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ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

5年振り4回目 高崎自然の森周辺を歩く(つくば市)

2025年04月25日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」

令和7年(2025年)4月25日(金)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和7年度(2025年度)第2回、令和7年(2025年)第8回「高崎自然の森周辺(つくば市)」 ウォーキングに参加した。

自宅療養中でまだ皆さんと同じペースで歩ける状態ではないため、「高崎自然の森」を抜けるまで

ということで参加することにした。

「高崎自然の森周辺」はこれまで3回歩いている。

1回目は平成24年(2012年)3月23日(金)、2回目は平成26年(2014年)6月20日(金)

3回目は令和2年(2020年)7月10日(金)ということから今回が4回目となる。

 

この日は第一集合場所の乙戸沼公園には寄らずに直接出発地の「高崎自然の森」へ向かった。

「高崎自然の森」に行ってみると、既に数台の車が停まっていた。何台かは見覚えのあるナンバーだ。

休憩所の前にこの日歩くコースの地図があったので、自然の森を抜けるコースを確認。

三々五々、この日の参加者が集まってきた。

予定の9時30分を過ぎてもいつもの何名かの姿が見えない。

『道を間違ったのかしらっ?』

『待ち合わせ場所に行き違いがあり、少し遅れているけど、そちらに向かっている』

とTK会長へ連絡があったようだ。

皆さんには出発が遅くなって申し訳ないが、もう少し待ってもらうよう説明した。

9時50分、予定を20分ほど遅れて、いつものメンバーの皆さん(7名)が到着した。

この日の参加者は24名となった。

この日の参加者が揃ったとみて、TK会長から挨拶があり、

9時56分、出発!

TK会長へ遅れたことの説明をしているようだ。

待ち合わせの場所に行き違いがあって遅れた、とのこと。

真っ直ぐ進むと野鳥の森・水辺の森になるが、この日は右手のほのぼの広場・さくらの森方面へ。

お花畑辺りを進む先頭G

一部のお花畑には、芝桜のような花が咲いていた。

『あらぁ綺麗ねっ』『まだ何とか見ることが出来るねっ』

お花畑では、一部が耕され、次に植える準備が進んでいた。

『どんな花が植えられるんだろうねっ』

左手にほのぼの広場のアスレチック設備があったが、残念ながらアスレチックに挑戦しよう

という人はいなかった。

左手のほのぼの広場の芝生広場を見ながら進む。

芝生広場を左手に観ながらさらに進むと・・・

前方に水辺の森が見えて来た。

水辺の森の橋を進む。

当会最高齢のKKさん(91)も皆さんに遅れじと後を追う。

水辺の森を過ぎ、丸太の坂道を上り、

薄暗い森の中を進む。

坂径を下って行くと・・・

「高崎自然の森」の外に出ることが出来た。

自分はここまでとしているので、残念ながらここで皆さんと別れることにした。

『あらぁ ここで帰っちゃうのっ?』 『無理はしない方が良いからねっ』

『皆さん、行ってらっしゃいっ!』

『帰りは気を付けてねっ』

しばらく皆さんの後ろ姿を見送ることにした。

次第に皆さんの姿が小さくなってゆく。

「みのり幼稚園」辺りを進む皆さん。

皆さんの姿が見えなくなったので、皆さんとは逆方向の径を進む。

左手は間もなく田植え時期を迎える田んぼが広がる。そろそろ水が張られる頃だ。

右手は「高崎自然の森」エリアである。

しばらく進むと、右手に「高崎自然の森」の水辺の森の東屋が見えた。

またしばらく進むと、右手にさくらの森の八重桜が咲いているのが見えた。

手前に「高崎自然の森」への出入り口がある。

またしばらく右手に「高崎自然の森」を見ながら進む。

前方左手に稲荷川に架かる九万坪橋が見えて来た。

10時34分、「高崎自然の森」入口に到着。

「高崎自然の森」入口から九万坪橋方面を見たところ。

「おぐろくの森」ウォーキングロードの標識が。

「高崎自然の森」入口近くの田んぼには既に水が張られていた。

間もなく田植えが始まるのだろう。

「高崎自然の森」の第1駐車場へ。

「高崎自然の森」の四季の森辺りを進むと、第1駐車場は近い。

さらに四季の森を進むと・・・

10時45分、「高崎自然の森」の第1駐車場に到着した。

しばらく車の中で皆さんの到着を待っていたが、まだ1時間半ほどかかりそうなので、

「高崎自然の森」を後にして帰路に就いた。

 

この日の万歩計は、3,500歩を計測していた。

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2025年度第1回はふれあいの森コース(阿見町)

2025年04月12日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」

令和7年(2025年)4月12日(土)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和7年度(2025年度)第1回、令和7年(2025年)第7回「ふれあいの森コース(阿見町)」ウォーキングに参加した。

令和7年(2025)度第1回目は阿見町の”ふれあいの森コース”で、出発前に現地で”総会”を予定しているため、
自宅療養中でまだ皆さんと一緒に歩ける状態ではないが、”総会”にだけは参加することにした。

阿見総合運動公園の指定した駐車場に行ってみると、既に何名か集まっていた。
中には誤って別の駐車場へ行った人もいるなど参加者全員が集まるのに若干時間を要した。


次々と参加者が集まり始め、駐車場は当会の参加者の車が占めるような状態になってきた。
集まって来た参加者には”総会”用の資料を配布した。


予定の時刻を過ぎたことから、他の人の邪魔にならないよう、駐車場の近くの空き地に移動。


TK会長の挨拶を皮切りに”総会”を開始した。なお、この日の参加者は25名となった。


前年度(令和6年度の決算報告及び会計監査報告、新年度(令和7年度)の予算案などの報告・説明
などを行い了承された。


前年度(令和6年度)の各人の参加結果をもとに、注目の皆勤賞等の表彰式を始めた。
令和6年度は22回予定のところ、1回が雨、2回が猛暑のため中止となったので、全19回参加が皆勤賞となる。
皆勤賞受賞者は4名だ。

先ずは皆勤賞のSRさん(84)。


4年連続の皆勤賞である。


続いて皆勤賞のTM子さん(73)。TM子さんは初の皆勤賞授与となった。


続いて皆勤賞のHRさん(85)は3年連続である。


皆勤賞受賞最後は会長のTKさん(85)は、過去4回の受賞歴があるので、今回が5回目となる。
賞状授与は当会最高齢のKKさん(91)にお願いした。


1回だけの不参加はOKの精勤賞該当者は2名。
先ずは、精勤賞は初めてのSR子さんは、前年まで3回連続の皆勤賞だったので今回惜しくも精勤賞となった。


続いて精勤賞は5回目となるYMさん。精勤賞5回は常連さんともいえる。


3年以上在籍し、傘寿(80歳)を迎えた方への功労賞授与は2名。
いずれも女性である。
先ずはIW子さん


続いてSR子さん


賞状授与に続いて、この先の当会の運営についてかねてより役員間で話をして来たところだが、
先日(4/5)の臨時役員会で令和7年度で終了することを全員一致で決定した。
このことから、この”総会”の場で会員の皆さんに発表することにした次第。
具体的には決まっていないが、来年(令和8年)の3月末で当会の全ての例会を終了した以降は、
気の合う仲間が自由に集まって自由気ままに活動を進めてもらうことにした。
なお、令和7年度の例会終了後は次年度の”総会”に代えて別途閉会式(日時・場所など未定)を開催し、
閉会式と前年度(令和7年度)の各種賞状授与などを行うこととしたい。

無事”総会”が終わり、10時20分、阿見総合運動場駐車場を出発した。


自分は、ここで皆さんの後ろ姿を見送ることにした。


『気を付けて~っ!!』



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突然倒れ救急搬送も無事退院 2024年 忘年ウォーキング

2024年12月13日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」

令和6年(2024年)12月13日(金)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和6年度(2024年度)第13回、令和6年(2024年)第18回「2024年 忘年ウォーキング」に参加した。

この日は今年最後の例会となる”忘年ウォーキング。
忘年会の場所は昨年と同じ土浦市下高津の「かね㐂本店」である。

荒川沖駅9時52分発の下り電車を待つ皆さん。
荒川沖駅からは、9名が乗車することに。


9時58分、電車は定刻どおり土浦駅に到着した。


皆さん、エスカレータは使わず階段を上る。
「健康ウォーキングの会」会員の意地といったところか。


土浦駅の改札口を出て、


土浦駅の東西を繋ぐ通路へ行ってみると・・・
大勢の仲間が集まっていた。
その数15名、龍ヶ崎から1名、荒川沖からの9名と合わせ25名となった。
事前確認した人数ぴったりである。


通行人の邪魔になるからと少し場所を移動し、必要資料の配布などを行い、「かね㐂」での進行や料金の
徴収などについて説明し、


10時16分、「かね㐂」に向けて出発!


階段を下り、土浦駅東口北口へ。


土浦駅前通路を県道263号へ。


土浦駅前の県道263号を横断し、


土浦港方面へ。
一番奥の港には、たくさんのヨットが。


左手に土浦港を見ながら進む。


この日は当会最高齢のKKさん(90)も元気に参加してくれた。


土浦港に係留されているヨット。
『男だったら一度は憧れちゃうよねっ』
『けっこうな値段するんでしょっ?』


港町方面へ。


ヨットの前方に川口公園のJ:COMスタジアム土浦が見える。


『昔来たことがあるなぁ』と昔を懐かしむ龍ヶ崎市から参加のTJさん(右)


『いやぁ 今日は寒いねぇ』
この日の土浦市の最高気温は9℃となっている。


対岸にJ:COMスタジアム土浦が見える。


土浦港の外(霞ヶ浦)へ出るにはもう少し先になる。


10時37分、土浦港から900mの地点を通過。


後方に女性陣が続く。
港町3丁目付近と思われる。


『ここの桜並木、桜の時期に歩いてみたいわねっ』


西浦中岸0.5Kmの地点を通過。


『こんな寒い中、何を狙ってるんだろうねっ』


意気投合している様子だが、二人で何を話してるのだろう?


桜並木は次第に右へカーブし始めた。


霞ヶ浦に出たのかも・・・


10時43分、土浦港から1,300mの地点を通過。


住宅街を見ると庭に真っ赤なもみじが。
『この時期に見頃になるなんて今年は随分遅れてるわねっ』


『前に見えるのは桜川の入口じゃないっ?』


対岸に国交省霞ヶ浦河川事務所土浦出張所の水門が見えた。


10時49分、土浦港から1,700mの地点を通過。


『かね㐂まで1/3くらいは歩いたかなっ?』


前方に桜川に架かる最初の橋、水郷橋が見えて来た。


水郷橋が次第に近くなって来た。


ススキの穂の向こう岸は桜川の対岸の桜並木である。


水郷橋へ。


11時2分、土浦港から凡そ2,500m、水郷橋の手前200mの地点で小休止だ。


『この分じゃかね㐂には11時半には着きそうだねっ』


数分の休憩後、かね㐂を目指す。
11時5分、水郷橋に到着。


県道263号を横断し、


11時8分、常磐線の下を通過。


水郷橋の一つ上流に架かる2つ目の櫻川橋へ。


11時11分、土浦港から2,900mの地点を通過
『このペースだったら、11時半には楽勝じゃないっ!』


桜川にはたくさんのオオバンが浮かんでいた。


櫻川橋の下を通った後、しばらく土手の上を歩き、


桜川に架かる霞ヶ浦から3つ目の匂橋を渡る。
この橋は車が通れないので安心して歩ける。


匂橋を渡る。


匂橋から桜川上流を見たところ。


この橋を渡ればもう直ぐ「かね㐂」本店だ。


匂橋を渡り、備前川を過ぎて真っ直ぐ進み、


下高津交差点の先が「かね㐂」になる。
正面に「かね㐂」の看板が見える。


11時26分、「かね㐂」に到着した。
『ちょっと早かったかなっ?』


『いらっしゃいませ~ どうぞこちらへ~』
「かね㐂」の店員さんに案内されて店内へ。


靴を脱いで予約していた部屋へ。


25名は一室には入りきれないので、「かね㐂」によって大きい部屋には18名、


隣の小さい部屋には7名の席が用意されていた。
特に席は決めてないので各自自由に座ってもらうことにした。


席はほどなく決まったようだ。


会計担当が飲物の注文を受け、店側に注文している間、皆さんの表情を撮らせてもらった。
KKさん(左)とKSさん(右)。


TJさん(左)とNKさん(右)。


KD子さん(左)、SB子さん(中)、YM子さん(右)


こちらは別室のAR子さん(左)、TK子さん(中)、IR子さん(右)


別室のYMさん(左)、SRさん(中)、HRさん(右)


別室一番奥のOG子さん


再び大きな部屋に戻ってAD子さん(左)とSR子さん(右)


NK子さん(左)とIK子さん(右)


注文した飲物も行き渡ったところで、TK会長の挨拶と音頭で・・・
『今年一年頑張りました、また来年も楽しく元気に歩きましょう! かんぱ~いっ』


食事の様子(1)


食事の様子(2)
こちらは別室、あらためて『かんぱ~いっ』をしてもらった。


食事の様子(3)


食事の様子(4)
(YMさんに撮ってもらったスマホの画面)


食事の様子(5)
会計担当の皆さん


食事の様子(6)


食事の様子(7)


食事の様子(8)
和気あいあいのうちに食事を楽しんだ小部屋の皆さん


会計担当の3名は、我々が食後のコーヒーを楽しんでいる間に料金徴収を終え、会計を済ませてくれたようだ。
会計処理も終わり、忘年会を終了することが出来た。
13時13分、「かね㐂」を出た。
『今日はけっこう盛り上がって本当に楽しかったわねっ』


『それでは皆さん、良いお年をっ!!』


13時15分、「かね㐂」を後にして各自駅方面や駐車場などへ向かった。


匂橋手前の所に来たところ、後ろの方から『KKさんが突然倒れた』との声が。
驚いて30mほど後方の備前川に架かる橋の方へ行ってみると・・・
KKさんが倒れていた。
KKさんの上半身をYMさんの奥さんが膝の上で支え、YM氏がKKさんの肩の辺りを引っぱって少しでも
奥様が軽くなるような姿勢でKKさんの状態を見守っていた。
『KKさ~んっ』と大きな声で呼ぶとかすかに薄目を開けるような仕草を見せ、意識はある感じだった。
その後最初は青白かった顔色が次第に血色が戻って来ているような状態になってきた。


10数分後に救急車が到着し、


KKさんと同行者1名(YM氏)を乗せ、


13時44分、救急車は出発した。
向かう先は土浦協同病院とのことだった。
後はKKさんの無事回復を祈るばかりである。
YMさんの連絡を持つことにしよう。


匂橋の所でそれぞれ別方向へ。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『良いお年をっ!!』


我々数名は土浦駅に向かった。
匂橋を渡った所でTK会長とは分かれた。
『お疲れさまでしたぁ』   『良いお年をっ!!』


土浦駅に向かう。


桜川の土手を土浦駅に向かう。


叶地蔵尊を祀った祠があったので、KKさんの無事回復を祈願した。
元々は度々見舞われた災害から護って欲しいとの願いから文政三年(1820)に造立されたものらしいが、
ここはKKさんの無事回復を願ってのこととなった。
願いが叶うことを祈った。


常磐線鉄橋の手前を左に曲がると・・・
土浦駅が見えた。


14時5分、土浦駅に到着した。


忘年会も無事終わり、土浦駅方面へ向かう途中にKKさんが突然倒れ、一時意識不明の状態に。
居合わせたみんなで力を合わせ、KKさんの介抱や呼び掛け、119番通報などの処理を行った。
救急車で土浦協同病院に搬送された時にはホっとしたが、その後の状態が気がかりである。

その後(19時頃)、病院へ同行したYMさんから電話が入り、無事退院することが出来て、
KKさんを自宅まで送っていった、との連絡が入った。
数時間病院で安静にしていたら、自宅で普通の生活が出来るほどに回復して退院した、
ということには大変驚いた。
少なくとも数日は入院するのではと思っていたので、びっくりしたというのが正直な気持ちである。

その後、KKさん本人からも『迷惑をかけて申し訳なかった』との電話があった。
迷惑だなんて、それよりも、兎に角無事に退院できたことの喜びの気持ちを真っ先に伝えた。


この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。

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まさにもみじが見頃 小町の里から鬼越もみじの森へ

2024年12月06日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
令和6年(2024年)12月6日(金)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和6年度(2024年度)第12回、令和6年(2024年)第17回「小町の里から鬼越もみじの森へ」ハイキングに参加した。

今年度のハイキングとしては、今年5月18日(土)の高柴山、10月11日(金)の雨引山以来3度目のハイキングとなる。

第一集合場所乙戸沼公園の銀杏もいつの間にかすっかり落葉してしまい、時間の流れを感じる。


この日乙戸沼公園に集まったのは、地元にも拘らず自分を入れて5名、ちょっと寂しい感じではある。
やはり山に登るということが敬遠されたのかも知れない。


車2台に分乗して出発場所の小町の館前の駐車場に行ってみると、かなりの人が集まっていた。


やはり、鬼越山(372m)位のハイキングはそれほど苦にはならないという人の姿が多い。


次回(忘年ウォーキング)や次々回(七福神巡り)などの地図を配布し、
今回初参加のYMさん夫妻(左の2人)の紹介などを終え、


10時9分、この日の道案内役をお願いしていたTM子さんとNZ子さんを先頭に、鬼越山の麓を目指して出発!
二人によると、10日ほど前に下見として鬼越山のもみじを見て来たそうだ。
その時は見頃にはもう少し時間がかかりそうとのことだった。
この日はこのところの冷え込みにより、見頃を期待しても良さそうとのことである。


TK会長たちも後に続く。


小町山・朝日峠登山口方面へ。
『いやぁ今日は素晴らしい天気だね~っ』
『雲一つないねぇ』


突き当りを左に折れ、小町山登山口へ。


『今日は、風がないから意外と寒く感じないよねっ』


少し離れて最後尾Gも続く。


10時16分、小町山登山口に到着し、振り返って朝日峠展望公園方面を見たところ。
自分の好きな景色の一つである。


小町山登山口に祀られた山の神にこの日の無事安全を祈願し、


小町山の沢コース方面へ。


小町山沢コースを進む。


丸太の橋で沢を渡り、薄暗い森の中を進む。


10時33分、熊の岩分岐点に到着し、ここで軽い休憩を摂ることに。


身体が熱くなって上着を脱ぐ人も。
自分も上着を脱いだが、リュックに仕舞うのが面倒なので腰に巻き付けた。


丸太の橋で沢を渡り、右手に竹の樋(とい)で作られた願いの滝を観ながら進む。


沢を流れる水の音を聴きながら沢コースのかなりな急坂を登る。


次第に急になってゆく坂道を上る。


沢沿いの坂道を上る。


10時45分、姫の滝を通過


姫の滝の先の分岐点を左へ。


10時53分、しずく石に到着。
しずく石からはしずくは流れ出ていなかった。


ここで軽い休憩を摂り、


三ツ石方面へ。


しずく石から三ツ石への間は小野小町のうたを詠みながら登る”うたのみち”になっている。
「いとせめてこいしきときはむはたまのよるのころもをかえしてそきる」
(貴方を恋しくて仕方がない時は、夜の着物を裏返しにして、眠るのです。)
小野小町の在世時、夜着を裏返しに着て眠ると、恋人が夢に出て来るとの俗信があったらしい。


三ツ石を目指す。


”うたのみち”の案内板前を通過


「あきかせにあふたのみこそかなしけれわかみむなしくなりぬとおもへは」
秋風に激しく煽られる稲穂の実ほど辛く悲しいものはない。
(せっかく実ったっというのに、その風によって空しく吹き飛ばされ、(酷い雨や暑い夏に耐えた)
今までの苦労も無意味なものになってしまうのだから。)
(別訳 恋をテーマにして)
あの人に飽きられた後の、逢えるという願いほど悲しいものはありません。
(そんな頼みにならない、あてにならない希望を信じた我が身が、空しくなってしまうと思うので。)


三ツ石への急な坂道を登る。
登りに夢中になって小野小町のうたをいくつか見落としてしまった。


三ツ石への急な坂道を登ると・・・


11時8分、三ツ石に到着した。


ここでしばしの休憩にしよう。
『ちょっときつかったわねっ』


『お茶が美味いっ』
『うたのみちの最後は堪えるよねっ』


『いやぁ 疲れた~っ』
久し振りの山登りは身体に堪える。


いつまでも休憩している訳にもいかないので、先へ行こう。


ここから先は急な上りが続く。


『ここは頑張るしかないかっ』
急坂道を登る皆さん。
自分もかなりへばって来ていた。


三ツ石からの急坂道を登ること20分余りの11時33分、松の木広場に到着した。
12,000歩を日課としているNKさん(84)もさすがに疲れた様子。


TK会長(85)『いやぁ 今日はほんとに堪えるよねっ』


YMさん夫妻(75,73)はそうでもなさそう。
やはり年齢の差なのだと思う。


『おひとつどうぞっ』
『ありがとう、いただきますっ』
いただいたビスケットはとても美味しかった。


11時41分、鬼越山の麓を目指して出発!


『あら~っ きれいっ』
見上げると、きれいに色付いたもみじが見えた。
下ばっかりに気を取られて


真っ赤に染まったもみじも。
”もみじの森”のもみじに期待が膨らむ。


鬼越山の麓まであと少しだ。


最後の急坂を上り切ると・・・


11時49分、鬼越山の麓に到着した。


全員が揃ったところで・・・


もみじの森へ。


パープルラインの道沿いを少しだけ歩き、


もみじの森へ。


パープルライン脇の林道を進む。


パープルライン脇の林道を進むこと約7分、


もみじの森のもみじ(1)が見えた。
『なかなかのもんじゃないっ』


もみじの森のもみじ(2)
『きれいだねっ』


もみじの森のもみじ(3)
『ベストのタイミングだったようだねっ』


もみじの森のもみじ(4)
『けっこう広い範囲でもみじがあるねぇ』


もみじの森のもみじ(5)
近くにはベンチが数か所あるだけだったが、『この辺で休憩しますかっ』


12時5分、この日は軽食を持参するように連絡網を回していたので、皆さん持参した軽食
(おにぎりやパンなど)を食べることにした。
軽食タイム(1)


軽食タイム(2)
皆さんおにぎりや、


軽食タイム(3)
パンなどを頬張っていた。


軽食タイム(4)
こちらは既に食べ終わっていたようだ。


12時17分、軽食も終わったのでもみじを見ながら下山することにした。


『今日来てほんとに良かったわよねっ』


『朝日峠のもみじ谷も良いけど、こっちの方が断然良いわよねっ』


『こんな素晴らしいもみじが観られるなんて幸せっ』
皆さんから感嘆の声が上がる。
企画は大正解のようだ。


三ツ石を目指して坂道を下る。


『下りはそれほど急坂じゃないから楽ねっ』


もみじの森を出発して坂道を下ること約20数分の12時45分、登山道脇にベンチがあったので、
そこで軽い休憩。


数分後に最後尾Gが到着したのを確認し、再び下山開始。


山道を下る。


さらに山道を下る。


12時59分、見覚えのある岩が現れた。
三ツ石で最大の巨岩である。
いつの間にか三ツ石と鬼越山登山道の間を結ぶ径を下っていたのだ。


下りは意外と疲れるものである。
三ツ石で少し休憩していこう。


少しの休憩だったら座らない方が良いかも・・・
(と言ったかどうかは知らないが・・・)


案内役のTM子さんによると、三ツ石からしずく石へ下山するのが楽では?と言うことを了解して
13時4分、下山開始したのだが・・・


TM子さんから別件の予定のため早めに下山したいとの申し出があったため、TM子さんには
先に下山してもらい、我々はゆっくりと彼女の後を追うような形で下ることにした。


13時11分、しずく石に到着


しずく石の急階段を下る。


しずく石の急階段を下り、


13時17分、姫の滝を通過


ゴールの小町の館を目指す。


途中”みちくさ処”で小休憩
TK会長はかなり疲れた様子だった。
『いやぁ参った!』


13時30分、希望の滝を通過
いつもに比べて水量が多いように感じた。


ゴールの小町の館を目指す。


ゴールの小町の館を目指し、杉林の中を下る。


丸太の橋で沢を渡り、


13時45分、小町山登山口の山の神に到着した。
この日の無事にお礼の参拝を済ませて、


小町山登山口の坂道を下り、


小野の集落を進むと・・・


突き当りを右へ曲がると、間もなくゴールの小町の館だ。


もみじの森の話しでもしているのだろうか・・・


14時1分、ゴールの小町の館駐車場に到着した。
『今日は私にはけっこうきつかったですが、頑張りました。
これからも健康のため、ウォーキング、ハイキングを楽しみましょうっ』
TK会長から元気の良い挨拶でこの日は解散することになった。


新規入会したばかりのYMさん夫妻(左)に今日の感想を求めると、『ちょっときつかったと言うのが
正直なところです』と答えてくれた。
ハイキングと言えるのは年数回だけ、あとは楽なウォーキングなので、これからも頑張って欲しいし、
楽しんで欲しいものである。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


今回初めて鬼越もみじの森(正式名称かは不明)へのハイキングを実施した。
朝日峠への途中にあるもみじ谷のもみじは幾度となく観たことはあるが、見頃を観たことはなかった。
この日の鬼越のもみじの森はまさに今が見頃と言えるものだったと思う。
もみじ谷のもみじよりも木の本数も多く、色合いが良いと感じた。
鬼越のもみじの森のもみじは今日初めて観たという人が多かったが、『素晴らしかった』
『素敵で綺麗だった』『今日来て良かった』などと感動の声がたくさん聞くことが出来た。
この日は軽食持参としたが、次に訪れる時は弁当持参にした方が良さそうだ。

この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。

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無事辿り着き感激! 千住宿からお化け煙突の跡地へ

2024年11月16日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
令和6年(2024年)11月16日(土)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和6年度(2024年度)第11回、令和6年(2024年)第16回「千住宿からお化け煙突の跡地へ
ウォーキングに参加した。

1週間ほど前には雨が予想されていたが、数日前頃からは雨の予報は次第に前日に移り、
この日はまずまずの天気となった。
この日荒川沖駅に集まった人は11名、まぁいつもの顔ぶれである。


荒川沖8時47分発の電車を待つ皆さん。


土曜日の電車は空いていた。
全員安心してゆったりと座って行けるのが嬉しい。


土浦駅からも11名が乗車したことで、参加者は22名となった。
下車駅の南千住駅までの小1時間は、会計担当によるバスハイクの余剰金の払戻や、
忘年会の参加希望などの確認などで有効に過ごすことが出来た。


9時40分、この日のスタート地である南千住駅に到着した。


めいめい体調を整えた後、コースの説明に続いてTK会長の挨拶があり、


9時56分、南千住駅をスタート!!
最初の訪問地、延命寺を目指した。


JR常磐線の下を潜り、JR常磐線と東京メトロ日比谷線の間に挟まれた場所に立地する
延命寺へ。


10時3分、南千住駅から5-6分で最初の目的地の延命寺に到着した。
この寺には延命地蔵(別名首切地蔵尊)が有名な寺で、近くに江戸初期から小塚原刑場が
あったところだ。
寛保元年(1741)に刑死者の菩提を弔うために建立されたものである。


延命寺のお地蔵様(延命地蔵)が台座に座っているのが見えた。


ウマさんの街道を歩くシリーズの”旧水戸街道を歩く”の第一日目に延命寺を訪れた時には、
東日本大震災の直後だったため、台座の上にお地蔵様の姿はなく、お地蔵様の頭の部分だけが
台座の脇に鎮座していたのを思い出した。
2011年4月24日に訪れた時の写真)


延命寺を後にして次の目的地である円通寺へ向かった。


10時13分、小塚原回向院(えこういん)前を通過。
江戸時代には、刑死者を自由に供養することは許されなかったが、ここ小塚原回向院だけが
許され供養していたそうである。
桜田門外の変で伊井大老を暗殺した水戸浪士たちも小塚原で処刑されている。
鼠小僧次郎吉や吉田松陰の墓があることでも知られる。


回向院の先を左に曲がり、次の目的地円通寺を目指す。


突き当りの国道4号を横断し、


左折して少し進むと、10時24分、目指す円通寺に到着した。


この寺には弾痕も生々しい上野寛永寺の黒門が移築されている。
慶応4年(1868)5月、寛永寺に集結した彰義隊は新政府との激戦の末、上野の山から
敗走した。


彰義隊士の墓 
累々と横たわる隊士の遺体を見た当時の円通寺住持だった仏磨和尚は、神田旅籠町の
御用商人三河屋幸三郎とともに、官許を得て慶応4年(1868)の上野戦争のあとも
野ざらしにされていた彰義隊士の遺骸を秘かに火葬して円通寺に合葬した。
黒門もその縁で円通寺に移築されたという。


境内にはたくさんの戊辰戦争戦死者及び彰義隊関係者と思われる追弔碑や墓碑がある。
『まだみんな若かったんでしょうね~っ』


戊辰戦争戦死者及び彰義隊関係者の追弔碑・墓碑(1)


戊辰戦争戦死者及び彰義隊関係者の追弔碑・墓碑(2)


戊辰戦争戦死者及び彰義隊関係者の追弔碑・墓碑(3)


いくつかの追弔碑・墓碑に手を合わせ、円通寺を後にした。


国道4号を北上して千住大橋方面へ。


10時42分、素盞雄神社(すさのおじんじゃ)の前を通過。
素盞雄は別名牛頭天王(ごずてんのう)で、天王様と呼ばれている。


10時46分、隅田川に架かる千住大橋に到着し、大橋を渡る。


千住大橋を渡った所の左側に小さな広場があった。
広場の一角に”富嶽三十六景 従千住花街眺望ノ不二”の浮世絵顕彰碑があった。
以下のように説明されている。
葛飾北斎(1760-1849)は、富嶽三十六景で「武州千住」、「隅田川関谷の里」、
従千住花街眺望ノ不二」三枚の作品を千住地域を題材に描いています。
富嶽三十六景の題材になった千住を「郷土の誇り」として次代を担う子供たちに伝えるために
画題の対象地と想定されている付近に顕彰碑を建立しました。
『この辺りからこんな感じで富士山がきれいに見えたんだねっ』


ここ千住大橋は”奥の細道矢立て初めの地”で、その昔、松尾芭蕉が弟子の曽良とともに
奥の細道へ旅立ちした地である。
行く春や 鳥啼魚の 目に涙
この句が紀行「奥の細道」の最初の句(矢立初め)ということだ。


堤防の石段を上り、隅田川方向に下って行くと・・・


千住大橋を渡る時に見えた、奥のほそ道 旅立ちの地の図があった。
与謝蕪村筆 「奥の細道図屏風」と書かれている。
与謝蕪村筆「奥の細道図屏風」は6枚からなり、これは最初の屏風図絵である。


千住大橋は、隅田川に最初に架けられた橋で、徳川家康の関東入国間もない文禄三年(1594)に
普請奉行伊奈備前守忠次によって架けられた橋です。
文禄三年の架設の際に、伊達政宗が資材を調達し、水腐れに最も強いという高野槙が使われたと
伝えられています。
(中略)
その昔に架けられていた橋の一部と思われる木杭が今もなお、水中に眠っています。
時には桟橋の上から見えるかもしれません。
伽羅(きゃら)よりもまさる 千住の槙の杭」  古川柳
東京都 足立区


千住大橋の下に造られた「せんじゅこばし」を進むと・・・


国道4号の反対側に出ることが出来た。


ここにも松尾芭蕉の像を見ることが出来る。
『みんな顔が違うよねっ』


京成本線の高架橋の下を通り、旧日光街道を千住宿方面へ。


昭和5年(1930)当時の旧陸羽街道(旧日光道中)千住市場の問屋配置図を右手に見ながら進む。


墨堤通り(都道461号)交差点を横断し、


11時7分、稲荷山源長寺の前を通過。


旧陸羽街道(旧日光道中)を進む。


道路を横断した所から”千住ほんちょう商店街”が始まるようだ。
(この場所は道路の下を東京メトロ千代田線が走っていることになる)


道路を横断した所の足立成和信用金庫本店の前にも松尾芭蕉の像が立っていた。
『ずいぶんほっそりとした芭蕉だよねっ』


千住ほんちょう商店街”を進む。


千住ほんちょう商店街”の終わりか???


と思っていたら”千住ほんちょう商店街”はまだ続いていた。


さらに”千住ほんちょう商店街”を進むと・・・


右手突き当りに北千住駅が見えた。
北千住で最も賑やかな通りになっているので、食事処は多そうだ。
帰りはこの辺りで解散することにしよう。


千住ほんちょう商店街”を真っ直ぐに進む。


千住ほんちょう商店街”の両側の石柱に北斎富嶽三十六景のうち”従千住花街眺望ノ不二”の
画が飾られている。


この辺りは”宿場町通り”と名付られている。
千住宿の中心地だった場所なのだろうか?
千住宿は江戸四宿(東海道:品川宿、中山道:板橋宿、甲州街道:内藤新宿、
日光街道(旧陸羽街道):千住宿
)の一つとして繁栄した。


11時29分、横山家住宅前に到着
屋号を「松屋」といい、江戸時代から続く商家で、戦前までは手広く地漉紙問屋を営んでいた。


街道に面して、間口が広く、奥行きが深い、”伝馬屋敷”の面影を今に伝える、商家である。
また、戸口は一段下げて造る(お客様を迎える心構えの表れ)のが特徴である。
(案内板より)


槍かけだんご かごや
水戸街道歩き2回目(2011年6月12日)にだんごを買って食べたことを想い出したが、
随分と店の雰囲気が変わってしまった感じがする。


2011年6月12日に撮影した時の槍かけだんご かごや
槍かけだんごの雰囲気としてはこの時の方が合っていたように思う。


電柱に名倉医院の看板が・・・


11時36分、名倉医院前を通過
名倉医院は骨接ぎの名医として知られた。


骨接ぎと言えば名倉、名倉と言えば骨接ぎの代名詞になるほど、名倉医院は関東一円に
有名である。
下妻道に面し、日光道中や水戸街道分岐点を間近にして便が良かったため、駕籠や車で
運ばれて来る患者がひしめいていたという。
門前の広場は、これらの駕籠や大八車などの堪り場であった。
(中略)
千住名倉医院は、たたずまいと文化と美術を今に伝える史跡である。
令和三年三月   東京都足立区教育委員会


名倉医院前の道を進むと、11時38分、荒川の土手に突き当たった。
(赤い矢印の所)
旧日光道中と旧水戸街道の分岐点はいつの間にか過ぎてしまったが、ここを右に曲がれば
旧水戸街道へは通じる。


この日の目的地お化け煙突のモニュメントは、ここを左に曲がって進むのだが、ここで一息
入れて行くことにしよう。


お茶タイム(1)


お茶タイム(2)


お茶タイム(3)


この辺りは海抜0mとなっている。


11時48分、最後の目的地お化け煙突のモニュメントを目指す。


足立区の生涯学習センター、足立区中央図書館のビルのトンネルを潜る。
屋上に公園でもあるのだろうか? 木々が生い茂っている。


突き当りに国道4号が走っているため、左に折れて国道に沿って少し戻ることになる。


200mほど戻った辺りで国道4号を横断し、


住宅街を進む。
案内図によると、この近くに昭和の初めから約90年に渡って地域の人たちに愛されてきた
銭湯ファン憧れの的の”大黒湯”という銭湯があることになっているのだが・・・
地元の人と思える人に尋ねたが、銭湯のことはよく知らないとのこと。
結局見つけることが出来ず、大黒湯は諦め、お化け煙突のモニュメントを目指すことにした。
後で分かったことだが、大黒湯は、2021年6月に諸事情で惜しまれながらも閉店となって
しまったらしい。建物も既に無くなっているようだ。


あとはこの日最後の目的地、お化け煙突のモニュメントを目指すだけである。


墨堤通りの元宿堰稲荷神社辺りではなかったかと思うが・・・
葛飾北斎の富嶽三十六景「武州千住」の千住浮世絵顕彰碑があった。
江戸時代より千住は風光明媚な名所として多くの文人墨客が集まり、文化的にも進んだ
地域でした。
葛飾北斎(1760-1849)は、富嶽三十六景で「武州千住」、「隅田川関谷の里」、
従千住花街眺望ノ不二」三枚の作品を千住地域を題材に描いています。
富嶽三十六景の題材になった千住を「郷土の誇り」として次代を担う子供たちに伝えるために
画題の対象地と想定されている付近に顕彰碑を建立しました。
(地図の左上の赤い印①が武州千住、②が隅田川関谷の里、③が従千住花街眺望ノ不二とある)


江戸時代、ここには荒川(後の隅田川)につながる水路があり、元宿掘と呼ばれました。
葛飾北斎の富嶽三十六景で「武州千住」は、この場所から描かれたと推定されています。


富嶽三十六景「武州千住」の千住浮世絵顕彰碑から少し進み、
帝京科学大学入口バス停を左に曲がって200mほど進むと、


右側に帝京科学大学千住キャンパスの建物があった。


帝京科学大学千住キャンパス前を通り抜けると、目の前に荒川(後の隅田川)の堤防があった。
堤防の階段を上ると、


目の前に隅田川の流れがあった。


遠くには東京スカイツリーが見えるが、こちらにはモニュメントなどは見えない。


右方向を見ると、隅田川に架かる尾竹橋が見えるが・・・


直ぐ隣に建つ帝京科学大学千住キャンパスの建物の方へ振り返ると・・・
『あったぁ~』 『これだよねっ』 『嬉しいっ!!』会員の皆さんから歓声が上がった。
お化け煙突のモニュメント”だ!!


正面から見た”お化け煙突のモニュメント


お化け煙突”は、大正15年1月から昭和38年3月までこの地で操業した千住火力発電所に設置され、
約40年間親しまれてきました。
この煙突は4本ありましたが、時には3本になり、時には2本、1本に見えました。
実際には左図のように薄い菱形に配置されていたため、見る角度によって4本から1本に
変わりました。
このように場所によって煙突の本数が異なって見えたのが名前の由来です。
(中略)


千住火力発電所は、昭和39年11月に解体され、その後、煙突の一部が足立区元宿
小学校で滑り台として残され、この度帝京科学大学千住キャンパスにモニュメントとして
再生することになりました。モニュメントの上半分が実物の煙突です。
縮尺1/20のモデルで煙突の見え方を体験して下さい。
資料・写真の提供  電気の史料館


モニュメントをバックに記念写真を撮った。


記念の写真を撮った時、時計は、12時40分を差していた。
お腹も空いてきたことだし、この日のゴール北千住駅を目指すことにした。
帝京科学大学千住キャンパス前を通り、


墨堤通りの元宿堰稲荷神社前を南方面へ。


千住瀧田交差点を左に曲がり、


国道4号線を横断すると、北千住駅はほぼ一本道である。


13時10分、旧日光道中の”千住ほんちょう商店街”に到着した。


人通りが多いので、簡単な挨拶で、この日はここで解散することに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『気を付けて~っ!!』


いつものメンバー6人はTK会長の案内で、旧日光道中の「柏屋」という蕎麦屋に向かった。
13時を少し回っていたが、入店まで10分ほど待たされた。
人気のあるお蕎麦屋さんである。


先ずは生ビールで『かんぱ~いっ』


『お疲れさまでしたぁ』
『これで少しは疲れが取れるよねっ』


ちょうど生ビールが切れたため少し待たされたHRさんも遅れて『かんぱ~いっ』
『この一杯がうまいんだよなぁ』


めいめい好みの蕎麦を注文。
自分は、天もり蕎麦(1,600円)を注文した。
量も多く、美味しかった。


食後北千住駅へ向かった。
14時半頃の電車だったが、運よく我々4名全員は座って帰ることが出来た。


千住宿からお化け煙突の跡地へのウォーキングが無事終わった。
目的地の一つである大黒湯の建物を見つけられなかった時には少し疲れも出て来たが、
お化け煙突のモニュメントはこの日最大の目的地なので、これを諦める訳にはいかない。
最後にこの日最大の目的地に無事辿り着けた時は正直少し感激した、という次第である。

この日の万歩計は、16,000歩を計測していた。

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