ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

”忘年会”は今年も見送りも ウォーキングは実施

2022年12月16日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年12月16日(金)

隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第15回、令和4年(2022年)第17回、「令和4年 忘年ウォーキング
に参加した。

この日はウォーキングの後に「かね㐂本店」で恒例の忘年会をすることを計画しており、
10月には参加希望者の確認を取り始め、11月初旬には「かね㐂本店」に予約を済ませた
ところだった。
ところが11月中旬以降、心配していたコロナ感染者数が増加し始め、県内でもそれまで多くて
1,000人ほどだった感染者数が2,000人を超え、多い時には3,000人を超える日も目立つように
なって来た。
全国的に第八派の到来ということだった。
そのため、12月初旬に忘年会の”中止”を決め、「かね㐂本店」には、丁重にキャンセルを
申し入れたという次第である。

ただ、ウォーキング自体は問題ないだろうということで、実施することにした。
また、ウォーキング後は少人数での飲食は各自の自由な裁量に任せるという形にし、
連絡網を通じて周知徹底を図った。

この日常磐線荒川沖駅には、16名が集まった。
10時16分の下り電車を待っているところ。


この日の予想最高気温は13℃とのことだが、この時点では8度程度と思われる。
皆さん寒さ対策はバッチリのようだ。


土浦駅には定刻の10時21分に到着した。


駅構内のエスカレータを利用する会員は誰もいない。
当会の面目躍如である。


土浦駅改札口前の通路には、既に大勢の参加者が集まっていた。


数えると、何とその数は29名にもなった。
『いやぁ 凄いねぇ』 
寒さもコロナ禍も忘年会中止も『関係ないねっ』という感じである。 


あらためてこの日予定していた忘年会中止のいきさつと、コースの変更を説明。
変更後のコース地図を配布し、10時36分、会長のTKさん(82)を先頭に出発!


後に続く皆さん


この日のコースは、土浦駅東口を出て、港町一丁目~三丁目の外周を回り、水郷橋を横断して、
桜川に沿って常磐線・桜川橋の下を潜って匂橋へと進み、土浦城を目指すというものである。


土浦駅前の道路(県道48?)を横断して港町一丁目へ。


県道48?沿いの駐車場を抜けると・・・


目の前が土浦ヨットハーバーだ。
『わ~っ ヨットがたくさんっ』
『湘南のヨットハーバーみたいだねっ』


ヨットハーバーを左に見ながら進む。


ヨットハーバーに沿って土浦港方面へ進む。


右手に見える建物は結婚式場フランベルアムール(Franc Belle Amour)だ。


対岸には結婚式場を兼ねたレストランL'AUBE Kasumigauraの建物が見える。


道には100m~200m間隔で土浦港へ200m、学園大橋へ5300mなどと標識が描かれている。


港町二丁目方面へ。


『風がないからあまり寒さは感じないよねっ』
『少し暑くなってきたわねっ』


左手に土浦港に浮かぶヨットを見ながら進む。
対岸にはJ:COMスタジアム土浦が見える。


『いやぁ 今日は気持ちが良いねぇ』


『この辺は桜もきれいなんだよねっ』


のんびりと釣り糸を垂れる釣り人の姿も・・・


筑波山もよく見える。


『風も弱いし、ほんと気持ちが良いわねっ』


『散歩コースに最適だねっ』


岸辺に近い処には水鳥もたくさん浮かんでいる。
残念ながら白鳥の姿は見えなかった。


港町三丁目付近を進む。


前方左手に桜川が見えて来た。


霞ヶ浦河川事務所の水門が見える。


11時10分、土浦港1700m、学園大橋3800m地点を通過。


前方に水郷橋が見えて来た。


『もう少し行ったら休憩しようかなっ』


桜並木の先の水郷橋が次第に大きく見えるようになって来た。


皆さん、上着を脱いでいるところを見ると、身体がかなり温まって来ていると思われる。
もう直ぐ県道48号、そこまではもうちょっとの我慢だ。


前方右手に市役所のある土浦ウララのビルが見える。


『水郷橋はもう直ぐだねっ』


11時21分、水郷橋に到着。
土浦駅を出発して45分が経過していた。


ここで一休みしよう。
水分を補給して身体を冷やすのも良さそうだ。


『お茶が美味しいっ!!』


最後尾2名の到着を待って・・・


県道48号を横断し、


常磐線方面へ。


最後尾Gも直ぐ後に続いた。


常磐線鉄橋を潜り、


河川敷の遊歩道を進む。


振り返るとちょうど常磐線上り電車が走っていくところだった。


桜川の河川敷を進む。


ここにも釣り人の姿が・・・
狙いはマブナか? ヘラブナか? それとも??


前方に桜川橋が見えて来た。


桜川橋を潜り、


桜川の土手を進む。


土手から桜川上流部を望む。
匂橋の向こうにイオンモール土浦が見える。


桜町一丁目辺りを進む。


今日のお昼をどこにしようか話し合ってるのかな?


桜川に浮かぶ水鳥たち。


桜町二丁目辺りを進む。
匂橋がすぐ近くに迫って来た。


匂橋


匂橋を渡って進むと・・・


右側に「関東ふれあいの道」のコース案内があった。
匂橋は、「関東ふれあいの道」(茨城県No.15とNo.16)の分岐点(接続点)で、
2009年11月12日(木)にNo.15(学園都市のみち ゴールは筑波大学で距離は14Km)を、
2009年12月10日(木)にNo.16(予科練ゆかりのみち ゴールは木原水神宮で距離は13Km)を
歩いている。


「関東ふれあいの道」の案内板の近くに「となりのトトロ」のネコバスの停留所があり、
ミミズクが”七国山行”バスを待っている様子だった。
調べてみると、七国山病院はサツキとメイのお母さんが入院している病院とのこと。


トトロのネコバス停留所辺りから桜川の上流を望む。
土浦橋の先にイオンモール土浦の建物が見える。


桜川の堤防を歩くのはここまでで、ここから先の案内は地元のTK会長にお任せしよう。


後続Gが追い着いたので、階段を下りて先ずは土浦ニューウェイを目指す。


桜川の土手から5分ほどで、土浦ニューウェイ下に到着した。


土浦ニューウェイ下の県道24号を横断し左折。
県道24号の右手に東光寺の本堂らしき建物が見えた。
東光寺は曹洞宗の寺院で、慶長12年(1607年)に心庵春伝和尚によって開山したとのこと。


こちらは瑠璃光殿(薬師堂)と思われる。


県道24号の大町交差点角に土浦城南門跡の説明板があった。
かつてここに土浦城の南門があったところである。


大町交差点を右に曲がると旧水戸街道となる。
旧水戸街道を進んで直ぐ右側に東光寺の瑠璃光殿(薬師堂)が見えた。


旧水戸街道をさらに少し進むと、


右側に等覚寺があった。
等覚寺は真宗大谷派の寺院である。
境内には常陸三古鐘のひとつに数えられている国指定重要文化財の銅鐘があるとのことだが、
時間的な余裕がなかったため、立ち寄ることはせずに旧水戸街道を進んだ。


さらに旧水戸街道を進んで左に折れて進むと・・・


突き当りの土浦幼稚園の東側に土浦城大手門の跡碑が建っている。
この地は、土浦城の正門(表門)の跡である。
当時は十二間(約21.6m)四方の二重の土塁と堀をめぐらした内枡形(うすますがた)であり、
外側が単層の門、内側が二層の櫓門という造りであった。
元和八(1622)年に設置され、明治六(1873)年土浦城の廃城とともに撤去された。


土浦城大手門の跡碑を後にして道なりに進み、100mほど先を左に曲がると・・・
水戸地方裁判所が現れた。


水戸地方裁判所を右手に見ながら進むと・・・
正面に土浦城旧前川門があった。
旧前川門は、江戸時代末期の建築で、かつて武家屋敷であった多計郭と町屋の間を仕切る
前川口門であったと言われている。
昭和56年に現在の場所に移築された、とのこと。


旧前川門を潜って城内に入ると、右手に東櫓が見えた。
工事中のようだ。


城内を進むと、土浦城太鼓門が見えた。


土浦城二の丸を通って、12時15分、太鼓門前に到着。
太鼓門をバックに記念撮影を済ませた。


記念撮影後に本丸跡を通り抜けて霞門(裏門)へ出ようとしたが、工事中のため
本丸跡の通り抜けは出来なくなっていたため、再び二の丸に戻って旧前川門へ。
皆さんには、ここで自由解散とするので、各自自由に飲食店へ向かっても又は帰宅しても
OKであることを伝え、それぞれ気の合った少人数で好みの店を探してもらうことにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『良いお年を迎えて下さいね~っ』
『また来年元気でお会いしましょうっ!!』


我々いつものメンバーは、水戸地方裁判所前を通り、


中城山不動院の脇を通り抜け、


「まちかど蔵大徳」の前に出た。


天ぷらで有名な「ほたか」前を通り過ぎ、


国道125号を土浦モール505方面へ。


土浦フリーウェイ下を通り、


土浦駅方面へ進むと、


最初に目指した食事処「大形屋」があった。
しかし、8名は多過ぎるということで、残念ながら入店は諦めざるを得なかった。


「大形屋」の直ぐ近くに釜めしの「高砂」という店があったので行ってみると、生憎
暖簾は掛かっておらず、休みのようだった。
仕方なく、以前何度か立ち寄ったことのある、駅前の「八起」へ。
「八起」はそれほど混んでいなかったので、ここに決めた。


先ずは生ビールで、この後車の運転有りの人はノンアルでそれぞれ「乾杯っ!!」
『いやぁ 美味いっ!』  『この味が堪らないんだよなっ』 
『けっこう歩き疲れたから生が美味しいよねっ』


各自好みの品を注文


自分は天丼を注文した。


14時23分、「八起」を後にして、


土浦駅に向かった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


コロナ禍により、令和2(2020)年および令和3(2021)年と2年続けて忘年会を見送って来たが、
ウォーキングは令和元(2019)年12月20日(金)以来3年振りに実施することが出来た。
しかし、”忘年会”は今年も見送らざるを得ない状況になったため、3年間実施されていないのが
現実である。
来年のコロナ禍は一体どのようになっているのだろうか?
今から1年後の状況を予想するのは極めて難しいが、ウォーキングだけでなく”忘年会”がやれる
状況になって欲しいと心から願うばかりである。

この日の万歩計は、12,000歩を計測していた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾根回りは断念 三石森林公園から閑居山

2022年12月02日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年12月2日(金)

隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第14回、令和4年(2022年)第16回、「三石森林公園から閑居山
ハイキングに参加した。

この日のコースは、2018年7月13日(金)に1度歩いているので、今回で2度目となる。

集合時刻の9時45分ちょうど、出発地の三石森林公園「もりの家」に到着した。


駐車場は既に当会会員の車でほぼ満車状態になっていた。
この日は当会で施設全体を利用させてもらうことになっているので、貸切同然である。


駐車場からの眺め。
ここからの景色は既に紅葉は終わった感じだ。


この日集まったのは、20名。
まずまずの人数だと思う。


次回(12月16日)の”かね㐂本店”での忘年会食は、コロナ感染状況を考慮し、”中止”としたことを説明。
なお、ウォーキングそのものは実施(自由参加)することを周知した。


忘年会食を”中止”したことに伴い、新しいウォーキング地図等を配布。


今正に出発しようとしたところ、笠間から参加のDD子さんが到着し、参加者は計21名となった。
彼女で最後と判断し、10時ちょうど、「もりの家」を出発。
まずは円明院を目指す。


前回は雪入探検隊副隊長の宮田さんという方が道案内をしてくれたが、この日はいないため、
車道を通って三石森林公園入口へ向かった。


この辺りは紅葉も綺麗に色付いている。
『紅葉はやっぱりモミジだよねっ』


TK会長は少し後ろに続く。
最近左足首に痛みを感じている状態だそうだが、上りの時は痛みは全く感じない、とのこと。


10時8分、三石森林公園入口に到着。


入口を左に曲がり、200mほど進むと、円明院へ通じる入口があった。
案内標識に従って、円明院を目指す。


薄暗い森の中を下って行くと・・・


10時19分、円明院に到着した。
この寺は真言宗豊山派の寺院で、正式名称を醫王山圓明院と言う。
本尊は大日如来である。


軽く水分補給をして、休む間もなく目的地の閑居山へ。
『ここからの眺めはきれいに手入れされて気持ちが良いわねっ』
前回訪問した時、道案内をしてくれた宮田さんに、円明院の住職は庭を手入れするのが好き、
と聞いたことを想い出した。


参道の六地蔵尊が見送ってくれる中、


円明院を後にして、


閑居山を目指す。


のどかな田園風景の中を進む。


道端の畑にキウイが生っていた。
『うわ~たくさん生ってるわねぇ』
『食べられないのかしらっ? もったいないわね~っ』


カンナの花が咲いていた。
『まだ頑張って咲いてるんだねっ』


農道を進むと・・・


解体工事中?


”ごみ焼却施設等解体工事”と書かれている。
『使えなくなったということなんだねっ』
どこか別の場所に新しい施設を作ったのだろうか。


帰宅して調べてみると、前回(2018年7月13日)通った時に撮った写真にはこのような施設が
写っていた。


環境クリーンセンターである。(2018年7月13日撮影)


解体工事現場の少し先を左に曲がったところで、


水分補給のため一休みして行こう。
『今日は寒いって聞いてたけど、そんなでもないわよねっ』
『汗かいちゃったよっ』


お茶タイムでちょっぴり楽しいひと時を過ごし、


閑居山を目指す。


周りは田んぼに囲まれている。
『いやぁ こののんびりとしたコースが良いんだよなぁ』


閑居山の百体摩崖仏の案内標識に従って進む。
右側には森林研究所の林が広がる。


しばらくひんやりとした杉木立を進むと・・・


左側に小さな四阿があった。
「関東ふれあいの道」の休憩処である。


閑居山
閑居山は、古くは志筑山と称し、詩歌に歌われた景勝地で、弘法大師が東国遍歴の途中、
この地で霊感を覚え、庵を建てて布教に努めたという言い伝えから、閑居山と呼ばれる
ようになったと云われています。
(この山の洞穴に”閑居”したという言い伝えが山名の由来となっている)
山の中腹の金堀穴のまわりにある花崗岩には、鎌倉時代以前の作といわれる100体余りの
仏像が彫られており、俗に百態観音像と呼ばれ、県の文化財に指定されています。
環境庁・茨城県


四阿の少し先に、茨城県指定文化財 百体摩崖仏 の石柱が立てられていた。


石柱の前で呼吸を整え・・・
11時5分、百体摩崖仏目指して出発!


綺麗に紅葉したモミジの下を通り、


百体摩崖仏 助六地蔵 杉沢の滝 の案内標識に従って進む。


径の脇にひっそりと石碑が立てられていた。


枯葉の積もった小径を進んで行くと・・・


大きな倒木が径を塞いでいた。
手付かずな状況をみると、あまりコースの手入れはなされていないように見える。
訪れる人も少ないのだろう。


倒木の下を潜って坂径を進む。


『あれ、福来ミカンじゃないっ?』


石段の両脇に観音像などが並べられていた。


前回来た時にはこんな像はなかったはずだが・・・


大量の落葉などが積もって石段などは地面が見え辛く、滑り易くなっている。


11時16分、百体摩崖仏と助六地蔵への分岐点に到着。
水分補給で一休みだ。


一息入れた後、先ず助六地蔵へ行くことにした。


分岐点から数分で、助六地蔵に到着した。
前回(2018年7月13日)来たときに道案内をしてくれた宮田さんからの説明を引用する。
志筑地区は、江戸時代には旗本本堂氏の領地となっていたが、領民に過重な年貢を課しており、
あまつさえ水戸街道の稲吉宿の助郷役の負担もあり、安永七年(1778)ついに耐えきれなくなった
下佐谷村はじめ25か村の農民たちが本堂氏の江戸屋敷に強訴を行った。
首謀者として下佐谷村の名主・福田助六が捕らえられ、通称「首切山」で処刑された後、
その首は街道筋に晒された。
その後、義民助六を弔うためとして、閑居山に助六地蔵が建立された。


助六地蔵の脇には六地蔵も・・・・


助六地蔵を後にして、百体摩崖仏を目指した。
落葉の積もる斜面を滑らないように慎重に進む。


案内標識に従って百体摩崖仏を目指す。


百体摩崖仏へ向かう途中、金堀穴(カナホリアナ)という洞穴があった。
奥行15mとある。
この山の洞穴に”閑居”したという言い伝えが山名(閑居山)の由来となっているとあったが、
弘法大師もこの穴に”閑居”したのだろうか?


入口から覗いて見たが中は暗くてよく見えなかった。


百体摩崖仏へ向かう途中、首のないお地蔵様があちこちに見られた。



お地蔵様の首が無い理由
明治新政府の【廃仏毀釈】政策により、仏像の破壊が行われました。
その時、ここのお地蔵様の首が壊されたものです。
【廃仏毀釈】とは、仏教を廃すること。「廃仏」は仏法を廃し、「毀釈」は釈迦(仏教の開祖)
の教えを棄却するという意味。(Wikipedia)


百体摩崖仏
この摩崖仏は、俗に百体観音と呼ばれ、その昔、山麓に弘法大師草創と伝えられる
志筑山惣持院願成寺(願成寺跡は農林水産省林業試験場跡地の中にあり、一部堀跡が残っている。)
があり、寺中興の僧乗海が手彫りした鎌倉時代の作と云われている。
山の中腹に突き出した四メートル四方の花崗岩の表面に百個余りの仏像を線刻履肉彫で
刻んでいる。
県下でも珍しいものとされており、昭和三十八年八月茨城県の文化財に指定されている。
またこの山は、古くは志筑山と称して古歌によく詠まれたところで、眺望も良いので
茨城百景の一つに数えられている町の名所である。
平成十一年 かすみがうら市教育委員会


石段の下辺りから岩を見上げると、岩に同じような仏像が並んで彫られているのが見える。
百体観音(1)


百体観音(2)


石段を上ってさらに上への径を確認しているところ。
『滑ると危険だから気を付けてね~っ』


自分も別の岩の小径を上ってみた。
百体観音(3)


首の無いお地蔵様があちこちに散見された。


首の無いお地蔵様


梵字と思しき文字を刻んだ岩や、


絵を描いたような岩も見える。
これも百体観音なのだろうか?


摩崖仏の上部への径を確認した会員によると、ここから上は落葉が大量に積もっており、
さらに急斜面になっているので、非常に危険を感じたとのこと。
相談の結果、尾根を目指すのは断念し、ここで引き返す方が賢明だろう、ということになった。
下で待っている他の会員に周知をし、納得してもらって下山を開始した。


百体摩崖仏入口へ向かう。


下りは滑り易いので気を付けて慎重に下る。


径の脇の石碑を見ながら下ると、麓は直ぐだ。


百体摩崖仏入口に到着した。
『いやぁ 引き返すのが正解だったよねっ』
全員何事も無く無事なのが何よりである。


三石森林公園「もりの家」を目指す。


道の途中の茂みに名前や電話番号などが書かれた札が下げられているのが見られた。
この札は獣径の出入り口に下げられており、ワナが仕掛けられていることを示すものだそうだ。
『ワナに掛からないように気を付けなきゃねっ』


三石森林公園近くの浅間山が見えて来た。
山頂にアンテナが見えるのが特徴だ。


ここで雪入探検隊所属のED子さんら何名かから、谷津コースを経由して三石森林公園に
向かっては? との意見が上がった。
しかし、殆どの男性陣は、今から尾根まで登って浅間山麓から三石森林公園へ向かうという
元気は残っていなかった。
男性1名と女性陣の希望者9名が、谷津コースへと向かうことになった。
あらためて女性陣の元気の良さを思い知らされた感じである。


『気を付けてっ!』
12時26分、最後の二人を見送り・・・


二手に分かれた後、我々11名は直接三石森林公園へ向かうことにした。


戻る際は左の円明院方面へは曲がらず、円明院を周回する一般道路を歩くことにした。


しばらく進むと、右手に円明院の霊園があった。
『円明院の墓地はここにあったんだぁ』


我々と一緒の道を選んだ女性は2名だったが、二人とも歩くのが速い。
みるみるうちに我々を引き離して行く。
『もう追い着こうとするのは止めといた方が良いよねっ』


一般道路は緩やかな坂道だが、距離はやや長い。
二手に分かれて約20分、円明院への近道への入口を通過。
『朝はここから円明院に向かったんだねっ』


『もう直ぐ三石森林公園の入口だよねっ』


12時50分、三石森林公園の入口に到着した。
ここからは急な上りの坂道が待っている。


汗だくになりながら急な坂道を上ることさらに7分、


12時57分、ようやく三石森林公園「もりの家」に到着した。
二手に分かれて約30分が経過していた。


「もりの家」にはまだ尾根に向かった女性陣は到着していないようだ。
ちょうどその時、ED子さんから携帯へ『尾根に到着した』との連絡が入った。
「もりの家」への到着は、あと30分はかかりそうとのこと。


『いやぁ 最後は疲れたなぁ もうへろへろだよっ』
と言いつつも、皆さんの表情は”最後まで歩き切った”という満足感に溢れていた。


津田コース組の到着前に弁当タイムにすることに。


『お腹が空いてたんで美味いよねっ』


『熱いお湯は用意してくれているし、ラーメン最高だよっ!』


ベランダで食事をする人も。
『日差しがあるからそんなに寒くないよっ』


13時35分、津田コースへと別れた女性陣が到着し、皆さん「もりの家」内で弁当タイムに。
弁当タイムが終わった13時45分頃、地元の農家(雪入探検隊)の方が作った柿が運ばれて来た。
『うわぁほんとに立派な柿だよねぇ』


立派な富有柿が4個で300円で良いよと言うので皆さんお好みなだけ分けてもらい、
三々五々「もりの家」を後にした。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

帰宅後、谷津コースへ向かった会員から谷津コースのスダジイの巨木で撮ったという写真が
送られて来たので紹介しておきたい。
何時かは分からないが、次に訪れるときは是非この津田コースを歩いてみたいと思った次第。


平成30年(2018)7月13日以来4年振り2度目の”三石森林公園から閑居山”ハイキングが
無事終了した。
今回も同じコースを予定していたが、百体摩崖仏から尾根へ向かう径が分かり難いのと
尾根への急斜面が厳し過ぎるとの判断で尾根へ向かうのは断念した。

ハイキング終了後は、雪入探検隊の農家の方が作ったという富有柿を安く分けてもらい、
良い土産になった。
当会の雪入探検隊に所属しているED子さんには、三石森林公園「もりの家」の利用手続きを
進めてもらうなど、大変お世話を掛けてしまった。
あらためて雪入探検隊の皆さんにはお礼を申し上げたい。
『本当にありがとうございましたっ』

この日の万歩計は、13,500歩を計測していた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする