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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その38の4 『萩』

2008年01月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
萩明倫館は、現在、萩市立明倫小学校の敷地内に残され、有備館、水練池、聖賢堂などの遺構が残っています。
国指定史跡にも認定され、現在の小学校も重厚な歴史を伝えています。



それでは萩の城下町を歩いてみることにします。



月輪山円政寺です。
円政寺は大内氏の祈願所として山口にあったそうですが、毛利氏とともに萩に移ったお寺です。
伊藤博文や高杉晋作がここの境内で遊び、学んだそうです。
中には高過ぎ晋作が肝試しをしたという大きな天狗の面や、遊んだ木馬(神馬)が残っています。



伊藤博文は11歳の時、、住職恵運に諭され、ここで読み書きを習いはじめたそうです。



木戸孝允(桂小五郎)の生家です。
木戸孝允は1833年萩藩医、和田昌景の長男として生まれましたが、後に桂家の養子となったので、桂小五郎の名でも知られています。
木戸孝允は、この家で約20年間過ごしたようです。



17歳で、吉田松陰の門下生となり、尊皇攘夷運動に参加します。
20歳のときに江戸に遊学し、造船術や蘭学を学びます。
25歳で萩藩に登用され、1866年に坂本竜馬の仲介で薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通らと薩長同盟を結びます。



維新後は、名を木戸孝允に改め、新政府の要職を歴任し、西郷隆盛、大久保利通とともに維新の三傑と呼ばれました。



高杉晋作の生家です。
松下村塾で吉田松陰に認められ頭角を現し、『奇兵隊』を組織し、倒幕運動の中心的役割を果たしました。



生家の庭には自作の句碑ほか、多くの石碑があります。
現在も平屋立ての母屋と、産湯に使った井戸が残っていて、家の中では晋作ゆかりの写真や書などが展示されています。



続く...............................................................。

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2 コメント

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Unknown (ネコ娘)
2008-01-25 17:30:51
ぉおお!歴史の教科書で見慣れた方々のお名前が!
北海道はクラーク博士くらいなんで
こうした歴史ある場所に憧れちゃいます
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ネコ娘さんへ (TOPPO PAPA)
2008-01-28 22:52:04
長州藩は、ちょっと萩の城下町を歩くと、昔学校で聞いたことのあるような名前に出会います。
そういえば、横浜にはあまりいないような気がします。
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