風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

自分を守る

2007年02月09日 | スピリチュアル
今朝は滝に行こうと早起きしたのですが、早く起きすぎて二度寝してしまい・・・
そんな感じで、今日も春めいた天気です。

いろいろとトンデモな世界の本を漁っていたら、ある勢力の陰謀論にまで行き着いてしまいました。
その真偽はともあれ、現在の世の中がその勢力の画策した通りにはなっているようです。
自然に対する畏怖を忘れ、人権を声高に叫ばなくても人間本来自由であることを忘れ、金銭に小突き回され、
自らの共同体への不信を募らせ、モラルが低下し、何より畏れ多きものに対する信仰心を失い・・・

まぁ、行き着くまで行き着くしかないみたいです。
でも、日本にはどんな集落にも神社が鎮座しています。
かつては確固たる共同体があり、神に感謝を捧げる祭りが行われていました。
こういう国というのは、さすがのそういう勢力も入りこめませんでした。
でも、今は、若者は出て行き、こどもの姿も無く、村落の文化パワーというのは瀕死の状態です。
日本という国全体が、そういう勢力の入り込む隙だらけの国になってしまいました。

日本のカミ様というのは、上から人を一方的に支配する存在ではありません。
祭りを通じて、カミも喜び、人もともに喜ぶという存在です。
喜こびがあるところに、邪悪の付け入る隙はないです。

「自分が」「私が」と我を通していくと、笑顔よりは苦悩が増えます。
苦悩が増えると、魔が付け入る隙ができます。
心の曇りを落とし、笑顔が絶えない生活ができるようになれば、大丈夫みたいです。

生活を営むためには、そりゃ多少の頑張りも必要です。
でも、いやいや頑張るのと、喜んで頑張るのとでは、心の風景が違います。
生活が苦しくとも、心の中に素敵な風景が広がっていれば、人は笑顔でいることができます。

下らないテレビは見ないで、星空を見たほうがいいでしょう。
今は報道番組でさえ、捏造と虚報に充ちています。
お金は溜め込まないで、入ってくるお金で、楽しく暮らすすべを覚えたほうがいいでしょう。
粗食は心身にとてもいいです。
自分に起こることは、自覚があるにせよ無いにせよ、自分が引き寄せたことですから、しっかりと立ち向かっていくことが重要みたいです。
世の中を救うために何か大袈裟な運動に参加するよりも、自分の身の回りをきちんとこなすことが、一番世の中のためになるみたいです。
美辞麗句は必要ない暮らしができるといいです。
縁側に座って、ああいい風だと嬉しくなるような暮らしができるといいです。

近くの神社の祭日には、手を合わせて感謝するのもいいみたいです。
そうすると、自分も楽しくなってくると、なおいいですね。

自分を守るのは自分です。
自分を大切にできるのも自分です。
あとは、そんな自分を天から見守っている存在を感じることができれば、とは思うのですが。
自分を見守る存在などないと思いながら、自分を守らなければならないとしたら、この世はなかなか大変です。
自分の道が正しいのか、正しくないのか、ちゃんと守りきれているのか、守りきれていないのか、全部自分で判断しなければなりません。
その判断が正しいのか、正しくないのか、そもそも自分ってなんだとか、際限のない疑問に対処しなければなりません。
哲学者ならその際限のない疑問に対処し続けることこそ哲学の道なのでしょうが、生活者はそれではなかなか大変になります。

でも、どんなふうに思い、感じ、判断するのも全部自分です。
まずは、何が何でも自分を大切にするという覚悟をしっかりと持つということからでしょう。

なんかトンデモな世界に入り浸っていたら、変な感じの口調になってしまいました。
押し付けがましかったら、ゴメンなさい。