風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

想像力

2009年05月10日 | スピリチュアル
今日も出勤しています。
先日偉そうな口を叩きましたが、まだ決算には手をつけていません。
今日も手を付けずじまいでした。
いやはやです。
恐怖の口先男とは、ぼくのことでしょう。

銀行が金を借りないかと言ってくれていますが、財務票(決算書)ができないことには手続きを進められません。
こういう油断の連続が運気を下げます。
明日は休みを取って、山にでも登って、鋭気を養って、決算に取り掛かる所存です。←モノスゴイ油断(笑)

さて、人に与えられた大きな能力に想像力というのがあります。
自分の周囲の環境が気に食わなければ、気に食う環境というものを想像することができます。
人の想念というのは無敵のエネルギーですから、自分の想像力を疑わなければ、気に食わない環境を、
気に食う環境に作りかえることができます。
でも、大抵の人はそんなことが出来るわけがないと自分の想像力を過小評価するわけですが。

単にこうなったらいいな~というのは想像力の入り口でしかありません。
それは願望であって、想像力の発揮には至りません。
細部まで根気よく想像力によって組み上げるときに、想像力はパワーを持ちます。
例えば、三畳一間の貧乏暮らしをしていたとします。
金持ちになりたいな~と思ったところで金持ちになれるはずもありません。
金持ちかどうかは枝葉末節な結果論であることに気がつかなければなりません。

想像力がパワーを持つのは自分のあり方に関してです。
金持ちかどうかというのは自分のあり方ということに関してではなく、他者が自分を金持ちにしてくれるかどうか
他者への願望が強く含まれています。

で、想像力を働かすとしたならば、自分がどういう人間になりたいのかということに想像を巡らします。
なにをしているのか。
誰と関わるのか。
どんな結果を生んでいるのか。
さらに、どんな服を着て、どんなところに住んでいるのか。
文字通り、想像することによって自分の新たな人間像を創造するわけです。

かく言うぼくは、自分の将来像を想像するというようなことは面映くて滅多にしないのですが、
チラッと想像したりしてみたことが、ものすごい勢いで実現したりしますから、想像力は侮れません。
そんなぼくでさえも想像力のパワーを知っているのですから、いわんやぼくほどいい加減でない人においてをや。←反語

若干の注意事項としては

*空想と想像は違います。あくまでも自分という人間の可能性と喜びとに基づいたものが想像です。
*自分がよければいいという「我良し」の心に根ざした想像は、必ず他者への身勝手な期待を含みますから、願望に終わります。
*想像する世界はスケールがいくら大きくてもかまいません。想像する段階でケチケチする必要はありません。

先日店のソファにボーっと座っていましたら、あれっ、おれって背中に羽が生えてるんじゃないかと思いました。
しかも純白で、大きくて、立派なやつです。
こういうのは想像ではなく、妄想と言います(笑)