虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

美濃国サミット ②

2013-07-13 | 塾長日記
美濃国サミット二日目は美川さんにすべてをお任せした。
西濃の自身の塾舎である「志道館学園」を見てもらいながら、
西濃の名所のひとつである「関ヶ原古戦場」へ我々は向かった。

灯台下暗しの如く、
関ヶ原古戦場に実際に自分の足で立ったのは初めてである。
幼少の頃行ったこともあったかも知れないが、記憶にはない。

西暦1600年の9月15日、午前8時に戦が始まって
その日の昼には勝負が決していたという短時間の戦。
家康側は敵陣営である小早川軍が寝返りを打つとの
事前の内諾をとっての戦。

内諾をとったとは言え、なかなか動こうとしない小早川軍に
家康はいら立ちを隠せなかったそうだ。
苛立った時の家康の癖であった爪を噛むこともあったと。
家康は小早川軍が陣を敷いている方角に
「早く動け」と言わんばかりの号砲を放った。



そんな話を美川さんが手配してくれた
地元ボランティアの方から話を聞くことができた。
梅雨明けした炎天下のもと。
汗だくになって話をお聞きした。


続いてかねごん先生から強い要望があった円空仏。
美川さんが動いた。三顧の礼の如く何度も何度もそのお寺に足を運んだ。
そのおかげで決して飛び込みでは入ることのできない空間に
我々は足を踏み入れることができた。





撮影を許された我々であったが、私はこのような写真しか撮れないが
かねごん先生は一体一体丁寧に写真を撮り、一体一体に深く頭を下げられていた。
ここで撮った円空仏の画像は間違いなく家宝になるとかねごん先生は
自身のブログで綴ってみえる。 → ここ


いよいよ別れの時間が近づいてきた。
我々は永田さんの塾「四畳半スクール」へ向かった。

(つづく)




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