虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

2020上野塾新年度総会にあたって

2020-01-16 | 塾長日記
~2020上野塾新年度総会にあたって~

「上野から西国原へ・本校から高富校へ」



いつも大切なお子さんを上野塾に託していただき、心から御礼申し上げます。ありがとうございます。今日は上野塾にとってひとつの節目になる日ですので、書面にて皆さんに読み上げながら私の考えをお伝えしたいと思います。

私は、2004年の9月に前職を退職し、上野塾を立ち上げました。既に年齢は44歳を数えていました。長男は小6、長女は小4、次女は小1で、まだまだこれから手も掛かる中での上野塾開塾でした。この16年をひと言で語るようなことはできませんが、喜怒哀楽満載の16年でありました。やってもやっても結果が出ない時がありました。志望校全員合格が果たせなくて、ご自宅まで伺い、子どもさんと親御さんの前で
「私の力不足です。辛くて悲しい思いをさせてしまって申し訳ありません」と頭を下げたこともしっかり心に刻んでおります。

本校教室前で塾生の交通事故もありました。この時は「もう伊自良で塾ができない」と思いました。辛いことも苦しいこともありましたが、日々の小さな喜びの積み重ねがあって、今日こうして上野塾から833名の子どもたちを送り出して行く塾に成長させていただきました。
地域の皆さんや、ご縁をいただいた親御さんと教え子たちに支えられた16年でした。本当にありがとうございました。

人から「上野塾の向かう道は何ですか」と尋ねられたら、私は自信をもってこう答えます。「上野塾は高校進学を一つの節目として、子どもから青年へと成長する多感な時期に、『負けない心の育成』・『受験学力の向上』・『人への思い遣りと感謝の心』を伝える学習塾です」と。
この方向性は、今後も変わることはありません。

私は何度も口にしていますが今年還暦を迎えます。塾は続けますが、今までのような受験最前線で子どもたちを牽引していく役務は、この3月で終止符を打つことにいたします。私に代わって、新年度からは、西国原克也を「進学道場上野塾」の責任者としてお子さんと親御さんを応援させていただきます。西国原は私と20年以上一緒に塾をやってきました。私の考え方や感性を継承し、そこに西国原の色を加えて新しい塾を構築してくれることを期待しています。西さん、宜しくお願いします。



続いて本校の話をします。本校は私の実家です。実家の母屋は築70年の古民家となりました。教室も古いですが、母屋も古くなりました。このタイミングで古民家と教室のリフォームを行うことにします。母屋の家財道具を一旦本校の教室に3月の授業が終わった後に入れますのでしばらく教室が使えません。通っていただけている塾生さんに迷惑を掛けることはできませんので、山県市高富に「上野塾高富校」を開校することに致しました。4月から本校の塾生さんは「上野塾高富校」で勉強していただくことにいたします。場所が変わることによってご迷惑をお掛けする点は、きちんと対応させていただきます。その話しは教室長の加藤からこのあとお伝えします。どうかご理解をいただけますようお願い致します。



本校は2021年「上野義塾本校」として、英語・数学を指導する寺子屋塾へと変えて行きます。今まで通りの高校進学指導は「高富校」で、英語と数学の補完指導は「義塾本校」が担うことになります。










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