近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

高槻市の土保山古墳とは!

2010年02月08日 | 歴史
土保山古墳(どぼやま)は高槻市郡家本町に所在し、名神高速道路工事に伴って、道路予定地となった、当時の高槻工兵隊演習場跡地に立地する、現在の市立第二中学校の学校敷地から発掘された。









写真は、本古墳から望む名神高速道と開発された住宅街、市立第二中学校内の発掘現場から垣間見る名神高速道の防音壁、本古墳から出土した石室全景及び石室内部。

本学校は、高槻市で2番目の市立中学校として、1949年に高槻市立第一中学校から分離開校した。古墳は、現在の同校敷地内に復元されている。

古墳本体は、道路・住宅地などの開発に伴い消滅してしまったと云う。

昭和30年代の発掘調査がまだ珍しかったころ、高槻市では名神高速道路の建設に伴い、多くの古墳が発掘調査されたが、そのひとつが土保山古墳で、大阪府教育委員会が主体となり、京都大学から多くの研究者が参加して行なわれたと云う。

本古墳は、5世紀中頃に造られた直径約30mの円墳で、昭和34年名神高速道敷設に伴う発掘調査の結果、竪穴式石室と貴重な副葬品を埋葬した木棺が見つかった。

本古墳で見つかった大量の埴輪は、太田茶臼山古墳(5世紀中頃、茨木市・現継体陵)や史跡今城塚古墳(6世紀前半、郡家新町)といった巨大古墳をはじめとして、土保山古墳や昼神車塚古墳などの三島地方の有力者の墓にも立て並べられた。

太田茶臼山古墳や今城塚古墳のような、天皇家のお墓だけでなく、本古墳や昼神車塚古墳などの三島の有力者からも、頼まれれば、埴輪を提供していたことになる。



写真は、本古墳から出土した木棺。

木棺からは、弓のほか、鏡・首飾り・櫛・鎧・刀・盾・矛・馬具などが検出された。

弓・矢・甲などは完全な状態で発見され、当時豪族が所有していた武具が明らかになったが、当地大王の武人的な性格を知ることができる。

発掘品の中には、色々な弓が見られたが、それらは多く断片で全形はわからないらしい。
しかし古墳時代後期の本古墳から出土した“弓六張り”は、見事な漆塗りの約2mの長弓で、奈良朝時代の正倉院の木弓、その後の奈良春日大社の木弓につながるものと云う。

遡ると、縄文式時代後期の是川遺跡(青森県八戸市)、弥生式時代の唐古遺跡(奈良県田原町)、登呂遺跡(静岡市南)などから出土した弓のなかに、長弓形式のものがあるらしい。

発掘調査時は、今のように木製遺物を保存処理する技術が十分でなかった時代。

木棺は自然に乾燥のままで、不用意に動かすと破損の恐れもあり、しかも長さは約3mもあると云う。



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1 コメント

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古墳好き (イシイ)
2022-01-08 11:10:17
60年も前の発掘調査です。名神高速の工事で破壊やむなしの状況で、当時としては精一杯の調査だったと思います。調査は若手研究者と多くの高校生の力で進められています。高校生には貴重な時間、経験だったでしょう。
土保山古墳の所在地は二中とは関係なく、墳丘が破壊、前提の調査なので石室を二中に復元保存した。実際は高槻と茨木の境目に近い土室町。番山古墳の背後になりますよ
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