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スパゲッティ・ペペロンチーノ


 ペペロンチーノ。イタリアでの正式名称は、アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ。にんにく、赤とうがらし、オリーブオイルだけで作るスパゲッティ。日本には素うどんといって、なにも具が入っていないうどんがあるが、これは素スパゲッティといったらいいかな。
 こういう単純な料理ほど難しい。ごまかしようがないから、料理人の技量が如実に現れる。そのぶん奥が深い。
 冷たいフライパンに赤とうがらし、にんにく、オリーブオイルを入れる。オリーブオイルはできるだけ良いものを使いたい。ピュアよりもエキストラバージンを使おう。ゆっくりと加熱。急に加熱してはダメ。ゆっくりとオリーブオイルを加熱して、にんにくと赤とうがらしの香りを引き出そう。
 赤とうがらしの量だが、好みにもよるが、小生の場合は、ピリピリ辛いペペロンチーノは好まない。とうがらしの香りだけを出したい。だから、赤とうがらしはちょっと少なめ、逆ににんにくは多めに使った。このあたりはお好みしだい。この作業と同時進行でスパゲッティをゆでる。
 にんにくと赤とうがらしの加熱が終わったら、ゆでたスパゲッティをフライパンに入れて、香りのついたオリーブオイルで和える。
 調理が済めば、大急ぎで食べよう。皿に盛ってからテーブルに着くのではダメ。皿より先にテーブルに着こう。人がパスタを待たせるな、人がパスタを待てという。ペペロンチーノのように、純粋にパスタそのものの味を楽しむ料理の場合はこれが大切である。
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クラブハウスサンド


 クラブハウスサンドだ。なんのクラブハウスかというと、諸説ある。ゴルフ場のクラブハウスとか、アメリカ軍の将校クラブとか。パン3枚を使うから、かなりボリュームのあるサンドイッチだ。上品な英国風サンドイッチとは違って、いかにもガサツでフランクなアメリカ人好みのサンドイッチだ。
 具はローストチキン、ベーコン、卵、レタスなどが定番。今日のサンドもそれに準拠しよう。鶏肉は胸肉を使おう。あとはベーコン、レタス、卵、トマト。
 パンは軽くトースト。マスタードとバターを塗っておく。鶏胸肉はローストせずに、塩こしょうして白ワインをふって、軽く蒸す。蒸し終わったら切って、オリーブオイルをまぶしておく。鶏胸肉は加熱するとパサパサして嫌だという人がいるが、脂肪分がないからパサつくのである。加熱後油分を加えてやればいい。
 卵は卵焼き器で薄焼きにする。最初にガスレンジで焼くと、卵液の下面が固まる。これをひっくり返して、上面を焼かねばならないが、別にひっくり返さなくてよい。そのままレンジ付属の魚焼きグリルに入れればいい。あれは上火だから、卵液の上面が加熱されて具合がいい。
 ベーコンはフライパンでカリッと焼く。レタスは適当にカット。トマトはスライス。具の調理が済んだら、これらのものを3枚のパンにはさむ。何をどうはさむかはお好みしだい。
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2月13日(金) 靴を脱ぎなさい

 帰宅時の電車でのこと。小生は座って本を読んでいた。隣に親子連れが座った。母親が向こう側、子供がこっちがわ。その子が、座ってすぐ、窓の方を向いた。外の景色を見ている。子供は、だいたい電車で外の景色を見るのが好きだ。小生は大人だが、今でも電車で流れ行く風景を見るのは好きだ。
 問題は子供の足。窓の方を向いているから、当然足は通路側。その子は靴を履いたまま、その姿勢をしている。その靴の裏が小生のズボンににたびたび触れる。ぱっぱっとズボンについた汚れをはらう。普通の母親ならば、こういう状況になれば、「これ、××ちゃん、靴をぬぎなさい。すみません。おズボンを汚しちゃって」というものだ。ところが、くだんの母親はボーとした顔して知らん顔。この子の将来が心配だ。

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とつぜんリストラ風雪記 22

とつぜんリストラ風雪記 21

 再就職を果たす。3月にH屋D堂をクビになって、半年間の求職活動であった。この間、兵庫キャリア交流プラザに参加して、同じ境遇の人たちと知り合う。再就職先は神戸市長田区のMK産業。電機会社で、依然いたK電気と同じM電機の協力会社。このMK産業で、K電気時代の購買業務の人脈を使う。

2004年9月25日(土)
 MK産業より仮内定の連絡をもらう。即答はしなかった。別件が進行中で、もし、そちらの方が条件が良いのならば、MK産業は断るつもり。中高年の就職活動ではなかなか難しいが、可能ならば複数の企業に内定をもらって、条件の良い方に行くのがベストだ。

9月27日(月)
 別件からも内定をもらうも、条件はMK産業の方が良い。MK産業にOKの連絡。10月4日から来てくれとのこと。健康診断書の提出を求められる。

9月28日(火)
 眼鏡を替えることにした。眼科医で視力検査してもらう。ついでに緑内障の検査も受ける。緑内障の可能性があるといわれる。半年後に再検査に来なさいとのこと。眼科医のあと、かかりつけの内科医で健康診断してもらう。

9月29日(水)
 大雨をついてMK産業へ出勤の予行演習を行う。7時15分に家を出て、JRで新長田へ。新長田駅から10分ほど歩く。8時10分にMK産業に到着。8時30分始業だから、充分に間に合う。古いきたない建物。だいじょうぶかな。

10月1日(金)
 交流プラザに行く。今日で最後。小生が一番先に再就職を果たしたようだ。みんなから、心からの祝福をいただく。みなさん、いい人ばかりであった。

10月4日(月)
 MK産業に初出社。おとなしい印象の会社だ。社員たちもみんなおとなしい人ばかり。
 
 MK産業はコーヒーの焙煎器を開発中で、小生は主にそれの仕事を担当してもらうとのこと。
 生のコーヒー豆を機械に入れると、焙煎してミルで挽いて、挽きたてのコーヒーを味わおうという機械。その機械のコスト計算のための部材の見積もりをするのが小生の仕事。また、完成したら、主に喫茶店、コーヒー店、コーヒー好きの個人向けにも販売するから、宣伝広告用のパンフレットも作成する。それの制作も小生が行う。購買と広告、確かに、この全く畑違いの二つの仕事を同時にこなせる人材はあまりいないだろう。両方の経験がある小生は幸運だったといえる。
 コーヒーについて勉強する。交流プラザでいっしょだった人に、元UCCの社員だった人がいる。その人にも教えを乞う。コーヒーの豆は焙煎して、すぐ挽くと青くさく、普通は焙煎して、しばらくして挽く方がいいとのこと。
 面接をした常務がこの仕事の担当役員。この人物、元M電機でMK産業に天下っている。よくあること。K電気でも、そういうエライさんがたくさんいた。下請け企業は、どうしても仕事を出す大企業のゴミ捨て場にされる。だから、この常務、コーヒーについては素人。それなりに勉強したらしいが。電子部品については、さすがに知っていたが、広告宣伝についても全く素人。
 コーヒー焙煎器は中国で生産するかもしれないとのこと。部材を中国で調達して現地で組立。部材を日本で調達して、中国に送って中国で組立。日本で部材調達し日本で組立。どういう生産にするかはまだ未定。
 中国で調達、組立なら、輸送費はかからず、労働コストも安い。ただし中国の部材は信頼性に欠ける。日本での部材調達なら輸送費がかかる。それに大企業での大量生産品ではないから、完成品の中国から日本への輸送費もバカにならない。製品コストそのものは中国での生産の方が安いことは判っているが、総合的な判断をするために、部材の見積もりを提出してくれとのこと。
 電子部品の見積り。この会社、M電機の仕事をしているが、部品はM電機からの支給で組立だけをやっている。保守用に少量の電子部品を購入しているが、神戸の小さな電子パーツ屋か、M電機の資材から分譲してもらっている。コーヒー焙煎器の生産が本格的に始まって、部材が日本で調達となると、まとまった数量を欠かさずに仕入れる必要がある。それなりの電子部品専門商社との取り引きが必要。ところがMK産業にはそのようなルートはない。そこで、小生の電子部品購買仕入れの経験と人脈が役に立った。

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2月11日(水) 手塚治虫 現代への問いかけ

 NHKのBS-2で放送された「手塚治虫 現代へ問いかけ」を観た。非常に内容のある番組だった。
 司会は渡邊あゆみアナと手塚真。4人のパネラーは、萩尾望都(相変わらず神々しいモトさま)、香山リカ(優れたモノ書きだが、しゃべるとアホに見えるのはなぜだろう)、高橋源一郎、船越栄一郎。
 漫画といえば、手塚以前は滑稽でアハハと笑うものだった。手塚はその漫画に「悲劇」を持ち込んだ。たしかにそうだ。「のらくろ」や「さざえさん」には悲劇はない。高橋は、その手塚の持ち込んだ悲劇を「偉大な悲劇」といっていた。当たっている。これは手塚が、SFマインドを色濃く持ったクリエイターだったからだろう。
「悲劇」と「偉大な悲劇」はどう違うのか。「悲劇」は人間にふりかかる悲しい出来事を扱うドラマ。「偉大な悲劇」は、種としての人類、ホモ・サピエンスという、この地球に生息するいち生き物にふりかかる悲しい出来事を扱うドラマ。
 純文学が「人間」を扱う文芸に対して、SFは「人類」を扱う文芸だ。この文脈は見事に比例するのではないだろうか。手塚がSFマインドを持ったクリエイターだからこそ、「偉大な悲劇」を創造できたと見るのは、SF者たる私の身びいきだろうか。
 手塚は、その人類にふりかかる悲しい出来事として、戦争を重要なテーマとしていた。番組では、手塚の大阪での空襲体験が、反戦の思想を育み、後の手塚作品の背骨となったと分析していた。手塚自身は、あの体験をすれば、だれでも描けます、といっていたが、だれでもかけない。私たちの親の世代は、手塚同様、戦争で地獄を見た。しかし、私たちの親は描かなかった/描けなかった。これは、あの時、あの場に手塚が、他のだれでもない「手塚治虫」がいたからだ。これはまさに、戦後の日本の文化にとって、ものすごく大きなターニングポイントだっただろう。あそこに「手塚治虫」がいなかったら、日本の文化はどうなっていただろうか。
 番組の後半にテレビアニメ版「鉄腕アトム」最終回「地球最大の冒険」をまるまる1本放送してくれた。ダイジェスト版ではない。1本そのまま放送してくれた。信じられない大サービスである。さすがにオリジナル放送当時そのままの明治製菓のCMまではついていなかったが。私は、アトムはリアルタイムで毎週観ていた。もちろんこの最終回も観た。
 アトムが黒点異常を起した太陽に突入するという悲劇的な結末だが、終わりにお茶の水博士が「第2第3のアトムがきっと出てくる」といっていた。希望のあるセリフだ。事実、大阪大学の浅田稔先生など、アトムに触発されロボット工学に進んだ研究者が多く、日本のロボット工学は世界の最先端となった。アトムの後継者はすでに出ている。
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2月10日(火) 何が楽しくて盗作するのだろう

 十勝毎日新聞社が、短編小説を公募し、佳作に入選して紙面に掲載された作品が盗作だった。応募者の男は盗作を認め、新聞社は佳作を取り消した。
 向田邦子氏の短編「あだ桜」の前半部を丸写しした。男は「すばらしい文章だったので多くの人に知ってもらいたかった。もう応募はしません」といっている。
 いいわけをするなら、もっとましないいわけをしろ。すばらしい文章なら、「向田さんの本にこんな文章がありますよ」と、ブックレビューという形でなぜ発表しなかった。自分でブログを持っているのならば、そこに掲載すればいい。ブログをもっていなければ、アマゾンでもbk-1でも、だれでも自由にブックレビューが投稿できる場はいくらでもある。
 それをこの男は、その向田さんの作品を、いかにも自分の作品のように偽って応募したのだろう。絶対に許されないことだ。「もう応募はしません」といっているが、あたりまえだ。文を書くのは勝手で、それを自分の周辺の特定の人間だけに読ませるのも勝手だが、不特定多数の人間の目に触れる公の場に、自分の文章を発表する資格はこんな男にはない。
 すばらしい作品に接すれば、それに触発されて創作活動をする創作者は確かにいる。ゴッホには日本の浮世絵に触発されて描いた絵もある。また、恩田陸さんの「常野物語」はアメリカのSF作家ゼナ・ヘンダースンの「ピープル・シリーズ」に触発された作品である。これは恩田さん自身が同作のあとがきでふれておられる。これはあくまで、本歌と本歌とりの関係であって、恩田さんはヘンダースンを盗作したのでは決してない。
 それは恩田さんがヘンダースンの作品を、完全に自分に取り込み、咀嚼して、消化して、それを栄養源として自分自身の、他のだれでもない、恩田陸の作品として産みだしたからだ。
 ところが、この盗作男は向田さんの作品を、右から左に書き写しただけで、自分の作品として発表した。そこになんら創作活動はなされていない。
 文章を書いて創作活動をしている者は、万人に知られていない優れた作品を目にすれば、判らないだろうと思って、盗作の誘惑にかられることもあるだろう。事実、その誘惑に抗しきれず、何度となく盗作騒ぎを起している人もいるらしい。
 そのような盗作者は実に気の毒な人種である。プロの作家、あるいは小生のようなアマチュアも含めて、文章書きは何がうれしくて文章を書いているのだろう。他の人は知らないが、自分自身を分析してみた。まず、文を書くことそのものが楽しい。何を書こう、あれこれ頭をひねるのが楽しい。書き始める。どう書こう、どうまとめようと考える。これが楽しい。
 書いたらそれを人に読んでもらいたい。読んだら感想を聞きたい。ほめられればうれしい。けなされればかなしい。それが楽しい。だから、このようなブログをやっているわけだが。そして最後に、いくばくかのお金になり、さらにさらに、佳作入選との名誉まで得られれば、いうことなし。このように文章を書く楽しみは四つもあるわけだ。くだんの盗作男は最後の名誉だけが欲しかったのだろう。おまけだけ欲しかったわけだ。本当の文章書きの醍醐味を知らず、おまけだけ欲しがっている。グリコはいらん。おまけのおもちゃだけ欲しがっている。なんとも気の毒な男だ。
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ミス・ポター


監督 クリス・ヌーナン
出演 レニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー、エミリー・ワトソン

 児童文学の名作「ピーターラビット」の作者、ビアトリクス・ポターの伝記映画。
 20世紀初頭、ビクトリア朝の封建的な気風が残るイギリス。良家に生まれたビアトリクスは空想好きな少女であった。長じて三十路を過ぎても独身。両親の心配をよそに結婚しそうにない。彼女は結婚よりも作家として身を立てたいと願っていた。当時の女性としては変わり者である。
 子供のころからの空想のお友だち、青い服を着たうさぎ、ピーターを主人公の絵本を書いて出版社に持ち込む。彼女は担当編集者ノーマンと恋に落ちる。
 晩年、ビアトリクスは少女時代を過ごした、美しいイギリス湖水地方を、開発から守るため、土地を買い取り自然保護活動に取り組む。
 大変にピュアで素直で美しい映画。ビアトリクスが創造した、ピーターと仲間たちが劇中に登場するが、アニメで絵本の絵が動くのが微笑ましい。
 ビアトリクスとノーマンの恋物語も、恥ずかしくなるほどの純愛物語。胸がキュンとする。ビアトリクスと親友になる、ノーマンの姉ミリーとの女同士の友情も麗しい。
 ロケ地のイギリス湖水地方の風景が非常に美しく、なにより、ビアトリクスを演じた、レニー・ゼルウィガーがものすごくチャーミング。
 宝箱の中にそっとしまって置きたい映画。
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オレのちゃんこ鍋


 ごっつぁんす。さ、鍋が煮えてきたっす。オレのちゃんこ鍋を、食べて欲しいっす。え、次の仕事。このご時世になかなか見つからないっす。オレなんか相撲しか知らないから。ほんと、センセには世話になったっす。オレみたいな中途半端な相撲取りでも、クニの播州の人たちで後援会できたけど、相撲をクビになったら、みんなオレから離れてしもうて。センセはオレのただ一人のタニマチっす。
 相撲に未練、そらあります。来場所は十両は確実だったんっすから。しかし、土俵でVサインしたゆうて、クビになるんすかね。やっぱ3回もやったらからアカンかったんすか。先々場所、先場所と2回やって、親方にエライ怒られて、気つけとったけど。今場所はあの取り組みで優勝が決まって、十両を確実にしたから、うれしゅうてうれしゅうて、観客席にいるカノジョについVサインしてしもた。
 え、カノジョとの結婚ですか。当分延期です。無職の大メシ食いに家庭は持てません。もちろんカノジョとは別れとうないっす。でも、オレ、こんなことになってしもたから。
 しっかし、なんべん考えても納得いかんっす。なんで土俵でVサインしたら、あかんのですか。国技相撲の品格を汚したって、親方はゆうてるけど、相撲の品格はそんなに大事ですか。横綱もガッツポーズしたゆうて理事長に怒られてけど、なんで土俵で、Vサインやガッツポーズしたらあかんねんやろ。
 野球選手がホームラン打った時や、ボクサーがKOした時、サッカー選手がシュートしてゴールした時にVサインしても、怒られへんやろ。相撲だけなんであかんねやろ。野球やボクシング、サッカーには品格がないんやろか。こんなことゆうてると、相撲以外のスポーツ選手に失礼やで。ほんと。
 あ、センセ、杯あいてます。どうぞ。相撲ってそんなにえらいんやろか。
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別れのビーフシチュー


 俺か、俺は探偵さ。何してるかって、見りゃわかるだろう。ビーフシチュー作ってんだ。7年前まで、県警のコワモテのデカだった俺が、なんでこんなちんけな事務所のキッチンでシチューなんか作ってるかって。
 別にたいしたわけない。古いダチが来るんだ。そいつがビーフシチューが食いたいといったのさ。
 え、なぜデカを辞めたのかって。そんな大昔のことなんざ覚えちゃいねえさ。どうしても聞きたいか。よくある話さ。俺が悪いんだ。ヤマを追うのに忙しく、女房をかまってやれなかった。男ができた。その男が俺の上司だったのさ。
ま、いろいろあって俺は警察を辞め、探偵稼業を始めたわけだ。
 もうそろそろいいだろう。赤ワイン、パン、サラダを用意して、俺が持ってる一番きれいなテーブルクロスを敷く。
 お、電話だ。なにここまで来れないんだって。うん、そうか、そこで待ってろ。
 古いダチ、別れた女房なんだ。ここには来ない。このビーフシチューはお前が食ってくれ。俺は今から女房とデートさ。俺はもうここには戻ってこない。それ、食い終わったらサツに電話してくれ。
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2月6日(金) 神戸南京町の夕景


 神戸の中華街、南京街です。こうして見ると映画「千と千尋の神隠し」のワンシーンを見ているようですね。宮崎駿監督のアニメは、「ナウシカ」以降の作品はみんな観ましたが、この「千と千尋」の映像が一番好きです。ここを歩くたびに、あの映画を思い出します。
 私は、健康のために、会社からの帰りしなは、一駅分は歩くように心がけております。どの駅とどの駅の間を歩くかは、飽きないように毎日変えております。この南京町ルートは、神戸市営地下鉄みなと元町からJR三宮までの散歩ルートです。
 南京町は市外からの観光客が多く、たくさんの人が歩きながらモノを食べています。お店の人が、通りを歩く人に声をかけますが、私はかけられません。神戸の原住民だということが、見たら判るようです。
 車を持っていた時分は、駐車場に車を置いて、南京町で、手で持って軽く食べられるものを買って、メリケンパークで夕涼みをよくしたものです。この南京町から、海岸通りを通って南へ、メリケンパークをぶらぶらするのは、いかにもミナト神戸らしい風情で、私の大好きな夕涼みスポットです。
 私の趣味はお料理です。中華料理は食べるのも作るのも大好きです。もちろん南京町でも食事をしたことがありますが、中華食材や中華の調味料を仕入れるのにこの街をよく使います。中華の食材ならたいていの物がここで手に入ります。さすが中華街です。でも、最近は、ここであまり買い物をしません。中国産の食材というと、どうしても敬遠するようになりました。安心して中国産の食品が食べられるようになってもらいたいものです。
 この、南京町ですが、あの阪神大震災のおり、震災直後にいち早く立ち直り、被災された人たちに食べ物を、ふるまっておりました。華僑の方々のたくましさを現すエピソードです。
 
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バナナは皮を食う


暮しの手帖書籍編集部編 壇ふみ選        暮しの手帖社

 昭和時代に雑誌「暮しの手帖」が掲載した、「食」に関するエッセイを、女優でエッセイストの壇ふみさんが選んでまとめた本。この本のサブタイトルは「暮しの手帖 昭和の『食』ベストエッセイ集」となっている。
 執筆者は扇谷正造、牧野富太郎、野村胡堂、坂口安吾、海音寺潮五郎といったエライ人たち。作家、詩人、画家、映画監督、実業家、学者、政治家などという功なり名を遂げた人ばかり。
「暮しの手帖」といえば、名編集者花森安治が創りあげた、日本を代表する名雑誌とされている。その雑誌の「食」ベストエッセイ集なのだから、文筆を趣味とするものとしては、ぜひ読まねばならぬと思って読んだ。
 正直な感想をいう。ふ~ん。それだけ。エライ人たちのエッセイなのだから、目からウロコの新しい発見か、小生ごとき未熟若輩者では、とても書けぬ滋味豊かな文章に接するかと期待したが、別にどうということもない自慢話や思い出話ばかりであった。
 お前は、常日頃、SFやら冒険小説やらといったガサツな小説ばっかり読んでいるから、文豪名士巨匠たちの名文が理解できないのだ。そういわれればそれまでだが、事実この中にはヘタな文で読みづらい執筆者もいた。だいたいが、昔の人は文章が長い。小生が毎日目にしている現代の文章と、句読点の使い方が微妙に異なるから、調子が狂って読みづらい。文があって読点、また文があって読点、だらだらだら、なかなか句点にたどり着けない。その中でも、さすがに作家詩人といった文を書くことを生業としている人たちの文章は読みやすかった。
 壇さんが巻頭言で「昭和は遠くなりにけり」と書いておられたが、遠くはなれた平成から読めば、昭和の文には違和感を覚えるものもある。 
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とつぜんコラム№88 シンプルに行こう

 不景気である。急激に景気が悪くなり、なおかつこの不景気は慢性化しそうだ。小生の勤務先に出入りしている産廃業者がいっていた。
「いや、ひどんもんですわ。あちこちの会社がばたばた倒れとる。わしゃ30年この商売やっとるけど、こんなん初めてや」
 ものが売れないのである。ものが売れないから、ものを作る工場がヒマになり、派遣切りが行われ、正社員もリストラされる。残った社員も収入が大幅に減少する。小生の友人で某自動車メーカーの正社員がいるが、先月は8日出勤しただけ、もちろん給料は全額出ない。それなのに副業禁止の規則はそのまま。何もすることがない。ヒマで困ったそうだ。
 いま、ほとんどの企業が社員の副業を禁止している。この規則は見直す必要がある。副業を禁止するのなら、給料は無条件で全額支払うべし。会社の都合で休ませておいて、給料を減額するのなら、副業は認めるべきだ。労働組合はこのような要求をなぜ出さないのだろう。
 不景気でものが売れない、と、いいつつも必要なものはあるはず。自動車が売れないと各自動車メーカーは嘆いているが、世の中に必要な自動車は必要なのだ。必要な数の自動車は造らなければならない。いくら不景気といっても、日本の、世界の自動車メーカーの工場で1台も自動車が造られていないとは考えにくい。人数が少なくなったといえ、何人かの労働者が、必要な自動車を造っているはずである。また、いくら不景気といっても生活しなくてはいけないし、腹も減るから食べなくてはいけない。絶対に必要なものは、必ず生産しなくてはいけないわけだ。
 ということは、今までの経済は、不必要なものを造り、不必要なものを売って買って成り立っていたということになる。考えてみれば実に脆弱な基盤の上に乗っかって成り立っていたことか。
 ここらで原点に立ち戻る必要があるのではないか。人々が生きていくのに必要なものを造って売る、そしてそれを買う。そして経済が廻って行く。こういうシンプルな社会の構造にしなくてはならないと小生は思う。バブル崩壊の時、多くの企業が打撃をこうむった。そのいずれの企業も、本業以外に株、土地に投資して、大きな損失を出している。愚直に本業に精を出した企業は、損失をこうむらなかった。ものを造り、売る。必要なものを造る。不必要なものは造らない。結局、だれでも判るシンプルな事を行うのが一番ではないだろうか。
 決断が迫られているのだ。人類は。選ばれた人だけが生き残って、あとは死ぬか。みんな少しずつ我慢すべきところは我慢して、みんな生き残るか。現実は前者の方向に動いているだろう。だれでも生き残りたい。だれでも我慢するのは嫌だ。今まで、それですんできた。でも、もう余裕はない。みんな死ぬかみんな生き残るかだ。
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2月3日(火) きょうは節分です


 おさむうございます。今日は2月3日。節分ですね。明日は立春。暦の上は明日から春ということですが、今が1年中でいちばん寒いです。節分とか立春とかは、旧暦でいわれていたことで、本当は1ヶ月先です。旧暦だと、3月初旬が立春ですから、暦と実際の気候があっていたわけです。
 節分ですので、豆まきをして、巻き寿司のまるかぶりをします。この寿司のまるかぶり、由来はいろいろいわれております。江戸時代末期からあった風習とか。海苔の問屋の組合が始めたとか。バレンタインのチョコなんかも同じような主旨で始まった習慣でしょう。偏屈なご仁は海苔屋の宣伝に乗ってたまるかと、憤るかも知れませんが、ま、いいじゃないですか。このまるかぶり寿司は、関西ではすっかり定着した習慣です。夏の土用にうなぎを食べるのと同じですね。
 ですから、今夜は節分メニューです。丸ごとの巻き寿司。塩イワシ。部屋にはちょっと柊をかざって、もちろん日本酒もつけます。
 夕食の後は豆まきをします。歳の数だけ豆を食べます。私、この大豆の炒ったのが好きで、つい食べ過ぎてしまいます。
 鬼は外。
 服は内。
 外に出た鬼はどこに行くのでしょう。今日は日本中で豆まきをしているわけですから、鬼は海外に出るしかないわけですね。で、海外で悪さをするのでしょうか。それとも、日本の鬼は海外では、鬼ではなく、逆に福の神になって喜ばれているのかも知れませんね。
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虚空刑

 なぜあんなことをしたのか、自分でもよくわからない。裁判の過程で徹底的に調べられて、私という人間は完璧に分析しつくされたはずだ。その結果、私はこういう状態にある。 ついさっき、目が覚めた。とはいっても、今は朝なのか夜なのか、まったく判らない。光が見えないのだから。音が聞こえないのだから。
 空腹も感じない。私には、胃も腸も、いや、消化器官だけではない。心臓も肺もない。
 立ち上がることもできない。手も足もないから。なにもできない。私にできることは考えることだけ。
 私は、漆黒の闇の中に、ぽつんとただよっている。上も下も判らない。どっちが前で、どっちが後ろかも判らない。
 快楽もない。苦痛もない。苦しみもない。喜びもない。私は、ただ存在するだけ。

「主文、被告人を虚空刑とする」
 傍聴人の間でざわめきが起こった。これほど注目された裁判はない。
 一瞬にして四百二十九人が殺害された。海底トンネルを疾走する、三両編成のリニアモーターカーが急停止。乗員乗客全員が即死した。原因は車両側の磁力が突如消滅したことによる急停止。整備員の私が、車両制御用のLSIを全数引き抜いた。なぜそんなことをしたのかわからない。
 最初は整備上のミスだとされていた。過失による不幸な事故。社長以下経営陣は責任を取って辞任。リニアモーターカーの安全性が疑問視され、旧式の車輪式の電車に逆戻りすべきだという意見まで出た。
 その後、事故車の残骸の山から制御パネルの基板が発見され、磁力を制御する最も重要なLSIがすべて抜けていることが判った。 私はその部分の整備担当だった。参考人として警察に呼ばれた。そして、私は自分の手でLSIを抜いたことを白状した。こうして私は四百二十九人殺害の犯人として逮捕され、裁判となって、今日の判決を受けた。
 裁判官と裁判員は、私が殺意を持って四百二十九人を殺害したと判断した。
 虚空刑。最高の厳罰である。四百二十九人も殺害すれば、だれが見ても絞首刑では量刑不足。虚空刑以外の刑罰は考えられない。

 私に時間は存在しない。いや、無限にあるのかもしれない。一瞬の時間もないのかも知れない。私が刑に服して、どれだけの時間が経過したのか判らない。一瞬前かも知れない。千年前かも知れない。
 こんな私にも、ただ一つ残されたものがある。希望、希望といっていいのだろうか。この無限に続く、刑にもいつか終わる時がある。刑期終了。その時、私は永遠の安息を得る。 考える。私にできることは、考えることだけだ。それ以外のことは何もできない。そして、私が考えることは、ただ一つ。私はなぜあの時、基板からLSIを引き抜いたのか。二九個のLSIを一個一個引き抜き工具で引き抜いている時、私はなにを考えていたのか。こんなことをすれば、車両に供給されている電力がストップして、あのような大惨事になることは判っていたはずだ。
 魔がさしたというのだろう。LSIを抜けばどうなるか試したかった。結果は判っている。判っているが、実行すればどんな事態が発生するか、そして私がどういう境遇になるか知りたかった。気がつけば足元に二九個のLSIが転がっていた。
 四百二十九人の人命が一瞬に消滅した。原形をとどめている死体は皆無だった。
 量刑の判断は、私に殺意があったかどうかだった。LSIを抜いた時の私の、精神状態がどういうものであったか。責任能力の有無が問われた。
 そして、判決がでた。私には責任能力がある。そんなことを行えば、四百二十九人はどうなるか充分に知った上での行為と見なされ虚空刑がいいわたされた。これが私が、知らずに、いたずらでLSIを抜いたのならば、絞首刑ですんだかも知れない。

 コンソールパネルには四百二十九個のLEDが並んでいる。そのうち四百二十八個が点灯していた。そして今、最後のLEDが点灯して、すべてのLEDが点灯した。
 四百二十九人の審判員全員がが受刑者を許した。事故当時遺族だった者が審判員になる。審判員が死ねば親族の誰かが、審判員を受け継ぐ。受刑者が何を考えているか、常時、審判員は把握できる。受刑者は考えることしかできないのだから。
 アクリルのケースに、特殊な生理食塩水に漬けられた脳がある。生きている脳だ。係員がスイッチを押す。脳は死んだ。百三十六年ぶりに許されて、彼は安息を向かえた。
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甘くないパンケーキ


 今朝は洋風の朝食だ。パンケーキを焼こう。アメリカではホットケーキともいうが、ヨーロッパではパンケーキという。
 パンケーキというと甘いものを思い浮かべるムキもおられるだろう。しかし、今日は、ひとつ、大人の口においしいパンケーキを焼く。塩味のパンケーキである。もちろん砂糖は使わない。
 レシピは次の通り。パンケーキ6枚分。
 薄力粉 125g
 ベーキングパウダー 小サジ2
 塩 2g
 全卵 1個
 卵黄 1個
 牛乳 150cc
 バター 50g
 チェダ-チーズ
 ベーコン
 薄力粉とベーキングパウダーを合わせて振るう。全卵と卵黄を落として粉と混ぜ合わせる。牛乳を少しずつ混ぜる。ダマにならないように気をつけながら、生地が滑らかになるように混ぜる。
 湯煎か電子レンジで溶かした溶かしバターを加える。30分ねかせる。テフロンのフライパンで焼く。具はお好みで。小生はベーコンとチェダーチーズが合うように思う。
 甘くない塩味のパンケーキは、予想していないおいしさだ。朝食にぴったし。ぜひお試しあれ。
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