本日6月13日は塾仲間の森裕也さんの命日。
11年前の今日、天に逝ってしまった。
通夜、告別式を終え、家に戻って
この2日間を振り返った時に感じたことを綴った文を見つけた。
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男たるものは・・・ 2010.6.18記
今回の森裕也さんの通夜、告別式を通して多くの男気に触れた。
森裕也さんのお父様の配慮で、地元三重県で通夜と葬儀を執り行うのではなく
裕也さんを1番知る地域(塾のある海部郡大治町)で行なわれた。
永田さんは裕也さんとの最期の別れを現塾生と卒塾生にしてもらおうと
今までの生徒名簿を片手に全ての元塾生に連絡を入れた。
既に住所が変わってしまっている塾生宅もあったが
子供同士の繋がりで連絡をして欲しいと発信した。
通夜が行われる15日は現塾生の中2が宿泊研修ということで
最期の別れが出来ない。通夜も告別式も参列できない。
そこで永田さんは通夜が行われる前日に、
森さんが一時眠る別の斎場へ来るように案内した。
我々は塾で永田さんの帰りを待ったが、なかなか戻れるような状態ではなかった。
次々と森さんにお別れをしたいと言って、中2生に留まらず
卒塾生も保護者様も駆けつけてみえた。
彼はお父様のご配慮に応えることは
皆で森さんを送り出してやることにあると判断し
通夜では昨日の記事ように200名を越える参列者であった。
告別式の日は昼間なので塾生は学校の授業があるが、
学校の先生に頼んで途中授業を抜けて来た子どももいた。
学校の先生に事情を話したら「行ってきなさい」って言っていただけたそうだ。
実に温かい担任の先生だと思った。
その子どもたちを送迎していただいた保護者様にも頭が下がった。
永田さんはその気持ちの優しい子ども達にお礼を言って
森さんの最期を見届けるように話していた。
そして告別式も終わり最期のお別れの時に
永田さんは森さんの横に座り込んで最期の別れをしていた。
眼を真っ赤にして、一時も森さんから眼を離さず話しかけていた。
森さんのお父さんやお母さんにも自分の思いを伝えた。
あの場にいた参列者は永田さんの男気を感じたことだろう。
男の私がその姿を見て『男やのう』って思ったのですから。
永田さんは自分の立ち位置を心得ていた。
参列者の皆さんに気配りする姿があった。
それを見た永田さんのお父さんがひと言私に言われた。
「久(ひさし)は今日、いっぱい泣きおったな・・・」って。
その眼には我が息子の取るべき行動に拍手を贈る眼差しがあった。
永田さん、立派だった。
そして森さんのお父さんにも男気を感じた。
私が森さんのお父さんの立場だったら、もっと取り乱していただろう。
自分の子どもが、ある日突然天に召すことになったらやりきれない。
それは森さんのお父さんとて同じこと。
それをぐっとこらえて気丈に振舞ってみえた。
煮えたぎるであろう感情を心の中にしまい込み
参列者の方々と冷静にお話をされ、命の大切さを話されていた。
「これが男か」って思った・・・。
『まだまだ俺はひよっこだな』って・・・。
人生奥深い、その域に到達するまで
もっともっと器量の大きく、懐が深い男にならねば・・・。
この2日間で大きな勉強をさせていただいた。
私はこの学びを活かせる男でありたい。
心からそう思った。
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あれから11年。
器の大きい、懐の深い男になれたか・・・
まだまだその域には到達できていない自分が居る。
なかなか永田さんや森さんのお父さんのような立ち振舞ができない。
反省ばかりだ。
今日も11年前と同じように日曜学習会を西郷校で行っている。
毎年同じことの繰り返し。
ならば同じようにできるかと言えばそれは違う。
我々が接している子どもたちは毎年変わっていく。
機械ではない生身の子どもたち。
既に試験が終わっているにも関わらずこの学習会に集う塾生もいる。
反面、同一空間で一緒に勉強できない塾生もいる。
こういった子どもは、別室で黒田が根気よく見守り続ける。
ご縁をいただいた子どもたち。
我々の出来得ることはやり切る決意で、
この学習会を運営している。
11年前の今日、天に逝ってしまった。
通夜、告別式を終え、家に戻って
この2日間を振り返った時に感じたことを綴った文を見つけた。
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男たるものは・・・ 2010.6.18記
今回の森裕也さんの通夜、告別式を通して多くの男気に触れた。
森裕也さんのお父様の配慮で、地元三重県で通夜と葬儀を執り行うのではなく
裕也さんを1番知る地域(塾のある海部郡大治町)で行なわれた。
永田さんは裕也さんとの最期の別れを現塾生と卒塾生にしてもらおうと
今までの生徒名簿を片手に全ての元塾生に連絡を入れた。
既に住所が変わってしまっている塾生宅もあったが
子供同士の繋がりで連絡をして欲しいと発信した。
通夜が行われる15日は現塾生の中2が宿泊研修ということで
最期の別れが出来ない。通夜も告別式も参列できない。
そこで永田さんは通夜が行われる前日に、
森さんが一時眠る別の斎場へ来るように案内した。
我々は塾で永田さんの帰りを待ったが、なかなか戻れるような状態ではなかった。
次々と森さんにお別れをしたいと言って、中2生に留まらず
卒塾生も保護者様も駆けつけてみえた。
彼はお父様のご配慮に応えることは
皆で森さんを送り出してやることにあると判断し
通夜では昨日の記事ように200名を越える参列者であった。
告別式の日は昼間なので塾生は学校の授業があるが、
学校の先生に頼んで途中授業を抜けて来た子どももいた。
学校の先生に事情を話したら「行ってきなさい」って言っていただけたそうだ。
実に温かい担任の先生だと思った。
その子どもたちを送迎していただいた保護者様にも頭が下がった。
永田さんはその気持ちの優しい子ども達にお礼を言って
森さんの最期を見届けるように話していた。
そして告別式も終わり最期のお別れの時に
永田さんは森さんの横に座り込んで最期の別れをしていた。
眼を真っ赤にして、一時も森さんから眼を離さず話しかけていた。
森さんのお父さんやお母さんにも自分の思いを伝えた。
あの場にいた参列者は永田さんの男気を感じたことだろう。
男の私がその姿を見て『男やのう』って思ったのですから。
永田さんは自分の立ち位置を心得ていた。
参列者の皆さんに気配りする姿があった。
それを見た永田さんのお父さんがひと言私に言われた。
「久(ひさし)は今日、いっぱい泣きおったな・・・」って。
その眼には我が息子の取るべき行動に拍手を贈る眼差しがあった。
永田さん、立派だった。
そして森さんのお父さんにも男気を感じた。
私が森さんのお父さんの立場だったら、もっと取り乱していただろう。
自分の子どもが、ある日突然天に召すことになったらやりきれない。
それは森さんのお父さんとて同じこと。
それをぐっとこらえて気丈に振舞ってみえた。
煮えたぎるであろう感情を心の中にしまい込み
参列者の方々と冷静にお話をされ、命の大切さを話されていた。
「これが男か」って思った・・・。
『まだまだ俺はひよっこだな』って・・・。
人生奥深い、その域に到達するまで
もっともっと器量の大きく、懐が深い男にならねば・・・。
この2日間で大きな勉強をさせていただいた。
私はこの学びを活かせる男でありたい。
心からそう思った。
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あれから11年。
器の大きい、懐の深い男になれたか・・・
まだまだその域には到達できていない自分が居る。
なかなか永田さんや森さんのお父さんのような立ち振舞ができない。
反省ばかりだ。
今日も11年前と同じように日曜学習会を西郷校で行っている。
毎年同じことの繰り返し。
ならば同じようにできるかと言えばそれは違う。
我々が接している子どもたちは毎年変わっていく。
機械ではない生身の子どもたち。
既に試験が終わっているにも関わらずこの学習会に集う塾生もいる。
反面、同一空間で一緒に勉強できない塾生もいる。
こういった子どもは、別室で黒田が根気よく見守り続ける。
ご縁をいただいた子どもたち。
我々の出来得ることはやり切る決意で、
この学習会を運営している。