風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

ダライ・ラマ

2008年11月04日 | スピリチュアル
今日はダライ・ラマ法王の講演会に行ってきました
ネットで偶然見つけた講演会でした。
メディアは相変わらず法王には冷たいです。

高野山の僧侶による御詠歌から始まりました。
高野山の僧侶の声明は定評があります。
法王も身をゆすって聴いており、流石でした。

ここ数日「ヒマラヤ聖者の探求」を読んでいました。
全五冊のうち、三冊目まで読んでいました。
キリストが現れ、仏陀が現れ、神通無碍の聖者たちが次々と現れます。
凄まじい本です。
しかしながら、これを信じないわけにはいかない本です。

で、そういうこの日に顕れたのが、ダライ・ラマ法王です。
講演の内容は省きます。
いずれ公になるでしょう。
あくまでも精力的で、ユーモアを忘れず、話す相手に相対して合掌を欠かさない人でした。
その姿に思わず涙しました。
法王の主張の通低するキィは「compassion(慈悲)」でした。

最後の最後に、ある出来事がありました。
質問の時間はとうに過ぎ、司会者も終わりを締めくくろうとしていた時に、法王は「もう一つの質問を」と促したのです。

そこで、法衣を着た僧侶と思しき人が質問に立ちました。
「動物を殺すなということですすが、それは動物を殺すことを生業とする者にとっては大変心が痛むことです(長い間)、
私が言いたいことは、そういう者たちに法王の慈悲を下さい」

法王は、一般的には生き物を殺生することはいいことではないと言い、それを職業とするものは生きるためにはで仕方がないことだ、
肉屋は肉屋で生きていくしかないみたいなことを言って、笑ってその質問をやり過ごそうとしました。

質問した僧侶の顔はこわばったままです。
スタッフの一人が、法王に何らや耳打ちします。
法王は驚いたように聞き返します。
その間、質問した僧侶の翻訳が通訳によってなされてる間に、法王は合掌して何かを念じていました。

通訳の翻訳が終わり、法王は口を開きます。
「私も機嫌がいいときは、腕に止まった蚊を息で吹き払います。でも、機嫌が悪い時は、パチンと叩き殺すことがあります。
そういうときには、観音様に許しを請いて、真言を唱えます。生業で生き物を殺さざるを得ない人たちは、
寺に行ってその筋の供養をした、何らかの救いになるとは思います。合掌」

想像以上に、陰日なたのない人でした。
過密なスケジュールの中、反応の薄い聴衆に向って、ひたすら勢力の限りを尽くしていらっしゃいました。
精神の種子を蒔くというのは、本物でなければ出来ないことだと、つくづく思いました。