風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

すくすく

2008年11月14日 | 雑感
風邪を引いたみたいです。
なんか重くなりそうな予感です。
娘にうつるといけないので、嫁さんの実家にしばらく行ってもらいます。
みなさんも気をつけてください。

子供を持つ親は誰でも自分の子がすくすく育つことを心から願うでしょう。
変な脇道や迷路に迷い込まないように願うでしょう。
できるならば、心が傷付けられたり、誰かと諍いを起こしたり、生きる目的を失ったりしないよう、願うでしょう。

誰もがそう願う親に育てられ、今があるわけです。
でも、ほとんどの人が道に迷いっぱなしだし、無闇に傷つけ傷つけられ、生きる目標を見失うなんてことは、
現実の身の周りの人々を見渡してみるとごろごろしています。

現実の世界は、親が子に願うようなすくすくと育つ道が用意されているわけではありません。
前に進もうと思えば、障害だらけだし、足を引っ掛けられることもしょっちゅうだし、適切な道標も、
ガイドも見つからないことがほとんどです。
若いうちには、何故すくすくと生きられないのかが上手く呑みこめません。
なにも悪いことをしているわけではないつもりなのに、思い通りに物事が進みません。
思い通りに物事が進まないのは、ひょっとして親が悪いんじゃなかろうか、学校が、社会が悪いんじゃなかろうかと、
他人のせいにしてみたりもします。

そのうち、頭の整理が上手くいかないうちに、社会に送り込まれます。
すくすく育つはずが、怒鳴られ、叱られ、意味なく肥大していたプライドがズタズタにされます。
救いは、周囲の人間のほとんどが、そんな感じで社会というものに扱われている姿です。
この段階に到っても、親が子にすくすく育って欲しいという幻想に浸っていますと、子は社会に一人立ちすることができず、
社会から離脱し、やがては一人立ちできない苛立ちから親を恨むようになります。

親が子がすくすく育つことを心の底より願うのは当然です。
寄り道や迷路や甘い道に潜む害毒に触れて欲しくないと切に思う気持ちは当然です。

でも、そんな親の思いに係わらず、人は害毒を知ればこそ、それを飲んだときに服用する良薬を知るのですし、
絶望の闇に沈むことによって、人の何気ない親切が発する光に気がつけるようになります。

ぼくも一人娘の親として、娘が迷路や闇にさ迷い歩き出した時、必要な冒険なのだと割り切れる自信はありません。
割り切る必要もないのかもしれません。
親の思いと裏腹に娘が闇の世界に沈んだとしたら、思い切り取り乱してやればいいのかも知れません。
そういう姿を見せることも、いずれ人の親になる娘のためなのかもしれません。

実際には、どこにもすくすくという道はないのでしょう。
ごつごつと困難が続き、悲しい、苦しい、嫌だ、退屈だという感情の沼に取り囲まれて人は道を歩み続けます。
だからこそ、ほんの時折前方に広がるお花畑や、青空や、神々しく雪を頂いた山容を見たときに、
心が打ち震えるのでしょう。