近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

沖縄の歴史・文化 “八重山の将来”・与那国島は!その2

2008年06月29日 | 歴史
与那国島の観光資源は、上記の如く、日本最西端に相応しく見ごたえ・読み応え十分と思うが、島内の産業は如何であろうか?
ここでは、与那国島産業の現状と将来について、考えてみたい。





写真は、与那国島の牧場風景及び海岸線まで広がる牧場。

与那国島の観光スポットとしては、テレビドラマ・“Dr.コトー”のロケセット、ダイビングなどマリンレジャー、ヨナグニウマの乗馬体験等。

南牧場線は与那国島の南海岸を走る、約2km続く道路で、道沿いに南牧場が広がり、写真のように、牛やヨナグニウマが草を食む牧歌的な風景が見られる。

ヨナグニウマは、特異な生物として町の天然記念物に指定され、本土では滅多に触れ合う事の出来ない希少性・純粋性を維持した在来和種馬の典型として貴重な存在。

体高120㎝ほどと小柄で愛らしいヨナグニウマは、温厚で人に馴れやすい性格のため、『馬を直前で見るのは初めて』という方でも安心して触れ合うことが出来るらしい。穏やかで従順な性格から、子供たちや観光客に乗用馬として親しまれていると云う。

農業機械が導入される以前は、農耕用をはじめ農作物や荷物、薪などの運搬、乗用…として幅広く活躍したらしい。









写真は上から、与那国島のカジキ一本釣り、車エビ養殖場、60℃の泡盛・“花酒どなん”及び日本最西端の酒造所の製品・“海波”。

与那国島では、労働就業者の約65%が第三次産業に従事し、他にはサトウキビ・水稲を中心とした農業、食用牛を中心とした畜産業、パヤオ釣り・車海老の養殖・カジキの一本釣りなどの水産業、特産品の泡盛や黒糖などの加工業が目立ったもので、観光業依存体質は他の八重山島々と大同小異と云える。

花酒与那国とは?日本で唯一の60℃の酒“花酒”といわれる泡盛は、日本最西端の島・与那国島でしか製造が許されていない名声の高い酒。

叉与那国島の代表的な行事のひとつである「カジキ釣り大会」が毎年開催され、外国からも釣りの太公望たちが参加して大会を盛り上げてくれる。

カジキマグロのファイトが豪快で、なかなかの大敵であればこそ、釣りの醍醐味が忘れられないらしい。

与那国では15世紀には水田稲作文化が定着し、「もっぱら稲米を食べ」と主食である米の自給が可能であったことを窺わせているが、現在は沖縄の米どころとして、石垣市、伊平屋村、伊是名村に継ぐ県内4位の作付面積を誇る。

というように個別には華やかな成功物語もあるが、第一次・第二次産業レベルがほぼ限界点に達した今日、第三次産業への過度の依存という経済産業構造が強くなり過ぎると、自然破壊・環境問題などにも波及し、身の丈のバランスを崩すことになる。

今後の島内経済産業運営については、新たに与那国島特産物を追加するにしても、今までの延長線上に、生き残りを求める穏便な路線継続で如何なものか?

沖縄の歴史・文化 “八重山の将来”与那国島は!その1

2008年06月26日 | 歴史
与那国島は、人口1.7千人余り・面積28.9km²・年平均気温23.9℃、年間降水量は3,000mmと異常に多い。
与那国島は、面積が狭いわりには地形に起伏が多く、『山あり、谷あり、湿地あり、台地あり』と起伏に富んでいる。

与那国島へのアクセスは、那覇空港発着の便と石垣空港発着の便があり、其々約1.5と0.5時間を要する。石垣島から与那国島までのフェリーは、週2往復の運行で、約4時間を要する。

島の東西には山地部を中心に、台地、低地、海岸線と広がりを見せている。
山々からは大小の谷川が流れ、水源地として重要なはたらきをしている。

与那国島は、石垣島から124kmの国境の島で、台湾までは111kmしかなく、晴れて澄んだ日には水平線上に台湾の山々を望むことができる。

島は東西に細長く、ちょうどサツマイモのような形をしていて、起伏は激しいものの自転車でも3~4時間で一周が可能な大きさらしい。









写真は、与那国島の簡易地図、最西端の碑・西崎、最後の夕日が見える丘からの景観及び夕日に映える街風景。

“観光目的で行ってみたい離島”というアンケート調査結果では、“日本全国訪れてみたい離島ランキング”で第8位にランクされた。

その魅力とは?日本の最西端の島の真実の姿とは?

西の国境の島・与那国島、その西の突端が、写真の通り最西端の碑がある西崎。
天気がよければ年に数回、111Km離れた台湾が見えると云う。石垣島まで124Kmだから台湾の方が近い。

断崖絶壁の迫力あるこの場所で、日本で最後に沈む夕日を見ることができる。
ここ久部良地区は、与那国島でも最西の集落である。





写真は、与那国島の海底遺跡現場及び海底遺跡ツアー。

与那国島というと、日本最西端というイメージのほかに、謎の海底遺跡がある島としてもダイバーや観光客に人気が高い。

与那国島南岸沖・約100mにひっそり沈む“与那国島海底遺跡”は1986年発見され、その規模は東西に約50m・南北に150m・高さ25mほどの壮大さ遺跡。

ダイビング・スノーケルのほか、グラスボートといった観光船からも眺めることができるが、写真は、“ジャックドルフィン”という半潜水艇を利用したツアーで、出発は日本最西端の集落・久部良にある日本最西端の港からだ。

祭壇か?テラスか?船底にある立体グラスから覗く、神秘的な遺跡もどきの立体的な石積群は、ただの自然石ではなさそうだが・・・・・。

太古のロマンを彷彿とさせる、ミステリアスな造形が、圧倒的な感動を呼び覚ます。





写真は、海底遺跡ツアー船上から日本最西端・西崎の景観及び厳しい海岸線光景。

与那国島の海岸線は、断崖・岩場が主で、砂浜は余りないらしい。その荒海の中の島は、船を着ける事も困難で、渡る事がとても大変な島として、渡難(どなん)の島と言われたらしい。

写真の通り、クルーズ船からみても断崖・奇岩の連続であるが、快適なロードを走りながら眺める海岸端は最高の景観と云われる。

沖縄の歴史・文化 “八重山諸島の将来”・黒島・小浜島は!

2008年06月24日 | 歴史
ここでは、NHKの連続ドラマ・“ちゅらさん”の舞台となった小浜島及び牛の島・黒島を取上げる。



写真は、八重山諸島のマッピング。

写真のように、小浜島・黒島は、石垣島と西表島の間に挟まっている。

サトウキビ畑がのどかな雰囲気を誘う小浜島及び牛が海岸をのんびり散歩している姿が似合う黒島を紹介する。

先ず小浜島は、石垣島から高速船で約30分、八重山諸島の真中にあり、他の小さな離島に比べて坂の多い島で、小さな島のわりに、レンタバイクやレンタカーがベター。







写真は、小浜島の中央・大岳から望む海の色、“はいむるぶし”リゾート及び“はいむるぶし”ビーチ。

小浜島のほぼ中央に有る大岳の標高は99mほどで、ここから望む180°広がる海の色は、写真のように、八重山諸島の中でも絶景の一つ。

ここには、沖縄最大級にリゾートホテル・“はいむるぶし”があり、専用ビーチ・マリンジェット・ロディオボートなど各種マリンメニューが楽しめる。

叉ビーチシュノーケリングツアーも大人気。“はいむるぶし”とは、地元の言葉で南十字星のこと。





写真は、小浜島・“ちゅらさん”の碑及び“こはぐら荘”・“ちゅらさん”の撮影地。

小浜島の人口550人余り、周囲16.6kmほどの小さなリゾート島ツアーでは、“はいむるぶし”や“ハピラパナ”などのリゾートを満喫し、NHK連続ドラマ・“ちゅらさん”のロケ地めぐりなども堪能できる。

リゾート地開発拡大の前に、貴重な観光資源を大切に守ることを第一義において、身のほどに合わせた観光立島を目指して欲しい。

次に黒島であるが、石垣島からの所要時間はフェリーで約25分、周囲約13キロ、人口約230人。黒島と言えば牛!!なんと牛の頭数約3,500頭で、人口の15倍!!







写真は、黒島の黒牛牧場、高台から見下ろす牧場風景及び黒島海岸を散歩する黒島牛。

黒島は人より牛が多く、自転車で一周できる小さな島。何も無い平坦な道、見えるのは牛ばかり。のんびりした牛達に癒されるらしい。

黒島の西の浜を歩いていると、写真の通り、牧場から逃げ出したのか?のんびり散歩している牛が見られるらしい。黒島生まれの牛は、石垣牛や神戸牛となって市場に出回るとか。







写真は、黒島の仲本海岸の天然プール、仲本海岸・シュノーケリングの絶好ポイント及び仲本海岸の珊瑚礁。

「熱帯魚が乱舞する天然プール!」との前評判通り、足のつく深さのところに怖いぐらいに熱帯魚が泳いでいて感動しまくり!!

写真でみるとあまりキレイでは無いが、茶色に見えるのが珊瑚礁で、その周辺に沢山の魚がいるらしい。

このような夢のような体験は、沖縄でもここまで来ないとあじわえない、感激この上ないスポット。

黒島は、黒和牛と熱帯魚というミスマッチのコンボが売りのリゾート地。
一度は訪れてみたい亜熱帯リゾート地として、今後とも注目され続けるに違いない。

沖縄の歴史・文化 “八重山諸島の将来”・竹富島は!

2008年06月22日 | 歴史
ここでは赤瓦の町並みが美しく、かつての沖縄の風景が残る竹富島・“街並保存地区”に指定された竹富島を取上げる。





写真は、竹富島の海と空及び竹富島ベストスポットの夕日。

竹富島は、那覇から飛行機で約1時間かけて石垣島に着き、そこからさらにフェリーで10分ほどの所にあり、周囲が約9キロの小さな島。

観光と農業から成る島で、人口は約350人。南の島は、さんさんと輝く太陽の光を浴びた自然の恵みでいっぱい。







写真は、竹富島の観光名所、赤瓦の街並・水牛観光及び星砂浜。

サンゴ石を積んだ石垣、赤瓦の屋根とシーサー、冬なのに鮮やかに咲いている花々、いかにも竹富島らしい街並みである。集落は国の“街並保存地区”に選定されているそうだ。

竹富島は星砂と、赤煉瓦屋根の家屋が立ち並ぶ町並みを水牛車で案内する観光が有名。水牛車も蛇皮線を弾ける案内人の車に乗れば、生演奏が聞ける。案内するおじいちゃんの三線と島唄が実に素朴でリラックスするらしい。

長寿の島でも知られ、島の人々はみんな知り合いと云う。

観光客数は増え続け、2005年は41万人で、八重山全体の観光客数が77万人なので、八重山訪問客の半分以上は竹富島を訪れていることになる。

居住民の減少傾向に反し、観光客は増え続き、住環境の整備などにより、地元居住者を増やすことが求められている。

竹富島は、ほとんど観光産業で成り立っており、工業をはじめ産業は皆無に等しい。現在の人口が、ピーク時の六分の一に激減したといわれるが、観光客が増えて観光業が発展すれば、人口は着実に増えていくはずだが・・・・。





写真は、空から覗く竹富島の車エビ養殖場及び竹富島格別の車エビそば。

日本最南端の車エビ養殖会社“竹富エビ養殖”が、竹富島の将来を担う産業としての可能性を秘めている。八重山諸島に広がる車エビ養殖会社の一つ。

現在進められている、リゾート団地計画が実行されれば、常時80~100名の宿泊客と、ほぼ同人数の寮住まい従業員が島に増えることになり、人口350人の島は一気に活性化するはず。

自然環境を維持しつつ、島の産業・文化が活性化できれば、新しいリゾートモデルが誕生するかも・・・・。

沖縄の歴史・文化 “八重山諸島の将来”・西表島は!

2008年06月20日 | 歴史
沖縄の歴史・文化 沖縄の特徴・“八重山諸島の将来”西表島は!
ここでは、島全体がジャングルに覆われた、一周84kmの西表島を取上げる。

西表島からは、沖縄本島よりもむしろ台湾のほうが近く、台湾へは約200kmしか離れておらず、台湾との関係が深く、古代には大陸と繋がっていたと考えられる。
台湾が日本統治下だった頃、台湾から移住してきた人もいるらしい。

石垣島から西表島までは30kmほどで、西表島は沖縄県内では本島に次ぐ大きな島だが、90%ほどが亜熱帯原生林に覆われている。「この島は自然保護第一主義である!」というセリフが島民の共通認識。





写真は、西表島のパイン畑及びパッションフルーツ畑。

西表島の人口は2,200人余り、農業が主たる産業で、島の東部地区ではサトウキビ、西部地区はパイナップル・稲作が盛んであるが、やはり観光業に大きく依存している。

最近ではマンゴーやパッションフルーツなどの熱帯果樹栽培も盛んで、地場産業として大きく成長する可能性を秘めている。







写真は、西表島国立公園の光景、マングローブに囲まれた浦内川及びピナイサーラの滝。

西表島の横断面は皿を伏せたような台地状で、写真のように、最高峰の古見岳が標高約470m、他300~400m級の山が全島に渡って分布している。

西表島は珊瑚礁の海あり、マングローブに囲まれた川あり、ジャングルとなった山ありと、海・川・山全てが揃った世界の遺産。

西表島は一部ではなく、島全体がまさに「原始」のままで、どれをとってもスケールの大きさに圧倒される。手つかずの自然が残る日本最後の秘境と云える。







写真は、西表島仲間川のマングローブ、干潮時に露出したマングローブの根及び西表島の樹齢400年のサキマスオウ4m以上の古木。

まるで海のような大きな川やマングローブ林、ヤエヤマヤシ群落などに囲まれ、仲間川を溯る。

マングローブとは「海水の塩分濃度に耐えうる樹木が多数集まって作る樹林!」をいうらしく、オヒルギやメヒルギなどがそれぞれ群落をなしていると云う。





写真は、西表島の天然記念物・カンムリワシ及びセマルハコガメ。

手つかずの自然が残る日本最後の秘境だけに、特別天然記念物のカンムリワシ・セマルハコガメなど珍しい生物も棲息している。

島全体が“原始”のまま残る、国立公園の西表島でも、道路などの土木工事の手法などは、本土の道路工事などと何ら変わらないと云う。側溝の設け方にしても、排水放流についても、必要最低限の配慮しかなされていないらしい。

西表島の素晴らしい自然に触れるにつけ、島民の方々の生活は維持しつつも、自然への影響は最小限にとどめさせる方法を、官・民が力を合わせて考え・実行していかなければならない!

沖縄の歴史・文化 “八重山島の将来”・石垣島は!その2

2008年06月18日 | 歴史
石垣島の将来は、前述の通り、他に類を見ない素晴らしい自然に恵まれた観光資源を、活かし守ることが運命付けられている。

と同時に琉球王朝時代から受継がれた伝統・文化を守り続けることも課せられた大きな責務。







写真は、石垣島の“みんさー工芸館”、八重山みんさー織り及び海の青を彩った、みんさー織り。

石垣島に伝わる民芸品・伝統手織物のみんさー織りを展示・販売する“みんさー工芸館”及びみんさー織物。苧麻の繊維を原料にして織られ、琉球王朝時代に、その精巧な織物が完成したと云われている。





写真は、石垣島の八重山古典民謡コンクール発表会及び石垣島の春祭りで催された伝統踊り。

琉球王朝時代から受け継がれた伝統や文化は、そのまま八重山人の間に脈々と生き続け、祭りの場面や伝統芸能や日々の暮らしの中で発見することができる。石垣島は将に芸能の島でもある。

八重山の島々はそれぞれ特性を持ち、それぞれが島独自の文化を持っているという実に特徴のある文化形態を形成している。







写真は、石垣島牧場の夕暮れ、石垣牛及び食肉牛。

石垣島にとって畜産業は生活を支える基幹産業であり、その振興はサトウキビ産業の振興と共に欠かすことはできない。

石垣島の地形は北側に山が集中し、南側には平野が広がっており、農業や畜産業が盛んに行われている。畜産業では黒毛和牛の取引高は、年間40億円以上と目覚しい成果を収めて、農畜産業生産の50%以上を占め、サトウキビ生産も20%強を占める。

石垣島では子牛の飼育だけで、全国各地に売られていく。食用牛の飼育はほとんど行われていないと云う。

生後8ヶ月になると石垣牛は本土に運ばれ、神戸牛・松阪牛など本土銘柄牛に変わる現実は、「石垣牛がいずれ石垣島畜産業の将来を大きく発展させる可能性がある!」とも云える。

そこで本土銘柄牛の下請けではなく、“沖縄ブランド”として出荷できるように飼育工程を延ばし、沖縄ブランドとして安定出荷していくことが、石垣畜産業の競争力強化に繫がる。

現に“石垣島ブランド”牛の販売を計画しており、近い将来、スーパーなどで石垣島ブランドの牛肉を見かけると思われるが・・・・。

と云うことで、就業労働者の高齢化、後継者不足など厳しい状況にあるが、農産物の付加価値を高めることや“地域ブランド”化などを促進し、若者を含め新たな就労者が夢のもてる産業として育成を図ることが明日につながる。

石垣島牛への需要が急拡大しているだけに、このチャンスを活かし・続けることが畜産業の将来を大きく作用する。

2007年8月、石垣島の面積の約3割にあたる約7,000haが“西表国立公園”へ編入されるとともに、名称が“西表石垣国立公園”に変更された。



写真は、2013年に開港が予定されている、新石垣空港の現場。

“西表石垣国立公園”の指定により、新空港問題で有名となった白保地区等が海中公園地区として規制され、海中公園の面積は国内最大となった。

近年の“石垣バブル”とも揶揄される急速な開発工事、転入居住人口の増加、観光客の増加等々により、自然破壊などが危惧されていた。

今回の国立公園指定は、過度の開発投資を抑制させ、自然と調和した振興開発に繋がることを期待したい。

沖縄の歴史・文化 “八重山島の将来”・石垣島は!その1

2008年06月16日 | 歴史
次のテーマの八重山諸島は、台湾との国境沿いに点在する日本最南端の島々から成り立っているが、石垣島を中心に、西表島・竹富島・与那国島・波照間島など合計9島の有人島で構成されている。

ここでは八重山諸島全体の90%近い人口を有する石垣島とそれ以外の西表島・竹富島・与那国島・波照間島などを個々に取上げる。先ずは石垣島から覗いてみよう。

八重山諸島へのアクセスは、玄関口になる石垣島から、与那国島へは航空便で、西表島・竹富島・波照間島などへは高速船やフェリーで渡る。

石垣市を中心とした石垣島は、八重山諸島の政治・経済・教育・文化・交通などの中心で、面積は約222.6平方kmと沖縄県内では沖縄本島、西表島に次いで3番目に広い島で、人口は約4万7千人。

石垣島と沖縄本島とでは、言葉や食生活に違いがあり、例えば「ようこそ」は、沖縄本島では「メンソーレ」、石垣島では「オーリートーリ」と云い、沖縄の人たちの間でも言葉が通じなくなるほど。

石垣島は、“観光目的で行ってみたい全国の離島”というアンケート調査でトップにランクされ、2006年には77万人の観光客が訪れ、前年に比べ7.8%も増加したが、離島であっても交流人口だけでなく定住人口も年々増加している。

平成12年国勢調査によると、石垣島の産業別就業者の割合は、第一次産業12.2%、第二次産業19.5%、第三次産業が66.8%を占めており、特に観光業が主体の第三次産業就労者の増加傾向は加速されているらしい。









写真は上から、石垣島の海と空、石垣島川平湾は日本百選の一つであり、黒蝶真珠養殖で有名、石垣島白保の珊瑚礁及び石垣島の米原ビーチの海と空。

石垣島の魅力は、写真のように透明感のある繊細なコバルトブルーに輝くグラデーションの海・真っ白な砂浜・入江に浮かぶ小島の深い緑とのコントラスト等々ダイナミックな自然の宝庫。

石垣で最も美しい場所として人気の“川平湾白保の海”は、ダイナミックな自然と共に、ダイバーにはたまらない“川平石崎マンタスクランブル”を有し、国指定の名勝の一つにも選ばれている。

白保の海は、日差しや雲の動きの加減で海の色が刻々と変わり、なんとも表情豊かだ!







写真は、石垣島の白保の青サンゴ2点及び石垣島海底でマンタが大乱舞する、“川平石崎マンタスクランブル”。

白保の海は、世界でも有数のサンゴの生息地であり、オーストラリアのゴールドコースト以上とも云われている。

川平エリアには有名な“川平石崎マンタスクランブル”があるが、ここではマンタが春から秋にかけて高い確率で見られるため、日本中からダイバーが押し寄せるダイビングエリア。



写真は、石垣島の宮良川マングローブツアー。

石垣島で最も人気があり、国の天然記念物に指定されているのが“宮良川マングローブ”。写真のように、このマングローブをカヌーで探検するツアーが観光の目玉。

“宮良川のマングローブ林”と河口に広がる宮良湾の間を運行している。

上記のような発見からも、アンケート調査結果のように、石垣島が全国離島の中で、訪れてみたいNO1の島であることを示しているような気がする。

沖縄の歴史・文化 “離島の将来”・宮古諸島は!その2

2008年06月14日 | 歴史
宮古諸島のしゃべり言葉と沖縄本島との違いは、本島と八重山諸島との違いよりずっと大きく、イントネーションの違いとも思えるほどで、外国語のように聞こえるらしい。

宮古の島唄の魅力は、この言葉の違いにあるかもしれない。

言葉だけでなく、伝統工芸・芸能のほか日常生活でも、宮古地方には独特の風習が伝えられている。



写真は、宮古島の“オトーリ”光景。

例えば“オトーリ”という酒の飲み方は、一つのグラスで一人一杯ずつ注がれた酒を、メンバー内で順繰りに・エンドレスに続けるもの。
宮古ではオトーリ用に泡盛の水割りが一升瓶で売られているらしい。



写真は、宮古島の“宮古上布”。

宮古上布は宮古島で産する麻織物で、国の重要無形文化財に指定されている。
原材料に手紡ぎの麻糸を100%使用し、琉球藍で染めあげた青、伝統的な十字絣の柄が特徴の着物地。

16世紀中ごろから続く伝統ある手作業文化の一つだが、宮古上布一反を織り上げるのに何ヶ月もかかるらしい。





写真は、宮古島の民俗舞踏・“クイチャー”及び宮古・伊良部島の神事・“ユークイ”。

島最大の宮古まつりで“クイチャー”という踊りは、掛け声とともに土を蹴って飛びあがる、宮古島にしかない独特の踊りで、主に雨乞いを中心に豊年祈願や労働の喜びを表現する伝統的な民俗芸能。

もう一つ、「新たな生命を得て豊穣を乞う!」との願いが込められた伝統祭祀“ユークイ”は、女性による祭りで、地域の御嶽や神社で神歌を歌いながら、参加者全員で祈りの踊りを舞う伝統行事。

これらの伝統工芸・芸能が、宮古観光の目当てとして、その魅力を伝えるのに役立っていると思える。

宮古島の生計を支える産業には、観光業以外に、漁業の将来に期待が持てる。











写真は上から、宮古島のモズク養殖場、海ブドウ養殖場、養殖されたクルマエビ・お歳暮に好評、ウニ養殖場及び宮古島固有の“パヤオ”が陸に上がった!

宮古島沿岸水域でのモズク・海ブドウ・クルマエビ・ウニなどの養殖業や沖合のパヤオ(浮漁礁)を利用した曳縄・カツオ一本釣漁業などが営まれている。

パヤオとは、水深1000メートルくらいの所にブイ(浮標)を浮かべ海底までロープを垂らした浮き漁礁のこと。パヤオは、海面の木材など漂流物の下に集まるマグロやカツオの習性を利用した浮き魚礁。

水産業は、南方基地カツオ漁業から沿岸漁業へと転換が進み、今後とも沿岸漁場整備開発事業によるクルマエビ養殖場の設置、宮古地区浮漁礁の設置に伴う漁業生産の拡大が期待されており、漁業従事者・漁業後継者が必要とされる。

一方農業は半数以上が兼業農家の状況で、近年は農業就業者の高齢化・後継者の減少、それに伴う農家の減少が恒常化。

元々宮古の農業生産は、台風・干ばつ等気象条件に大きく左右される中、農家数・農業粗生産額ともに減少傾向で、特に総生産額の50%以上を占める、サトウキビ生産は輸入製品に押されるなど構造的な原因で年々減少している。

と云うことで、就労労働者は農業から水産業にシフトすることでバランスをとり、将来性の期待が大きい観光業の拡大を中心に、受給見通しに合わせた産業政策の再構築が求められている。

沖縄の歴史・文化 沖縄の特徴・“離島の将来”宮古諸島は!

2008年06月12日 | 歴史
宮古島は沖縄本島の南西約290km、石垣島の東北東約133kmの距離にあり、宮古島市を構成する島々は、大小6つの島(宮古島、池間島、大神島、伊良部島、下地島、来間島)で、宮古島が最も大きく地域総面積の約80%を占め、宮古群島の中心をなしている。来間島、池間島は宮古島から海をまたぐ橋で繋がって、5kmほど離れている伊良部島にも橋をかける計画があるらしい。



写真は、宮古島と周辺の地図。

島々は全体が概ね平坦で低い台地状を呈し、山岳部は少なく、河川・湖沼等もなく、生活用水等のほとんどを地下水に頼っていると云う。

交通アクセスは、中型ジェット機が発着陸できる2,000mの滑走路を有する宮古空港が、沖縄本島や本土からの旅客の主たる玄関口で、那覇空港とは航空機で約45分の距離にあり、東京や大阪とは直行便もある。

宮古島と宮古諸島の各島間では航路による移動となっている。

平成12年の国勢調査によると、宮古島市の人口は54,249人で、宮古諸島の約85%を占め、昭和60年以降は減少傾向。

1950年代前半のピーク時には、人口が75,000人前後であったことから、その後は過疎化の一途を辿っており、一方年齢別構成人口をみると、65歳以上の高齢者が、平成12年では21.0%と県平均の15.6%と比べても、宮古島市は急速に高齢化が進行していることが分かる。

叉宮古島市の就業人口割合は、第3次産業が56.9%と過去最高で、昭和50年から平成12年までの推移をみると、第1次産業は減少傾向、第3次産業は増加傾向にある。

年平均気温23℃の亜熱帯の島々は、青い海・白い砂浜・豊かな珊瑚礁に囲まれ、ダイビング・釣・トライアスロンのメッカ。







写真は上から、宮古島リゾート地の海岸を望む、宮古島東平安名崎の景勝及び宮古島の海の色と池間島へ架かる橋。

宮古島では、国際的規模のイベントである“全日本トライアスロン宮古島大会”など、スポーツ・レジャーをメッカとする“スポーツアイランド宮古島”としてのイメージが着実に浸透し、観光への波及効果も高くなっているらしい。

観光資源としては、写真のように、美しい海や“東平安名崎”に代表される自然・景観資源を豊富に有している。特に半島、湾入、砂浜など変化に富んだすぐれた自然景観に恵まれていると云える。

東平安名崎は、宮古島の最東端にある約2Kmの美しい岬で、太平洋と東シナ海を一望にできる雄大な景色は、日本都市公園百景にも選ばれている。







写真は上から、宮古島マリンターミナル、宮古島海宝館外観及び海宝館の内部。

宮古島には既存の大型リゾート施設のほかにも、“宮古島マリンターミナル”整備事業で建設された都市型リゾートホテルや宮古島海宝館がオープン。

宮古島海宝館は、日本近海をはじめ世界中の海から集めた貝殻を展示する“貝の資料館”で、隣接するレストランでは本物の貝に盛られた貝料理の数々により、益々人気を集めているらしい。





写真は、テーマパーク・うえのドイツ文化村及びマグロ海遊館ラボタ。

写真のような、うえのドイツ文化村・マグロ海遊館を含め、観光関連施設整備は着実に進展しており、今後の滞在型観光への展望が開けつつあると云う。

うえのドイツ文化村は、1873年台風のためドイツ商船が座礁し、宮古島の住民たちが荒波の中、小さな船で漕ぎ出し、乗組員全員を救助した記念に建てられたもの。

マグロ海遊館ラボタでは、マグロを陸上で養殖研究している施設を一般公開しており、マグロに直接餌付けする、貴重な体験ができる。

というように観光施設整備などにより観光客は、平成14年以降は再び増加傾向にあり、平成17年にはほぼ40万人を記録するなど、着実・継続的な伸びを示している。

素晴らしい海などの自然や独特の伝統文化を楽しみに訪れる観光客は、今後とも増えると予想され、体験型観光・保養滞在型観光への対応、宿泊施設等の受け入れ態勢の増強、観光資源の美化保全、観光ルートの形成等の課題解決により、観光産業をメインにした“島創り”に光明が見えてきた。


沖縄の歴史・文化 沖縄の特徴・“離島の将来”大東島は!

2008年06月10日 | 歴史
いよいよ今回のシリーズ・“沖縄の歴史・文化”の最終コーナーに入りましたが、これからは沖縄離島の将来像を睨んで、現状の課題にスポットを当ててみたい。離島の中でも、大東島・宮古島・石垣島・他の八重山諸島・久米島を取上げる。
(写真は、沖縄諸島島々の位置関係地図。)

先ず大東島は沖縄から400km弱東方で、飛行機で1時間ほど行ったところ。
南大東島は、周囲約20km、昨年の人口が1,300人ほどで、北大東島は周囲約10km、人口400人ほどあり、南北大東島間の距離は7kmぐらい。

二つの島を結ぶ船は、那覇から来る定期便が経由するだけであり、飛行機も那覇からの便が経由するだけで、ほんの5分間のフライトで、飛行機はあがったと思ったら着陸するという、世界最短の航路?





写真は、南大東島断崖絶壁の光景及び岩だらけの岸壁。

写真のように、周囲を1,000m以上の深海で囲まれた絶海の孤島は、貴重な自然がいっぱい詰まった宝の島で、観光地としても注目されてきてはいるが、断崖絶壁に囲まれた島なので船は接岸できず、週1回の定期便は人も荷物もクレーンで吊り上げて降ろすと云う。

波が非常に荒く岸壁にぶつかり、その波の影響で、日によって船が着く港が異なるらしい。叉クレーター状態の窪んだ島なので、島の中に入ると海は見えず、見えるのはサトウキビ畑だけと云う。

と云うように、交通アクセスが極めて不便であり、ホテル2軒・民宿1軒の宿泊施設しかなく、1900年頃開拓者は八丈島からの移民で、島の所々に八丈島を思わせるような遺物(寿司もその一つ)が散見されるが、テレビは沖縄の放送が入らず、衛星放送で東京が入るらしい。

観光業はなきに等しく、観光客は年間3,000人程度と全く目立たないらしい。







写真は上から、南大東島の海水浴場・海軍棒プール、断崖絶壁からダイビングする醍醐味及び年間を通じて釣れる“キハダマグロ”。

島の周りは断崖絶壁なのでビーチはなく、むしろ海に出るのは危険で、写真のように、海岸には所々窪みを作って人工的なプールに仕立てている。

叉断崖絶壁のため、大東島のダイビングは上級者向けOnly。ダイビングショップが一軒だけあるらしい。

漁業は、島民が直接魚市場に魚を買いに行く程度で、公には販売しておらず、いわゆる島内消費だけ。

キハダマグロは、一年中島のまわりをぐるぐる回っているので、時化ていなければ、いつでも釣れるらしく、大物が狙える釣りは観光目的として魅力的ではあるが、珊瑚礁がなくマリンスポーツができないなど、観光ハンディは大きい。

というように、観光に適さない地形・交通アクセス難から、本格的な観光業の将来像は見えてこない。





写真は、南大東島のサトウキビ畑及びサトウキビ原料の特産物・ラム酒“コルコル”。

南大東島の農業は、ほぼ100%をサトウキビに頼っていると云う。観光業に適さないだけに、今後ともサトウキビ生産に活路を見出さざるを得ない。

幸い品質への評価が高い、南大東島のサトウキビを使ったラム酒が開発され、酒類では当り前に使用されている香料・着色料を一切使わずに、素材の良さを引き出したラム酒・“CORCOR”は瞬く間に評判となり、特に“コルコル”の香りと味も個性的で、売り切れ状態が続いているらしい。

ラムは、日本では余り認知されていないが、ジン・ウォッカ・テキーラと合わせて「4大スピリッツ」と言われるほど世界ではメジャーな酒類。

将来的にはラム酒をベースに、南大東島産のフルーツをブレンドしたリキュール酒づくりにもチャレンジしたいとのこと。今後の成果に期待したい。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の常識”・“八重山そば”は!その2

2008年06月09日 | 歴史
八重山そばは、島によって其々個性があるが、ここでは竹富島の八重山そばを取上げてみる。

竹富島は石垣島から船で10分ぐらいの所にあり、周囲が約9キロ、面積5.4平方キロメートルの小さな島。竹富島は観光と雑穀など僅かな農業から成り、人口は350人ほど。



写真は、竹富島の街並保存地区。

竹富島は、サンゴ石を積んだ石垣や赤瓦の屋根とシーサー、冬でも鮮やかに咲き誇っている花々など、いかにも沖縄らしい鄙びた街並みで、その集落は“国の町並み保存地区”に選定されていると云う。

と云うことで、八重山諸島の中でも人気があり、観光客数は年々増え続け、2005年は41万人で、八重山訪問客の半分以上は竹富島を訪れていることになる。
昭和22年頃の記録では、人口が2,200人ほどであったらしく、過疎化が進んでいる様子が窺える。

居住民の減少傾向に反し、観光客は増え続き、住環境の整備などにより、地元居住者を増やすことが課題。
住民約350人に対して、一日単純平均観光客約1,100人と約3倍にもなり、近い将来十分なサービスを提供できなくなるかも・・・・・。





写真は、竹富島“竹の子”店の八重山そば400円及び同竹の子店の八重山そーきそば。

“竹の子”は竹富島で一番有名な食堂で、人気メニューは八重山そばと言われているが、売り切れ次第閉店するらしく、訪問客は我先にと12時頃には行列ができると云う。

開業31年の“竹の子”店の特徴は、八重山そばらしく形が丸い細麺と細切り肉で、豚骨+鰹だしで鰹の風味が上品であっさりしたスープに、島名産の香辛料“ピヤーシ”で味を整えた、風味豊かに仕上げた竹富島の定番そば。

“医食同源”の考えが活かされ、地味で控えめな食材・盛付けは、健康嗜好が感じ取れる。







写真は、竹富島“やらぼ”店の車エビ入り野菜そば1200円也、アーサー・モズク入り八重山かまぼこ及び八重山かまぼこで巻いた、もち米・黒米おにぎり。

日頃簡素な食生活の中にも、祝い事や行事の時は、様々な工夫をこらし、美味しいごちそうを作り、イベントを盛り上げるらしい。

写真のように、“やらぼ”食堂は、素朴な島の味が人気で、季節限定のメニューとして、竹富島産車エビのスープで贅沢な“エビ入り野菜そば”がメニューに載る。時価相当とはいえ、直近では1,200円と食事代としては異例なほど高いが、旬な季節を祝い、感謝する。

八重山カマボコにはアーサー・モズクが練りこまれ、いかにもヘルシーで、島外に出荷されるほど人気が高いと云う。2年連続で農林水産大臣賞を受賞した。

カマボコにはアオブダイが使われ、魚の味がしっかりとついた、さつま揚げに近いらしい。

もち米と黒米を八重山かまぼこで巻いた、“にぎりかまぼこ”は、いかにも祝い事か行事に振舞われる、特別な食べ物に見える。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の常識”・“八重山そば”は!その1

2008年06月08日 | 歴史
八重山諸島は、玄関口の石垣島を中心に西表島・与那国島・竹富島など9の有人島から成っているが、周囲は透明度の高い海、島々は熱帯のジャングルに覆われ、自然・文化共個性豊か!

日本全国の訪れてみたい離島ランキング調査では、石垣島がトップ・西表島が第二位と中高年層の人気が高いらしい。

総人口は約53,000人、年間観光客が約77万人も訪れるほど、島々の魅力に惹かれるらしい。訪問客は、石垣島を拠点として八重山諸島との間を往復する。
住民・観光客とも年々増え続けている。

一口に沖縄といっても、沖縄本島と八重山諸島とでは、言葉や食生活に違いがあり、例えば“ようこそ”とは、現地方言で沖縄本島は“メンソーレ”、八重山では“オーリートーリ”と云うように、同じ沖縄の人でも言葉が通じなくなったりする。





写真は、石垣島の島こしょう・ヒバーチ植物及び独特の唐辛子・ヒバーチ。

沖縄そばを例にあげると、本島では平麺が中心だが、八重山では細めの丸麺を好むし、そばに加える香辛料は、本島は“コーレーグース”、八重山では“ヒバーチ”を使うと云うように違いがある。沖縄の人たちでも戸惑うほど、いろいろな文化が共存していると云える。

1960年にアメリカ本国から農産物の援助が始まり、アメリカで余剰になった小麦粉や米などが大量に沖縄に持ちこまれた。それまで高級品であった小麦粉が普及し始めたので、戦争で男性を失った沖縄では、女性たちが現金収入のため、そば食堂を開店させたと云う。それで今でもそば屋では、おばぁさん達がやっている。

ここでは石垣島で食べられている、八重山そばを紹介する。







写真は上から、石垣島“モリーナ”店の八重山そば350円也、同“岩”店の岩そば570円也及び同“新垣食堂”の牛そば500円也。

“石垣そば”とも呼ばれているが、細くて丸い特徴のある麺で、鰹出汁しのきいたスープに、細切りにされた豚肉とかまぼこがトッピングされている。

細切りは離島根性の現われでしょうか、見かけよりも食べやすさで差別化しようと、細い麺・細切りされた豚肉・カマボコは量的にも多く見える。

石垣牛を豚肉と共に、細切りにしてトッピングしているが、石垣牛の生産地という土地柄とは云え、どんな味わいであろうか?どちらが本命?







写真は上から、石垣島“キミ食堂”の味噌スープの八重山野菜そば500円也、“トニーそば”店の豆腐入り八重山そば300円也及び“明石食堂”の八重山そば500円也。

沖縄そばとは違い、丸みを帯びた細麺に、ツルツルとした喉越しのよさが特徴で、豚骨と鶏ガラベースで、珍しい味噌つゆにも本島と差別化しようとする努力が感じ取れる。

八重山そばのスープは、あっさりした味のスープが多く、忘れられないらしい。







写真は上から、石垣島“あんまー食堂”のイカ墨そばはイカ・こんにゃく・豚肉・椎茸入り600円也、創業50年“のりば食堂”のウコン入りの黄色がかった八重山そば及び“島胡椒”店の“長命草”練りこみ八重山そば。

いずれも、イカ墨・ウコン・長命草など長寿をイメージした、八重山そばで、離島ならではの優しい願いが込められていると思う。

いずれも豚肉の形状は八重山そばらしく短冊状で、丸みを帯びた細麺。
全般に観光地らしい華やかさはなく、優しさに包まれているような感じが強い。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の常識”・“宮古そば”とは!

2008年06月06日 | 歴史
宮古島は、沖縄本島の南西約290km、石垣島の東北東約133kmの距離にあり、再編された新市・宮古島市を構成する島々は、大小6つの島で宮古島が最も大きく地域の総面積の約80%を占め、宮古群島の中心。

平成12年の国勢調査によれば、宮古島市の人口は54,249人で昭和60年以降は減少傾向を辿っている。人口が一番多かったのが、1955年(昭和30)頃の75,000人前後がピークで、その後は過疎化の一途をたどっている。

一方で急速に高齢化が進行しており、平成12年には65歳以上の人口比率が21.0%と県平均の15.6%を大きく上回っている状況。

宮古島は年平均気温23℃の亜熱帯の島で、青い海・白い砂浜・豊かな珊瑚礁に囲まれダイビング・釣・トライアスロンのメッカ。

国勢調査によると、宮古島の就業人口割合は、第3次産業が56.9%で最も高く、観光客は平成14年以降増加傾向を示し、平成17年には約40万人に達した。

一日一麺主義を実行している地元民や“宮古そば”を求めてやってくる観光客で、宮古そば人気は衰えるところを知らないと云う。





写真は、宮古島“丸吉食堂”の伝統的な宮古そば及び“菊栄食堂”の正統派宮古そば。

宮古そばには、具の盛りつけ方に大きな特徴があって、例えば宮古そばの老舗に入ればすぐに分かるらしい。

写真の通り、具の豚肉やカマボコを麺の中に埋めてしまう。その理由については、昔は贅沢品だった豚肉を隠して食べたからという説があるが、“医食同源”思想や“質実剛健”をモットーとしていた地元民の生活信条が伝わってくる。

これほどまでに独自色を打出したのは、先人たちが沖縄そばとの差別化を図り、質素倹約を貫こうとした、負けず嫌いの宮古魂・根性の現われではないか?







写真は、宮古島の宮古そば400円也、“丸吉食堂”の宮古ソーキそば450円也及び“前浜店”の平あげのカマボコ入り宮古そば400円也。

最近では、ほとんどのそば屋が沖縄そばのように、見た目を大事にして、盛り付け方にも工夫を凝らしているが、宮古そばは割安な分、盛付け具材は控えめのようだ。

もう一つ宮古島のそばの特徴は、本島の麺と違って麺にちぢれがなく、麺の太さが沖縄そばに比べてチョット細く、麺の太さは3ミリほどしかない。

細めの平麺は、啜りこむ快感が半端じゃないらしい。







写真は上から、宮古島のイカ墨を練りこんだ宮古そば、モズクを練りこんだ宮古そば及び“だるま”店の“ふーちばー”(ヨモギ)宮古そば。

イカ墨・モズク・ヨモギなど、地元の食材を活かしたメニューも揃えている。

スープの特徴は、沖縄そばより若干濁っていて、鰹出汁も効いているが、鶏や豚の風味がうまい具合に調和していて、出来の良い塩ラーメン風との評判。

宮古島のそば屋のテーブルには、“S&B”のカレー粉が置かれて、宮古ではこのカレー粉をそばに振りかけて食べるのが最近のトレンドと云う。

島民の団結力が示されている反面、付和雷同しやすい島民性かも・・・。





写真は、宮古島のばくだんの中に梅や卵が入った“丸いカマボコ”及びカマボコで包んだ“ばくだんおにぎり”。

宮古そばのもう一つの特徴はカマボコで、写真のように平たい・はんぺんのようなカマボコが使われているが、シーラ・イラブチャー・イトヨリ・グルクンなど宮古ならではの白身魚で作られた、カマボコは人気商品で、単品でおかずとしても十分成り立つ逸品。

“ばくだんおにぎり”もアイディアとして面白い。
宮古島の独自性・個性が息づいている。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の常識”・“大東そば”とは!

2008年06月05日 | 歴史
これからは、離島そばの特徴について、探求してみたい。

沖縄そばは沖縄諸島全地域に広がり、各島ではそれぞれアレンジをし、沖縄そばの種類は“大東そば”・“宮古そば”・“八重山そば”と本島の“沖縄そば”に分けられている。名前の由来はただ単純にその地域で作られ、アレンジされているので、その名前が付いている。

沖縄そばは、沖縄県民最大の“ソウル・フード”と呼ばれるのに相応しいほど、県民食文化の伝統・知恵が詰まっている。

主な違いは、麺の太さや盛り付け方、スープも豚骨や鰹だし、鶏ガラ・昆布・塩・いりこ・野菜などを加え、塩や調味料で味を調えるなど、各地域の特徴というより、各そば屋により異なる。





写真は、南大東島の元祖“大東そば”500円也及び元祖“大東そば”の店構え・麺の太さ。

先ず特徴的なのは、ウェーブのついいた太麺、亜熱帯植物の灰汁の上澄みと南大東の海洋深層水で練り上げられた麺は、写真の通り、辺鄙な離島生まれのワイルド感を表現しているのが特徴で、かなり太くもちもちでコシがあるらしい。

独特のコシの秘密は、大東島近海の深層水から精製された濃縮塩水と食塩で練り上げたためで、当店でしか味わえない珍味・逸品。

太縮れ麺で手もみである食感がたまらないらしい。うどんからツルツル感を取ったみたいで、しっかりとした歯ごたえがある麺は忘れがたいと云う。

土地柄唯一差別化できる、太縮れ麺にとことんこだわった苦労が偲ばれる。
幅5~6ミリ・厚さ2ミリ程度の幅広極太の麺は、沖縄そばの中でも、こしと歯ごたえが際立っていると評判。

そして鶏ガラと豚のあっさり味で整えたカツオだしベースの素朴なスープは優しい塩味だが、シッカリ目で、麺との相性は絶妙らしい。



写真は、南大東島断崖絶壁の光景。

南大東島は、写真のように周りが断崖絶壁で、深い海で囲まれているため、入り江・港がない。
従って、5日に一便程度の割合でやってくる船からの荷下ろしは人も含め、クレーンを使うと云う。

南大東島へは沖縄本島から飛行機で1時間ほど東方(400km弱)に行ったところにあり、船の便は那覇から1週間に1本のペースで、南北大東島を回って那覇に戻るという、極めてアクセスが悪い。

南大東島は周囲約20km、人口約1,300人、年間観光客数は3,000人ほどで、宿泊施設は、ホテル2軒・民宿1軒だけ。





写真は、那覇市花笠店の幅広極太の“大東そば”500円也及び同花笠店の縮れ麺の“大東そば”。

花笠店は那覇市街の国際通り脇にあるが、南大東本店の直属支店で、元祖・大東そば屋主人の次男が任されていると云う。

そのこだわりようは、南大東の本店で作った麺を毎日空輸しているらしい。
この太ちぢれ麺がスープによく絡まり、生煮えと思えるような固さが、コシと紙一重かも・・・・。





写真は、元祖大東そば屋の“こーれーぐすー”・島唐辛子及び同大東そばと寿司セットで1,000円也。

元祖大東そば店のメニューはそばのみで、いたってシンプル、味もシンプルだけに、写真のような“島唐辛子の泡盛漬”が全テーブルに置いてあるらしい。
島の人たちは何でも、これをかけて食べると云う。刺身にまでも・・・。

南大東島の周りが切り立ったサンゴ石灰岩で覆われ、典型的な隆起珊瑚礁の島という特異な海底環境のお蔭で、一年中、キハダマグロが島の周りをぐるぐる回っているので、いつでも釣れるらしい。

メニューが寂しいこともあり、このキハダマグロや旬の鮮魚で、寿司をにぎり店頭販売は勿論のこと、地元のマーケットにまで卸売していると云う。

人口1,300人ほどの島とは云え、力強い生活意欲を実感する。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の常識”・“創作そば”!その5

2008年06月04日 | 歴史
前述に続き、沖縄そばのバリエーション、今求められている沖縄そばの強敵モデルとして、もっと野菜・野菜系タンパク質を取り込んだ、最新沖縄そばを紹介する。

野菜そば共に、二大潮流をリードしているのが“ゆし豆腐そば”。
沖縄でよく食べられている、ゆし豆腐は、本土では“おぼろ豆腐”のことで、にがりを入れて固まり始めた、型に入れる前のふわふわした豆腐のこと。





写真は、浦添市“高江州そば”店のゆし豆腐そば600円也及び那覇市内“川”店のゆし豆腐そば。

“高江洲そば”屋が、豆腐とそば、どうやったら互いの持ち味を活かした美味いそばが作れるかを考え抜いて作り上げた功労者。

豆腐とワカメ・昆布などがたっぷりで、ヘルシーなそばに仕上げている。
豆腐は、種々のビタミン・良質のたんぱく質・カルシウム・鉄・亜鉛等、豊富な栄養素を含む。

このゆし豆腐そばは、今までにない柔らかいフワ~っとした冷たさと温かい出汁・麺と合わさった、何ともいえないコラボ。
クリーミーなゆし豆腐とスープの塩気が絶妙にマッチ。

ゆし豆腐そばは、町の食堂でもメニューに載せる店が増えており、その人気ぶりは健康嗜好に敏感な反応が窺える。

本土でもおぼろ豆腐が人気アイテムになりつつある今日、ゆし豆腐そばは本土でも受入れられるのではないか?







写真は上から、沖縄南風原町“松そば”店のごま入りそば700円也、レタスをトッピングした扁平そば及び宮古“だるま”店の“ふーちばーそば”。

そば屋は、黒ゴマ・白ゴマや新鮮な野菜をトッピング感覚で使っているが、風味・仕上げの色彩・栄養素など全体のバランスを考えていると思われる。

どんな季節野菜がそばのスープ・豚肉の味付け具合に合うか、新製品出現が楽しみ。





写真は、沖縄そばに欠かせない“カマボコスライス”及び那覇市青ネギたっぷりのソーキそば630円也。

そばの中で鮮度が敏感に伝わってくるのが、ネギやカマボコなどの具。薬味としての青ネギは勿論、ナマズからスケソウダラまで、正月のおせち料理や毎日の食事でおなじみのカマボコは、沖縄そばには欠かせない。

本土でも五目そば・五目うどんなどにカマボコが使われているが・・・・。

沖縄そばに付き添った、ゆし豆腐・ごま・カマボコは、いずれも動脈硬化の予防効果・貧血防止効果などがあり、将に先人の知恵が込められた健康食品・長寿の宝物として、今後とも貴重な存在感を示し続けるであろう。

沖縄そばにも、長寿のお供が付き添っているとは、沖縄ならではの食へのこだわりを実感する。