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とつぜんリストラ風雪記 19

とつぜんリストラ風雪記18
 
胃の具合が悪かったが治った。胃潰瘍の再発ではなかったようだ。暑い中を就職活動に励む。
 この2004年夏、小生は兵庫キャリア交流プラザに登録、参加する。ここで、自分と同じ境遇の人たちと知り合い、仲間を得る。

2004年5月7日(金)
 DHに面接に行く。たんなる派遣の登録であった。まったくのムダ足。

5月22日(土)
 小泉首相、2度目の訪朝。拉致被害者の家族5人を連れて帰る。

5月25日(火)
 Pに面接に行く。印刷会社。仕事は印刷物の工程管理。誠実そうな人が面接をしてくれた。
 阪神、また横浜に負け。なんで横浜に勝てへんのか。不思議。

5月26日(水) 
 福島区のRSなる会社に面接。どういう会社か、どんな仕事をするのか、一切説明なし。とにかく登録してくれ。説明を求めると、登録された後、説明するとのこと。実にうさんくさい。その場で登録を断り席を立って帰る。
 阪神、またまた横浜に負け。どうしても横浜に勝たれへん。なんでや。

5月28日(金)
 ハローワーク梅田へ。収穫なし。

5月29日(土)
 阪神、きょうも負ける。

5月31日(月)
 ハローワーク灘。収穫なし。

6月4日(金) 
 阪神負け。

6月7日(月)
 神戸駅前のクリスタルタワーにある人材銀行に登録に行く。

6月9日(水) 
 阪神、ついに最下位。

6月15日(火)
 Sコーポレーションに面接。御堂筋に面した大きなビルのワンフロア。まっとうな会社と見る。仕事は小生の専門外の総務人事。資材業務にこだわっていたら、なかなか再就職ができない。可能性を試してみる。給料など、諸条件はいいのだが、残業が多いとのこと。 

6月16日(水)
 ハローワーク伊丹に行った後、JR伊丹駅前の免許更新センターにて、運転免許の更新をする。小生は優良ドライバーにつきゴールド免許なり。
 このブログを以前からご覧の方は、小生がかなりの飛ばし屋とお思いだろう。事実飛ばし屋である。大阪→出雲600キロを6時間で走ったこともある。そのわりにはあまり捕まらない。40年近く運転しているが、反則金を払った記憶は数回しかない。もちろん事故は一度もない。

6月18日(金)
 IK機工で面接。神戸市長田区の新長田駅近くの工場が集まっているところ。まっとうな会社で、感じの良い社長だった。

6月26日(土)
 IK機工が断っていた。期待していただけに残念。手応えを感じていたのだが。不採用の理由を考えてみた。
 面接の時の社長との話では、年齢が理由とは考えにくい。仕事に関しても思いつかない。相手に求めるスキルと、小生のスキルはおおむね一致していた。と、なると理由は一つしか思いつかない。
 面接の最後に社長が、月収について聞いた。そこで小生は具体的な数字をあげた。これが間違いであった。
 当然、月収は多ければ多いほどいい。ところが、こちらのあげた数字が、相手が考えている数字と開きがあれば不採用となる。かといって、あまり小さな数字をあげて、もし採用になったとしても、収入面で必ず不満が出る。
 ここで小生は教訓を得た。面接で、「月収はいかほどご希望ですか」と、聞かれれば、絶対、具体的な数字をこっちからいってはだめ。
「それに関してはお任せします」と答えるべし。それでも、突っ込んで聞いてくると、「なんとか生きていける程度で結構です」
できれば、相手に具体的な数字をいわせればベストだ。

6月28日(月)
 人材銀行でキャリア交流プラザを勧められる。聞いてみるとパソナと同じような再就職支援セミナー。考える。前回の求職活動の時はパソナに世話になった。カリキュラムはパソナと同じようだが、なにか頼るものが欲しかった。

7月1日(木)
 伊丹のS工作所で面接。

7月5日(月)
 大阪、御幣島のH製作所で面接。金属加工の会社。電子部品が専門の小生とは違うが、挑戦してみよう。工場内を案内してくれる。

7月9日(金)
 S電装で面接。

7月20日(火)
 兵庫キャリア交流プラザに申しこむ。  


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