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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その38の1 『萩』

2008年01月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
幕末以来、日本の政治に多くの影響を与えた長州藩ですが、その歴史を尋ねて山口県の萩を訪問しました。
現在も教育論が出ると理想の教育者として紹介される『吉田松陰』ゆかりの松蔭神社から、萩の紹介を始めます。



吉田松陰は1830年に萩で生まれた長州藩士で、思想家、教育者、兵学者としても有名です。
明治維新の事実上の精神的理論者として高い評価を受けています。



吉田松陰といえば『松下村塾』と歴史で習いました。
萩城下に、松陰の叔父さんにあたる玉木文之進が1842年に設立した塾が松下村塾のはじまりとされています。



吉田松陰は1855年に、松下村塾を主宰し、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れました。
松下村塾の存在は萩城下に知れ渡り、萩だけでなく、長州藩全体から才能ある若者達が集うようになったそうです。
吉田松陰自身が塾生の指導に当たった期間は2年ほどだといわれています。
その短い期間に、松陰は塾生たちと一緒になって、日本が今抱えている問題に対する自分の考え方を教え、農作業をも共にしながら、心身両面の鍛錬に重点をおく教育をしたそうです。



『人間とは何かを学ぶことである』と説き、『学者になってはいけない。 実行しなければならない』と教え、学んだことを活かし実行に移す大切さを強く説いたとされています。
松下村塾の門下生には、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖など歴史に名を残した人が多くいます。



松下村塾の門下生は明治政府において、内閣総理大臣2名、国務大臣7名、大学の創業者2名を輩出することになります。



その人たちが、この松下村塾で学んでいたと思うと、吉田松陰の偉大さと、門下生の日本にかけた思いが伝わってきます。



幕末の松下村塾に習い、経営の神様松下幸之助が設立したのが『松下政経塾』でしょう。
松下政経塾をちょっと調べましたら、なんと塾が設立されて四半世紀が過ぎて、出身者の7人に1人が国会議員となり、地方政治を含めると実に3人に1人が政治家として日本社会に深く浸透しているそうです。



ここが松下村塾の講義室です。
この狭い空間で吉田松陰の教えを受けた門下生が、日本の歴史をつくる活躍をしたことを考えると、近代史はここからの出発になるのでしょう。



続く...........................................................。

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2 コメント

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Unknown (あんれに)
2008-01-21 02:19:32
萩、津和野は随分前に行ったことがあります
吉田松蔭ゆかりの地なんですね
松下村塾の門下生は歴史に名を残した偉人ばかりですね
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あんれにさんへ (TOPPO PAPA)
2008-01-22 18:58:31
トッポパパも初めてです。 高知の桂浜で坂本龍馬をちょっと知ることになり、萩を一度訪問してみたいと思っていました。
歴史を尋ねながら歩くと、結構面白いものですね。
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