新規事業のための店舗探し、あっちによろよろ、こっちによろよろで、大変難航しました。
どの店も帯に長し、たすきに短しで、往生しました。
普段は割と直感が利く効く方だと思うのですが、今回はどういうわけかまったく直感が働きません。
新しい店舗を見つける度に、ああでもないこうでもないと迷いが深まるばかりでした。
でも、最終的にある店舗に絞り込むことが出来ました。
汚くて小さな店です。
でも、元々そんな店で良かったのです。
今になって考えてみますと、なんの不足もありません。
欲やら見栄やらが増長して、ついふらふらと出口にない迷いの世界に入り込んでしまっていました。
自分の出来ることを、自分の出来る範囲の内で精一杯にする。
それだけのことを思い知るのにずいぶんと回り道をしました。
有り難い学びの道を歩ませてもらっています。
知人が借りた100坪ほどの新たな畑も耕し始めました。
この畑は畑をしたい人に開放していく方向性ではありますが、まずは知人と土作りから始めます。
知人の友人が放置された草地だった土地をトラクターでぐんぐん耕してくれたおかげで、楽に畝作りまで出来ました。
先日は有機石灰を畑に混ぜ込みました。
春先になったら、堆肥と肥料を鋤込みます。
楽しみです。
話は変わりますが、昨日下関の長府というところで、新春恒例の落語を聞いてきました。
もう19回目だそうです。
ぼくが参加したのはここ4回でしょうか。
生で間近に落語を聴くというのは、とてもいいです。
しかも、お酒を飲み、たらふくごちそうを食べた後ですから、なんというか、身も心も幸せになります。
そのあと高杉晋作の奇兵隊が蜂起した功山寺にお参りに行き、下関駅前の安食堂で焼酎を飲んで帰りました。
慌ただしくひたすら月日は流れていくわけですが、「今ここ」に全身全霊を注ぎ込めれば、それでいいわけです。
全身全霊というほど大袈裟なものでなくても、きちんとこの大地の上に立ち、周囲の人の表情を見逃さず、
やるべきことをきちんとやり、気がつくべきことにはきちんと気がつき、出された食べ物は深く味わって食べ、
今このときにここで生きるというチャンスをくれた全存在に感謝することができ、不幸がどこかであると聞けば、
誰かや何かを攻撃するのではなく、自分に何が出来るのかを考え、それを実行に移し、過去のことも未来のことも思い煩わず、
今が無限に拡がっていることを空に感じ、万物が繋がって天に昇っていく生命のダイナミズムを大地に感じ、
すべての形象は移り変わっていく儚さと共にあることを風に感じ、
それでも生命は決して途絶えることなく力強く連続していくことを海に感じ、
自分の力強さと無力さを自信と謙虚さに置き換え、
幼い子供たちを遠くからそっと見守り、老いた人々の昔話に耳を傾け、仕事に忙殺される人々の愚痴を聞いてやり、
決して言葉を荒げることなく、すべては光の戯れであることを、五月の若葉が陽光に翻るのを呆然と眺め・・・。
まぁ、きりがありません(笑)
人は状況を変えることは出来ません。
人の心を変えれば、状況が変わります。
すべては自分の心のありようです。
心には無限の可能性を秘めています。
そろそろその可能性を秘めたままにするのではなく、その可能性の中で思い切り遊ぶ時が到来しているような気がしてなりません。