近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

静岡県沼津市の卑弥呼と同時代の高尾山古墳が破壊の羽目に!そのⅡ

2015年09月21日 | 歴史
大都市部には余り伝わっていないと思われるが、考古ファンには心配でたまらない、ローカルビックニュースとして、首題の件を続けます。



この写真は、前方後円墳の中央部墳丘と底部前方部が一部残された状態の高尾山古墳の姿。

写真の通り、今のところ古墳は完全破壊を免れている。しかし国から補助金をもらって道路工事を随分進めてしまったこともあり、都市計画の変更や廃止ともなると、国からの補助金返還や用地の再取得などの苦しい問題に直面する。



写真は道路工事直前の存続か否か、命運を待つ高尾山古墳の哀れな姿。

補正予算が執行されれば、全面発掘調査を名目に墳丘全体が削り取られ、その跡に道路が整備される。

ところで、これほど貴重な遺跡が道路建設直前まで未発見だったのはなぜか。

当古墳の上には、熊野神社と高尾山穂見神社の2社が鎮座していたからだ。しかし地元では「この小山の下に古墳がある」と言い伝えられていたという。

都市計画で神社の敷地は道路予定地とされ、2008年に神社は隣接地に移転した。跡地の小山を調査したところ、高尾山古墳が見つかったと云う。

古墳の規模は墳丘長62m強・高さ約5mあり、築造年代は邪馬台国の卑弥呼と同じ古墳時代最初期で、当時の東日本では最大級だ。

日本考古学協会は「日本列島における古墳文化形成を解明する上できわめて重要。駿河の古墳時代最初頭の重要遺跡で、歴史・文化的重要性を知る起点」と主張している。

2015年7月1日の毎日新聞は、「文化庁、国土交通省、県、市、学識経験者で公開の協議をした上で(古墳存廃の)結論を出す」と市長が述べ、それまで予算執行は保留する考えを示したと報じている。

静岡県知事も6月25日の定例記者会見で「保存と道路整備を両立できないか」と述べている。

考古学協会や保存を求める市民団体、古墳マニアは、ツイッターで現状保護を訴え、署名活動を展開している。

ウェブサイトでは、平成27年7月7日現在2万筆に迫る署名が寄せられていると云う。

後世に語り継がれるべき日本最古の古墳の存続命運は如何に、はたして皆様方はどう考えられますか



静岡県沼津市の卑弥呼と同時代の高尾山古墳が破壊の羽目に!

2015年09月07日 | 歴史
ここからは、非常事態緊急レポートとして、近畿地方の史跡めぐりを中断して、我が故郷の由々しき現状についてご理解とご協力をお願いたしたく、これまでの経過を2回に分けて報告します。

道路建設予定地にある古墳の存続をめぐって静岡県沼津市が揺れている。最悪の場合は、古墳破壊の危機に瀕している。

2008年に市内で発掘された「高尾山遺跡」は、西暦230年頃に築造されたもので、全長が62mと破格の大きさがあり、東日本で発見された、卑弥呼時代最大の大型前方後円墳の一つ。



写真は、2008年発掘当時の後円部墳丘中央部の樹木が残されたままの発掘調査の様子。

出土した埋葬品などから、ヤマト政権と主従関係にある「古代スルガの王の墓」ではないかと見られる。東海道を抑えるようにドッカリと座り、卑弥呼のライバルとも云うべき東国の王の墳丘であることは間違いない。

歴史的には、卑弥呼と戦っていた狗奴国(くなこく)の男王・卑弥弓呼(ひみここ)の古墳の可能性も否定出来ない。

というのもこの古墳の墳丘や堀からは、北陸・滋賀・浜松地方などの幾内以東の広い範囲から運ばれてきた外来土器が大量に出土した。

当時卑弥呼が存在したと見られる幾内を東側から包囲する地域の人々が集まって、この古墳を築造し、墳丘でお祭をした生々しい痕跡が出土した。

遺体の頭部には、割られた銅鐸、胸には小さく粗末な勾玉、矢じりが32個がまとまって置かれ、又長大な刃渡りの鉄槍を右手にして葬られていた。

日本考古学協会や良識ある住民は保存を求めているが、沼津市は都市計画通り道路建設を進める方針であり、市議会は取り壊し費用を含む補正予算案を2015年6月30日既に可決している。