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とつぜん対談 第82回 イカとタコの対談

 きょうは海の勇者お二方にきていただきました。どちらのお方もわれわれ日本人にはたいへんなじみ深い方です。このお二方に世界で最も多くなじんでいるのは日本人でしょう。タコさんとイカさんです。

タコ
 なんでワシが、こんな三角野郎と同席せにゃならんのや。

イカ
 それはオレがいうことでい。こんな丸頭、見たら目がけがれる。

タコ
 こらあっちへ行け。臭い息をこっちに吐くな、臭いわ。

イカ
 なにを。このタコ野郎が。

タコ
 けったいな言葉でしゃべるな。ドアホ。

イカ
 おう、オレにケンカ売ってるんか。

タコ
 やるんか。この。耳の穴から手つっこんで奥歯ガタガタゆわしたろか。

イカ
 上等じゃねえか。オレの耳の穴はどこかわからねえが。やってもらおうじゃねえか。

タコ
 このう。くらえ。

イカ
 なにお。

雫石
 うわっ。やめてください。イカとタコが取っ組み合いしたら、くねくねした足が18本。からみあって、ほどけないじゃないですか。

イカ
 ぷー。

タコ
 ぷすん。

雫石
 ああ。スミ吐いた。2匹分のスミで、そのへん真っ黒。なんにも見えへん。とりあえずここは、私の顔を立ててケンカをおさめてください。

タコ
 しゃあないな。手ひこやないけ。こらお前、手ひけ。

イカ
 お前のほうが2本少ないんだろう。お前、先にひけ。

雫石
 こんなにからんでたら手ひくの難しいでしょう。スミも薄くなってきたし、私がほどいてあげます。
 う~む。こうなって、こうなって、ここをこうして、このこれをここに通して、こっちから抜いたら。ふう、やっとほどけた。

タコ
 で、あんた、なんの用や。

イカ
 そうだ。オレっちを海の中からひっぱり出して何が聞きてえんだ。

雫石
 実は、お二方とも私、大好物でして、おいしいお話など聞きたいと思いまして。

タコ
 だったらワシだけ呼んだらええ。あんたたこ焼き好きやろ。あれはワシなればこそ、うまいんやで。

イカ
 けっ。たこ焼きなんざあぜいろく者のろくでもねえ食い物じゃねえか。イカめしを食ってみろってんだ。

タコ
 イカめしぃい。もっちゃりしとうな。タコは夏なんかきゅうりと酢のもんにしたらさわやかやで。それにたこ焼きはメジャーやけど、イカ焼きなどやねん。

イカ
 あんた阪神ファンか。

タコ
 あたりまえや。

イカ
 だったら阪神百貨店地下のイカ焼きを知ってるだろう。

タコ
 しっとるで。けど阪神百貨店は建て替えで地下のスナックパークは閉鎖されたんやろ。

イカ
 イカ焼きは場所を移動してやってる。

タコ
 ほう。けどイカのうまいもんといえば。阪神のイカ焼きぐらいしか思いつかん。

イカ
 それはお前がバカだからだ。

タコ
 ワシがバカ?おまはん無脊椎動物の中で一番頭ええのんはワシちゅうことを知らんのか。

イカ
 いくら頭が良いといっても、オレたちゃしょせん無脊椎動物。そんなことより、身体のでかさだよ。オレなんかダイオウイカは10メートルを超えて、海の怪物クラーケンのモデルだぞ。それにダイオウイカの目玉は30センチにもなってあらゆる動物の中で最大の目玉だぞ。

タコ
 けっ。なにが海の怪物クラーケンや。確かにダイオウイカは昔は海の怪物やったかもしれん。けど、今は日本の沿岸でなんぼでも捕れるやないの。ダイオウイカなんぞ珍しくもなんともあらへん。怪物というんやったらワシらは西欧では「悪魔の魚」「デビルフィッシュ」といわれてたんやで。

イカ
 へえ。そんなにエライのだったら。お前もマッコウクジラとケンカしてみろってんだ。

タコ
 でかけりゃええてもんやないで。ワシのヒョウモンダコはな、ちっちゃくてかわいくてきれいなタコやけど噛まれたら死ぬで。

イカ
 毒?毒のあるのがエライのならコウイカに毒のあるイカもおる。

タコ
 毒の話はこのへんにしよやないけ。やっぱ食ってうまいのはワシや。せえの。くるりんっぱ。

イカ
 なにを。イカのうまさ、思い知れ。あっちょんぷりげ。

雫石
 うわ、うまそうな。タコとイカの刺身や。いただきま~す。


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一番電車で出勤

 今日は仕事の都合で早朝出勤する。1番電車に乗るため5時に家を出る。自転車で最寄り駅まで行き来してるのだが、この季節ともなると、帰りはランプを点す必要があったが、行きはまだ明るく、ランプは点灯しなくてもOKだった。しかし、さすがに早朝5時ともなると、暗く、ランプが必要。
 毎日、同じ電車に乗っていると、乗り合わせる乗客たちは、ほぼ同じメンバー。その中に中国人の集団が。しかし中国人って、なんであんなに朝から元気なんだろう。元気いっぱいに大声でおしゃべり。車内がかしましい。きょうは、その中国人の集団がいなかった。しずかな電車内であった。あ、誤解しないで。別に中国人を非難してるわけではない。おしゃべりの声がでかいだけで、彼らもマナーを守って乗車してるのだから。
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シネマの極道 映画プロデューサー一代


 日下部五朗        新潮社

 いやあ、めっぽう面白い本である。著者は東映の映画プロデューサー。主に東映京都撮影所で映画をつくり続けてきた人である。
 この本を読んでよくわかったのだが、映画産業は自転車操業なのだ。常にヒット作をつくり続けなくては会社は倒れる。著者はそんな仕事をずっと続けてきた人だ。
 東映というとチャンバラ映画であった。このチャンバラ映画時代劇が時代遅れになってきた。そこで始めたのが任侠映画。「日本侠客伝」「緋牡丹博徒」といった映画。これらはいわばちょんマゲをとった時代劇といえる。
 そして任侠映画も飽きられてくる。主力役者であった高倉健の東映退社、藤純子の引退。次なるヒット作が必要。
 1973年。「仁義なき戦い」公開。それまでの様式美の任侠映画とはまったく違う、極めてリアルなヤクザの生態を生々しく描く。大ヒットした。その後「県警対組織暴力」などの実録モノと映画がつくられた。
 その実録路線も終る。で、時代劇復活。御大萬屋錦之介が久しぶりに東映に戻ってつくられたのが「柳生一族の陰謀」これも大ヒット。その後「極道の妻たち」シリーズで東映の屋台骨を支える。
 これらの映画をプロデューサーとしてつくってきたのが著者の日下部五朗なのだ。役者は高倉健、菅原文太、松方弘樹、千葉真一、渡瀬恒彦、藤純子、岩下志麻。監督は深作欣二、五社英雄、山下耕作、中島貞夫。脚本家は笠原和夫、高田宏治。そのスジの人とも交流がある大プロデューサーで藤純子のお父さん俊藤浩慈。そしてワンマン社長岡田茂。これらのクセ者つわもの才人鬼才を使いこなしてヒット作をつくり続けてきたわけだ。
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一億総活躍社会?なんかしんどい話やね

昔、谷しげるという吉本新喜劇の芸人さんがいた。無意味に「あ、いそがし、あ、いそがし」と舞台を走り回って、去って行くというギャグをやってはった。どうも、安倍さん、日本人全員を、この谷しげる状態にしたいのだろうか。
「一億総活躍社会」なることをいいだして、担当の大臣まで任命してしまった。なんだか、聞くだけで疲れてくるような話だ。日本人全員が活躍する必要があるのだろうか。安倍さんは、そんなに日本人を働かせたいのか。確かに世界には、失業率が高く、活躍したくても活躍できない国民が多くいる国もあるだろう。また、この日本も非正規雇用の労働者が増え、後顧の憂いなく活躍できない人も多い。そういう方面の対策を講じる必要があるとの文脈からでた発想であろうか。そうであれば、不安定な非正規雇用労働者の不安をなくす方策を打ち出してもらいたい。安倍さんの考え政策を見るに、どうもそうではないように思えるから困る。
 安倍さんにとって最も重要なことは経済だろう。GDPの数字を上げ、右肩上がりの経済続けて行きたいのだろう。しかし、ここでもいったように、何事にも限界がある。日本の経済もいずれ限界が来る。その限界もそろそろ見えてくるころではないだろうか。だから、経済を駆動し続けるのではなく、別の形の国民の生活の安定を考える必要があるのではないか。
 もう充分働いた。のんびりしたいと思っている人も多いだろう。安倍さんは、そんな人にまで「活躍」せえといっているのだろうか。しんに目指すべきは「半分活躍半分のんびり社会」の実現ではないのか。活躍したい人は思う存分活躍、のんびりしたい人は、なんの心配もなくのんびりできる。そういう社会の実現をめざしてもらいたい。
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ソロモンの偽証 後篇 裁判


監督 成島出
出演 藤野涼子、板垣瑞生、石井杏奈、永作博美、松重豊、小日向文世、

 というわけで、後篇も観たぞ。前篇は宮部みゆき作品映像化としては、よくできていた。合格。で、この後篇だが、う~む。微妙なところだ。後篇の見せ所である裁判シーンは、なかなか緊迫感があって良かった。しかし、前篇にもいえたことだが、あの長大な小説を映画化するにしては未整理である。例えば、担任の先生が隣の女に暴行を受けたエピソードは、そっくり割愛してもいいのではないか。
 生徒たちの裁判によって、事の真相が判って来るわけだが、容疑者大出俊次が有罪か無罪かは最初から判っていることで興味を引かない。それよりも被害者柏木卓也の人物像が、この後篇のキモではないか。柏木を被害者と書いたが、柏木ははたして「被害者」であったのか。確かに柏木は死んだ。死人に口なし。死人の悪口はいいにくい。では、柏木は善良な人物であったのか。はたまた邪悪な人物であったのか。そこのところはネタバレになるのでいえない。ただ、この柏木のただ一人の友人、神原和彦が、この物語をしめる役割をになう。前編は藤野涼子が主人公であったが、後編はこの神原和彦が主人公といっていいだろう。主人公=物語のテーマを具現化するキャラクターと定義すれば、この事件の真の被害者と加害者がだれなのかよく判る。
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秋の練習試合2戦目、勝ってしもうた。

 きょうは1回で勝負あった。ゴメス、マートンの連続ホームランで3点先制。4回で菅野KO。こっちはメッセンジャー。いつもは好投すれど味方の援護なしのメッセンジャーやけど、きょうは早々に両外国人の願ってもない援護。あとは7回まで投げて2失点。あと、昨日はヘボした高宮安藤がきょうはきっちりお仕事。最後は、たぶん来年の守護神福原がしめる。
 さあて、きょうは勝ってもた。これでまた明日も秋の練習試合か。やれやれ。
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きのこの中華スープ


 秋です。秋も深まってまいりますと温かいスープがごちそうですね。夕食は中華です。ですからスープも中華のスープをつくりました。
 秋ですので、きのこのスープです。えのき、ふくろたけ、干ししいたけを用意しました。きのこだけではさみしいので、鶏ささみと春雨も入れました。
 干ししいたけは水につけて戻しておきます。戻し汁は取っておきましょう。ふくろたけは水煮の缶詰をつかいました。鶏ささみは酒をふって電子レンジで軽く加熱。この時の酒はできたら紹興酒を使うと中華っぽくなっていいですね。春雨は2分ほど熱湯につけて戻します。長いままだと食べにくいので短く切ります。
 干ししいたけの戻し汁に、ガラスープの素、味覇などを入れてスープを作ります。時間とお金のある人は鶏ガラや金華ハムなんかを使ったりして本格的な中華スープを仕立ててもいいですね。
 さて、仕上げにかかりましょうか。えのきとふくろたけは半分に、椎茸は細く切ってスープに入れます。鶏ささみは細かくほぐす。春雨はそのまま。酒、しょうが汁、塩で味をつけて、水溶き片栗粉でとろみをつけましょう。卵をといで流し入れ、仕上げに長ネギのみじん切りと香菜をちらします。
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なんやこれ、秋の練習試合かいな

 きょうは午前中会社。帰ってたこ焼きして、昼寝して、起きたら午後の2時。なにげにテレビつけたら阪神タイガースが野球やっとう。なんや、阪神は借金かかえてシーズン終わったんちゃうんかいな。相手はどこや、え、巨人。なんやねんこれ。練習試合かいな。秋のこんな時期になんで練習試合なんぞすんねん。ほかにすることもないし、とりあえず見てたらサヨナラ負けしてやがんの。で、明日も練習試合すんねんて。ま、あまり真剣にせんでもええやん。ケガせんように適当にお茶を濁しったらええんちゃうか。 
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秋鮭のちゃんちゃん焼き


 モノを一番うまく食うためにはどうするか。いろいろ方法はある。旬のものを食うのもそのひとつだ。食い物には旬がある。旬のモノはうまい。旬を外れたモノはおいしくない。
 落語に「千両みかん」という演目がある。真夏のことである。大家の若だんさんが病気になった。みかん食べたい病という病気。真夏にみかん。大だんさんが番頭にみかん探しを命じる。大阪中探してやっとみかん1個を千両で手に入れる。1個で千両。10袋はいっている。1袋百両。番頭みかん3袋持ってどろんしよった。
 という噺。みかんの旬は冬。夏は旬ではない。旬とはそれほどありがたいモノなのだ。夏に千両のみかんでも旬の冬には10個で300円ぐらいかな。で、今が旬の魚。それは秋刀魚と秋鮭ではないか。夏に千両かけて秋鮭を食わなくても、秋の今のうちに秋鮭を食おう。
 さて、どうして秋鮭を食うか。シンプルで豪快な食い方がいいな。うん。ちゃんちゃん焼きがいい。ホットプレートに大きな秋鮭の切り身を置く。加熱。皮目を焼いて焦げ目をつける。裏返す。野菜を鮭のまわりに置く。野菜はなんでもいい。じゃがいも、玉ねぎ、椎茸、えのき、にんじん、キャベツ、もやしを置いた。焼きながらタレをかける。タレはみそ、酒、砂糖、しょうがの搾り汁で作る。タレをかけて最後にバターを乗っける。バターが溶けたら食べる。旬の秋鮭はうまいのだ。千両の値打ちなのだ。
 
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偶然

 商談は午後五時に終わった。注文書を受け取った。リーチタイプのフォークリフト三台。これで今月のノルマはクリアできた。
 駅前の焼き鳥屋でビールと焼き鳥の夕食をすませる。さて出張は終わった。今夜は一泊できる。ホテルへ帰ろう。明日は有給休暇を取ってある。少しこの街を観光して、ゆっくり帰ればいい。それよりも今夜はどうすごそう。夜遊びするほどの元気はない。私はテレビはあまり観ない。軽く読める国産ミステリーの文庫本を三冊持ってきたが、読んでしまった。
 古書店を見つけた。店頭にワゴンが置いてある。百円均一で文庫本が売っている。国産の冒険小説を三冊買った。
 そのうちの一冊をホテルに戻って読み始める。半分ほど読んだところで、ページの下に数字がメモしてあった。どうも携帯電話の番号らしい。この本の前の持ち主が書いたのだろうか。さして気にすることもなく、そのまま読んだ。あと少しで読み終わる。
 主人公が追っていた敵の黒幕の正体が判った。あとはそいつの屋敷に乗り込んで、復讐を遂げるだけ。
 読み終えた。次の本に取りかかろう。その時、ふとメモしてある番号が気になった。この本の前の持ち主がメモしたのだろう。
 この小説の内容から考えるに、前の持ち主は男性と考えられる。アクションがふんだんにあり、少しエロチックなシーンもある。この作家の読者は圧倒的に男性が多いだろう。
 で、この電話番号は。家族ではないだろう。家族の番号なら携帯電話に記憶させているだろう。取引先?女?女だろうか。恋人の番号?携帯電話に記憶させられない女の番号か。前の読者は不倫しているのか。
 いろいろ想像していると、どうしても好奇心をおさえることができなくなった。ホテルの固定電話で、その番号にかけた。
「はい。仁科です」
「すみません。間違いです」
 出たのは男だった。すぐ切った。そしてびっくりした。「仁科」それは、その電話番号がメモしてある本の主人公の名前なのだ。
 偶然と考えるのが一番自然だ。仁科、決して珍しい名前ではない。普通の名前といえる。しかし、佐藤、鈴木、田中といった多くある名前ではない。そんな名前なら偶然で納得するだろう。しかし、仁科では偶然で片づけるには釈然としない。
 とつぜん携帯電話が鳴った。発信者は不明だ。今は夜の九時だ。仕事関係ではないだろう。家族でもない。電話に出た。
「中本だ。仁科か」相手がいきなり怒鳴ってきた。
「違う。間違い電話だろ」そういって電話を切った。一気に汗が噴き出した。中本とは仁科が追っている敵の黒幕の名前だ。
 中本という名前も珍しい名前ではない。偶然か。仁科に中本、偶然が二つも重なったのか。
 電話の横に読み終えた文庫本が置いてある。私は本を読むときは、著者の名前はあまり気にしない。著者がだれであろうと、その本が面白ければいいのだ。
 本の表紙にある著者の名前が目についた。「西垣久行」西垣!私と同じ苗字だ。西垣。これも珍しい名前ではない。しかし、仁科、中本、西垣、偶然が三つ重なるだろうか。
 携帯電話がまた鳴った。こんども発信者不明。
「西垣さんですか」
「はい」
「私、雫石と申します」
「雫石」偶然が四つだ。ところで私は、なぜ雫石なんて名前を知ってるんだ。
 
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新しいデジカメを買った

 このブログの写真を撮るのに、ずっと愛用していたデジカメが壊れた。電源スイッチを入れても起動しない。このブログを開設してからずっと使っていたカメラだから、もう8年使ってきたことになる。さすがに寿命だろうと思い、三宮の星電社にデジカメを買いに行った。いろいろあるが使い慣れたモノがいいだろう。いままで愛用してたのはCanonのIXY10というカメラだ。それの後継機ということでIXY170というカメラを買った。基本的な操作方法は同じ。ただ、便利というか、余計なお世話的な機能がある。
 で、試しにIXY10のバッテリーを充電してスイッチを入れたら起動した。バッテリーが減っているとの表示はなかったのだが。それについこの前充電したばかりなのだ。バッテリーだけ買い換えたら良かったのかな。でも、ま、8年も使ったのだから元はとったといえる。IXY170とIXY10の新旧デジカメを使い分けるとしよう。料理写真は、おいしそうに写るための設定がしてあるから、しばらくはIXY10を使って、駅の写真なんかはIXY170を使おう。
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とつぜんコラム №170 そろそろ人類の終活を考えよう

 人類という生き物は、よほどケンカが好きな生き物と見える。文明勃興以前から、ずっと戦争をやってきた。文明を興してからも、人類は途切れず戦争をやっている。20世紀21世紀になっても、世界のどこかで戦争をしている。こうしているただいま現在も、世界のどこかで殺し合いをしているわけ。
 人類は平和だから戦争しているのではないだろうか。戦争する余裕があるから戦争してるのだ。余裕がなければ戦争なんかしない。
 太陽の様子がちょっと変っただけで、地球は燃える。ちょっと大きな小惑星が衝突すれば人類も含めて地球上の全生命は大きなダメージを受ける。こういう全地球的な危機が訪れば、戦争なんかしている余裕はないだろう。
世界中の戦争をただちに終わらせる一番良い方法は、どこか他の星から、ものすごく凶悪でものすごく強い異星人が地球に攻めてくることである。そうすると、くだらん戦争なんか、ただちに止めて、あっという間に人類は一つになり、その凶暴異星人に立ち向かうだろう。そうしないと人類は皆殺しになるか奴隷になる、こうなると必死になって力を合わせて危機に対処するだろう。
ようするに、人類は、今のところさしたる危機もなく、これからもずっと存続できるとの甘えがあるから、愚行を繰り返すのだ。余命が決まっていれば、バカなことをやっているヒマはないはずだ。
なにごとにも終わりがある。永遠に存続するものはない。この宇宙だって始まりがあり、終わりがある。人類も同じ。いつまでも人類が地球の盟主ということはない。人類もいずれ滅ぶ。というわけで人類もそろそろ終活ということを考えたほうがいいのではないだろうか。この星に人類が出現して500万年ほど。あまたの生命の中で突出した存在であることは間違いない。「知恵」を身につけ、それを武器に他の生き物を屈服させ征服し服従させ、あまつさえ絶滅にまで追いやられた生き物もいる。そうして人類は地球の隣人たちを足下にひれ伏せてきて、文明を築いてきたわけだ。
人口も増え続ける一方で現代70億人もの人類が、この地球上にはびこっている。これはもう地球一個で養うには限界を超えているのではないだろうか。
経済活動ひとつ見ても、市場は有限である。かっては帝国主義が成り立った。他国を侵略し強引に自国の領土にして販路を広げた。その帝国主義も過去のものとはなったが、製品の販路を開拓することは、資本主義経済において必要。多くの人口を擁する開発途上国が今は存在し、新たな市場開拓の余地はまだある。しかし、それも無限ではない。いずれ開拓の余地はなくなる。
文化芸術の分野も無限ではない。人類が長い間時間をかけて、営々と創作物を創作してきた。人間の知恵英知創造力とて無限にあるわけではない。いずれ全てのパターンが出つくすだろう。そうなると、あとは旧知のモノの組み合わせでしか創造物はできなくなる。その組み合わせも無限ではない。
永遠、無限というのは言葉だけのモノで現実には、そんなモノはない。そういうことを考えた上で、人類は、自ら創り上げたこの文明をいかに終わらせるか。立つ鳥跡を濁さず。人類の後継者にこの地球をどういう形で残すか。そのことを真剣に考えた方がいいだろう。そのことが、今の人類にとっても良い環境をつくるのではないか。また、いつか来る「人類の終わりに日」を 少しでも先に延ばすことになる。こう考えるとバカな戦争なんかしてるヒマはないはずだ。   
  
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SKAT.14


 と、いうわけでSKAT.14を読む。この本、たぶん広告関係者か宣伝会議賞応募者以外の人が読んでも、面白くもなんともないだろう。昨年実施された、第52回宣伝会議賞応募作のうち、1次予選通過作以上の作品が掲載されている。広告のキャッチフレーズとテレビCMとラジオCMのコンテが、ただただ並んでいるだけ、それ以外は審査員の講評だけ。こんな本無関係の人が読んでもおもしろくないだろう。小生は面白かった。この賞には毎年応募している。もちろん昨年の第52回も応募した。少し前まで何点か一次予選を通過している作品もあったが今回は全滅。小生はコピーライター養成講座ではけっこう優秀な受講生だったのである。あのころの小生なら全滅ということはないと思うが。トシは取りたくないものである。ケホケホ。
 今年の53回も応募している。締め切りは11月4日。毎日、少しづつ考えている。去年よりも思いつかなくなった。でも、何点か応募済である。来年も応募するぞ。
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ラン・オールナイト


監督 ジャウム・コレット=セラ
出演 リーアム・ニーソン、エド・ハリス

 かっては凄腕のプロだったが、それは昔の若いころ、年取っておちぶれ落魄の身の上。必要に迫られ、昔とったきねづか、老骨にむちうって仕事をする。小生の大好きな冒険小説のパターンである。
 この映画はまさしくそのパターン。ジミーはかっては「墓掘りジミー」とよばれたマフィアの殺し屋。さんざん人殺しをしてきた。若いころの悪行を後悔。酒びたり、金にも困っている。息子はいるがヤクザ者の父親を嫌って疎遠にしている。嫁も孫もジミーには会わせてないようだ。
 そんな息子マイクが殺人を目撃。マイクはマフィアのダニーに命をねらわれる。ジミーは息子マイクを救うためダニーを射殺。
 マフィアのボス、ショーンはジミーの長年の大親友。ダニーはその息子である。息子を殺されたショーンはたとえ大親友であってもジミーを許さない。配下の手下、息のかかった警官まで動員してジミーを追う。ジミーは自分と息子を守るため、リボルバー片手に夜のニューヨークを走る。
 マイクにとって、ジミーは不肖のオヤジ。ショーンにとってダニーは不肖の息子。不肖の息子を殺されたオヤジが不肖のオヤジを追う。不肖のオヤジでも息子はかわいい。不肖の息子でもオヤジにとってはかわいい。そしてオヤジどうしは親友。息子を必死に守って戦う不肖のオヤジを主人公に、二組の父と子。年老いたヤクザ者の男二人。男はなぜ戦う。過去の悪行の後悔にどっぷりとつかりつつも、それを断ち切り、再びリボルバーを手にする。男の、男の人の親、父の物語である。そして人殺しの復権(?)ドラマである。
 ジミーは老境になって、もう二度と銃を手にするまいと誓っていたことであろう。ところが最愛の、例え自分を嫌っている息子であっても、息子を守るために銃を手にする。
 この映画、底のほうで「昭和残侠伝」と水脈がつながっているのではないか。世話になった親分さんが殺された、抜き差しならむ渡世の義理で、二度と手にするまいと誓った長ドスを片手に、健さん扮する花田秀次郎は池部良の風間重吉と男の相合い傘で、殴りこみに行く。
 秀次郎と重吉は、他人同士ではあるが、親兄弟よりも強く結ばれた男と男。この映画では他人ではない。疎遠ではあるが実の父と子なのだ。血のつながりはやはり濃いのだ。
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豚肉のスイスステーキ


 豚肉のスイスステーキです。肉は仔牛を使いたかったのですが、今回は豚の肩ロースを使いました。
 まず、肉に塩こしょうして、小麦粉を軽くまぶします。玉ねぎを切ります。玉ねぎの繊維を断つように薄く切ります。肉を焼きます。焦げ目が付くだけでいいです。あとで煮込みますから、中まで火を通さなくていいです。
 鍋にスープをはります。1カップほどでいいでしょう。ここに玉ねぎを半量入れてその上に肉を乗っけます。残りの玉ねぎで肉をおおいます。調味料を入れましょう。ウィスキー、ウスターソース、トマトケチャップを加えました。それからハーブも使いました。ベイリーフとセージを使いました。
 あとは、これを弱火でじっくりと煮ていきます。私は40分煮ました。もちろん1時間煮てもいいでしょう。30分じゃちょっと少ないのではないですか。あ、フタはしないでくださいね。
 玉ねぎがとろとろになりましたね。できあがりです。お皿に肉を盛って、とろとろ玉ねぎのソースをかけましょう。クレソンを添えてでき上がりです。おいしいですよ。
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