ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

千畳敷カールに行ってきました

2013年07月27日 | ウマさんのキャンピングカードライブ
2013年7月27日(土)


今回の日本100名城巡り(伊賀上野城・和歌山城・千早城・高取城・松坂城)も予定どおり済み、
四国八十八か所巡りの高野山奥の院へのお礼参りも終えたので、
帰路の途中に、千畳敷カールへ行こうということになった。
5月のGW(5日)に岩村城を訪問した帰りには、山頂に大量に雪が残っていたため、断念せざるを得なかった。
この時は結局八島湿原に向かった。そういう意味ではリベンジということになる。

前夜は駒ヶ根市の道の駅「花の里いいじま」に泊まり、この日朝、千畳敷バスターミナル(菅の台)へ。
駒ヶ岳ロープウェイには、一般車は規制されており、バスしか行けないためだ。
駐車料金は500円である。

駒ヶ岳ロープウェイの料金混みで3,800円を払ってバスに乗り込む。
朝早かったが、バスは補助席も全て埋まり、満席状態である。
およそ45分で、駒ヶ岳ロープウェイ山麓駅(しらび平:1662m)へ到着した。


駒ヶ岳ロープウェイにも長い列が。
これでもまだ少ない方だとか。


待つこと約10分、下りのゴンドラが見えてきた。


早速ゴンドラに乗り込む。
定員は約60名なので、全員は乗り込めない。積み残しも大勢いる。
通常は30分間隔だが、乗客数を見て20分間隔、10分間隔と臨時の運転をするそうだ。
この日は土曜日のため、そのうち臨時運転になることだろう。


8時50分出発!
秒速7mという速さだから目の前の景色はあっと言う間に通り過ぎて行く。


中間点を過ぎると、次第に山の頂上(山の名前は分からない)が見えてきた。
ところどころに雪渓が見える。


日本一の高低差約950mを7分半ほどで山頂駅(千畳敷駅:2612m)に到着した。
日本で一番高いロープウェイ駅だそうである。
気温は13℃ほどで、かなり涼しい、というよりちょっと寒い感じ。半袖では厳しい。
山頂駅の土産物売り場には既に大勢の客がいた。


目の前に千畳敷カールが広がる。
一番左側の一段高い山が宝剣岳(2931m)である。


動画で見てみよう。


宝剣岳を背に先ずは記念写真だ。


千畳敷カールには人の列が続いている。


望遠で見るとつづら折りの山道を大勢の人が登って行くのが見える。


乗越浄土にも10人ほどの人影が見える。


駒ヶ岳神社にお参りをしていこう。


雪渓が残っている。


雪渓の上を歩く。


お花畑から剣ヶ池の方を見る


望遠で見た剣ヶ池


ホテル千畳敷


千畳敷カール
宝剣岳に少し雲がかかり始めた。


コイワカガミ
コマクサに似ている。


黄色い花のミヤマキンバイ


水は流れてないが、沢と言った方が良いのかもしれない。
大雨が降った時にだけ流れるのだろう。


八丁坂分岐点に到着。


かみさんはここから剣ヶ池を周って千畳敷駅に引き返すことになった。
ここで引き返すのはもったいない。ここまで来たら乗越浄土を目指すしかない。
道はそれほど悪くはなさそうだし、みんな登っている。何とか登れるだろう。


かみさんと分かれて、乗越浄土(分岐点)を目指した。
時計は9時50分を指していた。


石段のような瓦礫の道を登る。


後ろを振り返ると次から次へと登ってくるのが見える。


先ほどまで晴れていたと思ったら、急に霧が出てきて、視界が悪くなってきた。


高度は山頂駅で既に2,600mを過ぎているので、2,800m近くは登っただろうか?
途中から少し登ると息が荒くなってくるようになった。
少し登って休憩して、また登る、という具合である。


下を見ると、何も見えなくなっていた。
天気の急変を実感した。


10時27分、乗越浄土に到着。約40分かかった計算になる。
従ってこの乗越浄土辺りは2,850mほどはあると推定される。


記念撮影
右が中岳(2925m)駒ヶ岳(2956m)、左が宝剣岳(2931m)になる。


宝剣山荘が薄っすらと見える。


かみさんを待たせているため、長居はできない。直ぐに下山開始だ。
まずいことに携帯を車の中に忘れてきたので、連絡がつかない。


先ほどより、天気は回復しつつある。
山頂にいた時だけ曇ったのか、ちょっとついてない。


下山は早いだろうと思ったら、これが大間違い。
登ってくる人とすれ違うため、道が細い個所では、待たなければならない。


まだまだ人の列は続いている。
登りと下りの人が半々の状態である。


少し下って待つ、これの繰り返しである。
あまり疲れは感じないが、目の前にゴールは見えているのに何とももどかしい。


ようやく八丁坂分岐点まで下ってきた。
後ろを振り返ると、霧はなくなっていた。
山の天気はきまぐれである。


水無渓谷


伊奈前岳(2883m)の稜線が美しく弧を描いている。


ミヤマキンバイの黄色い花が美しい。


コバイケイソウとホテル千畳敷


千畳敷カール


剣ヶ池から見た千畳敷カール


すっかり霧が晴れて、望遠で見ると乗越浄土に人影が見える。


時刻は11時30分、山頂駅周辺で弁当をと思ったが、帰りのロープウェイの混雑を考えて、
早めに下山することにした。


11時40分、千畳敷駅とお別れである。
この時間帯は10分間隔のフル稼働になっていた。


伊奈前岳の稜線を見る。
真っ青な空と白い雲のコントラストが美しい


ロープウェイで一番急と云われる個所を通過。
目の前に大きな岩が迫ってきて迫力満点である。
(上りの方が迫力があるが、残念ながら撮れなかった)


岩を伝って流れる滝も見える。


中間点を通過
あっと言う間に上りのゴンドラとすれ違う。
一瞬のことだったが、何とかカメラに収めることができた。


これはまた別の滝で、落差は50mほどはあるだろうか?


間もなくしらび平駅だ。


バスターミナルまで戻るバスもほぼ満員だった。
補助席に若干の空席がある程度だ。


バスに揺られること40分、バスターミナルに到着。
車で弁当を食べ、帰路についた。


前回(5月6日)駒ヶ根市の道の駅から駒ヶ岳山頂の雪を見て登頂を断念した悔しい思いがあったので、
この日、千畳敷カールへ登れたのは嬉しかった。
一時的に雲に覆われたが、天気も良く、絶景を楽しむことができた。
乗越浄土まで一緒に行けなかったのは残念ではあるが、かみさんは満足の様子だった。
秋の紅葉の時期にまた訪れてみたい。


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BBQで暑さを乗り切る 牛久周辺散策

2013年07月19日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年7月19日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第16回(2013年第28回)、「牛久周辺散策」ウォーキングに参加した。


この日は、前半最後となる「牛久周辺散策」ウォーキングである。
牛久駅周辺を散策した後に牛久シャトー(シャトーカミヤ)でBBQを食べる、のが恒例となっている。
県のヘルスロードで指定されているコース(シャトー通り散策コース)を歩く手もあるが、
毎回同じコースでは面白くないので、その都度コースを変えて歩くようにしている。

BBQには欠かすことのできない生ビールを飲むことから、この日は車は禁止である。
電車で出発地点の牛久駅に向かう。


牛久駅改札口
この日の参加者は20名、猛暑日のような暑い日が続いているため、敬遠する人がいてもおかしくない。
まあまあの参加人数ではないだろうか。


改札口前で準備体操をする訳にもいかないし、適当な場所が見つからないので、準備体操は省略ということに。
9時33分、全員揃ったところで、直ぐに出発だ。


牛久駅西口を出て線路に沿って土浦方面へ進む。


先頭は会長が務める。
この日も元気いっぱいだ。
今年度はまだ一度も休んでいない。皆勤賞の有力な候補である。


国道6号線の牛久市役所入口交差点を渡り、土浦方面へ。


国道6号線は交通量が多い。
ひっきりなしに大型の車が通る。


牛久駅を出発して10分もしないうちに薬師寺の看板が見えてきた。
車では注意していないと見落とすことが多い。


『こんなところに薬師寺があるなんて知らなかったわぁ』


境内の細長い参道に入ると、小高い杉並木で直射日光が遮られ、涼しさが感じられる。
参道の杉並木は牛久市していの天然記念物になっている。
『ひんやりとして気持ち良いわねぇ』


参道の途中右手には小さな鹿島神社も祀られている。


薬師寺の宝篋印塔
説明板には、明和五年(1768)に天下泰平、五穀豊穣を祈念して建立された、とある。
また、江戸幕府は、庶民がみだりに苗字を称することは禁じていた。
公称することは禁じられたが、大方は私称はしていた、らしい。
この宝篋印塔の基礎には寄進者の名前が刻まれているが、
おのおの苗字を称しているところから、貴重な資料である、と記されている。


鐘楼


会長が記念にひと撞き
『なかなか良い音がするねぇ』


本堂(瑠璃殿)にお参りしていこう。
『こんな立派な本堂があるなんて知らなかったわ』


お賽銭を弾んで、『御利益がありますように』


薬師寺本堂の裏に回ってみると、お墓がずらりと並んでいる。


こちらは整地されて、間もなく売りに出されるようだ。


墓地の奥に六地蔵がある。
たくさんの可愛らしい水子地蔵たちに囲まれている。


薬師寺代々の住職の墓(中央)
右は供養塔


薬師寺を後にしようとしたところ・・・
『あっカブトムシだ』の声が。


元気のいいオスのカブトムシである。
『孫の土産に持って帰えっちゃおうかな』


国道6号に戻り、


常磐線を跨ぐ陸橋が見える。
3年前にはこの陸橋はなく、踏切を渡った記憶がある。


常磐線を跨ぐ。


牛久市街地を進む。
この日の最高気温は、昨日よりも5~6℃も低いので、それほど暑さは感じない。


牛久市街地を進む。
『少し曇っているのが嬉しいね』


国道408号線に出て学園方面を望む。


ど派手だが、何だか興味をそそる看板ではある。
Webで調べてみると、「ぐるぐる大帝国」というそうだ。
ゲーム機があったり、おもちゃやフィギュア、プラモデルなどいろんな珍しいものが売られているらしい。
”お宝発見”とあるように掘り出し物があるかもしれない。
機会があれば、一度覗いてみることにしよう。


ここらで一休みしていこう。


栄町三丁目交差点
正面に見えるのはパチンコ&スロットの「ガディス」
少し前までは「フレンド」という名だった。


上州屋
釣り道具や餌などでよく利用している。


中柏田「LAWSON」を通過。


柏田神社へ向かう。


東洋大牛久高校野球部の練習風景
昨日県予選で守谷高校に0-1で惜敗したばかりである。
3年生が抜けての初練習にノッカー(コーチor監督?)の厳しい声がグラウンドに響いていた。
来年夏の甲子園を目指して頑張れ!!


柏田神社鳥居付近
ひんやりとして涼しい。


柏田神社に深々と頭を垂れて・・・


一息入れていこう。


牛久シャトーを目指す。
(東洋大牛久高校横辺り)


牛久市中央生涯学習センターが見えてきた。


牛久市中央生涯学習センター前を通過。


この像の下に牛久市制記念のタイムカプセルが埋められている。
50年後の2036年6月1日に開封するように指定されている。
あと23年後のことである。


牛久中央図書館前を通過。
『立派な建物で、羨ましいなぁ』
土浦市民としては正直な気持ちなのである。


牛久消防署前を通過。


牛久消防署近前の県道2727号線交差点を渡ると、間もなく牛久市役所だ。


牛久市役所
淡いビンク色をした建物が印象的である。


市役所を過ぎると牛久シャトーは目の前だ。


牛久シャトー入口正門に到着。
国の重要文化財に指定されている本格ワイン醸造所施設は、現在復旧工事中だ。
カバーで覆われていて中は見えない。
完成は何時になるのだろう。


予約していた11時30分ちょうど、バーベキューガーデンに到着した。
配膳している最中だった。


早速生ビールを注文し、『かんぱ~いっ』


「肉と野菜」(1,500円)はボリュームたっぷりだ。
女性陣は「シーフードと野菜」(1,800円)の注文が圧倒的に多い。


BBQ風景(1)


BBQ風景(2)


BBQ風景(3)


BBQ風景(4)


BBQと生ビールに大満足し、スーベニアショップを覗いて行くことにした。


『梅酒も売ってるんだ』


『これでワインを飲むと美味いんだろうね』


こちらはワインの試飲である。
『ちょっと甘いけど美味しいっ!』


『ここに来たら電気ブランだよなっ』


手に手に土産物をぶら下げて牛久シャトーを後にする。


牛久駅前のモニュメント橋を渡ると牛久駅は直ぐだ。


日時計のモニュメントと河童の像が印象的である。


13時30分、ゴールの牛久駅に到着。


恒例の整理体操は省略し、改札口へ。


ホームのベンチで一息き。
『シーフードBBQ美味しかったねぇ』

『今日はお疲れ様でしたぁ』

連日の猛暑日が一段落したような気温となって、比較的歩き易い状態となった。
美味しい生ビールを飲むには少し物足りない、と言っては怒られるかもしれない。
ひと汗かいてBBQに舌鼓を打ち、生を飲む、これ以上の健康法はないだろう。
これからもコースを変えるなどして、続けていければと思っている。


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緑がいっぱい 牛久遠山保全林と谷津田散策

2013年07月12日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年7月12日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第15回(2013年第27回)、「牛久遠山保全林と谷津田散策」ウォーキングに参加した。


この日のコースは、当会としてはこれまで何度も歩いているが、自身2度目となる。
茨城県のヘルスロードにも指定されている。
この日の第一集合場所、乙戸沼公園に集まったのは14名。


車4台に分乗し、第二集合場所の牛久「女化青年研修所」へ向かった。
女化青年研修所は、明治24年に徳島県から女化に移り住んだ杉本民蔵が建てた学校で、化成学館と称した。
明治26年に私立女化尋常小学校となり、明治40年に岡田小学校となった。
その後、明治42年に岡田第四小学校、昭和12年に岡田村立岡田小学校(女化分校)と名前が変わり、
現在見られるような校舎になった。
昭和47年に閉校され、青年研修所となり、現在はダンス教室や幼児保育に使われている。


女化青年研修所の廊下の様子。


女化青年研修所は、入口を入って直ぐ右にある黄色い建物、女化区民会館が目印である。


既に直行していた8名と併せ、この日の参加者は合計22名となった。
最高気温が35度を越える猛暑日になろうかという日にしてはよく集まったものだと思う。
中には、このところの暑さで、中止になることを秘かに期待していたと言う人もいたほどである。
会長によると、『中止にすることも考えた』そうだ。


先ずは準備体操をして、


9時56分、会長の先導役で出発だ!


女化青年研修所を出て右手(女化神社方面)に進路を採る。


この日も会長は元気が良い。


女化稲荷神社前の交差点を右折。


県道48号線長山北交差点を渡り、


県道48号線に沿って進む。


間もなく右手に「蕎麦茶屋楽花亭」が見えてくる。
蕎麦茶屋楽花亭は、女化青年研修所の裏手に当り、ぐるっと遠回りした形になる。


交通量の多い県道48号線から離れ、蕎麦茶屋楽花亭前を左手に進路を採る。


農道のため車はほとんど通らないので、安心して歩ける。
車の騒音からも解放される。


後から続く男性陣。
『静かで良いねぇ』
『しかし、暑いねぇ』


のどかな田園風景の中を進む。
木立が強い日差しを遮ってくれるのがありがたい。


小さな農道を進む。
この日は最高気温が35度くらいになると予想されている。
何も日除けがないと『いやぁ 暑いなんてもんじゃないねぇ』


あららっ、通らない筈の車が通ることもある。
狭いので車も通り抜けるのが大変だ。


少しでも日陰を歩くのは助かる。


『日陰になるとちょっとだけ涼しいわねっ』


小さな教会があった。
「恵泉キリスト教会みどりのチャペル」だ。
プロテスタント(主にカトリック教会から分離した教派、さらにそこから分離した教派を指す)の教会である。


スタートして約35分が経過、小さな木陰を見つけて最初の水分補給だ。
皆さん、この日は多めに水・お茶を持参しており、準備万端だ。


通称女化街道に出ると、車が急に増えた。
後ろは「金馬車牛久店」


「志波田蕎麦屋」の信号手前をショートカットし、左折。


50mほどでもう一度左折し、遠山保全林方面へ向かう。


この坂道を下ると谷津田方面へ通じる。
遠山保全林を一回りすると、ここに戻ってくることになる。


遠山保全林はもう直ぐだ。


しばらく進んで森の中に入ると、そこから遠山保全林が始まる。


遠山保全林の中は、緑がいっぱいである。
『なかなか素晴らしいところだわねぇ』
『家から近いんだけど、こんな道今まで知らなかったなぁ』


クヌギなどの木が生い茂って、緑に染まってしまうようだ。


林を抜けると、強烈な日差しを受け堪らなく暑い。


2度目の休憩で恒例のお茶タイム。


先導役の会長は、座り込んでしまった。
夏の暑さには滅法弱いのは自他共に認めるところだ。


後半の先導役は会長に代わってOさんが務める。


旧水戸街道に出た。
後方は若柴宿方面。


道は狭く、歩道もないのだが、旧水戸街道だけあって、車が多い。


視界が開けた場所に出た。
前方に成井一里塚跡が見える。


成井一里塚
江戸日本橋から十五番目、水戸街道の起点である千住から十三番目の一里塚だ。
『へぇ~この道が旧水戸街道だったんだ』


旧水戸街道をJR常磐線方向へ進む。


途中で右折すると目の前に谷津田が広がる。


暑い日差しが照りつける中、両側に田んぼが広がる一直線の道を進む。


シラサギ


田植えから2か月半ほど経っているだろうか、青々とした田んぼの景色が美しい。


藤代BPへ繋がる道路を見上げながら進む。
その先は牛久沼脇の国道6号に通じている。
前方は女化街道の志波田蕎麦屋へ通じている道だ。


先ほどの道の下をくぐり、谷津田の中を進む。


緑一色の今が谷津田が一番美しく見える時期ではないだろうか?
日本の原風景ともいえる谷津田の景色に気持ちが癒される。
いつまでも残したい景色だと思う。


『そろそろ一休みしたいところだねぇ』


ちょうどうまい具合に木陰が見つかり、一休み。
『暑いわねぇ 堪んないわ』


『少しでも腰を下ろすと楽なのよねぇ』


突然、上半身裸の外国人男性が走り抜けていった。
『ケンコウガイチバンネ』
同感だが、その格好はねえ・・・


谷津田の中を進む。


田植えがされていないかつての田んぼにはガマの穂が生えていた。


先ほど通った遠山保全林への道との合流点が見えてきた。
少し上りになっている。


『大した坂道じゃないんだけど、堪えるねぇ』
猛暑の中、皆さんかなり疲れてきた様子である。
かく言う自分も大分疲れてきた。この辺りがゴールであって欲しい、と正直思った。


女化街道に出た。
帰りは真直ぐに進むことになる。


広い県道を両側に分かれてもくもくと進む。


交通量の多い道は避けて、農道を進むことにした。
ヘルスロードとは少し異なる、ショートカットの道を選択した。
ショートカットと言ってもその距離は微々たるものに過ぎない。


朝方通った道に出た。
正午を少し過ぎて、この辺りの気温もピークに達していると思われる。


県道48号線に出て、目の前に女化青年研修所へ通じる道がある。
しかし、近くに信号も歩道もない。
ここは交通が途絶えるのを待って渡るしかない。


間もなく女化青年研修所だ。


12時18分、ゴールの女化青年研修所に到着した。
『ほんと 暑かったわねぇ』


暑さで会長もバテ気味のため、この日は整理運動は省略することになった。
『はいっ今日は暑い中大変お疲れ様でしたぁ』



この日、東京都が5日連続で猛暑日になるか注目されたが、結局35度には達しなかった、ようである。
しかし、この日のコースはアスファルトの照り返しもあり、場所によっては優に35度は越えていたのではないかと思う。
熱中症の人が出てもおかしくない状況の中でのウォーキングであった。
そんな中、高齢の皆さんが、最後まで元気で歩き通したのには感心するばかりである。
次回は前半最後の例会として、毎年恒例の「牛久シャトーでBBQ」だ。
牛久シャトーのBBQでスタミナを補い、前半を締めくくりたいと思う。


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ニッコウキスゲが見頃 霧降高原ハイキング

2013年07月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年7月5日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第14回(2013年第26回)、「霧降高原・霧降滝」ハイキングに参加した。


この日は、大型バスを借りきっての遠征ハイキングである。
乗車場所がこれまでの国道6号小林ふとん店前から、土浦地区三中地区公民館に変更になった。
5時45分、公民館へ行くと、既に常南交通の貸切バスが待っていた。
出発予定時刻は6時ちょうどである。


その後次々に参加者が車でやってきて、駐車場の一角は我々一行が占める形となった。
これまでの集合場所では車を停めておくところがないため、わざわざ送迎してもらっていたのだろう。
これからは、駐車場へ停めることができるので、これは大いに助かる。


バスは6時ちょうどに三中公民館を出発。
天川団地入口・土浦市民会館・石岡ロードパークへと回り、この日の参加者36名が乗り込んだ。
大型バスの定員は44名、ところどころに空席があるためゆったりとした気分で乗れる。


バスに乗り込むと、直ぐに弁当が配られた。
お馴染みの「おにぎり弁当」である。
量も味も評判はなかなか良い。


常磐道・北関東道・東北道・日光宇都宮道を順調に走り、日光口PAで二度目の休憩。


ここで昼食の弁当を受け取るため、しばし待っているところ。
日光市のこの日の天気予報は”曇り後雨”、路面が濡れているので、既に雨が降ったと見られる。
またいつ降り出してもおかしくないどんよりとした空だ。


9時13分、スタート地点の霧降高原第一駐車場の「高原ハウス」に到着。
到着した時点で既に心配された雨は降りだしていた。


今の時期、霧降高原ということで、雨はやむなしであろう。
皆さん、雨具に着替えて準備万端、早速高原ハウスの前で軽く準備体操。
リュックを背負ったままのため、簡単に済ませる。


この日は丸山ハイキングコース(高原ハウス⇒小丸山山頂⇒丸山山頂⇒八平ヶ原⇒高原ハウス)を予定しているが、
雨のため、変更は十分考えられる。
9時27分、とりあえず小丸山山頂目指して出発!


数年前に来た時には、高原ハウスのかなり下方からリフトを乗り継いで丸山を目指した記憶がある。
今はリフトは廃止され、代りに木製の階段が整備されていた。
階段は小丸山までほぼ直線的に伸びており、その段数は1445段と案内されている。
木製の階段を縫うように砂利道の遊歩道が整備されており、キスゲ平の中を歩くことができる。
先ずは階段を利用してみよう。


遊歩道一帯はキスゲ平と称されていて、ニッコウキスゲが一面に咲いている。
一瞬の霧(雲)の隙間から丸山山頂(1,689m)が見えた。


ニッコウキスゲは今が一番の見ごろとなっている。
まさに『今でしょっ!』だ。


雨に濡れたニッコウキスゲも瑞々しくてなかなか良いものである。


後ろに見えるのは小丸山山頂(1,601m)だ。


「谷わたり」を通過


山頂から霧(雲)が降りてきた。


霧が晴れていたのはほんの少しの間で、瞬く間に霧がかかってきて視界が遮られた。
ここで突然、会長がスティックを高原ハススに置き忘れたことに気づき、『取りに戻る』と言いだした。
止めても効かない会長のこと、さっさと下って行ってしまった。
悪いことに、この日の会長は携帯も家に忘れてしまっており、連絡の取り様がないのである。


引き返してくるまでじっと待ってる訳にもいかず、ペースダウンして小丸山を目指すことにした。
先ずは、小休止だ。
この辺りは階段では既に500段付近を過ぎている。
500段を急ぎ足で往復するのはかなり厳しいものがある。


階段をゆっくりと上る。
1445段中800段目、ほぼ真ん中付近だ。
ここから後半は遊歩道はなくなり、階段だけの一本道になる。
ゆっくり上っていれば会長も追いつくかもしれない。


展望デッキがあったが・・・『何も見えないねぇ』


斜面のニッコウキスゲもご覧のとおり。


1445段中1000段目を通過。
残り445段、まだ先は長い。


ゆっくりと上る。


1445段中1300段目を通過。
ゴールはもう直ぐだ。


小丸山山頂直下の展望デッキ


小丸山展望台が霞んで見える。


1445段中1445段目、ついにゴールだ!


眺望は効かないが、一応展望台へ上ってみる。


なかなか会長が戻って来ないのに痺れを切らし、『途中で引き返すのを諦めたんじゃないの?』などと言いだす人も。
小丸山山頂で待つこと約15分、忘れていたスティックを取りに戻った会長が姿を現した。
かなり息が上がっている。


皆さんの拍手に迎えられて、会長がゴール。
『お疲れさま~』


『ここで引き返しては?』 という意見も出たりもしたが・・・


時間も10時30分を少し過ぎたばかりでまだ早いし、丸山山頂まで距離もさほどないことから、
丸山山頂を目指すことにした。


小雨の中、丸山山頂を目指して出発!
我々一行の他にも丸山山頂を目指す人(傘を差している)はたくさんいた。


鹿の食害対策のために張られた防護金網を通過。
ニッコウキスゲが激減してしまったための措置だそうだ。


標高1,635mのキスゲ平を通過。
霧がかなり濃い。霧降高原たる所以である。


キスゲ平を過ぎると、一面熊笹の道になった。


熊笹の道を抜けると突然霧が晴れてきた。


高原の道は視界が効くと気持ちが良い。


この辺りから雨で道がぬかるんでいて滑り易くなっていた。
ちょっとした段差だが、上るのに一苦労する。


大きな岩もある。


『この先行くのはどうしようかな~』『滑って危ないよね~っ』
『丸山までもう少しだから』の説得にも、結局女性7人が引き返したことを後で聞いた。
賢明な判断だと思った。


岩だらけの道を過ぎると平らな場所に出た。丸山まで残り150mとある。
後続を待つ間小休止だ。


急にガスって、雨も少しだけ強くなってきた。
山の天気は変わり易いことを実感する。


11時6分、丸山山頂(1,689m)に到着。


記念撮影をしておこう。
参加者全員は揃わなかったが、ここまで怪我人も出なくて登れて一安心だ。


丸山山頂から小丸山を望む。
風と雨はやや強くなってきたが、一瞬霧が流れて小丸山展望台が見えた。


このまま八平ヶ原方面へ進んでもこの天気では弁当を食べるような場所もないだろうし、
予定していた丸山ハイキングコース(高原ハウス⇒小丸山山頂⇒丸山山頂⇒八平ヶ原⇒高原ハウス)を変更し、
ここで引き返すことにした。


下る際には細心の注意が必要だ。
『ゆくりゆっくりねっ』


丸山山頂からちょうど10分で、防護フェンスに戻った。


登る時には霧で全く視界が効かなかったが、急に霧が晴れて、高原ハウスまではっきりと見える。
雨もかなり小降りになってきた。


キスゲ平の眺望を楽しみながら下りることにしよう。
貸切バスの運転手には、車内で弁当タイムにしたい旨を連絡しておいた。


霧が薄れてきた束の間に、ニッコウキスゲを満喫しておこう。
白い花はカラマツソウか?


遊歩道から小丸山山頂を望む。


一面のニッコウキスゲ


ニッコウキスゲ


少しだけ晴れたかなと思っていたら、また突然霧に包まれてしまった。
濃い霧を目の当たりにすることも、実は、霧降高原の魅力の一つなのだそうだ。


12時3分、スタート地点の高原ハススに到着。


貸切バスは第三駐車場で待っていた。


先ずは腹ごしらえである。
「なきむし山おにぎり弁当」とある。


気になる弁当の中身だが・・・
大きめの熊笹に包まれた3種類の小さめのおにぎりと煮物・揚げものがついて可愛らしい弁当である。
おにぎりは粘り気があって、まるでお餅のような食感だった。


弁当タイム
『美味しいよねっ』


霧降高原から15分ほどバスで下ると霧降滝の観瀑台への入口がある。


霧降滝観瀑台には約340m歩くことになる。
リュックはバスに置いといて、手ぶらで出かける。


小さな観瀑台は直ぐに満杯になった。
一度に36名はとても無理、変わり番こで見物だ。


霧降ノ滝
古くから華厳ノ滝、裏見ノ滝とともに日光三名瀑の一つに数えられている。
下段の滝が、まるで霧を降らせるかのように水が岩に当たり、飛び散って流れ落ちる。
その様子から、この名がついたと云われる、とのこと。


動画


観瀑台から赤薙山(あかなぎさん)(2,010m)が見える。
その右に見えるのが丸山(1,689m)だ。


観瀑台からバスに戻る途中、自分にとっては珍しいサワシバの木(カバノキ科)が。
説明板には以下のように紹介されていた。
日本の温帯山地の山あいに多く、手のある畑作物をからませる柴として農家が用いたので、
この名が付いた、そうである。
庭木・盆栽として果穂の美しさを鑑賞する、とのこと。


木の葉にカエルが止まっていた。
アマガエルにしては大きいし、正式名はなんというカエルだろう?


日光和の代温泉「やしおの湯」へ向かう前に、集金しているところ。
入浴料は通常500円だが、20名以上の団体割引で450円、65歳以上はさらに割引があり、280円という安さである。


霧降滝から約20分で、「やしおの湯」に到着した。


風呂上がりに冷たいビールで『乾杯っ!』
この瞬間が堪らなく良い。


清酒にワイン、何でもありだ。
大盛り上がりである。


つまみが次々に回ってきて、山のようになっている。


北関東道壬生ハイウエイオアシスに着いた頃には・・・


ワインも清酒も空になってしまっていた。
『軽く1杯どころじゃないねぇ。飲み屋に行った気分だよ』


『今日は雨に降られたけど、想い出に残るハイキングだったねぇ』
御満悦の会長である。

『お疲れ様でしたぁ』


あいにく雨の中のハイキングとなったが、今の時期霧降高原とあれば、この日の天気は仕方がない。
土砂降りにならなかっただけ儲けもの、と考えたい。
キスゲ平一面のニッコウキスゲを楽しみ、霧降滝の眺望も素晴らしかった。
栃木県内で一番利用客の多い日帰り施設と云われる「やしおの湯」だが、
団体65歳以上割引料金が280円というのは大きな魅力である。
次回のバスハイクは日光小田代ヶ原(8月30日)を予定しているので、また立寄ることにしたい。


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日光街道を歩く 第8回 宇都宮宿~徳次郎宿

2013年07月03日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く
2013年7月3日(水)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の”街道歩き”を望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第8回目となるこの日は、宇都宮宿(JR東北線宇都宮駅)から徳次郎宿(六本杉)までの約15Kmを歩いた。
(宇都宮駅から日光街道と奥州街道の分岐点の追分までの約2Kmを含む)
当初予定していた6月19日(水)が雨で延期となり、1週間後の26日も雨で再度の延期を余儀なくされ、
3度目の正直で、この日実施することになった。

水戸線友部駅で小山行き電車を待つ。
ホームには通学の高校生がいっぱい。


小山行き電車が入ってきた。


水戸線車内
笠間駅を過ぎると車内は空席が目立つようになる。


水戸線終点の小山駅で東北線宇都宮行きに乗り換える。


東北線車内
この日の参加者は10名となった。


笠間から乗車したD子さんは、娘さんを連れての参加である。
このような飛び入り参加は大歓迎だ。


9時40分、出発地の宇都宮駅に到着した。


2週続けて延期となったが、この日も天気はあまり芳しくない。
NHK,Yahoo,Weathere NEWSによると、昼頃には”雨”の予報も見られた。
この日ストレッチ担当のUさんは都合が悪くて不参加である。
そのため準備体操は省略し、少しでも先を急ぐことにしよう。
9時55分、徳次郎宿目指して、いざ出発だ!!


ギョーザの幟がたなびく宇都宮市内を進む。


田川を渡る頃、宇都宮駅を出発して間もないのに雨がパラついてきた。
『予報より随分と早いんじゃないの???』


まだ傘を差すほどではないが、この先雨中行進になるかもしれないと思うと、気が重い。


二荒山神社前を通過。
前回、お参りを済ませておいて良かった。


宇都宮市内伝馬町付近を進む。


『これ、追分の標識じゃない?』
『日光街道と奥州街道の分岐点だとしたら、ここを曲るんだねっ』


文字が擦れていて読みづらい。
他には特に標識らしいものは何もないし、もう少しで見過ごすところだった。


清住町通り(旧日光街道)を進む。
ところどころに旧い建物があり、旧日光街道の面影が感じられる。


この日最初に立ち寄った三峰神社
天保三年(1832)武州三峰山(火防の神)の分身を頂き建立祭祀したのが始まりと云われている。


宝勝寺


宝勝寺
鎌倉時代に宇都宮景綱が蓮池の底から救い出した阿弥陀如来のために草庵を建てたのが開基という。


宝勝寺に参拝の後、少し進むと・・・
道の反対側に立派な門が見えた。


桂林寺(左)と琴平神社(右)が隣り合わせて建っている。


立派な門の桂林寺
応永三年(1396)の開山で、元和六年(1620)に現在の場所に移された。
境内には蒲生君平の墓がある。


琴平神社
四国で有名な金比羅さんが祀られている。


黄鮒の最中が売りの「たまき」
建物は古いが、昭和51年(1976)「四季の器と工芸品の店」として創業したというから比較的新しい。
昔、宇都宮に天然痘が大流行したことがあり、当時は良い薬もなく、人々は成り行きに任せる以外に方法がなかった。
ある人が田川で黄色の鮒を釣り、これを病人に食べさせたところ、不思議にも天然痘が治ってしまっただけでなく、
黄鮒を食べた人は病気にかからなかったそうだ。
しかし、黄鮒はそう簡単に釣れるものではないため、張子のキブナが初市で売られるようになった。
以来、宇都宮では新年に黄鮒の張子を神棚に飾り、無病息災を祈る習慣が残っているのだそうだ。
平成16年、宇都宮の郷土玩具「黄ぶな」をモチーフにした最中を「たまき」が創作。
以来改良を重ねて現在第7世代の黄鮒になっている、とのこと。


清住通りと国道119号線が合流する松原3丁目交差点
横断陸橋を渡って道路の反対側へ


母親に『今日の距離は短いから』と誘われて参加したと言う。
元気いっぱい、にこやかな顔が可愛い。


陸橋から桜通り(宇都宮市街地)方向を見たところ。


栃木県体育館前を通過。


中戸祭付近、確かこの辺りに「宝の木」があるはずなのだが・・・
近くの人に訊ねるが、誰も知らないとのこと。
近くを手分けして探し回り、大分時間を費やしてしまった。


「宝の木」は諦めて、先を急ごうとしたところ、
ちょうど目の前に交番があったので、会員の一人が念のためにと聞いてみることに。
巡査も知らなかったそうだが、親切にも近所の年配の物知りの方を紹介してくれたと言う。
直ぐに年配の人がやって来た。
「宝の木」なるものを探していることを伝えると、『自宅に本がある筈』と家に引き返してしまった。
しかし、なかなか戻ってこない。
せっかくの好意なので、断らずに立ち去る訳にもいかない。


年配の人が戻って来るのを待つこと15分。
ようやく戻ってきたが、本は探し出せなかったようだ。
『「宝の木」は直ぐ近くだから』と案内してくれた。
最初から案内してくれれば良かったのに・・・


探していた「宝の木」は、栃木医療センターの敷地内にあった。
かつて案内してくれた方が通った小学校が近くにあったそうだ。
『これが「宝の木」かぁ』
『もっと大木かと思ったけどそんなに大きくないねぇ』


寛文十年(1670)頃、この辺りに六軒と呼ばれた集落があり、広さ約100㎡、高さ約4mの
古墳のような大塚があり、そこに老木が一本あった。
名も知れぬまま当時の住民は「宝の木」と呼んでいたという。
明治の土地割の際には、この地区をこの木にちなんで宝木村と称したという。
猿の手柏(コノテカシワ)の木で樹齢は450年だそうだ。


栃木医療センター入口に桜の古木があった。
推定樹齢は不明だが、案内してくれた氏の先祖が植えたものだそうだ。


氏に丁重にお礼を述べ、先を急いだ。
『何とか「宝の木」を観ることができて良かったよねっ』


ほどなくすると、並木道が始まった。
櫻や杉など何種類かの木が植えられている。


中央は車専用で、歩行者は両側の一段高いところを歩くようになっている。


上戸祭(かみとまつり)一里塚
江戸日本橋から28里目の一里塚。
昭和58年に一部修復、整備がなされた。


道路反対側にも一里塚の碑が建てられているが、碑があるだけだ。


こちらは昭和59年に一部修復、整備がなされた、とある。


一里塚のほぼ正面に大学のキャンパスがあった。


上戸祭一里塚を観た時には時計は12時を少し過ぎていた。
お腹も空いたし、ここらで弁当にしよう!
幸い宇都宮市内を通り抜ける頃から雨は止んでいた。
『外で弁当が食べられるのは、ラッキーだね』


親子で弁当タイム、まるで姉妹のように仲良く、微笑ましい。


昼食後、日光を目指し、日光街道(国道119号線)を進む。
並木道はまだ続く。


並木道を過ぎると日光街道は広くなった。
気温が上昇し、大分汗をかくようになってきた。


光明寺
鎌倉時代に野沢大夫が僧・宥憲を招き石塚の地に玉塔院を建立、これが寺のはじまりとされる。
万治三年(1660)に記録類は焼失。
寛文十一年(1671)醍醐光台院より僧・早開が来住し現在地に移建し光明寺に改めた。
将軍の日光社参時の休息所となった寺で、寺の前には立場があった、とのこと。


光明寺の楼門の鐘楼
堂々たる構えの門は将軍が立寄ったという風格が漂う。


鐘楼の観音像が印象的である。
関東三十三観音霊場・第二十三番札所、関東八十八ヶ所霊場・第二十三番札所にもなっている。


光明寺にお参りしていこう。
ご本尊は大日如来だ。
源義経を慕う静御前が当地を訪れ、守本尊の薬師仏を納め、手にしていた桜の杖を塚にさして
義経の武運長久を祈願し、後に杖から芽が出て大木となった、との言伝えがある、そうだ。


境内には弘法大師像がある。
「南無大師遍照金剛」


ビルマの鐘
太平洋戦争に宇都宮の部隊がビルマに遠征し、悪戦苦闘の末、多数の将兵が戦病没した。
その50回忌に当る平成6年11月、宇都宮仏教会慰霊法要団がミャンマーを訪問した際に、
シュエダゴォンパゴダ(ヤンゴン市街の北側、シングッダヤの丘に建つ100mもの高さを誇る壮大なパゴダ)
から贈られた鐘、とのこと。
木槌で叩くと澄み切った音色が境内に響き渡った。合掌!!


しばらく日光街道を進むとまた並木道になった。


宇都宮北道路(国道119号)
東北道宇都宮IC入口である。


高谷林(こうやりん)一里塚。
この一里塚は、宇都宮城下と徳次郎宿の間に位置し、江戸日本橋から29里目を示す。
昭和58年に一部修復・整備された。


道路反対側は大きなケヤキのような木が生えており、一里塚のようだ。
しかし、雑草が生い茂っていて、碑が建っているのかどうかは反対側からは伺い知ることは出来ない。


東北自動車道だ。
右側が東北方面になる。


『あの茂みが大谷道道標?』
しかし、歩道からは何も見えない。


信号が青になるのを待って植え込みの中を覗き込む。
『あっこれかぁ 大谷道って書いてある』
『これじゃぁ歩いてたら何処にあるのか分からないわよねっ』


植え込みの中にかつての道標がひっそりと置かれていた。


田舎道のような日光街道を進むと・・・


変わった鳥居のような門が目に入った。


奥へ進んで行くと薬師堂らしき建物があった。


薬師堂の回りには、馬頭観世音像や道標などの石像が集められ、並べられていた。


薬師堂の門の向かい側に、徳次郎城跡300mと書かれた看板があった。
『へぇ~っこんなところに城跡があるのかぁ』
しかし、300mほど先ということは、往復600m以上になる。
時間も既に14時半を過ぎており、疲れが出てきたところだ。
ここは寄り道をしている時間はない、『先を急ごう』ということで、徳次郎城跡はパスすることにした。
また、何かの機会があれば立寄ってみることにしたい。


薬師堂近くの道路脇空き地で一息入れる。
最後の休憩だ。


前方にこんもりとした森が見えてきた。
智賀都神社(ちかつじんじゃ)だ。


智香津神社の手前に「日光高原たまり漬け」の店が。
智香津神社は置いといて、皆さん土産に興味があるようだ。何人かは店の中へ。
買い物をしている間に一休み。


智香津神社
鳥居のすぐ後ろに大きなケヤキの木が2本。


樹高はどちらも40m、推定樹齢は700年というから古い。
日光東照宮より300年以上も前から立っていたことになる。


無事ここまで歩けたことへ感謝の念を込めてお参りしておこう。
雨にも降られなかったことのお礼を述べておかなくちゃ。


徳次郎六本杉
道路の分離帯に、往時の杉並木が再現されている。
8本に見えるが、2本は街路灯用の柱である。


15時ちょうど、六本杉バス停に到着した。
今日は思ったより疲れたので、この日はここをゴールにしておこう。
次回はここから歩くことになるのだ。
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


15時5分発の宇都宮駅行きバスは貸切状態である。


40分ほどで、宇都宮駅に到着した。
この後、東北線・水戸線・常磐線を乗り継いで家路についた。



この日の徳次郎宿で「日光街道」(千住宿から日光東照宮までの約140Km)の約85%(120Km)を歩いたことになる。
残りはあと約20Kmとなった。
次回はいよいよ最終回、「日光杉並木街道」を歩くことになる。
徳次郎六本杉を出発し、今市で一泊。翌日日光東照宮を目指す予定である。
最後まで皆さんと一緒に楽しく歩き、元気にゴールを目指したい。


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