巣山古墳巡りを続けます。
奈良県広陵町教育委員会は平成19年1月、特別史跡「巣山古墳」の濠から、船の部材などの木製品15点が見つかったと発表した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/17/6458a8523aaa3f7a21f844cd3ed0ac7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/c7/f2d8f50f4ba8fd1c3aaa96dbcd422001.jpg)
写真は、本古墳から出土した木棺の一部及び舟形木製品の部材。
隣接した場所からは昨年2月に木棺のふたや木棺を載せた船の部材が出土しており、今回の木製品も同じ船のものと見られている。
船の形をした板にも、かなりの装飾が施されていたと云う。これらを船に組み立てた部材や木製の人形の一部も見つかっている。
木製品は人の手で完全に破壊されていたが、葬送の儀礼に使用された遺物は、すべて死者の所有物であり、埋葬後は二度と使われないために壊されたものと推測されている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_6.gif)
これら一連の遺物は、木棺を船に載せ、遺体を葬祭儀礼の場から古墳まで運ぶのに使った葬具(陸上輸送)と推測されているが、これらの遺物はすべて人の手によって破壊された形跡があり、遺体を古墳の石棺に移した後、葬具一式を破壊し、周濠に捨てたかもしれない。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_4.gif)
当時の慣習では、船は遺体を運ぶための乗り物であったと考えられる。はるかに遠い来世に無事にたどり着けるかどうか不安だったことから、無事にたどり着くには一番長い乗り物として、船が造られたのではないか?![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_3.gif)
新たに出土したのは、船の側面に使われたとみられる、端が反り返った板(長さ95cm・幅20cm)、ほぞ穴を開けた長さ2.8m・幅20cmほどの板など。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b1/105156ed70d135ee4c163ac66187e55b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/3e/1cd9b2afc025d3f2cfe276d11c604de4.jpg)
本古墳から出土した、舟形埴輪の舷側板部分及び水鳥形埴輪。
本古墳の埋葬施設からは、魔よけの文様とされる直弧文(直線と弧線が結合した幾何学的文様)を施した船形埴輪の破片約50点も見つかっていることから、本古墳で出土した死者の棺を運ぶ「喪船」の木製部材にも同じような幾何学文様があり、船形埴輪としては全国2例目と云う。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
一方水鳥形埴輪は、風土記などに“ヤマトタケル”が白鳥になったとの伝説が記されており、祭事に使われた水鳥形埴輪は、死者の霊を運ぶ象徴だったと見られる。古代人の死に対する精神を現す儀式と考えられる。
次に巣山古墳の周濠を取り巻く外堤から、築造当初の葺石が約120mにわたって新たに出土したことが、平成22年1月30日、町教委の発掘調査で分かった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/36/0772d71e1120664e6c63f3e86ebf71fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/db/3e650b3443a0d8f6717cd71014e74bf6.jpg)
写真は、本古墳の外提葺石散乱状況及び平成22年2月現在の葺石整備状況。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c5/8f933873c7bc929306c4213d45420dad.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/33/44ce6309b34a83e358c82a32ef730d05.jpg)
写真は、平成9年当時の発掘現場の葺石散乱状況及び平成22年2月当時外提修復工事に伴い発掘された山積みの葺石。
これまでの調査とあわせ、葺石が確認された外堤は、計約300mに及ぶ。
巨大古墳外堤の広範囲な調査例は極めて少なく、町教委は「当時の古墳築造技術を知ることができる貴重な資料」としている。
外堤の発掘調査は、周壕の護岸工事に伴い平成19年度から古墳前方部で実施。
葺石は、外堤の斜面で確認され、西約8kmにある、葛城市の二上山から運ばれた、こぶし大の安山岩が幅約2mにわたって、300mほども敷き詰められていたと云う。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
今年度は古墳の東と西側で調査を実施したが、丘陵を切り崩して築造された西側では、捨て石(底石)を埋めて基礎工事を施した上に葺石を積んでいたことが新たに分かったと云う。
この場所は豊富なわき水があり、地盤がゆるみやすいために、石で地盤を固めたと考えられる。
巣山古墳は、全長約220mの大王クラスの墓との説や、巨大豪族・葛城氏にかかわる人物を埋葬したとの説もある。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_1.gif)
町教委文化財保存センターでは「発掘調査でもわき水に苦労した。築造当時もわき水対策として捨て石を埋めた工夫の跡がうかがえる」と話しているらしい。
奈良県広陵町教育委員会は平成19年1月、特別史跡「巣山古墳」の濠から、船の部材などの木製品15点が見つかったと発表した。
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写真は、本古墳から出土した木棺の一部及び舟形木製品の部材。
隣接した場所からは昨年2月に木棺のふたや木棺を載せた船の部材が出土しており、今回の木製品も同じ船のものと見られている。
船の形をした板にも、かなりの装飾が施されていたと云う。これらを船に組み立てた部材や木製の人形の一部も見つかっている。
木製品は人の手で完全に破壊されていたが、葬送の儀礼に使用された遺物は、すべて死者の所有物であり、埋葬後は二度と使われないために壊されたものと推測されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_6.gif)
これら一連の遺物は、木棺を船に載せ、遺体を葬祭儀礼の場から古墳まで運ぶのに使った葬具(陸上輸送)と推測されているが、これらの遺物はすべて人の手によって破壊された形跡があり、遺体を古墳の石棺に移した後、葬具一式を破壊し、周濠に捨てたかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_4.gif)
当時の慣習では、船は遺体を運ぶための乗り物であったと考えられる。はるかに遠い来世に無事にたどり着けるかどうか不安だったことから、無事にたどり着くには一番長い乗り物として、船が造られたのではないか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_3.gif)
新たに出土したのは、船の側面に使われたとみられる、端が反り返った板(長さ95cm・幅20cm)、ほぞ穴を開けた長さ2.8m・幅20cmほどの板など。
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本古墳から出土した、舟形埴輪の舷側板部分及び水鳥形埴輪。
本古墳の埋葬施設からは、魔よけの文様とされる直弧文(直線と弧線が結合した幾何学的文様)を施した船形埴輪の破片約50点も見つかっていることから、本古墳で出土した死者の棺を運ぶ「喪船」の木製部材にも同じような幾何学文様があり、船形埴輪としては全国2例目と云う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
一方水鳥形埴輪は、風土記などに“ヤマトタケル”が白鳥になったとの伝説が記されており、祭事に使われた水鳥形埴輪は、死者の霊を運ぶ象徴だったと見られる。古代人の死に対する精神を現す儀式と考えられる。
次に巣山古墳の周濠を取り巻く外堤から、築造当初の葺石が約120mにわたって新たに出土したことが、平成22年1月30日、町教委の発掘調査で分かった。
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写真は、本古墳の外提葺石散乱状況及び平成22年2月現在の葺石整備状況。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c5/8f933873c7bc929306c4213d45420dad.jpg)
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写真は、平成9年当時の発掘現場の葺石散乱状況及び平成22年2月当時外提修復工事に伴い発掘された山積みの葺石。
これまでの調査とあわせ、葺石が確認された外堤は、計約300mに及ぶ。
巨大古墳外堤の広範囲な調査例は極めて少なく、町教委は「当時の古墳築造技術を知ることができる貴重な資料」としている。
外堤の発掘調査は、周壕の護岸工事に伴い平成19年度から古墳前方部で実施。
葺石は、外堤の斜面で確認され、西約8kmにある、葛城市の二上山から運ばれた、こぶし大の安山岩が幅約2mにわたって、300mほども敷き詰められていたと云う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
今年度は古墳の東と西側で調査を実施したが、丘陵を切り崩して築造された西側では、捨て石(底石)を埋めて基礎工事を施した上に葺石を積んでいたことが新たに分かったと云う。
この場所は豊富なわき水があり、地盤がゆるみやすいために、石で地盤を固めたと考えられる。
巣山古墳は、全長約220mの大王クラスの墓との説や、巨大豪族・葛城氏にかかわる人物を埋葬したとの説もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_1.gif)
町教委文化財保存センターでは「発掘調査でもわき水に苦労した。築造当時もわき水対策として捨て石を埋めた工夫の跡がうかがえる」と話しているらしい。