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ラン・オールナイト


監督 ジャウム・コレット=セラ
出演 リーアム・ニーソン、エド・ハリス

 かっては凄腕のプロだったが、それは昔の若いころ、年取っておちぶれ落魄の身の上。必要に迫られ、昔とったきねづか、老骨にむちうって仕事をする。小生の大好きな冒険小説のパターンである。
 この映画はまさしくそのパターン。ジミーはかっては「墓掘りジミー」とよばれたマフィアの殺し屋。さんざん人殺しをしてきた。若いころの悪行を後悔。酒びたり、金にも困っている。息子はいるがヤクザ者の父親を嫌って疎遠にしている。嫁も孫もジミーには会わせてないようだ。
 そんな息子マイクが殺人を目撃。マイクはマフィアのダニーに命をねらわれる。ジミーは息子マイクを救うためダニーを射殺。
 マフィアのボス、ショーンはジミーの長年の大親友。ダニーはその息子である。息子を殺されたショーンはたとえ大親友であってもジミーを許さない。配下の手下、息のかかった警官まで動員してジミーを追う。ジミーは自分と息子を守るため、リボルバー片手に夜のニューヨークを走る。
 マイクにとって、ジミーは不肖のオヤジ。ショーンにとってダニーは不肖の息子。不肖の息子を殺されたオヤジが不肖のオヤジを追う。不肖のオヤジでも息子はかわいい。不肖の息子でもオヤジにとってはかわいい。そしてオヤジどうしは親友。息子を必死に守って戦う不肖のオヤジを主人公に、二組の父と子。年老いたヤクザ者の男二人。男はなぜ戦う。過去の悪行の後悔にどっぷりとつかりつつも、それを断ち切り、再びリボルバーを手にする。男の、男の人の親、父の物語である。そして人殺しの復権(?)ドラマである。
 ジミーは老境になって、もう二度と銃を手にするまいと誓っていたことであろう。ところが最愛の、例え自分を嫌っている息子であっても、息子を守るために銃を手にする。
 この映画、底のほうで「昭和残侠伝」と水脈がつながっているのではないか。世話になった親分さんが殺された、抜き差しならむ渡世の義理で、二度と手にするまいと誓った長ドスを片手に、健さん扮する花田秀次郎は池部良の風間重吉と男の相合い傘で、殴りこみに行く。
 秀次郎と重吉は、他人同士ではあるが、親兄弟よりも強く結ばれた男と男。この映画では他人ではない。疎遠ではあるが実の父と子なのだ。血のつながりはやはり濃いのだ。
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