風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

無条件

2007年05月09日 | スピリチュアル
子供を持って思うんですが、親が子供を愛するんではなくて子供から親が愛されるんですね。
子供からの無条件の愛を浴びているうちに、子供を無条件に愛していくようになる。
母親の気持ちはもうちょっと深いみたいですが、父親の場合のぼくはそんな感じです。
子供に愛し方を教わる感じです。

よく神からの愛は無条件だといわれますが、「無条件の愛」というのがピンときませんでした。
もの心ついてから我執の毒にまみれて生きて来たものですから、「無条件の愛」という言葉が
胸の中で虚しく響くだけでした。

無条件にこの素晴らしい地球上に存在させてもらうことに対する感謝の気持ちというのは、
本来は持って当たり前だったのかもしれません。

ぼくの子供もやがて「我」が芽を出し、肥大し、人を傷つけ、傷つけられるでしょう。
ぼくの子だから、「我」が暴走し、周囲を大いに困らせるかもしれません。
でも、その苦く苦しい経験を経てこそ、自分が無条件に愛される存在であったことに気が付く時、
大きな祝福と喜びに包まれるのでしょう。

人の人生はホント登山と一緒ですね。
登っている最中は、きつくて辛くて、なんでこんなことしているんだろうと自問自答を繰り返す。
道に迷うこともあるし、転落すれば命がないし、天候だってくるくる変わる。
でも、そんなこんなも、頂上に立ったら全てが吹き飛び、下山すれば全てがよき思い出。

山に限らず、路傍の花でも自ら咲かせたきれいな花を散らせ、枯れることで種子を残します。
翌年にはより多くの花を咲かせるために。
川も地上の塵芥を流し去り、土地の隅々まで命の水を行き渡らせ、海はその塵芥を養分とし、多くの生命を育みます。
自然はそのままで生きるヒントに満ち溢れています。
自然は昔のまんま目の前にあり続けてきたのですが、その自然を見る人の目が曇りに曇ってしまいました。
曇った目でいくら難しい本を読んでも、どこへ進んでいいかわからず右往左往するばかりです。

そんなこんなで、今日も五月晴れの青空です。