ヤザワがぶつぶつ考えごとしていたブログに、NYの杉山さんからレスいただきました!
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『ブログ、僕に関する部分の追加 コメントをすると、レコードでのピアノの高音・低音の右・左は、おそらく半 々くらいでしょう。一般的には、クラシックは、観客がピアノを見る配置ーー ー即ち、高音が向かって左のスピーカーから聞こえるーーーが殆どで、ポップ は演奏者が鍵盤を見る配置ーーー高音が向かって右のスピーカーから聞こえる ーーーが多目、ジャズはどっちも有りという気がします。
MIDI音源のモノ・ステレオ録音の話しなどとも似たような要素があるものと思 いますが、伝統的に、クラシックは離れたステレオ・ペアのマイク主体での録 音でしたから、ピアノの蓋の構造上、ステイジでのピアノの置き方は決まって きますので、(ピアニスト本人以外には)どうしたって高音は左寄りに聞こ え、ステレオ・マイクもその様な定位で音を拾う訳です。ポップ系の録音な ど、ピアノ内部にマイクを突っ込んでしまえば、位相情報を大幅に含む離れた ステレオ・ペアの作る音像が主体にならないのでーーーパン・ポットに依るレ ヴェル操作での定位ーーーどちらに振っても問題がありません。
最近は、しかし、コンサートでも、PAの音(の方)がしっかりとしていて、 どの席にいても同じように総てが聞こえるように努力する為、目の前に見える 音像イメイジとは異なる音像イメイジを聞かされていることが、非常に多くあ る様に思います。
それと、CDになって問題なくなりましたが、LP時代は、針飛びせずに大き なレヴェルで再生する盤をカッティングする制約上、ベイスはどうしても真ん 中でしたから、あまりに幅広いピアノ音像で、低音部をガーンと弾かれると対 応出来ないとか、更に色々な事があったのだろうと想像します。』
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LPからCDになって、今後はブツとしてのCDの行方が問われる時代、先達のお話と最先端の現場のお話を聞くというのは大事なことです。ありがとうございます!
MP3で音楽がダウンロードして簡単に聴ける時代に、「モノとしての音楽を創る」ことの意味を考えていないCDは、CDとして存在する意味がなくなっていくと思う。今でこそMP3という音のクオリティがAIFF(CDのクオリティ)に比べて劣る、ということと、CDという「モノ」に対してのノスタルジーを感じる世代が音楽を聴いているという世相にCD産業は支えられているわけだけど。
モノとしての付加価値というものを創作出来ないと、CDを創るということはいずれ高齢者マーケティングになってしまうよね。
「付加価値」ということを考えるヤザワも旧世代としてのノスタルジーなのかもしれない。音楽はしょせん音、聴覚に訴えるもの、という科学が進歩したが故に原点に戻るというのも皮肉なことだなと思う。
ただ、ヤザワ自身はモノとしての音楽を創っていくということに、悲観的ではなくて楽観的だったりする。これでも(笑)。もう工夫の余裕もない、もはやこれまで、と思ったらそんな未来の見えないものについて悩んだり考えたりすること自体やめてしまうという性格だから(笑)。
まだ、データとしての音楽、ということ以外にもやってみたいと思うアイデアも実現させたい。
頑張ります!
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『ブログ、僕に関する部分の追加 コメントをすると、レコードでのピアノの高音・低音の右・左は、おそらく半 々くらいでしょう。一般的には、クラシックは、観客がピアノを見る配置ーー ー即ち、高音が向かって左のスピーカーから聞こえるーーーが殆どで、ポップ は演奏者が鍵盤を見る配置ーーー高音が向かって右のスピーカーから聞こえる ーーーが多目、ジャズはどっちも有りという気がします。
MIDI音源のモノ・ステレオ録音の話しなどとも似たような要素があるものと思 いますが、伝統的に、クラシックは離れたステレオ・ペアのマイク主体での録 音でしたから、ピアノの蓋の構造上、ステイジでのピアノの置き方は決まって きますので、(ピアニスト本人以外には)どうしたって高音は左寄りに聞こ え、ステレオ・マイクもその様な定位で音を拾う訳です。ポップ系の録音な ど、ピアノ内部にマイクを突っ込んでしまえば、位相情報を大幅に含む離れた ステレオ・ペアの作る音像が主体にならないのでーーーパン・ポットに依るレ ヴェル操作での定位ーーーどちらに振っても問題がありません。
最近は、しかし、コンサートでも、PAの音(の方)がしっかりとしていて、 どの席にいても同じように総てが聞こえるように努力する為、目の前に見える 音像イメイジとは異なる音像イメイジを聞かされていることが、非常に多くあ る様に思います。
それと、CDになって問題なくなりましたが、LP時代は、針飛びせずに大き なレヴェルで再生する盤をカッティングする制約上、ベイスはどうしても真ん 中でしたから、あまりに幅広いピアノ音像で、低音部をガーンと弾かれると対 応出来ないとか、更に色々な事があったのだろうと想像します。』
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LPからCDになって、今後はブツとしてのCDの行方が問われる時代、先達のお話と最先端の現場のお話を聞くというのは大事なことです。ありがとうございます!
MP3で音楽がダウンロードして簡単に聴ける時代に、「モノとしての音楽を創る」ことの意味を考えていないCDは、CDとして存在する意味がなくなっていくと思う。今でこそMP3という音のクオリティがAIFF(CDのクオリティ)に比べて劣る、ということと、CDという「モノ」に対してのノスタルジーを感じる世代が音楽を聴いているという世相にCD産業は支えられているわけだけど。
モノとしての付加価値というものを創作出来ないと、CDを創るということはいずれ高齢者マーケティングになってしまうよね。
「付加価値」ということを考えるヤザワも旧世代としてのノスタルジーなのかもしれない。音楽はしょせん音、聴覚に訴えるもの、という科学が進歩したが故に原点に戻るというのも皮肉なことだなと思う。
ただ、ヤザワ自身はモノとしての音楽を創っていくということに、悲観的ではなくて楽観的だったりする。これでも(笑)。もう工夫の余裕もない、もはやこれまで、と思ったらそんな未来の見えないものについて悩んだり考えたりすること自体やめてしまうという性格だから(笑)。
まだ、データとしての音楽、ということ以外にもやってみたいと思うアイデアも実現させたい。
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これって本当にそうなんですけど、若い子向けには「mp3」用の録音技術が今後は発達するんでしょうか?
そうするとCDなんて本当に中途半端な存在になっちゃうなあ・・。
mp3では音楽として成り立たないものがクラシックでは多いと思います。ポップスなら「この周波数なカットしても大丈夫。どうせmp3じゃ分からないから」というスタンスから曲作りをするということもあるでしょうけど。mp3を基準に技術改革することはまずないでしょう。逆に廃れるんじゃないかな?MDみたく。
動画配信までまだ時間がかかる、と言われているので、それよりは軽いAIFFクオリティなら先に配信するだろう・・
という危機感で、自戒を込めて「CDは誰でも創れる時代だ」と思わないようにしてるという自虐的な前向きさなんです(笑)
レコードはまともに聴いたことが無いから分からないんですよ。
「かける機材でまったく違うだろ」ってぐらいな結論になりそうですが、「ノスタルジー」以上の違いってのはあるんでしょうか?
*レコードからCDに移行した時は、業界も音楽家も愛好家もみんながそれを望んだからですよね。進化論じゃないですが、いい方向に向かいたいという気持ちはあると思うんです。
ただ、多数決で進路と進化が決まるので、少数派の意見や感覚というのは消えていきがちですよね。
これはどんなプロダクトについても言えるんじゃないでしょうか。
私は20世紀初頭くらい(100年前くらい)前のヨーロッパの寝間着をコレクションしてるんですが、レースの技術が今はもう受け継ぐ職人がいないというものなんですね。その代わり、かなり細かいレースのデザインを機械が計算して生み出すという。
単純にレースでも「違う」わけです。古いものが嫌いな人には興味のないことだし。メインストリーム用の大量消費製品でないものを求める人は「ノスタルジー」という理由以外のフェティッシュ的な
こだわりがあると思う。
私は別に100年以上生きてるわけじゃないけど(笑)、なんか惹かれる、というのはクラシックがバックグラウンドなので、昔のものを見たり聞いたり調べたりすることが仕事の一部だからでしょう。
別に進化を否定するわけでもないし、むしろ推進してるつもりなんだけど(笑)。