鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

春眠

2009-03-07 00:14:28 | ゼニガタアザラシ・海獣
Photo
All Photos by Chishima,J.
ゴマフアザラシ 2009年2月 北海道十勝海岸)


 2月末日。朝の厳しい冷え込みに反して、風も無く穏やかな陽射しの注ぐ日中。ふと訪れた漁港のスロープに1頭の若いゴマフアザラシが上陸していた。その存在を知らずに車で闖入してきたこちらを、彼(腹部の臍の下に陰茎口のあることからオスと判る)は一瞬気にしたが、エンジンを切ると再び元のリラックスした雰囲気を取り戻した。「これは近付けるかもしれない」、そう直感した。臆病でこちらが姿を現さなくても気配で降海してしまうゼニガタアザラシとは違って、ゴマフアザラシ、それも若い個体は、時間をかけてゆっくりと、姿勢を低く保って接近すれば、かなりの近距離まで寄ることができる。
 車を降り、そっとドアを閉めるとまずは匍匐前進で近接を試みる。大丈夫、ほとんど警戒されていない。氷と泥が混じったスロープで腹這いになるのはキツい。少しばかり体を起こし、膝を立て蹲った姿勢で再度距離を詰める。彼は時々こちらを一瞥するが、再び眠りに落ちる。何か自分より大きな生物がいるが、特に危険な存在ではないと感じてくれたようだ。
 数分をかけて彼が眠る波打ち際の真横に辿り着いた。距離は20mを切っているだろうか。僕も同じように横になり、カメラを構える。アザラシはすっかり寛いだ雰囲気で、時折目を開けると欠伸をしたり、体を反らせては伸ばしたり…。野生動物を追いかけている人間にとって、このように本来の姿でいる動物と同じ空間を共有できた時に勝る喜びは無い。


欠伸をするゴマフアザラシ
2009年2月 北海道十勝海岸
Photo_2


 アザラシは体長1m強程度で、去年かせいぜい一昨年生まれの若者だ。生まれ故郷のオホーツク海、若しくは根室海峡あたりを離れて北の海をさすらい、十勝の沿岸に辿り着いた(もっともゴマフアザラシは長距離の移動・分散を行う種で、ウラジオストック近海で標識付けされた個体が北海道沿岸で回収された例もあるので、彼がオホーツクの生まれだと決めつけることはできないのだが)。この1、2年の間には様々な辛酸も舐めたことだろう。離乳したはいいが餌が捕れなくて痩せ衰えたこともあったかもしれない。沿岸に稠密に張り巡らされた刺し網や定置網で命を落としそうになったこともあったかもしれない。そして、この先彼を待ち受ける運命も波乱にとんだものであるかもしれない。一部の地域ではゴマフアザラシの来遊数が増加したことによって、漁業との軋轢が顕在化している。流氷の減少や沿岸での油流出も危惧されている。
 まあいい。そうした杞憂は、今は忘れ去ろう。麗らかな陽光の下で春眠を享受している彼は、この瞬間至福に包まれているはずだから。こちらもその幸せのお裾分けに預かろうではないか。
 この日とその翌日、海岸線に沿って飛翔する、北上してきたばかりのオオハクチョウやヒシクイの群れを幾つも見かけた。オホーツク海を南下してきた流氷原の上では、ゴマフアザラシたちの出産期が間近に迫っている。新しい命を育む季節の到来が、着実に迫っている。


流氷上のゴマフアザラシ
2009年2月 北海道目梨郡羅臼町
Photo_3


ゴマフアザラシ
2009年2月 北海道十勝海岸
Photo_4


(2009年3月6日   千嶋 淳)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿