TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポの散歩道でウォーキングの練習、 その6

2009年02月11日 | トッポの世界
赤レンガから、ランドマークとコンチネンタルホテルを臨みます。



トッポも休憩です。



トッポパパ、『お前も、ずいぶん白髪になったな!』
トッポ、『うるさい、でもまだ毛はある。 禿じゃない。』
トッポパパ、『



この日は、曇りの天気だったのですが、雲の切れ間から日が差し始めました。



ママがちょっと出かけたので、トッポと二人で移動です。



一人でカートを押していると、どうもリハビリ中の小父さんに、思われているようです。



雲の切れ間から、太陽がベイブリッジを照らし出し、きれいに浮かび上がりました。



ベイブリッジは横浜のシンボルで全長860mあります。



ベイブリッジの道路下に、平成元年に誕生した横浜港を一望できる歩行者専用展望通路&展望ラウンジがあり、海面からの高さ約55mのスカイラウンジは、360度の夜景をゆっくりと楽しめるのスポットです。

展望ラウンジはこちらからどうぞ。 反対側の景色はこの紹介日以降の日に掲載しています。



続く...................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その62の2 『唐津城』

2009年02月10日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
現在の唐津城は、五層の壮大な天守が有名です。
しかしこの天守は模擬天守とも言われています。
本来の唐津城には天守はなく、当初秀吉の名護屋城の天守を移築する予定でしたが実現せず、その後徳川幕府に遠慮し築かなかったようです。



現在の天守閣は1966年に建てられたそうです。
この天守が、会津若松城(鶴ヶ城)の天守と非常によく似ているので、模擬天守と呼ぶ人もいるようですが、実際はどうなのか分かりません。

会津若松城(鶴ヶ城)も紹介していますので、比べてみてください。



唐津城の本丸は、唐津湾に突き出した30mほどの満島山の山上にあります。
後で紹介しますが、本丸のある山の東側には、少し離れて国指定特別名勝『虹ノ松原』(日本三大松原の1つ)のある岬があります。



唐津城の風光明媚な町並の基礎を築いた初代藩主・寺沢広高の功績は多大なものがあります。
その後、関が原の戦いなどの戦功により天草領4万石を合せ12万3000石の大名となりましたが、1637年の島原の乱によって天草領土を没収され、藩財政の悪化により自害し寺沢家は断絶してしまいます。



唐津城の城内には薄紫色の花をつける有名な藤棚があり、つつじと共に訪れる人々の心を癒してくれます。
藤棚がある一角は場内に登る途中になりますので、斜行エレベーターを利用して上ってきた場合はいったん階段で降りないと観ることができません。



上段への入口には櫓門があり、この櫓門は茶室櫓と呼ばれています。



斜行エレベータで城に向かうと、1993年に復元された三の丸辰巳櫓に出ます。



大きな石の唐津城の碑石が、本丸にあります。



右奥に見える東屋のようなものは、虹の松原を展望する場所のようです。



続く.................................................................。

トッポの散歩道でウォーキングの練習、 その5

2009年02月09日 | トッポの世界
この日は風が強かったので、海岸線はトッポも歩いたりカートに乗ったりと忙しいです。



いつも紹介するプカリ桟橋も、この位置から撮ると、いかにも海に浮いている桟橋になります。
海上旅客ターミナルとして、1階は船の待合所、2階はフローティングレストランになっています。
夜はライトアップされ、周辺の眺めが良いので夜景デートスポットとしても人気です。



トッポ、『大きなスイカみたいだ!』



臨港パークの反対側に回ると、たしかにスイカのように見えます。
以前紹介した、ドバイのホテルもスイカのような形でした、 参考まで



赤レンガまで移動します。



トッポ、『そんなに早く行かないで!』
少しでも離れると、降りたがります。



下田のウォーキングで8kmも歩いたのは、トッポパパが先に歩いたので、トッポは知らない土地で置いていかれては大変だと思ったのが理由かもしれません。



逆にトッポパパが遅れると、カートを降りて写真のように動かなくなってしまいます。



だいぶ歩いてきたので、少し休憩です。



続く..................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その62の1 『唐津城』

2009年02月08日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
玄界灘に臨む城、『唐津城』を訪問しました。



唐津湾に面した小高い満島山の上にある唐津城の遠景を撮りたくて、城内橋を渡り離れた位置から、近づいています。



玄界灘に臨む要衝の地に築かれた城です。
1595年、豊臣秀吉は側近の寺沢広高を唐津の地に封じて、朝鮮出兵の根拠地、名護屋城の後詰の城を築かせました。
1600年の関ケ原の合戦の功により、徳川幕府より寺沢広高は12万3千石を与えられ、1602年から7年の歳月を費やして現在の地に唐津城を築城しました。



築城に際しては九州諸大名の助力を得て、名護屋城の解体資材を活用し、河川や地形を変更するなどの大工事でした。
唐津城は北は玄界灘に面し、東は松浦川、西と南は堀で囲まれた水城のようです。



唐津城本の丸がある満島山は、虹ノ松原から続く砂州によって陸繋島となってますが、ここの結合部分を切り離し、東の防備をしたのでしょう。



唐津城は、山頂部に本の丸を置き、西に二の丸・三の丸を配置し、更に南に外郭を設けた中規模の城であった。



上に上がるには、奥の海外沿いからエレベータも用意されています。



健脚の方は、ごらんの石段を上れば本丸に到着します。



続く...................................................................。

トッポの散歩道でウォーキングの練習、 その4

2009年02月07日 | トッポの世界
途中で出会ったワンちゃんの紹介です。



ちょっと変わった毛並みのワンちゃんでしたので、犬種を尋ねたらMIX犬だとのことでした。
とてもかわいらしい感じのワンちゃんで、まだ若いのかとても人なっこいワンちゃんでした。



お洒落なワンちゃんに囲まれて、戸惑い気味のトッポです。



相変わらず社交性にはかけているようです。



お願いして、ポーズをつけてもらい、かわいい写真が撮れました。



白の毛並みがきれいなワンちゃんですが、シャンプーが大変なのでしょうね。



先を急がなければならないので、公道に出てカートで移動です。



トッポパパが先へ行くと、こんな感じで追いかけなくてはと降りたがります。



途中にある、万葉倶楽部です。
MM21にある温泉で、熱海・湯河原・由布院・武雄の温泉を大型タンクローリーで運んでくるそうです。
日帰り温泉で、結構人気が有り利用者も多いそうです。

ご利用されたい方は、こちらからどうぞ



万葉倶楽部を眺めながらもう一度海岸線を歩いて赤レンガを目指します。

続く....................................................................。

海外の都市の紹介、 その58の3 『バンコク、 PartⅢ』

2009年02月06日 | 海外の都市の紹介
暁の寺院の仏塔をバックに友人の記念撮影です。



仏塔には階段があり、上からはバンコクの眺望が楽しめます。



入り口には怖そうな像が建っています。



日本で言えば、寺院にある仁王様のようなものでしょう。



これはブタですね。



タクシン将軍かラマ三世の像だと思われます。
昔は、王様の乗り物は象だったのでしょうかね。



芝生の上にいたタイのワンちゃんたちです。
バンコク市内でも、リードに繋がれたワンちゃんを見ることは滅多にありません。
最近は狂犬病等の問題もあり、放し飼いの是非が検討されているようですが、まだ全然改善の様子は見られないようです。



遠くにバンコクの市街地を見ながら帰路に着きました。



それではバンコクより

トッポの散歩道でウォーキングの練習、 その3

2009年02月05日 | トッポの世界
臨港パークの端に建っている『リマちゃん』像と一緒に、記念撮影です。
1899年、日本人移民790人を乗せた第1回移住船「佐倉丸が本郵船会社)が横浜港からペルーに出港しました。
ひと月以上の時間をかけて、ペルーのカヤオ港に到着しました。
4月3日に到着したので、『ペルー日本友好の日』は、初めて日本からペルーへ移住者が到着した日を記念にしているそうです。



ペルーには『さくらちゃん』像が建っているようです。
リマちゃんはペルーの方角を向き、右手を差し出しています。
リマちゃん像の横には「リマちゃんと握手」「!HOLA AMIGOS!こんにちは アミーゴス」と書かれています。
トッポ、『説明もいいけど、公園を走らない?』



トッポに促されて、走り出したトッポパパです。



走ることなど滅多にないので、足の運びがぎこちないようです。



トッポも人間の年に換算すればトッポパパと同じぐらいのようですが、ワンコのほうがまだ運動能力は数段優れているようです。



すぐに置いていかれてしまいます。



ママがカメラを持つと、こんな写真も撮れるようになりました。



先が長いので、トッポをカートに入れて動き出すと、途中で可愛いワンちゃんたちに出会いました。



インターコンチネンタルホテルの向きで、移動角度が分かります。
次回は可愛いワンちゃんを紹介します。



続く................................................................。

海外の都市の紹介、 その58の2 『バンコク、 PartⅢ』

2009年02月03日 | 海外の都市の紹介
チャオプラヤー川の周辺は、高級リゾートを思わせる領域もあるようです。



いくつかある小さな仏塔周辺の様子です。



お釈迦様がともに苦行をしていた5人の仲間に教えを説いている図なのでしょう。
これ、どこまでが本物の景色か分かりますか?



菩提樹です。
菩提樹の木は仏教だけでなく、インドヒンドゥー教においても聖なる木として古くから崇められてきました。



シッダールタ(お釈迦様)は、菩提樹の木の下で49日間の瞑想をおこないブッダ(目覚めたもの)となったとされています。
菩提樹の種子で造られたものを、菩提樹珠と呼ぶそうです。



アユタヤ王朝がビルマ軍により滅ぼされた後のタイ国はタークシン将軍によりアユタヤを取り戻しますが、王都の破壊が激しかったため再興をあきらめ、この地トンブリーに遷都します。

アユタヤは、こちらの紹介日以降、何回かに分けて紹介しています。



その後のビルマの再来襲があり、周辺諸国との戦争の心労でタークシン王は精神錯乱に陥ってしまいます。
王の暴政に怒った部下のチャクリ将軍(後のラマ1世)がクーデターを起こし、タークシン王を処刑し、対岸のバンコクに遷都してチャクリ王朝を築くことになります。 



ワット・アルンの大仏塔はラマ3世の時代に完成しました。
表面には色鮮やかな中国製の陶器がはめ込まれています。



それらの建物をヤック(日本では夜叉?)が支えています。
お皿をはってあったり、陶器で作った飾りをはりつけてあるので、これら陶器が光に当たると輝くので『暁の寺院』呼ばれます。



続く..................................................................。

トッポの散歩道でウォーキングの練習、 その2

2009年02月02日 | トッポの世界
汐入りの池に架かる橋にトッポパパが先に登ったので、あわてて追いかけてくるトッポです。



カートに乗っていても、同行者が見える範囲にいる場合はおとなしくしていますが、少し離れたり、見えなくなったりすると、降りて追いかけようとします。



いつも、こんな感じで目を真ん丸くして追いかけて来ます。



あわててカメラを構えたので、ちょっとブレてしまいました。



こして追いかけてこられると、飼い主冥利に尽きますね。



橋の上から、インターコンチネンタルホテル方向の景色です。



いつもこの海外線沿いを歩きながら散歩しています。



トッポの舌なめずりの瞬間です。



臨港パークの中ほどに、大きな錨のモニュメントがあります。
晴天だと、青空にベイブリッジが映えて、いい写真の撮れる場所です。



続く...................................................................。

海外の都市の紹介、 その58の1 『バンコク、 PartⅢ』

2009年02月01日 | 海外の都市の紹介
久しぶりにバンコクの紹介です。
過去に紹介した、黄金に輝くタイ仏教寺院とは一味違う、ヒンドゥー教色の強いお寺、『ワットアルン』です。



『ワットアルン』の『ワット』はタイ語で“寺”、『アルン』は“暁”を表します。



チャオプラヤー川の向こう岸ワットアルンへは、渡し舟でわたります。
運賃はたった3バーツです。



チャオプラヤー川は、時折快速観光船が行き来しています。



ワットアルンは、高くそびえる5基の仏塔が建っています。



大仏塔の高さは75m、台座の周りは234mもあります。
タイのほかの場所の仏塔と異なり、ワットアルンはヒンドゥー教の聖地カイサーラ山をイメージして造られたものです。
また三島由紀夫の小説『暁の寺』の舞台にもなりました。



大仏塔の正面右側にある本堂です。
2体の鬼が入口を守っています。



塔の表面は陶器の破片で飾られ、さらに基壇の部分にはラーマキエン物語に登場する鬼やガルーダ、ハヌマーンが飾り付けられています。



タクシン将軍がトンブリー王朝を開いた際に、ここを王室寺院としました。
戦の才能に秀でていたタクシン王が、現在ではエメラルド寺院に安置されているエメラルド仏をラオス侵略時にタイに持ち帰り、この寺に安置したそうです。



続く..................................................................。