ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

笠間探訪ウォーキング 三中地区公民館行事

2015年06月30日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年6月30日(火)

当会が所属して日頃お世話になっている土浦地区三中公民館主催のウォーキング行事が開催された。
場所は、先月(5月16日)下見をした笠間である。
協力・応援という形で「健康ウォーキング同好会」からは会長以下3名が同行した。

8時30分、三中公民館には土浦市教育委員会の大型バスが待機していた。


この日の一般参加者は18名。
我々3名と公民館側の2名を合せても23名。
大型バスの定員は41人なので、2人分を1人で座るまさに大名旅行である。
8時55分、定時前だが、全員揃ったため笠間に向かって出発!


三中公民館館長の挨拶と行程説明に続き、


「健康ウオーキング同好会」会長の挨拶
『皆さんっ 元気に歩きましょうっ!』


桜土浦ICから常磐道に乗り、


友部JCTで常磐道から北関東道へ。


9時53分、笠間駅に到着した。


この日のスタート地点は、笠間駅だ。


会長の掛け声で準備体操、


『さいごに深呼吸~っ』


10時3分、出発!


最初の目的地は「笠間工芸の丘」。
水戸線に沿った道路を進む。


三中公民館のアイドルH嬢と共に先頭を務めるOさんは、ご満悦の様子。


国道355号への一部が工事中で通行止めになっていた。
警備員に確認すると、歩行者は通れるとのこと。


国道355号へ


そのまま行けるのかと思ったら、工事現場手前で迂回させられた。
指示された細い路地を進むと、


直ぐに国道355号に出ることが出来た。
国道だけあって交通量は多い。


しばらく国道355号を進み、


信号に従って、国道の反対側へ渡り、宍戸方面へ。


笠間工芸の丘を目指す。


「陶の小径」の案内が。
陶芸の町笠間ならではのコースということだ。


国道355号沿いには窯元や陶芸教室などが数多く見られる。
こちらは奥田製陶所の登り窯


桧佐陶工房では予約なしでも”ろくろ体験”歓迎とある。


笠間焼共販センターを左折し、ここで国道355号と分かれる。


笠間陶苑前を過ぎ、住宅地を進むと、


正面に茨城県工業技術センター窯業指導所が見えて来る。
下見の時には、ここを真直ぐ進んでしまったので、今回はここを右折する。


窯業指導所の前を右に曲り、芸術の森公園南入口に向かう。


10時25分、芸術の森公園南入口に到着。


緩やかな坂道を進む。


笠間工芸の丘から南入口方面の眺望
『なかなか素晴らしい眺めよね~っ』


10時30分、茨城県陶芸美術館前に到着。
東日本で初めての陶芸専門の県立美術館である。
「ときめく」「識る」「楽しむ」3つのキーワードをもとに、陶芸のすばらしさに触れることができる。
地元の食材を笠間焼の器で楽しめるレストランも併設されている。
入館料:300円(企画展は別途)


センタープラザ
土産物などが販売されている。
また、笠間の人間国宝“松井康成”氏の常設展示室(無料)がある。


登り窯をバックに記念撮影を済ませ、


センタープラザへ。


内部は、笠間焼・陶芸用品・茨城の物産品などの土産物店になっている。


人間国宝“松井康成”師の常設展示室(無料)は、2階にある。


“松井康成”師は、色の異なる土を組み合わせて成型し、同時に模様を作り上げる「練上手」の技法により、
昭和生まれの陶芸家として初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)となった。


センタープラザでは、人間国宝の作品を間近でしかも無料で見ることが出来るのである。


センタープラザを後にして、工芸の丘北側の小高い丘に向かう。


丘の上には、笠間市出身の高野公男作詞、船村徹作曲の「別れの一本杉」の歌碑(右側)と、


船村徹の詩碑と高野公男の”絆の譜”碑(左側)が建てられている。


歌碑と詩碑の中間には、「別れの一本の杉」の杉の木が植えられている。


10時56分、笠間工芸の丘を後にして、


佐白山麓公園へ向かう。


緩やかな坂道を下り、


道標に従って、つつじ山方面へ。


「佐白山のとうふ屋」
この店の手作り豆腐は大そう人気があり、美味しいとの評判である。
下見の時は閉まっていたが、今日は営業している。
一度食べてみたい。そのうちあらためて立寄ることにしよう。


看板の文字に懐かしさを覚える”煙草”屋を通過し、


最初の路地を曲ると、正面に曹洞宗の寺院、五台山玄勝院が見えて来る。


曹洞宗五台山玄勝院
曹洞宗の御本尊は、「釈迦如来」だが、ここ玄勝院の御本尊は、「聖観世音菩薩」とのこと。


玄勝院前を左に曲ると、道端に色とりどりの紫陽花が咲いていた。
『素敵よね~っ』


緩やかな坂道を上ると、


11時17分、佐白山麓公園に到着した。
”史跡笠間城主下屋敷跡”の碑が立てられている。
佐白山麓公園は、鎌倉時代に笠間時朝によって築城された笠間城の下屋敷を公園にしたもので、
笠間の桜の名所としても知られている。


ここで小休止していこう。


お茶で水分補給したり、持参したお菓子を食べたり・・・


公園には時鐘楼や


忠臣蔵で有名な大石内蔵助の像などがあり、笠間の歴史を感じることができる。


笠間の街が一望できるつつじ公園を目指す。
公園奥の治功神社を右手に見ながら進むと、道は二手に分かれている。
右手は笠間城址への道である。


つつじ公園へは左方向で、ハイキングコースとなっている。


ハイキングコースに相応しい雰囲気の道が続く。


杉林を抜けると、舗装された道路に出た。


つつじ公園の入口ゲートをくぐり、つつじ山山頂を目指す。


この日一番の上り坂だ。


つつじ山の園路からの景観はなかなかのもの。
見えているのは吾国山だ。


『こっちは何と言う山だろうね?』


右手が笠間城址のある佐白山(205m)と思われる。
鬱蒼とした木々に覆われて山頂の佐志能神社は全く見えない。


11時43分、つつじ山山頂に到着。
山頂には何故か「座頭市」の碑がある。
理由は、勝新太郎演じる映画「座頭市」の主人公”市”は、
笠間生まれの下館育ちという設定なのだそうだ。


ベンチで一休み
『なかなか良い眺めだねぇ』


『風が気持ちが良いねっ』


笠間の市街地が一望できる。


展望台の脇に”身代わり観音像”がある。
笠間の市街地を優しく見下ろしている。


11時52分、つつじ公園を下る。


つつじ公園は4月中旬から5月上旬にかけて、25品種8000株の つつじが咲き誇り、
人々の目を楽しませてくれる、とのこと。


次の目的地観世音寺へ。


途中、筑波連山も望める。


さらに急階段を下り、


”父のさくら”の大木を通り過ぎると・・・


12時3分、観世音寺(佐白観音)に到着した。
佐白観音は、坂東三十三観音霊場の23番札所としても有名だ。
最初に訪れたのは、2009年3月18日に霊場巡りである。
それまでは、ここに佐白観音があることは全く知らなかった。


佐白観音の本堂前の石段下に”母のさくら”がある。
”父のさくら”に劣らない大木だ。
満開の時期に見てみたい。


佐白観音の参道を下りると、


舗装された道路に出た。


笠間日動美術館
敷地内にはフランス館、パレット館、企画展示館の3つの展示館がある。
企画展示館の3階にはオープンテラスのカフェも併設され、
春の桜や秋の紅葉など四季折々の美しい風景が楽しめる。
入館料:1,000円(65歳以上800円)


大石邸跡は、笠間日動美術館の直ぐ隣にある。
「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助の祖父、笠間藩家老だった大石良欽(よしたか)の屋敷跡で、
笠間藩主であった浅野家の家老としてここに屋敷を構えていた。


あとは笠間稲荷神社を目指すのみである。


大石邸跡前の道の突き当りに酒類醸造所がある。


道路を横断して、酒類醸造所前を右折。


国道50号方面へ少し進んだところの路地を左折すると、


山城出世稲荷大明神がある。
笠間稲荷神社とは関係はないようだ。


山城出世稲荷大明神で(孫の)出世を祈願し、笠間稲荷神社へ向かう。


12時16分、笠間稲荷神社の裏手(本殿のある方)に到着。


拝殿前に茅の輪があった。
過去の罪や穢れを祓い清め、人間の本来の姿に立返り新しい生活の出発を祈る行事で、
毎年6月と12月の末日に斎行される。
今日は、6月30日、まさに”夏越大祓い”で茅の輪をくぐる日である。


せっかくだから茅の輪をくぐってお参りしよう。
左に一度、右に一度、そして最後にもう一回左に回って拝殿にお参りだ。


笠間稲荷神社拝殿
創建は白雉二年(651)で、1350余年の歴史を誇る、日本三大稲荷のひとつ。
拝殿裏の本殿は江戸末期の建築で周囲の彫刻は国の重要文化財に指定されている。


楼門(萬世泰平門)を通り抜け、


門前の仲見店を通り、


笠間稲荷門前通りへ。


高橋町交差点の常夜燈を見ながら左折し、


笠間市役所支所前を通過すると、


12時30分、この日のゴール味の店「はらだ」に到着。
笠間駅を10時3分にスタートしたので、約2時間半かかったことになる。


味の店「はらだ」


部屋に通されると、膳の準備はできていた。


メニューは下見の時と同じだ。
『いただきま~すっ』


昼食後は、40分ほどの自由時間が設けられ、再び笠間稲荷神社へ向かう人や直接バスへ向かう人も。
バスは笠間稲荷神社近くの駐車場で待機していた。
13時40分、バスは帰路に就いた。


公民館長より、出来たてでまだ熱いまんじゅうの差し入れが。
『甘いものは別腹ですから』
『ごちそうさま~っ』 『美味しいっ』


まんじゅうを食べてうとうととして目が覚めたら桜土浦ICだった。


14時38分、バスは無事三中公民館に到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


公民館行事としての笠間ウォーキングということで、一番の心配のタネは雨だった。
しかし、運良く雨には降られず、無事何事もなく実施出来たことにほっと一安心である。
時間の都合等で「春風萬里荘」「笠間城址」には立寄らなかったが、興味のある方は
配布した地図を参考にして、別の機会にでも訪問していただければ幸いである。
ただ、笠間城址は立入禁止となっている箇所もあるようなので、充分に気を付けていただきたい。

日頃それほどウォーキングの経験は少ない、という方達が対象ということだったが、
皆さんしっかりと歩き切り、大いに自信になったようである。
公民館館長によれば、今後も別の講習会を計画したいという意向を持っているようであり、
その時は、また微力ながらお役に立てればと思っている。


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特選街道を歩くⅠ 第五回 (川越街道)新河岸駅~川越城本丸御殿

2015年06月28日 | ウマさんの「旧街道(特選)」を歩く
2015年6月28日(日)

昨年(2014年)は、旧東海道第一ステージとして、日本橋から三島宿までを歩いた。
今年は、旧街道の中でも見所が多く人気のある区間を選んで、歩くことにした。
旧街道全ての区間を歩くのは、時間的にも資金的にも大変なため、
人気のある街道の中から区間を選んで歩くことにしたのである。

第四回は、当初の予定では、北国街道(信濃追分~上田宿)を2日かけて歩く計画だったが、
2日目の都合が悪くなり、日帰り可能な川越街道(新河岸駅~川越城本丸門跡 約7Km)に変更した。
立寄り先などは、「首都圏旧街道歩き」(メイツ出版)を参考にした。

池袋駅9時5分発の東武東上線快速に乗車。
日曜日の下りとあってか、車内は空いていた。


ふじみ台で各停に乗り替え、


9時40分、出発地の新河岸駅に到着。
この日の参加者は8名だ。


9時43分、川越城本丸御殿を目指して出発!


旧川越街道へ向かう。


旧川越街道を進む。
旧川越街道は、現在の川越街道(国道254号線)にほぼ並行している。


新河岸駅を出発して約14分、道路脇に砂新田春日神社があった。


「首都圏旧街道歩き」では紹介されていなかったが、この日の無事安全を祈願して行くことにしよう。


説明によると、砂新田春日神社の本殿は、江戸彫彫刻で飾られた小型の「一間社流造」で、
屋根はこけら葺を模した板葺き、とのことだが、板囲いの隙間から見えるのはこれが精いっぱいだ。
残念ながら江戸彫彫刻や板葺きなどは見えなかった。
建立時期は十九世紀中期と考えられるとのこと。


旧川越街道は、道幅はさほど広くはないが、交通量が多い。
現川越街道と並行していることから、バイパスとして利用する車が多いのでは、と思う。


不老川に架かる御代橋(ごだいばし)を渡る。


不老川は、全く水が流れていなかった。
『全く水が無いっていうのも珍しいんじゃないっ?』


この日初めて見た昔風の建物。
かなり古そうな感じだが、現在は、デイサービスセンターとして利用されているようだ。


10時16分、緩やかな坂の途中に烏頭坂(うとうざか)の碑があった。


烏頭坂は、富士見町へと上る坂で、往時は杉並木で明治時代まではかなりの急坂だった、そうだ。
新河岸川舟運が盛んだった頃は、荷揚げした荷を市内の問屋街へ運ぶ時には必ず通らなければならず、
難所として知られていた、とのこと。
文明十八年(1486)頃、この地方を遊歴した道興准后(どうこうじゅこう)の「廻国雑記」に
うとふ坂 こえて苦しき行末を やすかたとなく 鳥の音もかな」という歌がある、とのこと。


烏頭坂の碑の横に急な石段があり、上ってみると、熊野神社があった。
高台で町並みが一望でき、見晴らしが良い、との案内だが、木々に囲まれて全く見晴しは望めなかった。


二の鳥居の奥には熊野神社の拝殿・本殿があった。


拝殿・本殿の裏に回って見ると、鳥居があった。
額には”諸社”と書かれていた。


鳥居の奥には神社名が刻まれた碑が墓標のように建てられていた。その数13。
『随分たくさんの末社が祀られてるんだねぇ』


熊野神社境内で一休みしていこう。


めいめい持参したお菓子や果物などを配り合った。
中には自宅の畑で採れたという”びわ”持参の人も。
『いやぁ これはなかなか立派な”びわ”だねぇ』
『ごちそうさまぁ~っ』


熊野神社を後にして、川川越城本丸御殿へ。
道路脇に川越まつり用と思われる山車庫があった。
富士山の女神 「木花咲耶姫このはなのさくやひめ)の山車」 岸町二丁目 とある。
今年の「川越まつり」は、10月17日(土)18日(日)に催され、総勢29台の山車が出るそうだ。
絢爛豪華な祭礼絵巻を再現する江戸系川越型山車の揃い曳きは、川越まつりの一番の特徴で、
その見事さは圧巻そのもの、だそうである。


10時37分、旧川越街道と現川越街道の合流点に到着。


横断陸橋で道の反対側へ。


現川越街道(国道254号)
川越市街地方面を望む。


東武東上線を跨ぐと、


いよいよ川越市街地だ。


10時49分、妙善寺に到着。
天台宗中院の末寺である。
小江戸七福神第一番毘沙門天としても知られている


ここまでの無事安全を報告しておこう。


通用門前の六地蔵は嘉吉元年(1441)作のもの。


境内には慈母観音像と「さつまいも地蔵尊」が建立されている。
10月13日は、サツマイモの日として、「さつまいも地蔵尊」を中心に、
イモに感謝を表す「いも供養」が妙善寺で催されるとのこと。


妙善寺の近くに菅原神社があった。
町名は菅原町だ。


川越まつりの山車は、菅原道真公となっている。


川越市内に入ると、旧い造りの家が見られるようになってきた。


11時7分、川越八幡神社に到着。


昭和8年に平成明仁天皇誕生記念として男銀杏・女銀杏の2本を植樹したが、
いつのまにか1本になったため、「縁結びの木」として有名、だそうである。


”無病息災夏越大祓い”の茅の輪くぐりは2日後の6月30日からとある。残念!


川越八幡神社は、長元三年(1030)創建の川越一の宮だ。


足腰健康の民部稲荷神社が祀られていることから、箱根駅伝のランナーやJリーガーの参詣も多い、とのこと。


川越駅のまるひろデパートが見えて来た。
私事だが、結婚直後に隣の上福岡市に住んでいた頃、かみさんがアルバイトをしていた。
今から40年近くも前のことである。


それまでの直線的だった道路がここで大きく曲っている”鉤の手跡”
鉤の手とは、ほぼ直角に曲がっていることを意味する。
川越城西大手門よりこの鉤の手までを、旧江戸町と言った。
城より、江戸へ行くための起点となる町であるため、
町の繁栄と共に江戸町と言われるようになった。
現在は、松江町となっている。


通町交差点まで戻り、東照宮中院通りを進む。


氷川神社の主神 素戔鳴尊(すさのおのみこと)を山車の人形とするのは西小仙波町。
素戔鳴尊は海の神様であり、西小仙波町の「波」にちなんでいる、そうである。


11時34分、仙波東照宮に到着。


朱塗八脚門の東照宮随身門をくぐり、


石鳥居の先の石段を上ると、


仙波東照宮の拝殿がある。
仙波東照宮は、日光東照宮・久能山東照宮とともに三大東照宮の一つである。
徳川家康の遺骸が久能山から日光に移葬される途中、喜多院に4日間逗留。
天海僧正が法要を営み、それを受けて仙波東照宮は、寛永十年(1633)天海僧正が、この地に創建した。


境内(拝殿前や本殿前)にはたくさんの石灯籠が献備されていた。
一番奥の本殿には、3対の石灯籠がある。
献備者はいずれも歴代川越城主の、松平信綱・松平輝綱・松平信輝である。
(写真は右側のもので、左側にも対照的に3つの石灯籠がある)


4代目川越城主柳沢吉保の石灯籠は拝殿前にあった。


歴代川越城主の石灯籠群。
いずれも2基づつ献備されていた。


仙波東照宮の境内を通り抜けて喜多院へ向かう。


喜多院の境内に入ると、先ずは鐘楼門が目に入った。
銅鐘は、元禄十五年(1702)頃の造営と考えられる、とのこと。


喜多院の山門から入り直すことにしよう。


山門の前には、天海大僧上の銅像がある。


白山権現神社
案内によると、
天長七年(830)慈覚大師円仁が喜多院を創建された時に、天台宗修験道の霊場である白山より、
喜多院の守護神として白山の神仏の分霊を祀ったと伝えられている、とのこと。


喜多院(川越大師)本堂


本堂に今日の無事安全の報告をしていこう。


多宝塔は、寛永十六年(1639)に完成。
もとは白山神社と日枝神社の間にあったが、明治四十五年道路新設のため慈恵堂脇へ移築された。
復元のため昭和四十七年より解体が行われ、昭和五十年現在地に完成した。


喜多院は小江戸川越七福神巡り第三番としても有名だ。
大黒天が祀られている。


喜多院を後にし、成田山川越別院へ。


12時11分、成田山川越別院本堂に到着。


毎月28日は、蚤の市(骨董市)のため、大そうな賑わいである。


境内に入りきらず門の外にまではみ出している店も。


そろそろお昼時だ。
川越とくれば”うなぎ”であるが、ちょうど昼食時、どの店はいっぱいだ。


この時間帯は、どこも客が列をなして並んでいる。
ここはちょっと我慢して、先ずは川越城本丸御殿に到着後に空いている店を探すことにしよう。


蔵街通り(県道39号線)はいつ来ても人通りが多い。


川越の蔵街通りは、蔵の多さとその重厚さに圧倒される。


時の鐘
三層構造で高さ16m、城下町川越のシンボルである。


寛永年間(1624-1644)に川越藩主酒井忠勝によって建てられた。
度重なる火災で焼失したが、再建を繰り返し、現在の鐘楼は、明治26年の川越火災の翌年に再建された。


札の辻交差点を右折し、川越市役所方面へ。


道路反対側に一軒のうなぎ屋が・・・
このうなぎ屋は空いてそうだが、本丸門跡見学の後にしよう。


川越城大手門跡碑
川越市役所の玄関前、築城当時は本丸・二の丸を合わせた程度だったが、江戸時代になって、
本丸・二の丸・三の丸などの各郭や13の門を持つ大規模な城郭になった。


大手門跡碑の奥には川越城を築城した太田道灌の像が建てられている。


ゴールの川越城本丸御殿へ向かう。


中の門
室町時代(長禄元年/1457)、太田道真・道灌父子によって建てられた川越城は、
江戸時代(寛永16年/1639)に川越藩主となった松平信綱によって、大拡張工事が行われた。
それにより、約2倍の規模の近代的城郭になった川越城。
しかしまだ天下が収まって間もない時代だったので、戦いを想定し造られたのが、この中の門と中の門堀である。


中の門堀跡
中の門堀の特徴は、城壁側とその反対側の法面勾配が異なる点である。
城壁側の法面勾配が60°反対側が30°あり、城壁側が切り立っているので、
敵が攻めてきた際にこの堀を越えることが出来ないのだ。


川越市立美術館の向かい側が川越城本丸御殿だ。


12時53分、川越城本丸御殿に到着。
川越城は「日本100名城」の一つに指定されている。
「日本100名城」巡りで最初に訪れたのは2010年8月15日(日)で、この時は修復中で中に入れなかった。
2度目は2014年10月26日(日)のことである。


川越城本丸御殿の碑


現存する建物は、嘉永元年(1848)に再建された。
玄関・大広間・家老詰所など一部だが、本丸御殿が現存する例は全国でも珍しい。


枯山水の庭


家老詰所前の庭を観ながら寛ぐ人達。
(中国人観光客のようだ)


家老詰所には会議の様子の人形がある。


槍の間


うなぎ屋を探そうっ!
『さっきの店、空いていると良いねっ』


川越市役所前を過ぎ、


先ほど目に止ったうなぎ屋「一貫」を覗いてみると、空いていると言う。
我々にとっては、空いていることが何よりの条件である。迷わず入店だ。


先ずは生ビールで『かんぱ~いっ』 『お疲れさま~っ』
『今日は汗をかいたから、ビールが美味いっ』


しばらくすると、うな重(\2,000円 税別)が運ばれてきた。


『いやぁ まずまずの味だよっ』
『お腹も空いていたし、美味しいねっ』


うなぎに満足した後は、お菓子屋横丁でも行ってみよう。
数日前に火事があったことは聞いていたが、どんな様子だろう。
昨日(土曜日)から営業を再開していることもニュースで報道されていたが・・・


焼けた建物や残骸はそのままになっていた。
市役所通り側からは入れないようになっていた。


お菓子屋横丁のもう一つの入口側へ回ってみると、


たくさんの人で賑わっていた。
今までと殆ど変らないほどの人出である。


ゆかた姿の女性の姿もちらほら。
(顔は見えないが)なかなか粋で可愛らしい。


”元気に営業しています”の貼り紙が・・・
『しかし、焼けたのは2軒だけで良かったよねぇ』


川越駅を目指す。


県道39号(蔵町通り)を過ぎ、西武線本川越駅前を通過。


クレアモール商店街を通り抜け、東上線川越駅を目指す。
『いやぁ けっこう賑やかな商店街だよなぁ』 『みな商売繁盛してそうだよねっ』
『地元(土浦)とは比較にならないねっ』


アトレマルヒロの中を通り抜けると、


15時5分、東武東上線川越駅に到着した。
『皆さ~ん 今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「旧街道を歩く」第五回目(新河岸駅~川越城本丸門跡)を無事歩き終えた。
道中の寺社を始め、川越市内の蔵街通りやお菓子屋横丁などの散策を楽しめた。
また名物の”うなぎ”を土用丑の日より一足早く味わうことが出来、満足の一日であった。


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ニッコウキスゲに大満足 猫魔ヶ岳・雄国沼ハイキング

2015年06月26日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年6月26日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第10回(2015年第21回)、「猫魔ヶ岳・雄国沼」ハイキングに参加した。

この日のコースは、2010年6月14日に「まゆみの会」主催のハイキングで参加させてもらったが、
あいにくの雨で猫魔ヶ岳からの景色は全く望めなかった。
猫魔ヶ岳からの景色はどのようなものなのか、今回はその確認(リベンジ)とも言うべきものでもある。

5時35分、三中公民館に到着すると同時に中型バスもほぼ同時に到着した。
三中公民館を6時ちょうどに出発し、天川団地入口、土浦市民会館へと向かった。


朝食はいつものおにぎり弁当だ。


定刻どおり、土浦市民会館を6時20分に出発。
この日の参加者は28名、満席である。


常磐道友部SAで最初の休憩。


磐越道の阿武隈高原SAで2度目の休憩を取り、


バスに揺られること約4時間超、


10時11分、八方台に到着した。
9時半頃には到着するのでは、と思っていたので、出足から大幅な遅れとなった。
裏磐梯はさすがに遠い、ということを実感した。


めいめい体調を整え、会長の音頭による準備体操をして、


10時23分、猫魔ヶ岳目指して出発!
先頭はいつものOさんである。


猫魔ヶ岳への登山道入口。


登山道は最初は緩やかな上りで始まった。
磐梯山への登山道で熊に襲われたので注意! との張り紙があった。
『こんだけたくさんで歩いていれば大丈夫よねっ』


緑がいっぱいの樹林帯の上りが続く。
『気持ちが良いよねっ』


ところによっては、急な上りもある。


10時50分、猫魔ヶ岳山頂まで1Kmの地点を通過


猫魔ヶ岳への道は、下りもある。


一瞬視界が開け、目の前に霞んだ猪苗代湖が見えた。
『けっこう大きいんだねっ』
猪苗代湖は、日本国内で4番目に広い湖である。
1番目に広い湖は琵琶湖、2番目は霞ヶ浦、ここまでは誰でも知っていると思うが、
では3番目に広い湖はどこか? 答えはサロマ湖、これが意外と知られていない。


11時2分、水分補給のため最初の小休憩。


上りが続く。


11時10分、猫魔ヶ岳山頂まで0.5Km地点を通過


見晴しの良い場所に出たが、まだ猫魔ヶ岳山頂ではなかった。
『磐梯山がよく見えるわぁ』


磐梯山だ。
この方角からの磐梯山は初めてである。
いつもは猪苗代湖湖方面や桧原湖方面から観ているので、形も違うし、
こんなに緑に覆われているとは知らなかった。


磐梯山を背に猫魔ヶ岳山頂を目指す。


最後の急坂を上り切ると、


岩場が現れた。
先頭Gから『猫魔ヶ岳山頂だよ~っ』の声が、


11時26分、猫魔ヶ岳山頂(1.404m)に到着した。
八方台からほぼ1時間かかったことになる。
『良い眺めだよね~っ』


猪苗代湖


反対側には桧原湖が見える。


猫魔ヶ岳山頂から少し離れた所に一等三角点があった。


急坂の下りは大きな石があるうえに、足元が滑り易い。


足元が不安定な道が続く。
次々転倒する人が・・・


次に目指す雄国沼まで2.7Kmとある。
標識の裏には八方台2.6Kmと案内されていた。
『まだ半分しか来てないってこと?』
時計は11時56分を差していたので、既に1時間半以上経過していた。
この分では雄国沼到着は13時を過ぎる可能性がある。


11時57分、突然大きな岩が現れた。
『大きな岩だねぇ』


猫岩(1.335m)である。
猫魔ヶ岳は猫又伝説の代表的な山の一つ。
釣り上げた魚目当てに老女に化けた雌猫を郷士が斬り殺したため、山の主である猫王は
郷士の奥方を食い殺して樹上に吊して復讐。
怒りの郷士が宝刀で妻の仇を討つという粗筋だそうである。


『歩き難いよなぁ』


足場の悪い急な下りが続く。


『どこまで続くのかしら?』


『今はどの辺りなのかしらねぇ』
雄国沼はまだかなり先のようだ。


小さな沢を渡る。
濡れて滑り易いので慎重に進む。


雄国沼を目指す。


ようやく平坦な場所に出た。
雄国沼はもう直ぐかなと思ったら、これが甘かった。


この後も沢を渡り、


樹林帯を進む、というパターンが繰り返される。


さらに幾つ目かの沢を渡ると、


13時2分、ようやく雄国沼の端が見えるところに到着したが、避難小屋(休憩舎)は、まだ先だ。


『これって水芭蕉だよね?』
『こんなに大きくなるんだぁ』


休憩舎まで0.8Km地点を通過。


13時10分、雄国沼の堤防に出た。


雄国沼の堤防を進むこと約5分、


13時17分、無人避難小屋(休憩舎)に到着した。
中ではまだいくつかの小グループが食事中だったが、30人ほどの団体が食事が終わった直後で、
入れ替わりに席を確保することができた。


休憩舎で弁当にしよう。


この日の弁当
おにぎりが2個とトンカツ・野菜の煮物・パスタなどの盛合せである。


『お腹が空いてたから美味いねぇ』


13時45分、雄国沼湿原へ。
案内によると、湿原まで25分ほどかかるそうだが、この時点で予定よりかなり遅れているので、
ニッコウキスゲを観て、1時間以内には戻って来たい。


若干ペースアップして、雄国沼湿原へ。


13時55分、雄国沼湿原への分岐点を通過


雄国沼湿原への途中のところどころにニッコウキスゲが咲いており、歓迎してくれているようだ。


14時6分、湿原に到着
ここまで約20分、まずまずのペースである。
順路の木道は一方通行となっている。


木道の両側にニッコウキスゲの大群落が広がる。


『いやぁ これは素晴らしいねぇ』


木道の両側のニッコウキスゲ


『一度にこんなにニッコウキスゲが観られるなんて、来て良かったぁ』


木道の中間点だが、ここで、左に曲って引き返すことはしない。


木道を真直ぐ進む。
草原を吹き抜ける風は、やや肌寒いくらいだが爽快で気持ちが良い。


雄国山方面を望む


まだ満開ではないそうだが、充分に満足である。


中間点を過ぎる辺りは、花が少ない。


先頭グループ


木道を一周し、


最後にもう一度ニッコウキスゲの大群落を写真を納めて、


休憩舎へ向かう。
木道を一周するのに約20分かかったことになる。


休憩舎へ急ごう。


『ニッコウキスゲが観られて良かったよね~っ』


14時42分、休憩舎に到着。何とか”湿原往復1時間以内”の目標達成である。
休憩舎をバックに記念撮影を済ませ、


14時47分、小休憩の後、3.3Km先の雄子沢Pを目指した。
予定より遅れることを、バスの運転手に連絡しようとしたが、
”圏外”で通じないため、ここは急ぐしかない。


14時54分、雄国山縦走の「パノラマルート」との分岐点を通過し、


「雄国せせらぎ歩道」を雄子沢Pを目指す。
雄子沢Pまでは下りだけのため、楽である。


ブナ林の中を雄子沢Pを目指す。


15時7分、雄子沢Pへ2.3Km地点を通過。


雄子沢Pを目指す。


15時14分、雄子沢Pへ1.8Km地点を通過。


ブナの樹林の緑が美しい。


雄子沢Pを目指す。


雄子沢Pまで0.8Km付近。


15時46分、登山者数計測器前を通過


雄子沢登山口は間もなくだ。


15時55分、雄子沢登山口に到着した。


駐車場が見えて来た。


15時57分、駐車場に到着し、運転手に遅れたことを陳謝。
役員で相談の結果、予定していた「ラビスパ裏磐梯」での入浴は急遽取り止め、帰路に就くことにした。
これで、当初の予定どおりの帰宅時間となるだろう。
ちょうどこの頃雨が降り出した。
(帰宅後、東北地方が梅雨入りしたことを知った)


帰りのバス車内
皆さん、ややお疲れの様子である。
『最後はちょっと疲れたわねっ』


17時25分、阿武隈高原SAで休憩。


『かみさんの土産は何がいいかな~』
家族への土産を欠かさない人にはいつも感心させられる。


次の休憩地、友部SAに着いた時には真暗になっていた。
時計は19時20分を回っていた。


この頃になると、疲れも和らいだためか、車内には笑顔が溢れた。
『皆さ~ん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


猫魔ヶ岳・雄国沼ハイキングは秋の紅葉の時期にと考えていたが、会員のK先輩から
雄国沼のニッコウキスゲがお奨め、というアドバイスがあり、6月末にしたという経緯がある。
最初に訪れた2010年6月14日は、あいにくの雨で、猫魔ヶ岳の眺望も全く望めなかったので、
この日は、磐梯山も観ることができ、霞んではいたが猪苗代湖や雄国沼も観ることができ、
猫魔ヶ岳の眺望を楽しむという、目的のひとつは達することができた。
それ以上に最大の目的である草原いっぱいに広がるニッコウキシゲが観れたので、満足のいく一日となった。
なお、Kさんが都合が悪く参加出来なかったのは、残念で仕方がない。
この日の万歩計は24,000を越えていた。


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関東ふれあいの道(埼玉) No.4「峠の歴史をしのぶみち」

2015年06月14日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年6月14日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第10回目となる今回は、コースNo.4「峠の歴史をしのぶみち」(約15.6Km)に挑戦した。

日暮里駅で山手線に乗り替え、池袋駅に向かう。
この日の参加者は8名だ。


池袋7時5分発の三峰口行き西武快速急行に乗車。
早朝に家を出たため、ここで朝食を摂るのが習慣になってきた。


『腹が減っては戦は出来ないからねっ』


8時32分、出発地の西武正丸駅に到着。


正丸駅を利用するのは、昨年の9月以来これで2回目となる。


体調を整え、めいめい準備体操をして、


8時43分、正丸駅を出発だ。


正丸峠を目指す。


正丸駅からの急な階段を降りる。
『この階段 斜めになってるし、ちょっと怖いよねっ』


西武線の下をくぐり、


正丸峠を目指す。


安産地蔵尊
説明板には次のように記されている。
この地蔵尊は、金の胎内仏(はらこ)を持っているとして、
古くから霊験あらたかな仏として、信仰を集めていた。
旧宝泉寺の本尊として祀られていたが、明治元年の神仏分離令で正蔵院に移されることになった時、
俄かに重量を増して、ついに運び出すことができなかった、そうである。
このため、子育て観音を祀る観音堂に安置されることになった。
昔の人は、懐妊すると仏前の旗をいただき、腹巻にして出産の日を待ったと云われている。
古来から大蔵山地区には、お産で命を落とした人はいないと伝えられているが、
これも霊験の一端を表すものと言える、とのこと。


道の左側には小川が流れており、ちょっとした滝のような段もある。
『こういう風景が身近にあるのは良いねぇ』


9時10分、正丸峠への上り口?に到着
(実はこの時点ではこの上り口が間違っていることに気づいていなかった。
本来の正丸峠への上り口はもう少し先だったのである)


上り口には馬頭尊がある。
(正丸峠への上り口にある申講(さるこう)という祠と勘違いしているのに気が付いたのは、
かなり後のことだった)


9時16分、伊豆ヶ岳に向かうという若いグループの後に付いて上る。
グループのリーダーによれば、正丸峠へも通じているとのこと。


次第にグループとの距離が離れていく。


『やっぱり若い人はペースが速いわねっ』


けっこう険しい道である。
『以前歩いた時にはこんな道だったかしら?』
何となく道が違うのではないかという疑問が湧き始めた。


9時28分、小休止
正丸駅を出発して45分が経過、分岐点から約12分が経っていた。
どうも道が間違っているような気がしてきたが、今さら引き返すのも大変だ。
『さっきのリーダーによると、この道も正丸峠に行けるって言ってたよねっ』
と言うことで、このまま進もうということになった。


さらに進むと、沢越えが現れたり、


道も次第に険しくなってきた。


険しい岩場が現れた。
この辺りで完全に道を間違っていることに気が付いたが、時既に遅しである。


巨岩の脇を通り抜ける。
ただし、景色を楽しむ余裕はない。


『いやぁ 思ったよりも険しいけど、今更引き返せないよねっ』


『下りでなくて良かったねっ』
下りだったら、滑って危険なため、とてもじゃないが下りられないと思った。
(昭文社の「山と高原地図」に”ナキナキ坂は滑るので下り禁止”と書いてあった、
と後日Kさんから教えて貰った)


滑り易い最後の急斜面を上ると


10時ちょうど、ある尾根に出た。
『どの辺りなんだろうね ここは』


通りかかった別のグループに正丸峠への道を確認し、正丸峠を目指す。


以前通ったことのあるような無いような・・・


さらに進むと


10時24分、五輪山と書かれた場所に出た。
なんとなく見覚えがあるが、正丸峠からどのくらいの位置にいるのかが分からない。


伊豆ヶ岳⇔正丸峠の標識があった。
『ここは以前伊豆ヶ岳方面から来たことがあるよねっ』
Kさんがipodを見ながら示してくれた地図で、ようやく今いる場所が理解できた。
正丸峠から随分と離れていることを知って、がっくり。
途中で引き返しておけば良かったと反省しきりである。


『ここは小休止して気分転換しようっ!』


『気にすることないわよっ』の一言に救われた感じだ。
なんと素晴らしい仲間の皆さんであることか。


10時37分、小休止で元気を取り戻し、正丸峠へ続く長い丸太の階段を下る。


『段差が大きくて歩き難いわぁ』


『この道覚えてるよっ』


杉並木を抜け、


10時47分、長岩峠を通過すると、


小さな頂が見えて来た。


10時50分、小高山(720m)に到着。


『小高山ってことは正丸峠まであとどのくらいなのかねぇ?』
「関東ふれあいの道」の地図には0.9Kmとある。
我々のペースでは、あと20分近くはかかる見通しだ。


小高山から坂道を下ること20分、


見覚えのある正丸峠の奥村茶屋が見えて来た。


11時11分、やっとのことで正丸峠に到着した。
コースNO.4では正丸駅から正丸峠まで2.6Kmなので、道を間違わなければ10時には着いている筈である。
1時間以上はロスしたことになる。


”道路横断し、階段のぼる”の標識に従って道路を横断すると、


案内どおり、旧正丸峠へはいきなり石の階段から始まった。
11時13分、正丸峠から1.3Km先の旧正丸峠を目指す。


旧正丸峠への道はところどころ急坂が多く、意外ときつい。


杉の根っ子が張り巡らされた林の中を進む。


11時30分、里程標があった。
正丸駅を出発してから約2時間50分経っているが、まだ3Kmしか歩いていないことになる。
最初に道を間違ったためだが、あらためてその影響の大きさを知って、がっくりである。
残り12.6Km、この分では白石車庫バス停に、日没までに到着するかどうか。
大野峠から芦ヶ久保駅へ下っても、かなり時間はかかるだろう。


『とにかくここは、旧正丸峠を目指そうっ』


『けっこう厳しいねぇ この道は』


手に手にビニール袋をぶら下げた一段とすれ違った。
聞けば、”山掃除”をしているとのこと。
半年に1回ゴミを拾って付近の山を歩くのだそうだ。
袋の中にはゴミが入っていると言う。
『御苦労さまですっ』


急登の坂道を上ると、


11時44分、正丸山に到着した。
『旧正丸峠はまだかしら?』


旧正丸峠を目指す。


11時53分、次に現れたのは、川越山だ。
地図にも出ていない小さな山である。


川越山を過ぎると、急な下りが待っていた。
『気を付けてっ 滑り易いよっ』


さらに下って行くと、V字形の谷が見えて来た。


標識に旧正丸峠と書かれている。
『ここが旧正丸峠みたいだねっ』 時計は12時8分を差していた。
とりあえず、この標識の前で全員の証明写真を撮ることにした。


旧正丸峠から虚空蔵峠方面への階段
これから白石車庫バス停(11.7Km)に向かうのは、我々のペースでは夕方までに到着出来るかは定かではない。
大野峠から芦ヶ久保駅(約10Km)にショートカットするにしても、かなり時間がかかることが想定される。
ということで、この日はこの先の白石車庫バス停を目指すことは断念し、直接正丸駅に向かうことにした。


時計は12時13分を過ぎており、お腹も空いたことだし、『弁当にしようっ!』
峠から少し離れた場所で弁当を広げる。


弁当タイムは、山歩きで一番楽しい時間である。
『どうぞどうぞっ』
お裾分けに立ち回るKさん。
『あらぁ ごちそうさま~っ』


12時49分、弁当も終わったところで正丸駅へ向かう。


なだらかな坂道が続く。


杉林の中を進む。
『歩き易い道だねっ』


旧正丸峠から17分ほどで、舗装道路に出た。


舗装道路を100mほど進むと、


正丸駅への近道の案内標識があった。


案内標識に従い、いったん谷底へ下りて、


細い山道を進む。


沢を渡る架け橋も整備されている。
『きちんと整備してくれて、ほんとありがたいねぇ』


『今度来る時はこの道が良いんじゃねっ』


『それにしても立派な大木だねぇ』


道端にはシダ類も生えている。


『急坂じゃないから楽だよねっ』


沢を渡るのは、何度目だろう。
『よく整備されてるよねっ』


顔だけが異様に白いお地蔵様が祀られていた。
かつて旧正丸峠を目指した行き倒れの人を供養するためなのだろうか?


13時31分、視界が開け、人家がまばらな里に出た。
『あらぁ わらびがいっぱい生えてるわっ』
『ちょっと採ってきても良いっ?』
と言うが早いか、直ぐに姿が見えなくなった。


どうもわらびを見るとじっとしていられないようだ。
ここは待ってあげることにしよう。


背丈ほどの茂みの中を懸命に探し回っている・・・


7~8分後に元気に戻って来た。
手にはわらびがいっぱいである。


人家が次第に増えて来た。


グミの実だ。
『ちょっと酸っぱいっ』
どうやら味見は”失敗”に終わったようだ。


小さな神社の前を通過。
額には「八阪神社」と書かれていた。坂の字が普段見掛けるのと違う。
『八坂神社じゃないねっ』


『あらぁ 素敵~っ』


『立派な岩松だよねっ』


『これって けっこう手間がかかってるんじゃないっ』


『国道が見えてきたよっ』


13時49分、国道299号に出た。


正丸駅へ


正丸駅が見えて来た。
ちょうど秩父方面への電車が出発したところだ。


国道299号から正丸橋を渡りると、


13時54分、正丸駅に到着した。
旧正丸峠から1時間10分ほどで下りてきたことになる。
次に旧正丸峠へ行く機会があれば、この道を利用したい。


13時59分発の飯能行き電車がホームに入ってきた。


皆さん、最後はややお疲れの様子。
この後、飯能駅から横浜元町行き快速急行に乗り替え、池袋に向かった。

『今日は大変お疲れさまでしたぁ』

この日は、「関東ふれあいの道」(埼玉県)第10回目、コースNo.4「峠の歴史をしのぶみち」(約15.6Km)
に挑戦したが、最初に道を間違うという判断ミスのため旧正丸峠で引き返すことになった。
今回踏破を断念した旧正丸峠~虚空蔵峠~刈場坂峠~大野峠~高篠峠~白石峠~白石釈バス停の区間は、
機会を見つけて再度挑戦したいと思っている。

7月と8月は暑さを避けるため、中断し、次回のコースNO.5「大霧山に登るみち」は、9月を予定している。
しばらくは体力消耗を控え、次回9月に備えたい。
この日の万歩計は、19,000歩を越えていた。

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ツツジの代りはアヤメと山ボウシ 高柴山ハイキング

2015年06月08日 | ウマさんの気ままなバスハイキング
2015年6月8日(月)

常南トラベル(株)が主催する日帰りバスの旅「高柴山」ハイキングに参加した。
常南トラベル(株)主催のバスハイクは、昨年8月27日の「塩原の2大名瀑 雷霆・咆哮霹靂の滝
以来、約9か月ぶりである。

常南トラベル社の案内には、下記のように記述されていたが・・・・果たして
高柴山は、小野町の北西部に位置する標高884mの山で、田村市の船引町、大越町との町境でもある。
山頂にヤマツツジの大群落が広がっており、開花時期には県内外から多くのハイカーが訪れる。
山頂には展望台もあり、素晴らしい眺めを望むことが出来る。
高原性の気候を有する高柴山は、ブナやミズナラなどの冷湿帯の植生を主とした落葉広葉樹林が広がっている。
ハイキングコースは殆どが木陰に覆われているため、、木漏れ日の中で心地良くハイキングを楽しめる。

所属する「健康ウォーキング同好会」からは、会長以下有志の4名が参加することになった。

6時15分、ほぼ予定時刻どおり、荒川沖駅前に常南交通の大型バスがやって来た。


バスに乗り込むと、直ぐに朝食の弁当が配られた。
お馴染みのおにぎり弁当だ。


友部SAで最初の休憩、


磐越道差塩(さいそ)PAで2度目の休憩を摂り、


高柴山までの間にコースマップの説明がなされた。
コースの半分近くは舗装道路で、駐車場から高柴山山頂までは1時間10分ほどとのこと。
坂道はきつくはなく、初級者向きコースとのこと。
ただ、ツツジは既に終わった状態とのこと。今年は開花が2週間ほど早かったそうだ。


9時30分、出発点となる高柴山臨時駐車場に到着した。
駐車場に届けられた昼食の弁当を受け取り、


広い駐車場でそれぞれ準備を進める。
この日の参加者は、37名とのこと。


我々のグループは、「健康ウォーキング同好会」現会長以下3名と初代会長の合せて4名が参加した。


添乗員の掛け声で準備体操
『大きく深呼吸~っ』


『空を見上げて~っ』
身体が言うことを聞いてくれないみたい。


『足を捻りま~す』


9時43分、高柴山目指して出発だ!


臨時駐車場入口を出たところを左折し、


舗装道路を進む。
37名中、男性は13名とのこと。
女性はほぼ倍の24名でけっこう賑やかだ。


9時49分、高柴山登山口の駐車場まで1Kmの案内表示が。


道路脇に真新しい聖観音像が建立されていた。
由来について以下のように紹介されている。
ここは、奥(いり)之観音と呼ばれ、文化十四年(1817)頃に、
高柴山に放牧した農耕馬の息災を祈念して建立されたが、観音像は紛失している。
東日本大震災・原発事故からの復興と当地域の繁栄を願い、東京の篤志家が、
聖観自在菩薩立像を奉納建立した(平成二十六年十二月建立)とある。


聖観音像を過ぎると、地図で説明のあった、そば・うどんやがあった。
とたん造りの簡素な店である。手作りらしい。


緩やかな坂道を高柴山を目指す。


東京スカイツリーと同じ高さの634m地点を通過。
山頂まで1,650mの表示が見える。
『東京スカイツリーと同じ高さと言われても何かピンとこないねっ』


『いやぁ なかなか良い景色だねぇ』


これまで歩いてきた景色が一望できる。
『大分上って来たんだねぇ』


浮金登山口への入口(分岐点)を右に曲ったところで、


小休止だ。時計は10時5分を差していた。
緩やかと言ってもそこは坂道、気温も25℃に近いため、かなり汗をかいて来た。
水分補給で熱中症に備える。


10時8分、小休止の後、再び高柴山を目指す。
皆さん、初級コースとは思えないような装備に見える。


10時12分、浮金登山口に到着。
駐車場もあり、普通車はここまで上って来ることができる。
山頂まで1,100mとなっている。


ここともう一箇所の駐車場の奥が登山口となっている。
どちらを進んでも同じところに合流する。
手前の登山口から登山開始だ。


山頂への道はそれほど急な勾配ではなく、歩き易い。


日が差して来たが、木々が直射日光を遮ってくれるのが嬉しい。
この季節直射日光は女性ならずとも避けたい。


途中から50段ほどの木の階段がある。
(この日一番の上りであった)


後続の皆さん、少しばかり身体に堪えているようだ。


道は分かれたり、合流したりする。
どちらを進んでも同じ所に出るので、安心して歩ける。


10時24分、太鼓石説明板前に到着。
ここから右へ150mと案内されている。


地図での説明によると太鼓石までの下り・上りとも10分となっていたが、
時間は充分にあるので、太鼓石へ向かった。


実際には4分ほどで太鼓石に到着した。意外に近かった。
案内によると、
八幡太郎義家が奥州阿部貞任を攻めた際に、人馬とも疲れたので、この大石を打鳴らしたところ、
忽ち大きな太鼓の音と変わり、士気大いにあがり、敵を追い進軍したと云われる、そうだ。


いったん太鼓石説明板まで戻り、高柴山を目指す。
山頂まであと600mと表示されている。


この辺り、道がくねくねと何度もクロスしている。


突然見晴しの良い場所に出た。
それほど高くはないが、緑に包まれた山々が美しい。


見晴し台の正面を5mほど上ったところに”物見石”があった。
”物見石”はやや高いところにあるため、木々に遮られて、その眺望は先ほどの見晴台には及ばない。


緑いっぱいの中、高柴山を目指す。


この辺りから樹林帯が続き、いろんな木々が自生しており、名札が付けられている。
名札は、浮金小学校や浮金やまびこ学級によるものである。
ミズナラ、イタヤカエデ
他にもヤマボウシ、クマシデ、コシアブラ、アブラチャンなどなど・・・


10時45分、御神水まで50m、山頂まで260mの地点に到着。


御神水へ向かった。
杉林の中を50mほど進むと、


”御神水”と書かれた太鼓石ほどの大きな石があった。


岩の前の蛇口?から”御神水”が勢いよく流れていた。


『いやぁ これは冷たくて美味しいっ』
自分も飲んでみたが、冷たくて本当に美味しかった。水温は10℃以下と思われた。
枯れることはないのだろうが、流しっ放しは何とももったいない。


山頂へは残り200mほどだ。
最後の階段を上ると・・・


視界が開けた。
東屋が見える。


山ボウシの白がひと際映えて美しい。


案内標識に従って展望台へ向かった。


山頂一帯には一面背丈ほどのヤマツツジの群落が見られたが、残念ながら花はとうに終わってしまっていた。
この大群落は、明治末から昭和にかけて山頂で農耕馬が放牧されたためできたもの、だそうである。
放牧の邪魔になる樹木は伐採され、草は馬に食べられたが、花や葉に毒性のあるヤマツツジは、
過度に食べられないので残り、優占したと考えられている、のである。


10時57分、展望台に到着。
展望台の下にはベンチがあったが、誰もいない。
風が強かったので、ここで休憩する人はいないのだろう。


先ずは展望台に上がってみよう。


展望台からの眺望(1)


展望台からの眺望(2)


展望台からの眺望(3)


動画で見るとこんな感じ。


弁当に相応しい場所を探そうと山頂を歩いていると、ヤマツツジが一輪だけ残っていた。


代わりにあちらこちらにアヤメが咲いていた。
『ツツジが終わっちゃってるからせめてもの救いだね』


高柴山神社にお参りを済ませて、


弁当にしよう。
まだ11時を9分ほど回ったばかりである。


『あまりお腹は空いてないけど美味いっ!』


目の前のアヤメを見ながらの弁当は格別である。


『今日の弁当はなかなか良いよねっ』


弁当の後は、山頂を一回りしてみた。
ヤマツツジの木が山頂を覆っていると言っても過言ではないが・・・


終戦後は馬も放牧されなくなったことから、現在は人が草や木を刈り払い、
日向を好むヤマツツジの群落を保護している、とのこと。


山頂のヤマツツジが虫による食害などの影響で、近年開花する花が少なくなっていることから、
平成26年10月5日、ボランティア約400人により害虫に浸食された枝木の苅込や薬剤散布などを行い、
約7割のヤマツツジの手入れを行った、そうである。


次の機会には、山頂が真っ赤に染まったヤマツツジの群生が観られるよう祈りながら、山下りを開始した。


山ボウシの下を下る。


山ボウシの花
花は多数が球状に集合し、その外側に大形白色の総包片が4枚あり、花弁のように見える。(wikipedia)
『この緑色の粒々が花なんだぁ』


緑溢れる樹林帯の中、山を下る。
『今日は時間がたっぷりだから、余裕があるねっ』


緑が美しい


現会長(左)と元会長(右)の揃い踏みだ。


12時10分、浮金登山口に到着


浮金登山口の駐車場
『ヤマツツジのシーズンには車がいっぱいになるんだろうなぁ』


ゴールの臨時駐車場を目指す。


遠くの山々の眺望を楽しみながら山を下る。


12時28分、そば・うどん店が見えて来た。
『蕎麦も良いけど、さっき食べたばかりだし、まだ食欲は湧かないねっ』


12時45分、臨時駐車場入口に到着


皆さんも次々に山を下りて来る。


駐車場にはバスが待機していた。
12時55分、直ぐに風呂に入れるように準備を整えて、いわき湯本「さはこの湯」に向けて出発!


13時45分、「さはこの湯」に到着。
いかにも街中の風呂といった感じの建物である。
この日の入浴時間は1時間30分とたっぷりある。


風呂上がりに一杯
『かんぱ~いっ』


『お疲れさまぁ』


しばしひと時を過ごして寛ぐ。


15時15分、「さはこの湯」を後にして、帰路についた。
こちらは、添乗員さん
『皆さま、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
添乗員さんもお疲れさんっ!


8か月ぶりとなるバスハイク「高柴山ハイキング」に参加した。
初級者むけコースということもあり、それほど疲れは感じなかった。
小野町にこのような山があることを初めて知った。
パンフレットには、山頂を覆い尽くすヤマツツジが咲いている写真が乗せられていたが、
あいにく、季節の到来が早すぎて、全くツツジの花を観ることができなかったのは、残念であった。
代りに、紫のアヤメ群落と真っ白な山ボウシを観ることができたのは、せめてもの救いだった。

次に訪れる機会があれば、山頂を覆い尽くすほどの真っ赤なヤマツツジを是非観たいものである。
この日の万歩計は13,000歩を少し回っていた。


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