あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

節分なのに

2008-02-03 22:47:55 | くらし

 昨夜から降り始めた雪は朝になっても降っていました。 重たそうな雪がぼとぼとと。 これで3回目の雪です。 今日は節分、冬と春の境目の日ですのに。


 柿の木に積もった雪は、いつ見てもきれいです。



 あおむしのすんでいるブロッコリーも、白菜も雪帽子をかぶっています。 あおむしは雪のないところに避難しているのでしょうか。 地面がどろどろで近づくことができません。



 今日も会えました。 カワセミ君。 雪の中をそうっと近づくのですが、これ以上大きく撮ることができません。 これを撮影していたら、もう1羽そばから飛び立ったのがいます。 もしかして2羽? そうだったらとってもうれしいです。 



 夕方スーパーに行ったら、入り口近くのお総菜売り場には、巻きずしが山盛りでした。 そして飛ぶように売れていました。 わたしは買いません。 恵方巻なんて寿司、いつから言い出したのかしら。 ごく最近のような気がします。 抜け目のないどこかの仕掛け人に乗せられて、これが日本の習慣です、なんて全国同じ事をするなんてーと、一人抵抗しています。 


 子どもの頃、節分にはひいらぎとたあらぎ(たらの木)といわしを出入り口にかざっていました。 そのたらの木も、つい数年前まではスーパーの入り口に「ご自由にお取り下さい」なんて置いてくれてたのに、今ではこんな風に割り箸にセットして売っています。 となりのひいらぎは我が家のひめひいらぎ。 ふつうのひいらぎより小ぶりで葉が密なので気に入っています。



 節分で思い出すことがひとつ。
 わたしが高校生の時、創立何十周年記念だとかで、記念に手帳のようなものをもらったのですが、その手帳の欄外には、どのページにも、先生方の200字ほどのコメントと、生徒のコメントの代表的なものが記されていました。 部活動の顧問だったA先生の文章は「節分の日、鬼の子どもが雪の中で泣いていた・・・・・」というような書き出しで始まっていました。そして最後は
 「鬼は怖くない。鬼をつくる人間の心こそが恐ろしい。」
で、終わっていました。


 わたしは、この一文を今でも覚えています。 A先生がすぐれた教育者であったことを、のちに新聞で知りました。 教師になってから、「おにたのぼうし」というお話を知り、ああ、このことだったのかなと思いました。 それで、教師として、子どもの鬼だけはつくらない、そう思ってやってきたつもりです。   


 年に一度、節分になると思い出す言葉です。 まあ、毎日それができたらわたしも聖人君子です。 でも、まだまだ修行が足りないもので、ときどき心の中でおとなの鬼をつくっては、うっぷんを晴らしていますがね。


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2 コメント

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Unknown (ねね)
2008-02-04 00:29:32
すばらしい先生ですね。私も良い恩師に恵まれました。
言葉のひとつひとつは憶えていませんが、先生の全てが、高い理想を持って生きなさいということを教えて下さっていたのだなぁと思います。
その後とても偉い教育者になられて、偶然にも現在父と同じリハビリテーションセンターに通ってらっしゃるのですよ!!
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Unknown (あた子)
2008-02-04 21:33:26
よい出合い、とりわけ感受性の強い青少年時代の出合いは大きな影響力をもちますね。
 身近に尊敬できる方がいらっしゃるなんて偶然とはいえ、すばらしいですね。
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