。
ここは、そのうちの一つ、奥参道。


細石(さざれ石)


日本国歌「君が代」の歌詞に歌われることで、その名が知られている。
歌詞中のさざれ石(細石)は文字通り、細かい石・小石の意であり、
それらの小石が巌(いわお)となり、さらにその上に苔が生えるまでの過程が、
非常に長い年月を表す比喩として用いられている。(Wikipediaより)


鹿園には、30頭余りの鹿が飼育されている。
鹿島神宮の御祭神をお遷しして奈良の春日大社を創建する際、鹿が運び手を担ったことから、
鹿島神宮では鹿が神鹿として大切にされている。
奈良公園の鹿は鹿島から連れて行ったのが繁殖したものらしい。


奥参道をさらに奥宮へ


奥宮
現在の社殿は、慶長十年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に
現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に
新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたもの。
歴史を感じさせる建築物だ。


奥宮前の坂道を下り、御手洗池(みたらし)へ。


1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池である。
昔は参拝する前にここで禊(みそぎ)をした。
現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行うことで有名。
御手洗池で手を禊清めて・・・


楼門へ向かった。
今年も、いや来年も良いことがありますように・・・


この後、潮来の「すぎのや」で昼食を摂り、帰路についた。
『今年一年、お疲れさまでしたぁ』
『皆さんっ 良いお年をっ!!』


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一泊忘年ウォーキング(1日目 銚子犬吠埼)

2014年12月19日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年12月19日(金)~20日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」所属有志による、
一泊忘年ウォーキング(銚子犬吠埼)」に参加した。

この日の参加者は、有志6名。
9時30分に土浦市民会館を出発。
国道125号を走り、神崎町から利根川沿いに佐原(現香取市)へ向かう。
10時35分、道の駅「水の郷さわら」で、一休み。


休憩の合間に夜の宴会に備えて買い物だ。
『いろいろ売ってるんだねぇ』


『銘柄名が気に入ったねっ』と手にしているのは、”佐原ばやし”だ。
地酒を選ぶ顔が弾んでいる。
(外川の民宿は、ビールは一応置いてあるが、その他の酒類は持ち込み自由と聞いている)


銚子駅で昼食場所の情報を仕入れ、銚子漁港の第一魚市場へ。


他にも数軒の店があったが、駐車場が完備していたのはこの「みうら」だけだった。
12時を少し過ぎたばかりだったためか、かなりのお客が入っていた。


それぞれお好みの料理に舌鼓を打つ。


昼は軽めにということで、刺し身定食を注文した。


「うおっせ21」の「銚子ポートタワー」へ上ってみることに。
65歳以上は50円の特別割引で、300円払って海抜46.95mの展望室へ。


『いやぁ なかなか素晴らしい眺めだねぇ』


利根川河口付近


利根川上流部
銚子大橋も見える。


銚子港の対岸は波崎港だ。
遠くには、鹿島臨海工業地帯の煙突が見える。
中央に筑波山も薄っすらと見えているが、このデジカメでは、ちょっと無理。


黒生港・海鹿島海水浴場辺り


犬吠埼灯台


13時51分、外川の民宿「犬若」に到着し、ウォーキングに出発!
『腹ごなしでもしてくるかっ』


コース地図
銚子外川の民宿「犬若」をスタートし、最初に「地球の丸く見える丘」展望館を目指す。
その後、犬吠埼灯台を経て、海岸沿いに外川へ戻るという、全長約7Kmのコースである。


外川漁港付近


『この坂意外にきついねぇ』
『地元の年寄りは大変だよなぁ』
かく言うこの日の参加者の平均年齢は73歳とそう若くはない。


外川町地区は、一面青々としたキャベツ畑が広がる。
銚子の温暖な気象条件と土壌によって育まれたキャベツは、「灯台キャベツ」の名で親しまれている、とのこと。
特に、冬暖かいという土地の条件を生かしたやわらかい春キャベツは、全国一の生産量を誇っている、そうだ。
『凄いねぇ』としか言いようがない。


前方右手に「地球の丸く見える丘」展望館が見えてきた。


展望館前のふれあい広場には、著名な画家や俳人たちの句碑などが展示されている。
この碑は、銚子市海鹿島町に建立されている「小川芋銭」の石碑の碑文を写して作られたもの、だそうだ。


こちらは「竹久夢二」の石碑の碑文を写して作られたもの。
他にも、松尾芭蕉の句碑や国木田独歩の詩碑、古帳庵の句碑などがある。
銚子は、江戸時代から商業上江戸と密接な交流があったため、文人・歌人・俳人らの来遊が多く、
他の地と異なって文化の影響を強く受けている。
そのため、銚子には、いろいろな文学碑が各地に残されている、とのこと。


「地球の丸く見える丘」展望館の入場ゲートを潜ると


展望館だ。


日比友愛の碑
第二次世界大戦中、不幸にして戦火を交えた日本とフィリピン両国の民族と民族が互いの恩讐をこえて、
永く世界の平和を祈念するために、昭和33年6月に建てられた。
斜塔は友愛の浄火をかたどったもので、炎の先端は遠く洋上3,000Kmのフィリピン・マヨン山に向かって建てられている。
(マヨン山はマニラ富士と呼ばれている)


入館料300円を払って「地球の丸く見える丘」展望台へ。
ここでも65歳以上は50円の特別割引である。
歳をとって嬉しいのは、こんな時くらいだろう。
屋上の展望スペースは、海抜90m。銚子で一番高く、周りには視界を遮るものは何もない。
『な~るほどぉ 360度見渡せるねぇ』


屏風ヶ浦
東洋のドーバーとも言われているそうだ。


犬吠埼灯台
日本最東端で、日本で一番早く日の出が見える場所である。


うおっせ21、銚子ポートタワー


動画で観るとこんな感じ。


記念撮影をして、


犬吠埼灯台へ向かう。


この辺り一帯も全てキャベツ畑だ。
既に収穫が終わった畑もあるし、植えたばかりの畑もある。
時期を少しづつずらして栽培している。


突然目の前に満願寺の金色の大塔が現れた。


補陀洛山満願寺の山門
鮮やかな朱色が印象的だ。


犬吠埼観音満願寺のご本尊十一面観世音菩薩は、願いをかなえる観音さまとして、全国から参拝に訪れる人も多いとか。
境内には、6,000本の椿が植えられ、椿寺として12月末~3月まで楽しめる、とのこと。
時間の都合により、山門から手を合せるだけにして、犬吠埼灯台へ向かった。


犬吠埼灯台へ


銚子電鉄犬吠駅ホーム


銚子電鉄犬吠駅
どことなく南欧ムードが漂う駅舎である。


犬吠埼マリンパーク
可愛いイルカショーを毎日開催している、らしい。


15時7分、犬吠埼灯台に到着。
灯台前の土産物店やレストランは全て閉まっていた。
灯台だけ見て帰る観光客が多いためだろう。不景気の現実は想像以上に厳しいようだ。
しかし、”全て閉店”はやはり寂しい。


灯台前の真っ白いポストが印象的である。


中には入らず、とりあえず記念撮影を済ませた。
銚子ポートタワー、地球の丸く見える丘展望館と上ったことでもあり、灯台はパスすることにした。


君ヶ浜海岸


犬吠埼遊歩道を歩いてみよう。


波打ち際の遊歩道を進む。


海は穏やかだが、時々岩に波がぶつかり豪快にしぶきを上げる。


振り返って灯台方面を望む。


人が通れるほどのトンネルがあった。


トンネルを抜けると、高層ホテルが見えてきた。


グランドホテル磯屋だ。
Webで関連情報を見ることが出来る(営業している)ことから、閉館してまだ間がないようだ。


外川長崎鼻方面


グランドホテル磯屋の少し先で遊歩道は終わっていた。
石段を上がり、一般道路を進む。


犬吠埼灯台方面


犬吠埼観光ホテル前を通過。
こちらのホテルは、未だ営業中だった。
何故か少し安心した。


外川長崎鼻方面


夕陽を一杯に浴びて、外川港の民宿「犬若」を目指す。


外川漁港へ


大杉神社を通過。
民宿「犬若」まであと500m余りだ。


外川漁港


漁協(銚子市漁協外川支店)前を通過


間もなく民宿「犬若」だ。


民宿「犬若」の看板
周りに何もないので、この看板は目立つ。


16時4分、民宿「犬若」に到着。
2時間余のウォーキングで、ほぼ予定どおりだった。


ひと風呂浴びると、夕食の時間である。
食卓に並べられた料理
1泊2食7,000円としては、こんなところだろう。


料理はともかく、先ずは『かんぱ~いっ』
乾杯の酒は、TSさんが大事に熟成してきた自慢の「私が育てる熟成古酒」


1999年製造というから、15年ものである。


15年間寝かせていたことで、ウィスキーのような深い色合いになっている。
普通の酒では、こうはならない。
1年間も放って(寝かせて)おくと、酢になって飲めなくなる、と言われている。
古酒の味は紹興酒にも似ている。コクがあり、『いやぁ 実に美味いっ!』
『これは貴重な一品だねぇ』


宴会は次第に盛り上がる。
テーブルには、古酒、ビールの他に道の駅「さわら」で買った”佐原ばやし”や、
家から持参したボージョレヌーボーなどが並ぶ。


TKさん


OMさん


NTさん
皆さん実に良い顔をしている、と思う。


食後は、部屋に戻って宴会の続きである。


宴会は夜更けまで続いた。


持ち込んだ酒も底を突いたところで、ようやくお開きとなった。
『お疲れさんでしたぁ』
『お休みなさ~いっ』


明日は、鹿島方面へ向かうことにした。


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関東ふれあいの道(埼玉) No.11「義経伝説と滝のあるみち」

2014年12月14日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年12月14日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第4回目は、コースNo.11「義経伝説と滝のあるみち」(約8Km)を歩くことにした。
荒川沖駅5時27分発の常磐線上り始発電車に乗り、日暮里駅には6時23分に到着。

池袋へ向かうため、山手線内回り電車を待っている。この日の参加者9名。
山手線ホームはまだ暗い。


池袋から西武池袋線7時5分発の三峰口行きを待つ。
発車しているのは、7時55分発の飯能行きである。


発車前の西武線車内
まだ空席が多い。


今のうちに朝食を済ませておこう。


女性陣も『お腹が空いては戦は出来ぬ』とばかりに、駅中のコンビニで買ったパン・おにぎりを頬張る。


8時21分、定刻通りに西武吾野駅に到着
吾野駅の利用は、埼玉県「関東ふれあいの道」4回のうち、3回目である。


改札口を出ると、正面に「関東ふれあいの道」の標識が目に入る。


この日のコース「義経伝説と滝のあるみち」の案内板
顔振峠(かあぶりとうげ)まで3.6Km、黒山三滝まで7Kmとある。
奥州へ逃れる源義経が、景色の良さに顔をふりふり登ったという伝説がある、とのこと。


改札口前で準備体操をして、


8時50分、出発!


『いきなり急な階段だねぇ』


国道299号の旧道を横断


新国道299号を東吾野方面へ。
今日は、衆議院選挙の投票日である。
『期日前投票済ませて来たわよっ』
皆さん、棄権などしないのだ。


東吾野方面へ
『やはりお天道様が当ると温かいねっ』


煙突から煙が・・・
薪ストーブである。


浅見鉄工」は、”職人の手作り”による薪ストーブを製造・販売している。
ちょうど店の前に薪ストーブを展示しているところだった。
サイズはA型・B型・C型・D型とあり、B型が一番の売れ筋とのこと。


東吾野方面へ進み、顔振峠は、左へ進むことになる。


国道299号は、トンネル工事中だった。
越生方面へ通じることになるのだろうか?


借宿神社前を通り、


高麗川の支流を渡って、顔振峠へ。


高麗川の支流脇に顔振峠まで2.6Kmの標識が立っていた。
我々は手前から来たのだが、吾野駅は反対側を差しているということは、道を間違ったらしい。
どこで間違ったのか、思い当たらないが、まあ大したことではない。


標識に従って、県道61号を顔振峠へ向かう。


しばらく舗装された道が続く。


『ここは陽が当らないから寒いねぇ』
予報では、この日の秩父方面の最高気温は5~6℃である。
午前中でもあり、陽も当らないので、実際にはもっと低いと思われる。
手袋をしていても手がかじかむほどだ。


高麗川から歩くこと約20分、顔振峠は県道61号から分かれる。


顔振峠への山道の始まりだ。
ここから1.4Kmと表示されている。


顔振峠への山道を10分ほど進むと、


先ほど分岐した道に戻ってしまい、やや拍子抜け。
『なあんだまた合流しちゃったんだぁ』


少しばかり山道らしい道を顔振峠へ。


今度は本格的なハイキング道になった。


この日最初に現れた里程標
吾野駅から3Km歩いたことになる。
ゴールの黒山バス停まで残り5Kmだ。


20分ほど上ると、ようやく陽が差す場所に出た。


『あらぁ 素晴らしい眺めじゃないっ』


右の一段高い山は武甲山(1,304m)だ。
その左側、一つおいて、小持山(1,273m)、大持山(1,294m)が見える。


顔振峠へ向かってさらに坂道を進む。


『あの山なのかなぁ』
『いや、こっちの山じゃないっ?』


名前入りのかなり大きなパノラマ写真が置いてあった。
(写真は横約2mほどあり、その約1/3ほどを写している)


写真と同じところを実際に見てみる。


パノラマ写真の少し先に摩利支天寿光殿なる四面二重塔が建っている。
二重塔は、木造寺社建築で、有志の勤労奉仕により十年余の歳月を経て完成した、とのこと。
内装には珍しい古切手のモザイク画が奉納されている、そうだ。


摩利支天は、陽炎(かげろう)を神格化したものである。
護身、蓄財などの神として、日本では中世以降信仰を集めた。
楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。
山本勘助や前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。
禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。


10時01分、顔振峠平九郎茶屋に到着


顔振峠では、平九郎茶屋1軒だけが営業を続けていた。
後は全て閉店していた。
平九郎茶屋には時間的に早かったため立ち寄らなかったが、なんとか頑張って営業を続けて欲しいものである。


木造の顔振峠碑
「関東ふれあいの道」マークが描かれている。


平九郎茶屋からの眺望
茶屋の女将によれば、天気が良ければ富士山も見えるそうだ。
今日は、あいにく富士山は見えなかった。


次の目的地、1.8Km先の傘杉峠へ向かう。


しばらく舗装された道を進む。


顔振峠から約20分ほどで傘杉峠への上り口に到着した。
傘杉峠まで0.7Km、黒山三滝まで2.2Kmと表示されている。


傘杉峠へ杉林の尾根道を進む。


上りだが、それほどきつくはない。


里程標
吾野駅から5Km、ゴールの黒山バス停まで残り3Kmだ。


みちは上りばかりではない。当然下りもある。


小高いところにベンチがあったので、ここで一休み。
周りは杉に囲まれて見晴しは全く効かない。


さらに下って行くと、


舗装された道路が見えてきた。
傘杉峠のようだ。


10時51分、傘杉峠に到着


「関東ふれあいの道」コースNo.12(グリーンラインに沿ったみち)の案内板だ。
コースNo.12は、2015年5月17日に歩く予定にしている。
吾野駅からここまでは、この日のコースと重複している。
『埼玉県は、重複しているところが多いねぇ』


この先は、コースNO,12へ続く。
高山不動・関八州見晴台から刈場坂峠を経て白石バス停へと通じる、全長22Kmの最も長いコースである。
果たして1日で歩けるのか、今から不安が募る。


この日は、傘杉峠からコースNo.12の反対側、黒山三滝へ向かう。


黒山三滝へは、下るだけである。


岩の斜面を下る。
『気を付けてっ ゆっくりゆっくりっ!』


途中で上りの一団とすれ違った。
立川方面から来たそうで、今日はゴールの吾野駅周辺で一泊するそうだ。
『一泊するなんて羨ましいわねっ』


我々は下るだけだが、上りはきつそうだ・・・


と思ったらとんでもない。けっこう急坂があるため、気を抜けない。
『怖いよね~っ』


黒山三滝への途中、シダが群生していた。
厳しい寒さにも関わらず、葉は青々としているので、冬ではないような錯覚に陥る。


里程標
吾野駅から6Km、ゴールの黒山バス停まで残り2Kmだ。
黒山三滝まであと1Kmほどになる。


黒山三滝へのみちは、小さな沢がいくつかある。
この沢水が間もなく滝になるのだ。


みちは緩やかになったり、


梯子が設けられていたりする。


『おっとっとっと』
丸太が濡れているので注意が必要だ。


杉林を進む。


下りであっても、休まずに歩くと、『いやぁ暑いっ』
堪らず上着を一枚脱いで体温調節だ。


沢を渡る。
水の量が次第に多くなっているのが分かる。
『足を滑らせるとずぶ濡れになっちゃうねっ』


標識に”天狗滝”とあったので、探してみたが、この辺りからは滝を見ることは出来なかった。


少し下ると、黒山三滝のうち二つの滝が見えてきた。
もう一つの天狗滝と合せて、黒山三滝という。
天狗滝は、下流にある、とのこと。


下が女滝、上が男滝
二つの滝をバックに全員の証明写真を撮り終えた。


男滝(落差11.2m)
黒山は、古くから修験の霊場としての歴史がある。
室町時代の応永五年(1398)、栄円は山本坊を開き、熊野神社を本宮、男滝を那智社、天狗瀧を新宮に見立て、
関東の修験道の拠点とした。


女滝(落差4.5m)


そろそろ昼飯時だ。
黒山三滝の茶店を抜けて、


不動橋を渡り、東屋へ。


12時1分、東屋へ到着。
『お腹空いちゃったぁ』


『ちょうど良い時間だねっ』


弁当の後は、少し下ったところにある天狗滝へ向かった。
『小さいけど、滝らしいのが見えるっ』


ここからでは、よく見えない。
『近くに行ってみようっ』


天狗滝へは細い石段が続いている。


12時35分、天狗滝に到着。
三滝のうち、天狗滝が一番落差(落差13.6m)が大きい。


三滝を観終わったことだし、後は、約0.9Km先の黒山バス停へ向かうだけである。


「根っ子食堂」前を通過。
実は、この頃から、デジカメの電池が切れる寸前になっていた。
電池切れを示す赤LEDが点灯しっ放しになった。
シャッターを続けて押すと2枚目はシャッターが下りない。
予備の電池と交換してみたが、何と交換した電池もバッテリー切れ状態である。
予備電池を充電したのは、数ヶ月前のことだ。
仕方なく、1枚撮っては直ぐにSWをOFFにして、電池の消耗を少なくした。


渋沢平九郎
飯能戦争は、慶応四年(1868)、彰義隊から別れた振武軍と追撃してきた倒幕軍(官軍)との間に発生した
維新戦乱の一つである。
優勢な官軍の攻撃の前に飯能市能仁寺の本営は落ち、振武軍は奥武蔵山中に敗走した。
副将として参加していた渋沢栄一の養子である渋沢平九郎は、顔振峠を経て黒山へ逃れてきたが、
待ちかまえていた官軍に包囲され、22歳の若さで自刃した。
自刃の地がこの近くにある、とのこと。


黒山三滝入口のゲートへ到着。
バス停はすぐ近くである。
13時29分発のバス発車まで少し時間がある。


黒山バス停から数百メートルのところに、渋沢平九郎自刃の地碑があった。


黒山バス停
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
(これが、この日最後の写真となった)


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第四回目、コースNo.11(義経伝説と滝のあるみち)を歩き終わった。
この日は”一般向き”ということで、距離もさほど長くなく、天気にも恵まれ、気持ち良く歩けた。
富士山は見れなかったものの、顔振峠からの眺望は素晴らしく、黒山三滝も観れてけっこう楽しめた。
年内は、これで終わりだが、来年も「踏破認定証」受領を目指して歩きたい。

デジカメの予備バッテリーまでもが電池切れだったのには、正直まいった。
撮りたいものがあるのに撮れないというのは、本当につらいことである。
これからは、出掛ける前に必ず予備バッテリーの確認をしておかなくては・・・


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今年も「喜作」 忘年ウォーキング(土浦~神立)

2014年12月12日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年12月12日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第29回(2014年第39回)、「忘年ウォーキング(土浦~神立)」に参加した。
「忘年ウォーキング」の場所は年初の年間スケジュール配布時には”未定”としており、
時期が近付く10月頃に、当会女性陣に希望場所を決めてもらうようにしている。
神立駅前の”「喜作」でランチ”は、3年連続である。
人気の秘密は「喜作」の料理ではないかと思われる。

この日のスタート地点となる土浦駅構内通路に集まった参加者たち。


その数、31名。一年の締めとして久しぶりに参加する人もいれば、「喜作御膳」が目的の人も・・・・
忘年会にアルコールは欠かせないことから、大半の人は電車かバスを利用しているが、
中には飲めない人もいて、車で来る人もいる。
車での到着を「今や遅し」と待っているところだ。


女性陣には、忘年会の場所だけを決めてもらって、コース作成は事務局で作成する。
コースは、気分転換も兼ねて、毎年出来るだけ異なる場所を歩くことにしている。
今年は、土浦駅東口を出発して、土浦港・川口運動公園前を通り、レンコン畑を抜け、
木田余(きだまり)東台の住宅街から、工業団地の工場など眺めながら、
神立市街地へと向かう、全長約9Kmのコースを設定した。


9時13分、全員揃ったところで、出発だ!
連絡通路での準備体操は、通行の妨になることもあり、省略である。


土浦駅東口


先頭を務めるのは、Tさん(左)
この日のコース選定・下見に一役買ってくれた。


駅前の通りを進む。
通勤などの渋滞も収まって車の流れはスムースだ。


土浦港付近を通過する先頭グループ


後に続くグループ


「かすみがうらマラソン」のスタート地点を通過。
「かすみがうらマラソン」は、毎年25,000人余のランナーが参加する土浦市の一大イベントである。
来年は、4月19日(日)に開催されることになっている。
同時に開催される「かすみがうらウォーキング」のスタート地点は、ここから約19Km先の歩崎公園だ。


新川を渡る。


新川上流部を望む。


クックY・新鮮市場前を通過


先頭グループ
サングラスがよく似合うTさん。


下水道水質管理センター前の交差点を横断し、神立方面へ進むと、


建物が消え、視界が開ける。


あたり一面にレンコン畑が広がる。
土浦市は、レンコンの生産・収穫が日本一だそうである。


これから新年に向けて、収穫の時期を迎える。
『うわ~っ凄いっ 胸まで浸かってるぅ』
(手前にいるのは白鷺、獲物を狙っている)


畦道へ入って少しばかり近道をしよう。
この道は、まず作業車以外は走らないので安心して歩ける。


右も左もレンコン畑だ。


これから収穫を迎えるレンコン畑に、


既に収穫が終わったレンコン畑。


こちらは収穫の真っ最中だ。
『ほんとに御苦労さまぁ』
心の中からエールを送ろう。


目の前をJR特急スーパーひたちが通過していった。


常磐線の踏切を渡り、


国道354号を潜る。


木田余(きだまり)東台の住宅街方面へ向かう。


少しばかり急な坂道を上り、右手を見ると、


霞ヶ浦が見えた。
遠くには、牛久大仏も見える。


住宅地の真ん中に野球場が4面もとれるグラウンドが・・・
『いやぁ なんて広いんだろ』


グラウンドゴルフの最中だった。
中高年には、今最も人気のあるスポ^ツではないだろうか?


木田余東台1丁目付近を進む。
『けっこうたくさん家が建ってるわねっ』


ポプラ動物病院辺りの住宅街を進む。


休憩を兼ねて「ワークヒル土浦」に立ち寄ることにした。


「ワークヒル土浦」は、土浦市勤労者総合福祉センターということで、
会議室・研修室・多目的ホール・工芸室・音楽室・トレーニング室を備えた複合施設となっている。
トレーニング室は、いろんな設備が整っており、まるでスポーツジムのようだ。
個人での利用も可能とのことである。


軽い休憩の後、


神立方面へ向けて再出発!
時計は10時40分を差している。
「喜作」には11時30分に到着する予定だが・・・


Tさんによると、この道は中貫工業団地入口から霞ヶ浦大橋へ通じる道へ繋がっており、
最近できた新しい道だそうだ。


神立「喜作」を目指す。
『あと1時間くらいかなっ?』


かつては田んぼだったと思われる景色が広がる。


前方に工業団地が見えてきた。


アイメタルテクノロジー社工場前を通過。
大型のトラックやタンクローリー車が入門待ちしている。
大きな工場、中は相当広そうだ。


ACCRETECH 東精エンジニアリング社
あまり馴染のない会社名である。


11時4分、神立公園に到着。


ここでもグラウンドゴルフをやっていた。
かつてのゲートボール以上に人気があるようだ。


神立公園で最後の休憩を摂り、


左手の東レ土浦工場の先を右折すると、霞ヶ浦大橋へ通じる道だ。


しばらく霞ヶ浦大橋方面への道を進み、


少し左手に逸れて神立駅への近道を進む。


10分ほどで、神立駅へ通じる商店街通りに出た。
一昨年・昨年と歩いているので、見覚えがある。


神立駅へ通じる商店街通りを進むこと約10分、
(道は狭いが、交通量は多いので注意が必要)


ようやく「喜作」の看板が現れた。
100m先右折とある。


100mほど進んで、商店街通りを右折し、


11時37分、「喜作」に到着した。
(20分くらい前に、5分ほど遅れることは連絡しておいた)


既に座席は用意され、配膳されていた。
めいめい好きな場所へ着席(と言っても、大体座る場所は決まっているようなものだが・・・)


めいめい好みの飲み物を注文して、


文化祭の写真や来年度のスケジュール案などを閲覧しながら、待つこと暫し。


全員に飲み物が行き渡ったところで、会長の挨拶と音頭で、
『かんぱ~いっ!』


『かんぱ~いっ!』
『一年間お疲れさま~っ』


『冷たくて美味しい~っ』


「喜作御膳」
これに茶碗蒸し、炊き込みご飯・味噌汁・お新香が付く。
デザートに杏仁豆腐、コーヒーも付いて1,500円はリーズナブルである。
「喜作」の人気の高さが分かるというものだ。
この分だと、来年も「喜作」ということになりそう・・・


食後に「喜作」の前で記念撮影をして、
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


神立駅へ向かう。


13時30分、神立駅に到着。
「喜作」から数分と近いのが嬉しい。
次の上野行き13時39分発の上り電車には、充分間に合った。


ホームで上り電車を待つ。


『今年も無事に終わって良かったねぇ』
『また来年も頑張って歩くしかないなっ!』


今年の「忘年ウォーキング」が無事終わり、一安心と言いたいところだが、未だ全てが終わったわけではない。
実は、次週、有志による「銚子犬吠埼」への一泊忘年会が控えている。
これが本年最後となるので、ゆっくりするのは、それが終わってからにしよう。

「忘年ウォーキング」が、3年連続で土浦駅~神立「喜作」となり、夏の「牛久シャトー」のように、
ひとつのパターンが出来上がった感がある。
女性陣の希望を最大限生かすということなので、異論は全くないのだが、
この分だと、来年も土浦駅~神立「喜作」ということになるかもしれない。
毎回コースを変えて実施して来ているので、来年のコースも出来ればこれまでとは違ったコースを設定したい。
今から来年の忘年会のコースで頭を悩ますことになりそうだ。


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陣屋は必見 行方麻生陣屋コース

2014年12月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年12月5日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第28回(2014年第38回)、「行方麻生陣屋コース」を巡るウォーキングに参加した。

この日のコースマップ
行方麻生の「白帆の湯」をスタートし、霞ヶ浦湖岸を進み、水門を過ぎた辺りを国道355号へ。
水戸地方裁判所・水戸地方検察庁前を進み、商店街を抜けて蓮城院へ。
麻生小学校前を通り、麻生藩陣屋跡へ向かう。
麻生藩家老屋敷の三好家から麻生小学校裏を朝霞荘方面へ抜けて、海了寺へ向かう。
羽黒山公園を経て、最後に常安寺へお参りして、白帆の湯駐車場へ戻る、全長約6Kmのコース。
「なめがたフットパス」で紹介されている「行方麻生陣屋コース」である。


この日の第二集合場所は、行方麻生の「白帆の湯」駐車場。
無風で快晴、寒くもなく暑くもない。まさにウォーキング日和である。
直行組も含めて、何と31名が集まったのにはびっくり。
グループ分けしていないので、点呼を取るのが大変だ。


「白帆の湯」で体調を整え、準備体操をして、


10時9分、出発!


いつものように颯爽と先頭を歩くのは、Oさん。


八坂神社横を通過。
八坂神社は、慶長十七年(1612)、麻生藩主となった新庄氏が麻生藩内24ヶ村の総鎮守として建立した。
祭神は、スサノオノミコト。
毎年7月の最終日曜日に行われる、豪壮な”祇園馬出し祭”で知られる、そうだ。


松林の向こうに霞ヶ浦の風を感じながら進む。


天王崎の湖岸に出ると、遠くに筑波山が霞んで見えた。
『ここからだとぼんやりとしか見えないねっ』
もう少し寒くならないとくっきりと見えないのかも知れない。


霞ヶ浦湖岸
太陽が眩しい。
『気持ち良いゎね~っ』


湖岸を東(潮来方面)に向かって進む。


湖面がキラキラ反射して美しい。小春日和のようだ。


いつも元気なS子さん。
『天気が良くて ホント最高だねっ』


城下川を渡る。


小さな漁港


青サギの姿が見える。


沖にはカモがたくさん浮んでいた。
間もなく白鳥が飛んでくる季節だ。


城下川から湖岸を少し進み、


水門近くの道を国道355号へ。
「行方麻生陣屋コース」では、少し手前の漁港前を曲るようになっている。


国道355号に出た。
行方と潮来を結ぶ主要な道路のため、かなり交通量が多い。


信号に従って、国道355号を渡り、


今度は、国道に沿って旧玉造方面へ進む。
歩道はあるが、大型車が多いので気をつけたい。


10時30分、コンビニ前を通過


コンビニを過ぎて50mほどのところを右折し、麻生市街地へ。


水戸地方裁判所・水戸地方検察庁前を通過すると市街地だ。
行方市役所はここから北へ700mほど、
従って、この辺りは行方市の中心地とでも言うべきところでもある。


市街地、と言っても店はさほど多くはなく、歩いている人も少ない。


10時35分、蓮城院に到着。
説明板には次のように紹介されている。
医王山蓮城院東光寺と称し、貞和二年(1346)東範上人の開基である。
大同二年(807)創建の寺院が、大麻神社の別当を兼務したとの伝承と、
神社の近くに東光寺の地名があることから、蓮城院発祥の地は台地であると考えられる。


蓮城院へ立寄ってみることに。


蓮城院本堂
明治十一年から大正十五年まで行方郡役所が置かれていた。
明治十三年の大火で寺院の大半が焼失したが、本堂の彫刻及び虚空蔵尊はその難を免れ、現存する。
虚空蔵菩薩への信仰が厚く、厄除けの参拝者が多い、そうだ。


蓮城院前を進むと、麻生小学校が見えてきた。


立派な校舎だ。


『小学校のグラウンドにしちゃぁ 広いよねぇ』
どこかの中学校クラスはあるだろう、いや、それ以上かも・・・


10時40分、麻生藩家老屋敷記念館(陣屋跡)に到着。
陣屋地の広さは、27,000㎡(8,180坪)、陣屋の建物は1,287㎡(390坪)というから広い。
陣屋地跡は、現在、麻生小学校の敷地となっている、そうだ。
麻生陣屋地の絵図面「麻生御殿向表御間取(あそうごてんむきおもておんまどり)」(縱1.2m、横1.7m)は、
市指定有形文化材になっている。


表門は、桟瓦葺きの簡素な薬医門だが、主屋と同時期の建築であり、武家屋敷の附属建物として重要、とのこと。


萱葺き屋根の主屋
江戸時代の麻生藩家老職畑家の上級武家屋敷である。
安政三年(1856)藩士屋敷の火災から類焼したが、翌年に再建された。
豪壮な入母屋造りの萱葺き屋根が特徴。


明治二十三年(1890)福田家の所有となり、医院として使用されていたが、
平成三年、福田家より旧麻生町に建物が寄贈され、翌年修復整備された。
現在は、麻生藩家老屋敷記念館として、一般公開されている。


萱葺き屋根は、何層にも萱や檜の皮などが重ねられて、その厚さには感心させられる。
『いやぁ これは凄いわっ』
『こんな立派な陣屋があるとは知らなかったなぁ』


玄関入口


式台玄関の間


次の間


土間のかまど


陣屋裏


蔵(倉庫?)もある。


記念館管理棟の前にケヤキの株が置かれていた。
逆さまになった根を見るのは初めてである。
『この根っ子 凄くでかいねっ』


麻生小学校に隣接する市立麻生幼稚園前を通過
『幼稚園も広いし、立派だねぇ』
『大したもんだねっ、行方市は』
何故か聞えるのはため息ばかりだ。


麻生幼稚園を左手に見ながら少し進むと、


10時53分、麻生藩家老三好家に到着。
三好家は麻生藩主新庄氏の常陸入国に伴って、客分として特別の待遇を受けた。
後に藩士となり、数代に渡り、藩の家老職を務めた。
特に維新期に藩の権大参事(ごんだいさんじ)になった琢磨は、旧麻生藩の整理と士族授産、
更に郡・県政などに大きな功績を残している。
権大参事:明治維新後、それまでの藩主は藩知事と名称を変え、
家老的役割として権参事(大参事)1名、少参事複数、更に大属(だいさかん)、少属が置かれた。
大参事は、藩を取り仕切る実質的指導者)


現在の居宅は、明治十三年の建築だが、式台玄関や間取りに昔の武家住宅の様式を伝えている。
三好家は、現在まだ人が住んで生活している状態である。
中庭を見て出ようとしたら、門のところで、戻ってきた車とばったり。
思わず、一礼をして、三好家を後にした。


小学校の回りをぐるりと進む。


親和会(朝霞荘)への間道へ。
ここは、標識を見落とすと、遠回りになるので気をつけたい。


間道を抜けると、開放的な場所に出た。
右手に見えるのは、行方市老人デイサービスセンター。


朝霞荘脇を流れる城下川を渡り、


そのまま真直ぐ進むと、


正面が海了寺だ。
時刻は、11時5分を差していた。
大意山海了寺は、明暦三年(1657)麻生藩三代藩主の新庄直好が、藩主一族と家臣の菩提寺として建立した。


本堂には、麻生藩歴代藩主の大位牌が安置されているが、この寺に埋葬された藩主は分家から入って宗家を継いだ
四代藩主新庄隠岐守直時唯一人で、他の藩主の墓は全て東京駒込の吉祥寺にある、そうだ。
創建当時の堂宇は、地方では稀に見る大伽藍であったと伝えられているが、明治維新で領主の保護を失い、
また、藩主一族及び藩士だけで檀家も少ないため、寺の規模も縮小された。
現本堂は、明暦創建当時の衆寮(寺で働く人々の住居)と考えられる、とのこと。


裏山の墓地には、四代藩主新庄直時の墓碑と、歴代藩主の大位牌や藩士一族の位牌が並んでいる、とのこと。


畜霊観音菩薩には、線香が上げられて、ほのかに煙が漂っていた。
海了寺では、小動物の納骨供養塔の相談も受け付けている。


海了寺で、時間調整を兼ねて少し休憩だ。
実はこの時、会員のKさんから『後を追ってるのでもう直ぐ追いつくと思う』と連絡が入ったのである。
麻生藩陣屋跡を出て三好家辺りを急いでいるらしい。
海了寺で待っていることを伝えた。


5分もすれば追いつくことだろう、と待っていたが・・・
10分近くたっても、なかなかKさんの姿が現れない。
「朝霞荘」への間道への入口が分からないのかも知れない。


携帯で何か目印になるものがないか訊ねると、羽黒山公園入口を示す標識が見える、とのこと。
羽黒山公園は、これから我々が向かおうとする場所である。
どうやら、間道への入口を行き過ぎてしまってるようだ。
しばらく待つように伝え、羽黒山公園を目指して急いだ。


ようやく、Kさん(手前)と合流。めでたし、めでたし。
これで参加者は32名となった。


羽黒山公園への坂道を上る。
この日一番の坂道である。


羽黒山公園へ


11時31分、麻生城跡に到着
案内板には次のように紹介されている。
椎の大木に囲まれ、霞ヶ浦を一望できる羽黒山公園は、鎌倉時代に常陸大掾(だいじょう)氏の一族、
行方忠幹(ただもと)の孫、家幹が築いた麻生城(別称羽黒城)の跡である。
忠幹の子景幹は、元歴元年(1184)源義経に従って、屋島の戦で戦死し、その所領は4人の子に譲与された。
長子為幹が行方、二子高幹が島崎、三子家幹が麻生、四子幹政が玉造に城を築き、
それぞれの地名を名字として武威を振るった。
この子孫は、「行方四頭」とよばれ、中世を通じて行方郡の中心勢力となった。
しかし、戦国時代になって、常陸大掾家の統制力が弱まると、同族間で抗争し、
麻生城主之幹(これもと)は、天正十二年(1584)同族の島崎安定に攻められ、滅亡した。


一段高い城跡らしき所に上って霞ヶ浦方面を眺める。
『あらぁ素敵~っ 白帆の湯駐車場がよく見えるわぁ』


白帆の湯付近
対岸は和田岬公園辺りと思われる。


羽黒山公園へ


麻生氏の居城跡
中世に400年に渡って当地を支配した麻生氏の居城跡。
当時の建物は残っていないが、土塁や堀跡が往時を偲ばせる。


羽黒山公園からの眺め


お城を模ったトイレで体調を整え、


羽黒山公園を下る。


階段を下りて近道しよう。
『ひぇ~っ 近いのは良いけど、ちょっと怖いわね~っ』
手摺りをしっかりと掴んで下る。


”麻生陣屋商店街”の看板の先は、国道355号である。


白帆の湯前の交差点を過ぎ・・・


直ぐ右手に常安寺があった。
『このお寺も立派よねぇ~』
銅板葺きの大きな屋根が特徴的である。


常安寺でこの日最後のお参りを済ませる。
『今日も無事で良かったわね~っ』


鐘楼の横にナギの木がある。
幹回り2.38m、樹高12m、樹齢は約300年、市指定有形文化財(天然記念物)になっている。
ナギはマキ科の常緑高木で、雌雄異株、とのこと。
俗称「弁慶の力柴」「弁慶泣かせ」と言われるそうで、その理由は、
葉脈は平行して縦走し、主脈はなく、葉質は厚く脈の繊維が強いため、
葉を両手で横方向に引くと平行脈に沿って裂けるが、葉を縱方向に力を入れて引っ張っても切れないから、だそうだ。


常安寺を後にして、ゴールの白帆の湯へ。
写真左の建物は、「レストラン大湖」


右手に白帆の湯駐車場が見えてきた。


12時1分、ゴールの白帆の湯駐車場へ到着。
この日は、弁当は無しということで、いったんこの場で解散し、
帰りの途中、めいめい好きな場所で昼食を摂ってもらうことにした。
どこに立寄るかを話し合っていたら、整理体操のことをすっかり失念してしまった。
(写真の建物は、螺旋階段のようなものが透けて見えるが、展望台???)


相談の結果、行方の「ばんどう太郎」に立ち寄ることにした。
他に食事処をあまり知らないこともあり、結局、20数名が立寄ることになった。
時計は、12時30分を少し回っていた。


ちょうど昼時だったため、満席だ。
しばし待たされることになったが、この日の例会のことで話に花が咲き、退屈なんてしない。


「ばんどう太郎」を代表するメニュー、”味噌煮込みうどん”
後で聞いた話だが、ほぼ全員が迷わず”味噌煮込みうどん”を注文した、そうである。
『いただきま~すっ』 『熱くて美味しいっ!』

『皆さんっ、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「行方麻生陣屋コース」は、当会としては、初めての企画である。
2年位前に「白帆の湯」に立ち寄った際に、手に入れた「なめがたフットパス」を参考にした。
江戸時代にこの地を治めた麻生藩ゆかりの地を巡るコースということで、
歩く距離はやや短かったものの、寺や城跡などを巡り、楽しめた半日であった。
中でも重厚な造りの「陣屋」跡には、圧倒された。必見の価値はあると思う。

帰りの途中、「ばんどう太郎」で食べた”味噌煮込みうどん”は、孫も大好きなので、
近いうちに家の近所の「ばんどう太郎」に連れて行ってあげようと思う。


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