走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

種を蒔く

2011年06月16日 01時55分39秒 | 考え方
 古い故事に次のようなものがある。

 「世の中に、種蒔かずして
  物の生えし例(ため)し無し
  種蒔きてこそ、
  遂に運や開けん」

 最近、目先にばかりに走っていた自分に気づく。
 そして、この諺を思い出す。
 すると、スーと気が楽になる。

 まず、自分のことは考えない。
 それにかかわっている人たちがどうすれば幸せになるのかを優先する。

 そして、形になるよう支援する。

 これだけに徹しようと今は思っている。

あなたの街に住みますプロジェクト

2011年06月15日 23時42分19秒 | つぶやき
 さすが吉本興業だと思った。

 昨日、吉本興業の芸人3人組「モストデンジャラストリオ」が野志市長を表敬訪問したという。
彼らは、吉本興業が進める47都道府県に所属タレントを移り住ませ、笑いを通じて地域を活性化する「あなたの街に住みますプロジェクト」の愛媛県担当なんだそうだ。

 「笑い」というキーワードで地域に根ざした笑いを創造しようという試みは、まるでJリーグのような取り組みである。
彼らが地域情報を発信したり、地域に笑いを振りまいてくれるのなら、私たちは彼らを一生懸命応援する必要があろう。

 そして、彼らがJ1に上れるよう願おうではないか!



硬い心は...

2011年06月14日 22時21分17秒 | 考え方
 心理学者の榎本博明(えのもと・ひろあき)さんは、「硬い心はポキッと折れる」という。

 その根拠として次のように説明している。

 ちょっとしたことでひどく落ち込む人もいれば、相当の逆境に置かれても淡々と乗り越えていく人もいる。
両者を分けるものは何なのか、職業柄、落ち込みやすい人の話を聞く機会が多いが、気になるのはモノゴトの受け止め方である。
どうも硬直化していて柔軟性にかけるように思われてならない。

 硬さは脆さ(もろさ)につながる。
うまくいっているときはよいが、人生よいことずくめではない。
逆風にさらされたとき、しなやかさが欠けるとポキッと折れてしまう。
鬱(うつ)というのはそのような状態をさす。
ただ硬いだけでなく、圧力がかかってもしなりながら持ち堪(こた)えるやわらかさがないと、本当の強さとはいえない。

 心の強さというとき、柔軟性とともに重要なのは、悩みや思い通りにならない現実から目を背けず、前向きに悩み苦しむことができる力である。
目の前の苦しい現実から目を背けて逃げることはたやすいが、それは心の弱さのあらわれといえる。
悩み苦しみながら、精一杯前向きに生きるところに人間の尊厳がある。
楽しくイキイキした姿も魅力的だが、もがき苦しみながらも何とかがんばって苦境を乗り越えていく姿にも心を打つ美しさがある。

 悩まない人は、悩みとうまく付き合う方法を知っている・・・

                    PHP社「心が折れない人」の習慣より

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榎本博明(えのもとひろあき)

名城大学人間学部教授、心理学博士。
1955年東京生まれ。
東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻中退。
川村短期大学講師、大阪大学助教授などを経て、現在に至る。

<主な著書>
『内向性だからうまくいく』、『あなたの魅力をひきだす心理学』、『<私>の心理学的探求 』など多数。
会社は人間関係のルツボ。そのため、相手の心理や性格をつかんでいれば、仕事もスムーズに運ぶ。
「会議で自分の企画案を通すためのコツは」「部下のやる気を高めるには」——などビジネスに役立つ対処法を紹介。


えひめから夢を

2011年06月13日 22時45分58秒 | インフォメーション
 東北を明るくするために、ひまわりを被災地に送ろうというプロジェクトが立ち上がっています。

その名も「ひまわりチャリティプロジェクト」

本プロジェクトでは、下記のとおり「東北復興チャリティイベント」を開催します。

 ☆日 時/6月26日(日) 開場13:00 開演13:30-17:00(予定)

 ☆場 所/松山大学 820号室

 ☆入場料/3,000円 学生(1,000円)
      入場料のすべてはあしなが育英会を通じて東北地方太平洋沖地震の義捐金とさせていただきます。

 ☆内 容

  第一部 13:30~ 西田文郎 講演会  

  第二部 15:30~ 森 源太 被災地からのメッセージライブ

  第三部 16:15~ 西田文郎に聞く 「今! 私たちができること」

 ☆先着500名限定 早い者勝ちです!!

 ☆問合先 マミーズファミリー(担当:増田幸恵) TEL 089-947-7881

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■西田文郎(にしだ ふみお)

・株式会社サンリ代表取締役会長
・作家
・スポーツ体力研究所サンリ所長
・JADA能力開発分析協会会長
・西田会会長
・西田塾塾長
・NPO法人K-リーグ顧問
・株式会社ビービーエス・ラボ顧問

■生年月日
1949年5月5日生まれ

■主な著書
「ツキを超える成功力」
「人生の目的が見つかる魔法の杖」
「ツキの大原則」
「No.1理論」他多数

■その他
トレーニングジャーナル
コーチングクリニック
アイアンマン
ビジネスレポート 他多数

(社団法人)日本能率協会、日本経営合理化協会、日本経営士会、中部産業連盟等の講師として日本の経営者、ビジネスマンの能力開発指導にたずさわり大脳生理学と心理学を利用して脳の機能にアプローチする画期的なノウハウ『スーパーブレイントレーニングシステム』を構築。
驚異的なトップビジネスマンを数多く育成している。このノウハウは誰が行っても意欲的になってしまうためナンバーワン講師として高い評価を受けている。
今この画期的な科学的なメンタルマネージメントシステム『S.B.T.』の指導を受けている組織や個人に大変革が起こり、企業の一人あたりの生産性が飛躍的に向上するため『能力開発の魔術師』と言われている。
この『スーパーブレイントレーニングシステム』は日本のビジネス界のみでなく、スポーツの分野では科学的なメンタルトレーニング指導の日本のパイオニアで、これまで多くの選手を指導し成功に導いている。
日本のビジネス界、スポーツ界、教育界、その他多くの分野に科学的なメンタルマネージメントの導入を行ったメンタルトレーニング指導の国内第一人者である。


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■森 源太 (もり げんた)

■生年月日
 1978年10月11日

■出身地
 長崎県西彼杵郡時津町生まれ

■職 業
 シンガーソングライター

■その他
 高校時代、ある夢を抱くが、挑戦することもなくすぐに諦める。
 音楽の授業が一番嫌いな、学校にもロクに行かない内気な学生時代を過ごす。
 卒業後、何の目標も夢も無く、ただ流されるままに大学へ進学。
 18歳
 友達の弾く尾崎豊の(15の夜)にあこがれ、ギターと出会い夢中になる。
 21歳
 はじめて作ったオリジナル曲を路上ライブ中に出会った人に褒められ大喜び。
 「こんげん楽しかことで生活出来たら幸せかろうなぁ」
 プロのシンガーソングライターになるという夢を抱く。
 周りが就職活動はじめていく中、音楽の勉強もしたことの無い自分がプロになれるわけは無い。
 と、心の中ではすでに音楽をやめる時のことを想像しつつも
 「いつか来るであろう夢を諦める日に、自分が納得できるように」と、夢を追うことを決意する。
 22歳
 大学卒業後、東京へ上京。
 東京の路上で1年間唄うも、全く見向きもしてもらえず、自分の存在価値を見失い、どんどん自分を嫌いになっていく毎日の中、
 幾度となく全てを諦めそうになる。
 「こんままやったらオイはダメになってしまう。何か、挑戦ばしよう。挑戦ばして、そいでん自分の何も変わらんかったら
  キッパリ諦めて長崎に帰ろう。」
 23歳
 一念発起してママチャリ日本一周路上ライブの旅に出発。
 全財産3,000円だけを握りしめ、ママチャリに乗り1年7か月をかけ、47都道府県、約8,000キロを走破。
 生活費は全て路上ライブにて賄(まかな)う。
 日本全国でたくさんの人の優しさや応援と出会い、少しずつ前向きになっていく。
 しかし、日本一周後、目標も自信も無くし、またもふらふらとした1年間を過ごす。
 25歳
 ある人の言葉で、自分の唄一本で生きていく覚悟を決める。
 「オイは、自分の歌ば唄うて生きていきたかです!オイの唄ば聴いて下さい!」
 覚悟を決めた途端、自分の唄だけで食え始める。
 3年間、大阪府箕面市を拠点としてシンガーソングライターとしての活動を続ける。
 26歳
 あるNGOのテーマソングを作ったことがきっかけでカンボジアという国と出会う。
 そこで強く生きる人たちと触れ合い、一緒に唄う中で惹かれていく。
 同時に、今なお残る地雷の現状も目の当たりにする。
 翌年からカンボジア地雷除去イベント「ぜろ祭り」を日本全国の仲間たちと共に主催(毎年10月開催)
 28歳
 カンボジアに移住。
 首都プノンペンの路上やスラム、孤児院や学校、飲食店等で唄いながら1年間をカンボジアで生活する。
 29歳
 日本へ帰国。
 再び大阪を拠点に全国でライブ活動を再開。
 現在
 全国でのワンマンライブ、イベントへの出演、小学校~大学、専門学校などでの講演活動などの行い、年間のライブ数は150本にのぼる。
 現在までにオリジナルCD5枚、DVD1枚を製作、発売。

■今、オイの想いよること
 オイは、普通の人間です。
 21歳の時、本気で唄うていこうって決めるまでのオイは、自分のことが、嫌いで嫌いで、情けなくて惨めで、上っ面だけで生きとった。
 そんげん人間が、自分の人生ば真剣に考えて、自分ば好きになりたくて、歌ば唄い続けた。
 何回も諦めそうになった。
 でも、やっぱり諦めきれんで唄い続けた。
 自分なりの岐路に立つ度に、自分に『正直』に決断してきた。
 自分自身にだけは嘘はつかん。
 自分の音楽にだけは絶対に嘘はつかん。
 自分に正直であろうと、覚悟ば決めたら音楽だけで食え始めたとばい。
 こんげん普通の人間がよ。弱虫くんがよ。
 不安は誰の心の中にもあるって思う。
 そして、心の声は、誰の心の中にもあるはず。
 下手クソでも、笑われても、馬鹿にされても、不安でも、怖くても、逃げたくても。
 自分の心に正直に、一歩ば踏み出そうよ。
 ひたむきに歩くその姿は、心ば込めて伝えようとするその姿は、絶対に誰かが見てくれとるけんさ。
 いっぱ悩んで、苦しみ、考えて、そして、一歩ば踏み出そう。
 自分の一歩ば踏み出そう。
 お互いに、心も体も健康で頑張っていこうでねー!!!!
 いつもありがとう。

    げんた
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日本最高齢の助産師

2011年06月12日 23時45分44秒 | ちょっといい話
 今日のTBS「情熱大陸」の主人公は、坂本フジヱさん。

 1924年和歌山県生まれ。
23歳で出張スタイルのお産を専門とする「坂本助産所」を自宅に開業。
1997年に和歌山県田辺市に移転し現在に至る。

 出産以外にも子育て相談や中高生への性教育指導など、地域のよろず相談所として活躍する。
性教育もまっすぐ直球勝負。子どもたちは目を丸くしながら聞き入っている。
生物としての本能の中にある欲望をわかりやすく説明しながら、人としての「愛」の大切さを教える。

 わずか身長147センチの小柄な身体にみなぎるエネルギー・・・
どこから見ても「可愛いおばあちゃん」の坂本さんが手術着を着ると一変。
存在感も迫力も一気に1・5倍に増し、テキパキと指示を与える姿はまるで「不動明王」さながらだ。

 「自然なお産をしたい」と望む妊婦の間で話題となっている和歌山県の「坂本助産所」。
87歳の今も現役の坂本おばあちゃんは、66年の助産師生活で4000人もの赤ちゃんを取り上げてきた。 
 ある日、坂本おばあちゃんの元に一人の妊婦が訪れた。
「もう予定日なのに、旦那が入院しちゃって、ケンカもして・・・」
出産を間近に控え不安で心が押し潰されそうな妊婦を前に、坂本おばあちゃんは自らの亡き夫への想いを語り出した。

 「心残りはないが、もうちょっと話しとけばよかったと思う。会話というコミュニケーションじゃな・・・」

 生を取り上げる仕事をしながら、常に死というものを意識しているような気がした。
 それも自然体に
 人と人が支えあうためには、言葉というコミュニケーションが大切なんだよと教える。

 また、(赤ちゃんが)ご飯を食べないと心配して相談に来る母親。

 「心配せんでもええ、いつか食べるようになる。今は『食べる』ということに興味を持たせることよ。
  そして、何よりも親が大きな声で『おいしい、おいしい』と言いながら美味しそうにご飯を食べること。
  それをしっかり見よるから、食べるようになる。」

 まさに究極の親学であり、出産という神秘の現場を司る「87歳・カリスマ助産師」だからこそ言える言葉である。

この世は命のプール

2011年06月11日 16時25分18秒 | ちょっといい話
 歌手、加藤登紀子さんの人生は決して順風満帆なものではありませんでした。
彼女の夫は藤本敏夫さん。
彼と知り合ったのは1969年。
戦後社会が大きくうねった頂点の年に出会ったそうだ。
藤本さんは学生運動の指導者として、彼の言葉で数万の学生が動いたといわれています。

 そして、彼は獄中の人となります。

加藤さんは、すごい決断をしました。
獄中での結婚式。

 社会復帰をした藤本さんは農業へと自分の生き方を進めます。
その場所は、千葉県房総の鴨川。
彼は、加藤さんに一緒にいこうと誘います。

 加藤さんはかなり悩み、東京へ残る道を選択されたそうです。

そのときのことを加藤さんは次のように語っています。

「結婚の決断、東京に残ると決めたとき、人の心は振り子です。
思いは大きく左右に揺れ動きました。けれど、いつも人生の決断はひとつなのです。
あの時、私の心の振り子は、ひとつの答えを指しました。
そして、そのあとの人生を私は自分の責任で編み続けてきたつもりです。
 人生とはかくのごとく、のっぴきならない現実に向かい合うことの繰り返しです。
人は、その起こる現実に翻弄(ほんろう)されながらも必死で生きようとする。
そこに真に命の輝く瞬間があるのではないでしょうか。」と

 そして、娘のYae(ヤエ)さんは彼女と同じ歌手の道に進みながらも、父が選んだ鴨川に住んでいます。
その背景には、子どもの頃飼っていたハムスターが死に、埋める場所を探し回ったが見つからなかった悲しい思い出が、そうさせたのではないかと
 そして次のように続けます。

「都会で暮らす人々は、安全・快適・便利な生活のかわりに、約束ごとの多い社会で、あるべき姿に縛られながら生きています。
 一方、鴨川での暮らしも、毒虫に刺され、猪に襲われる危険性を常に覚悟する毎日。
自然において生と死はすぐに隣り合わせにあるのです。
 つまり、どちらの世界にあろうと、生きることは常に戦いをはらんでいます。
生きるとは本来、穏やかならざるもの。
そう悟ったなら、『どうしてこんなに心が波立つの?』と悩む度合いも減ると思います。
 それでもまだ苦しいならば、いっそハッキリと生きてみることです。
泣きたいときは泣き、困ったときは困ったと言う。
自分の心に素直に従うことが、結果的にはおだやかに生きることへつながるかもしれません。

 本来、人の心はゴムまりのように柔らかくて、しぼむように泣いたり、弾むように笑ったりするものです。
そのゴムまりをどんなに尖らせ、四角く見せても、人間の心はみな丸い。
そのことに気づく経験がありました。

 キャバレーで歌っていた頃のこと。
やくざの人たちがお客としてやってきました。
シャンソンを歌い始めた私に『そんな歌は歌うな、ひっこめ』と言う。
『じゃあ、何を歌えばいいの?』と私が聞くと、彼らは、『童謡を歌え』と言いました。
 私は『七つの子』や『かなりや』『シャボン玉』を一生懸命歌いました。
ふと見ると、やくざの人たちが泣いているのです。
誰にでも、愛しい人、大切な思い出やどうしても失いたくないものが心の奥底にあります。
彼らも、子どものように純なゴムまりの心を忘れていないのだと知りました。

 あの頃、私は現実を生き抜く人間の力に圧倒され、生きるとはどういうことかを教えられました。
今思えば、そうした経験が私に歌を続けさせてくれたのでしょう。
 心が揺れないと、歌は歌えません。
悲しみを知り、泣き、叫び、その末に笑った記憶がなければ、歌は聴く人の心に響きません。
 客席には心の振り子を揺らすまいと構える力もあります。
けれど、ふとした言葉や歌の間に、その方の表情が変わってきた時、私はその方を抱きしめたくなります。
その人のすべてが愛おしくてたまらなくなるのです。
 客席を眺めると、そこにはいのちのプールが見えます。
数え切れない人生の悩みや苦しみ、喜びをたたえたプールが目の前に広がっているのです。
 もし、あなたが悩み苦しんでいたとしても、そのあなたを愛おしく思い、抱きしめたいと思っている人はいます。
そしてまわりを見渡せば、あなたと同じように、悩みながらも生き続けている人ばかりだと気づくでしょう。

 この世は命のプール。

みんなで生きている。
あなたは、その中のひとり。
みんなの中のひとりなのです。」


 どうです?気が楽になりましたか。

鷹の子会談??

2011年06月10日 01時05分01秒 | びっくり
 松山市に久米地区というところがあって、そこに鷹の子(たかのこ)町というところがある。

 愛妻家協会愛媛支部長Kご夫妻はそこにお住まいなのだが、夫婦二人暮らしのため食卓の話題が少ないのか、どうやら毎日このブログの話が食卓に上がるらしい。

 そして、昨夜、携帯にメールが届き、私のニックネームを決めたと言うのである。
正直、おおきなお世話と言いたいのだが、それだけで盛り上がれる夫婦は松山広しといえどもこの夫婦だけである。

 私自身、いじられキャラだと自覚はしていたが、「そこまでいじるか!?」である。

 決まったニックネームは「竹(タケ)プー」である。

 決まったときの夫婦の笑った顔が目に浮かぶ...

 何度も繰り返すが、本当に大きなお世話である。

 決めた理由は、再掲した写真のせいであろう。

 そして、いかにこの夫婦が単純かは、日本語読みの「タケプー」は許せるが、英語読みしたときは「バンブープー」になる。

 もう少し国際感覚を持った夫婦になって欲しいものである...

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

2011年06月09日 19時39分50秒 | 考え方
 このことわざの意味は、「君子は、争いはできるだけ避けようとするものだが、かといって意見が異なる相手に無制限に同調することはない。一方、凡人は主体性に欠けるところがあり、有力な意見にはすぐに同調するが、全体の調和などに心を配ることは少ない」である。

 つまり、協調性は大切にするが信念はしっかり持ち続けている姿勢は大切で、付和雷同(自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。)する人の姿勢とは異なるということ。

 この似て非なるものの境は微妙なのかもしれない。
ただ、「協調性」というのは相手を慮(おもんばか)る視点からであり、一方、「付和雷同」とはどこまでいっても自分のことしか考えないという自己中心的な視点ではないかと思うのである。

 この視点の違いは大きい。

 世の中を動かすとき、自己が先に立つと動かない。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(全てを投げうつ覚悟で事に臨めば、道が開けることもある。思い切って身体を水中に沈めれば逆に浮かび上がることもあるという)」ということわざもあるが、まさにそのとおりだと思う。

 常に弱者に目をやり、その人たちの立場に立って発想したとき、「自分の成そうとしていることが本当に人のためになるのか」ともう一度自分に問うてみる。

 自己の思いだけでは人は動かない。

 そんな苦い経験を何度も繰り返してきた。

 でも、性懲りもなくまた動いてしまう。

 少しでも人の役に立ちたい...

 そんな思いからである。

転機

2011年06月08日 19時01分17秒 | 考え方
 性格上、いろいろな方から相談を受ける。
でも、相談を受けるときは既に答が出ていて、確認したいだけかもしれないと思うときがある。

 本当に苦しいんだろうなと思うのだが、何もしてあげれない。

 ビジネスをしていると何度かの転機に遭遇する。

 そんな時、踏ん張れるかどうかがその後の分かれ目になる。

 創業してがむしゃらに頑張ってきて、ある程度まで大きくなれた。
でも、どうしても次のステージに進めない。
社長自身が自分のせいだとわかっている。

 わかっているが、変えれない。変われない。

 そんな時は無理をしなくていい。

まず、立ち止まること。
そして、一歩前へ出るのではなく、一歩後ろに下がってみる。

 すると下がった方が視界が不思議と広がる。
横に階段があったら上ってみて、上から見てみる。

 不思議と見えなかったことが見えてくる。

 さらに、遠くの方に目をやってみる。

すごく気が楽になる。
慌てる必要などない。

 自分のペースでゆっくりと、進んでみればよい。


 こんなことしか言えない私で、ごめんなさい。

つくし園だより

2011年06月07日 21時59分10秒 | 地域情報/その他
 生石地区の中に社会福祉法人「松山手をつなぐ育成会」が運営する「つくし園(知的障害者通所更生施設)」と「すぎな園(生活介護・就労継続支援B型)」、「つくしディサービス(児童ディサービス)」があり、毎月そこから手づくりの会報(のようなもの?)が送られてきます。

 地域のこういった施設から日々の活動が満載された会報が支所に届くというのは珍しい。(前職の道後支所では覚えがない)

 でも、ありがたい。

 地域の中にどのような施設があって、どのような活動をしているのかは自分で動いても限界がある。
だから、届くと隅々まで読んでします。

 今月号の「つくし園だより」には、ニューフェースの支援員さんの自己紹介記事が載っていた。
読んでいて微笑ましい。
「頑張るんだ」という熱き思いが伝わってくる。

 こういう若い人の決意に接すると陰ながら応援してしまう。

 これからさまざまなことが起こるであろう。
時に心が萎えたり、悔しい思いをすることがあるだろう。

 しかし、君たちの笑顔がたくさんの人の心を明るくする。

 負けないで欲しい。

 その仕事は、崇高で誇りあるものなのだから!

スワルティ(よい知らせ)

2011年06月06日 19時58分45秒 | ちょっといい話
 赤十字新聞(第852号)を読んでいて素敵な話だったので紹介しよう。

 3月25日に発表があった第100回看護師国家試験で、インドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づき姫路赤十字病院(兵庫県)で受け入れているスワルティさん(愛称スーさん、32歳)が、見事に合格したという。

 この試験はかなりの難関で、今回の国家試験を受験したEPA看護師候補は合わせて398人。
合格したのは16人で、なんと合格率は4%と超狭き門である。
 スーさんはインドネシアで看護専門学校や大学を経て8年看護師として働き、平成20年8月に「高い看護知識と技術を学びたい」と来日。
半年の語学研修のあと、平成21年2月から同病院で看護師助手として働きながら、勉強してきました。

 スーさんは来日当初を「勉強は楽しかったし、少しづつ日本語を覚えていくことが嬉しかった」と振り返る。
ところが、入職すると環境は一変。
「周りの人の言うことがわからず、仕事が終わると毎日泣きました」
「インドネシアに帰ろう」と思ったこともたびたびあったとのこと。

 2回目の受験となった昨年の試験では、他の病院で学ぶスーさんの友だち2人が合格。
「私も一生懸命勉強したのに、不合格。悲しかったです」と振り返る。
残されたチャンスはあと1回。
同病院の柴田由美子看護副部長と話し合って勉強方法をがらりと変えました。

 病院全体が応援する中、スーさんは「一生懸命に勉強しました。楽しいことは一つもしませんでした。いろんな人がサポートしてくれるのに、頑張らなかったら恥ずかしいから」と合格への誓いを新たにしました。
 試験前日、看護部長や副部長の激励を受け、当日も「みんなで祈ります。頑張って下さい」というメールをもらった。
「絶対できると思いながら試験を受けました」

 そして、このようなスーさんの姿勢は周りの職員にもいい影響を与えたという。
特に若い職員には彼女のフレンドリーで積極的な姿勢が(若い職員の)モチベーションアップにつなげたという。


 4月下旬、スーさんは兵庫県支部救護班に帯同し東日本大震災の被災地に入りました。
「2004年のスマトラ島での津波被害のときの恩返しがしたい」という思いから、国家試験合格の記者会見の席で湯浅志郎院長に直訴して実現しました。
「被災地で私がニコニコした顔を見せれば、みんな少しでもつらいことを忘れてくれるかもしれません」

 「スワルティ」とはジャワ語で、「よい知らせ」という意味。
スーさんの活動は被災地の皆さんにきっと「よい知らせ」をもたらしてくれることでしょう。

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 スーさんのような立場の人は、3回の受験チャンスしか与えられていません。
でも、彼女たちはそれを受け入れてなお、日本のために尽くしています。
さまざまな人がいるため、簡単にハードルを下げることはできないとは思いますが、彼女たちには日本語という壁があります。
他の言語にはない「阿吽(あうん)」の呼吸といったものを読み取る技術も必要です。
それでも、その壁を泣きながらでも、楽しいことを我慢してでも人の役に立つために頑張っています。

 この話で救いだったのは、スーさんの職場の人たちが彼女を温かく見守り、応援してくれていることでしょう。
彼女たちは、いつの日か自国帰り、自国の人たちのために献身的に働くことでしょう。
彼女たちこそが、歴史や文化の異なる国同士を絆でつなげてくれる人たちだと信じます。

梅雨さがし

2011年06月05日 19時51分39秒 | つぶやき
 今日は気分が良かったのでチャリンコに乗ってこのブログ用の写真を撮りに出かけた。

 季節的には「紫陽花(あじさい)」が咲いていてもいい季節。
 でも、私の近所では少し早かったようです。

 

 



 少し走っただけなのですが汗がにじんできて、日頃の運動不足がよくわかります。

中華料理屋さんのチャンポン

2011年06月04日 20時47分43秒 | グルメ
 愛媛県の八幡浜市では、今チャンポンブームだという。
正直、私はチャンポンの太麺が苦手なので、(チャンポンを)美味しいと思ったことがない。

 それなのに、友人にうまいチャンポンがあるからと誘われた。

 松山の中心地の二番町近くにある中華料理店「永和(http://www.0909s.com/shop/eiwa/)」であった。
この店は前から知っていたのだが、チャンポンがあるとは知らなかった。
訊くと(チャンポンは)始めて2日目という。

「じゃあ、あんたは昨日食べたばかり?」
「そう。ぜったいタケちゃんに食べさそうと思って。うまくない?」
「うまい!実はチャンポンは苦手やったんよ。麺が太いし、後口が油ぽいし。でもここの麺は細麺で歯ごたえとモチモチ感があるけん好きやね。しかも、後口がさっぱりして絶妙のうまさやね」

「そうやろう。なんいうても中国三千年のチャンポンやから」
「確かに料理人は中国人やけど、それはオーバーやろう」

 訊くとオーナーが南予(愛媛県の南のエリア)の出身で、八幡浜のチャンポンを食べてすっかりファンになり自分の店にアレンジしたいと思ったのがきっかけだそうだ。
そのために、お店の中国人シェフを連れて(八幡浜市のチャンポン店を)何件も回ったという。
具材の中にはちゃんと愛媛名物「ジャコテン」が入ってます。
そして心憎いのは、入っている海老を単に皮をむいているだけでなく、中華風にアレンジしプリプリ感を出している。
よく味わうと入っている野菜のシャキシャキ感もあるので、中華料理の極意、火の加減か...
とにかく具材も、麺も、スープも非のうちどころがない。

 スープがあっさりしているのは豚ベースのスープではないからだという。
飲んだ後でもお腹にもたれないから(飲んだ後でも)食べれるチャンポン。
どうぞご賞味あれ!

 ここのお店には、ほかにも美味しいものがたくさんあるのでまたの機会に紹介します。



仕事場は多様性を生かす場所

2011年06月03日 21時47分01秒 | 考え方
 仕事場には、いろいろな人がいる。
いろいろな人とは、さまざまな知識や経験、価値観をもった人たちが集まっているということ。

 そういう違いをわかった上でチームを作るというのは本当に難しいことだと思う。
なによりも「違う」ということを前提にしておかなければ互いを理解しようとはしないからである。

しかし、案外、このことを理解したうえで会議に臨んでいる人は意外と少ない。
過去の例で言うと「ひとつの価値観に従うべきだ」「組織の方針に従え」的な雰囲気が多い。
このことは、きっと組織の「秩序を保つ」という点では効果があるのかもしれない。
そのことは何よりも組織として安泰になるからである。

 しかし一方で、組織のもっとも価値のある多様性が生かされない。

 また、野放し的に皆を好き放題にしてもいいかというと、そういうことを言っているわけではない。
なぜなら、いろいろな歴史や背景をもった人たちが一堂に会して自由闊達に議論したとしよう。
確かに斬新なアイデアが生まれるかもしれない。

 しかしその反面、相手がどう思おうがどう考えようが知ったことではない的雰囲気になるからである。
そしてこの空気がさきざきな問題や軋轢を起こすことになる。
そうなるとチームとしてはまとまりにくくなる。

 だがそれこそが多様性である。

 急激に変化する社会環境に迅速に対応するためには、そのことを受け入れてこそ革新的な組織となる。
大切なのは、そのチームをまとめるリーダーの存在なのである。

 そして今、この国のさまざまな分野でそのリーダーが不在なのだと思う。

「和」の国へ小異を捨てよ

2011年06月02日 22時19分11秒 | 考え方
 5月14日号の週刊東洋経済に慶応義塾大学経済学部教授の土居丈朗(どい・たけろう)さんが次のような寄稿をしている。

 スケープゴート(不満や憎悪、責任を直接的原因となるもの及び人に向けるのではなく、他の対象に転嫁すること)探しはもうやめよう。
「絆」とか「一つになろう」とか、大震災後に国民が一致協力しようという機運が出てきているのに、それではせっかくの機運に水を差してしまう。
 一致協力する姿勢は、義援金等やボランティアの形となって発露しており吉兆だ。
バブル崩壊後に失われつつあったが、「和」の国日本が戻ってきつつあるようにも見える。
 だがねその反面、大震災による甚大な被害、その後の原発事故による立ち入り制限や風評被害に対するやり場のない不満や怒りが渦巻いている。
 「想定外」の地震や津波がもとで起きたことだが、自然に対して怒りや不満をぶつけられない代わりに、政府や電力会社の甘い予測に関与した者をスケープゴートにしたがる雰囲気があり、憂慮すべきことだ。
 不満や怒りのはけ口を求めたい衝動はあろうが、スケープゴートを見つけてそれをぶつけたとしても、大震災でなくなった方が戻ってくるわけでもないし、放射性物質の放出が止まるわけでもない。
被災者や遭難者の心のケアは今後も重要だが、スケープゴートを責めても、それで問題が解決するわけではない。

 今般の大震災における危機管理は、確かに合格点とはいえないものがあつた。
人命が懸かっているだけに失敗は許されないとはいえ、全知全能の人間がいないのもこれまた事実である。
大震災から2ヶ月というこの時期では、今後の復旧・復興に向けた知恵を、一致協力して集め、具体的な行動に移してゆくべき時である。
その時期に、重要な意思決定の場である政治の場で、抗争を繰り広げている場合ではない。

 一方が復興のための財源は消費税がよいと言えば、他方が消費税はダメだと言う。
が、対案は明示されず、はたまた復興の財言論・増税論議ばかりが先行していることを批判し、増税は断固反対だ、と言う。
あるいは、震災復興の財源捻出のためには、子ども手当を廃止せよと一方がいえば、それをやめては公約違反だと拒絶する。
しかも、これらが性質の悪い場合には、政策の内容よりも、現内閣を是とするか否とするかという次元ばかりで主張される。

 あたかも、利害対立の「チキンゲーム(別々の車に乗った2人のプレイヤーが互いの車に向かって一直線に走行するゲーム)」の様相である。
互いに主張の利点を認めず、他方が屈するまで妥協せず、屈したほうがスケープゴートになるかのような姿勢では、消耗戦となる。
大震災で疲弊した中で、消耗戦は最も避けなければならない。

 確かに平時の政策志向の違いはあってもよい。
しかし、大震災直後の時期に、小異を針小棒大(些細な物事を、おおげさに誇張して言うこと)していたずらに対立をあおるべきではない。
今はお互いの顔を立てつつ、いかに利害対立を乗り越えて相和してゆけるかを考えるべきである。

 大震災後の展開を見ると、失敗や「想定外」のための準備不足もあって、その担当者に責任を取らせたい(辞職させたい)と思う人は多かろう。
引責辞任を迫っても、その後、必ず従前の対立が解消され協力が得られると期待できたり、「この人物なら必ず上手くできる」と事前にわかっているならまだいい。
しかし、そうでないならば、小異を捨てて大同について知恵を出し合い、よりよい方策が実施できるように取り組む必要がある。
今、一致協力できない障害があるなら、取り除くべきだが、大震災の引責はもう少し後でも遅くはない。

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 私たちが選んだ国の政治家の先生たちの今日の行動を見ていて、土居先生に共感する自分がいた。