近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・“琉球型”の遺伝子とは!

2008年09月27日 | 歴史
今年9月、理化学研究所が約7,000人を対象とした遺伝子解析研究によると、日本人の遺伝子は、“本土型”と“琉球型”に大別できることが明らかになった。

全国の病院から患者の遺伝情報データを収集し、14万ヶ所のDNA個人差を手がかりに分類したところ、“本土型”と“琉球型”の2つのグループに分けられたと云う。

両者を分ける最も大きな違いは、“髪の毛の太さ”と“耳あかのタイプ”に関係する個人差で、“本土型”の方が髪の毛が硬く、乾いた耳垢ができる傾向にあり、“本土型”の方が、中国人と遺伝的により近かったと云う。

縄文人と北東アジアから朝鮮半島経由で渡来した弥生人が混血する一方、アイヌや沖縄の人は、弥生人の影響をあまり受けずに縄文人の要素が強いとする学説・“二重構造モデル”を支持する内容となっている。



写真は、縄文人・弥生人・現代人のイメージ比較。

写真のように現代人のイメージが、何となく縄文人と弥生人が混血したように見えるが、上手に復元できている。

縄文人のイメージは、丸顔で鼻が高く鼻筋がとおり、筋肉もよく発達している一方、弥生人は面長でのっぺりした、いわゆる“渡来系”の顔形で知られている。
縄文人と渡来系弥生人が混じりあって生まれたのが日本列島の“先住民”。

沖縄諸島では、現時点で弥生時代にあたる時期の水田はみつかっておらず、農耕がはじまるのは、平安時代であった。本土の弥生文化とは縁が程遠かったと云える。

沖縄諸島の弥生時代には、沖縄で作られた貝輪などの貝製品が、遠くは北海道まで本土に広く・大量に運ばれたことで知られている。
沖縄の方が文化的主導権を発揮していたと云える。



写真は、沖縄人の全国高校野球大会に沸き上がる歓喜の渦。

今年の高校野球全国大会は、春・夏とも沖縄勢が大活躍し、健在振りを見せた。

そしてもう一点は、琉球人とアイヌ人の類似性・共通性に関して、骨格・風貌・生活文化スタイル・自然観・宗教観などをはじめ、形質人類学・解剖人類学の観点からも、琉球人・アイヌ人は“Y染色体遺伝子”が縄文人に類似し、叉“ミトコンドリアDNA”の血統調査でも、縄文人との類似性・共通性が指摘されている。

渡来系弥生人の影響は、沖縄・北海道までは及ばず、本土に限られていたことが分かる。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・異例現象とは!その2

2008年09月23日 | 歴史
もう一つの最新ホットニュースは、沖縄最大の観光資源である珊瑚の死滅消失状況で、環境の適正レベルが益々悪化している証拠と云う。

近年二酸化炭素の増加による海水温度の上昇、土地改良事業・乱開発などによる化学肥料の海水混入や森林伐採による海への栄養供給ストップ等々によって、起こる珊瑚の“白化現象”が沖縄諸島のあちこちで、問題となっている。

又ウィルスによる謎の病気やオニヒトデの大量発生などで、珊瑚を死に追い遣っていることも事実。





写真は、沖縄諸島に広がる、珊瑚の白化現象2点。

白化とは、文字通り、サンゴが白く脱色したようになる現象で、規模が大きいとサンゴ礁が丸ごと真っ白になってしまう。そして白化が長時間に及ぶとサンゴは死滅する。

サンゴの白化現象は海水温が上がったり、海水の塩分濃度が低くなったりした場合によく起こるらしい。

白い砂浜に、“金銀サンゴ”と呼ばれる美しいサンゴの群生、魚類やえび・貝・繁茂する海藻類と、そのなかを出入りする原色の海生物たち。
このファンタジーの世界こそ、日本人が抱くサンゴの海であり、沖縄諸島はその宝庫として知られている。





写真は、サンゴの屍骸状況及び下段は珊瑚の屍骸が蔓延した海岸線。

死滅したサンゴはやがて崩れ、魚影もいなくなる。
触ったり足ヒレを引っかけたりするなどダイバーの不注意が、サンゴを少しずつ傷つけ・死滅させるケースも増加していると云う。

沖縄の某研究所・某新聞社の共同調査によると、日本最大のサンゴ礁域、沖縄県・石西礁湖のサンゴが、この5年で7割失われたらしい。





写真は、八重島諸島の地図及び空から望む石西礁湖。

石西礁湖は、石垣島と西表島に挟まれた東西約30キロ、南北約20キロの範囲に広がるサンゴ礁海域。浅い湖のような海底に300種超のサンゴが分布していると云う。

石西サンゴ礁海域喪失の原因は、07年夏~秋に発生した海水温度上昇による白化とみられるが、台風の大波でサンゴが破壊された場所も多かったと云う。今後、最も懸念されるのは更なる海水温上昇に伴う白化の多発だ。

サンゴの白化現象は世界規模に広がり、1998年の大規模な白化は、海水温の上昇が原因であったとされ、太平洋・インド洋・紅海・ペルシャ湾・地中海・カリブ海沿岸などにも及び、少なくとも32カ国で起きたらしい。

地球温暖化によるサンゴ礁の破壊は、沖縄諸島のみならず、世界規模の環境悪化によるもので、地球環境サミットによる温暖化防止対策の早期合意・実行が待たれる。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・異例現象とは!その1

2008年09月21日 | 歴史
大自然に恵まれ・育ち、大海原に囲まれ・思う存分食し・遊ぶなかで培われた、くよくよしない、こだわらないという、県民の一般的生活信条は、平均的な本土人から見れば、極めて受け入れがたく、ついていけない!

沖縄について、よく引合いに出される経済社会指標に、失業率全国1位 離婚率全国1位 出生率全国1位 車社会なのに任意保険無加入率全国1位・大学進学率全国ワースト1位などで、出生率を別にして不名誉な記録が多い。



写真は、沖縄西原町の琉球大学キャンパス遠景。

県内唯一の国立大学・琉球大学の2006年男子卒業生就職率は79%と低く、県外求人が十分あるにもかかわらず、目もくれないほど、地元就職志向が強い。

就職先がままならなくとも、オバー・オカーの経済力・収入源を頼りに、安易な道を選んでしまう。元々の育ちからのんびりした就職姿勢の上、折り合いが悪ければ直ぐ辞めてしまう若者たちの職へのこだわり・意識の低さに驚く。

これが“新卒無職者”全国一の大きな理由の一つであるかもしれない。
適当な就職先が無ければ、身内・親戚・知人・友人が救いの手を差し伸べてくれ、就職情報誌上で都度募集する企業の採用面接を受け、しかるべき日から出社するなど生涯をかけるというより、腰掛的な一時しのぎとして仕事を考えているとも云える。

2004年3月の沖縄県内大学卒業者のうち、進学も就職もしていない学生の割合が30%で全国平均(14.7%)の2倍ほどだが、就職活動には余り積極的でない学生が多いと云う。女性上位社会の社会現象・弊害かもしれない。

本土日本人にとっては、真に理解に苦しむが、極めて異例な地域性と云える。

次に厚生労働省が雇用改善の弱い地域(沖縄を含む21道県)を対象に2008年4月に新設した“地方再生中小企業助成金”の沖縄県内利用率が3ヶ月以上経った今でもゼロ。県はこの状況に頭を悩ませており、今後助成金の周知徹底を強化する構えだ。

助成金は、県が指定した飲食店・飲食品小売業・情報サービス業の3分野のいずれかで創業し、6ヶ月以上新規雇用者を一人以上雇った事業主に対して「創業支援金」や「雇い入れ奨励金」を支給する仕組み。

2001~06年の県内飲食店・飲食サービス業の開業事業所数は、6,057件、就業者数は28,927人と他業種に比べ圧倒的に多いが、2008年度の助成金申請件数が、今までのところ皆無の状況。



写真は、沖縄中頭郡嘉手納町の嘉手納そば屋。

この助成金は、全国一高い、県内の開業・廃業率の原因とされる個人事業主や中小零細企業をすくい上げるのが目的だが、県関係者によると「規模の小さい企業ほど助成金に対する認知度が低い!」と嘆く。

助成金が広く活用されれば廃業率が改善し、雇用の安定につながると期待されるだけに、制度そのものの周知徹底が最大の課題。

それにしても沖縄県民は、がつがつしないし、あわてないという、こののんびりムードは、沖縄らしい県民性では済まされない!

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・ハプンング・その3

2008年09月18日 | 歴史
敬老の日を前に厚生労働省は9月12日、100歳以上の高齢者が9月末で36,276人に達すると発表した。初めて3万人を超えた昨年から、さらに3,981人増加した。

男女別では、女性が前年比3.531人増の31,213人で86%を占めたが、男性は同450人増の5,063人で全体のわずか14%と、女性の長寿が際立っている。

国内最高齢は、沖縄県在住の113歳の女性と、男性の最高齢は宮崎県都城市在住の112歳。

そして人口10万人当たりの割合は、沖縄(61.3人)が全国1位。島根(58.8人)、高知(54.1人)が続いた。1978年から31年連続で過去最多を更新した。

沖縄では、本年度中に100歳以上となる人は男性94人(11.2%)、女性744人(88.8%)で前年度より46人多い838人だが、女性の長寿が圧倒している。



写真は、沖縄長寿の里で名高い大宜味村の記念石碑。

沖縄長寿の秘密を医学的に解明しようと研究を続けている、琉球大学の調査によれば、100歳以上の高齢者たちは、栄養バランスのよい沖縄の伝統食を少量、多数品目にわたって規則正しく食べていることが分かったと云う。

沖縄長寿には、食習慣以外にも、例えば自然・亜熱帯気候・住民気質・“医食同源”思想の実行などの生活習慣等々幅広い重要因子が挙げられると云う。



写真は、沖縄の長寿を支える、豚肉・豆腐・昆布・野菜などの煮付。

沖縄県人が普段食している、写真のような煮付には、長寿のエッセンスが含まれている。

京都大学の調査によれば、ブラジルに移住した沖縄出身者を調べた結果、沖縄の人の長寿は決して遺伝的なものではなく、食生活が大きく影響していると指摘する。

ブラジルに移住した沖縄の人の平均寿命は17年も短くなっていたらしい。牛肉が安く、毎日が肉食というブラジルで生活する沖縄県人は、血圧・コレステロールも高く、糖尿病・肥満の傾向も明らかに日本より強いというのが調査結果だったと云う。

沖縄には豆腐・緑黄色野菜・豚肉などを炒める“チャンプルー”のほか、魚・大豆・海藻・新鮮な野菜といった食材を特徴とする伝統食が、極めて優れた“長寿食”であり、コレステロールフリーの特徴に注目。

100歳を超えるお年寄りに若い頃の話を聞くと、「芋の葉を食べていた」とか「食べるものなんて葉っぱ以外なかった。肉なんて行事の時にしか出てこなかった」など。その上、農業で肉体労働をこなしている。

近年若者世代がアメリカンファーストフッドにはまっていることから、脂肪たっぷりの食生活に加え、車社会に慣れきった生活慣習は、長寿県沖縄に赤信号が点滅している。

沖縄の伝統食や“医食同源”思想を思い起こし、今後とも引続き長寿県№ワンを守り、長寿モデル県としての地位を継続して欲しい。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・ハプンング・その2

2008年09月15日 | 歴史
今夏の第90回全国高校野球選手権記念大会では、浦添商が大活躍し、予選を順当に勝進んだが、再び準決勝で静岡代表の常葉菊川に破れた。

残念ながら平成9年同様、準決勝で敗退してしまった。
2008年8月17日、阪神甲子園球場での準決勝では、浦添商は4対9で常葉菊川に敗退した。
 準決勝の戦跡を振り返って見ると、常葉菊川は2回、2―1と逆転し、なおも2死満塁で走者一掃の中越え二塁打を打たれ、再び2死満塁となると、左越え本塁打を打ち込まれ、決定的な9点を取られた。



写真は、準決勝敗戦後、選手一同アルプススタンド前で一礼したところ。

浦添商は3回以降の常葉菊川の攻撃を抑え、援護を待った。3回は左越え2点二塁打で追加点、6回には中前適時打で追い上げたが、反撃はここまでで潰えた。

しかし、沖縄野球の真骨頂である、スピードときびきびとした高校野球らしい野球を今年も存分に見せつけ、近い将来夏の全国大会でも、頂点に立つことを予感させたと云える。沖縄の夏は余韻を残して終わった。

もう一つの話題は、“沖縄平和ネットワーク”が、第52回(2008年度)沖縄タイムス賞社会活動賞を受賞した。

1986年に“戦跡基地案内人養成講座”を実施し、その中から“沖縄平和ガイドの会”を立ち上げ、『平和ガイド』の草分け的存在となった。



写真は、“沖縄平和ネットワーク”の地道な活動振り。

本土から修学旅行の平和学習を受け入れる際、担当の先生たちと直接連絡を取り合うことで、神奈川・東京の首都圏の会発足にもつながり、沖縄からの平和発信の取組みが、細い糸を切らずに全国規模の運動にまで発展している。

最近では、“教科書検定意見撤回”運動の火付け役も果たすことができ、今回の“検定撤回”にもつながったと云える。

会員の年齢層も年金生活者から学生まで幅広い人材が集まるのも、『戦争につながる一切のものに加担しない!』という共通認識の下に、結束できる魅力があればこそと云える。今後益々充実した活躍が期待される。

近年沖縄県勢が脚光を浴びている“高校野球”と“平和活動”という、沖縄らしい話題を拾ってみた。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・ハプンング・その1

2008年09月12日 | 歴史
今年梅雨が明けて間もない沖縄列島では、昨今悲惨で残忍な事件・事故は起こっておらず、本格的な夏シーズンを前に、平穏な日々が経過していた。

春の全国高校選抜大会では、今年も含め過去2度、“沖縄尚学”が全国制覇したが、夏の甲子園全国大会では、沖縄県勢は未だに手が届かないのは何故か?

沖縄の場合、気象も含め恵まれた諸条件の下、良き指導者を迎えれば、限りなく戦力アップが可能になる。

沖縄の高校は、ほとんど地元の学生ばかりでチームをつくっているので、“野球馬鹿”というより、文武両道を備えた学生が、野球でも上達しているようだ。

沖縄はプロのキャンプ地化が進み、施設・用具が充実し、冬の亜熱帯気候を生かした実戦トレが十分出来るので、春の選抜へ向けて他県より遥かにチームを仕上げ易いし、選抜へ向けて冬場に十分な走塁練習が出来るのは沖縄だけ。

一方冬場も実戦練習が主になるため、体力アップの基礎トレが立ち遅れ気味で、春から夏へ体力の伸び方が少なく、3月~4月に県大会・選抜大会・九州大会・GWの招待試合が続き、5月に入るとすぐに梅雨入り、明けると夏の大会が始まるので、春から夏へ向けて集中的に体力強化出来る期間が短いことは、ハンディとのことであったが・・・・・。

どんなスポーツでも基礎体力如何が、後々大きく利いてくること、特に伸び盛りの中高校生には、基礎体力強化が必至テーマであることを考えると、タイムリーな基礎トレの充実・強化が夏の大会に大きくものを云う。

ところで、今年の夏の高校野球大会・沖縄地区予選の結果は、去る7月13日に沖縄大会決勝戦が行われた。

浦添商が、今年春の全国選抜大会で優勝した、強豪沖縄尚学を破り甲子園出場の切符を手に入れた。初回の先制5点が決定的に利き、5対2で沖縄尚学に勝った。





写真は、沖縄県立浦添商業高校、平成20年夏季大会の沖縄県決勝戦、沖縄尚学vs.浦添商の熱戦。

浦添商は、夏の大会3回目の出場で、平成9年には準決勝まで進んでいる名門。
残念ながら準決勝で、智弁和歌山に1:0で負けてしまった。

はたして、沖縄県勢・浦添商の今年の夏の大会はどうだったか?
今までのジンクスを破り、夏の全国大会でも、県勢初の優勝を果たすことができたか?

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・沖縄のインフラ整備は!

2008年09月10日 | 歴史
ここでは沖縄のインフラ整備状況を計画中のものも含めて概観する。

先ず那覇空港ビルディングが2012~15年の使用開始を計画しているが、老朽化した国際線ターミナルビルを取り壊した後に、現在の国内線ターミナルビルと同規模のビルを新たに建設すると云う。



写真は、現在の那覇空港ロビーの光景。

2つの建物を連結して一体の“国内・国際線ターミナルビル”として運営する。
新ビルには航空機7機が接続できる“フィンガー”を設置し、那覇空港を利用するすべての乗客が機体から直接ターミナルに移動できるようになると云う。

新たなターミナル整備では沖合へ滑走路増設も見据え、国内線で年間乗降客数1,800~2,000万人、国際線は年間50万人に対応できるように計画している。

平成19年には年間1,464万人が利用し、繁忙期のロビーの混雑など、利用状況は飽和状態にあると云う。
施設には出発、到着ロビーだけでなく、飲食店や商業店舗が入居する。

次に沖縄のモノレールの“ゆいレール”の延長の経路について、県民や観光客から広く意見を募集している。

今回の延長の経路は、(1)県道浦添西原線を経由する案、或いは(2)県総合福祉センターを経由する案の2つの延長の経路(約3キロ)を求めている。



写真は、那覇市内の幹線交通機関・“ゆいレール”。

ゆいレールは2003年8月に開業し、全線12.9キロで、那覇空港駅~首里駅間に15駅が設けられ、2両編成の列車が約27分かけて結ぶ。
1日当たりの平均利用客数は、2007年には37,700人ほど。

次に沖縄県宜野座村にある“かんなタラソ沖縄”、タラソとはギリシャ語で“海”という意味で、タラソテラピーとは、海水の多様な特性を活かし、身体機能の回復など幅広く活用するフランス生まれの自然海洋療法のこと。





写真は、沖縄宜野座村の“かんなタラソ沖縄”の入口及び“かんなタラソ沖縄”の施設。

“かんなタラソ沖縄”は、眼前に広がる新鮮な海水を活用し、宜野座村の豊かな自然環境を最大限に生かした東海岸のタラソリゾート。

海水を平均37℃に温め全てのゾーンに使用し、タラソエステ・スパのほか、ハーブ浴・サウナ・プール・ジェットバス・岩風呂など14種の海水ジャグジー(泡風呂)が楽しめる、新しい形の健康増進と癒しのスポット。

次に長期滞在型宿泊施設が充実強化されつつあるという話題。価格の相場も含めて紹介すると、以下の通り。

那覇市のドミトリータイプの安宿は1泊1,500円からで、長期割引、個室があり、小旅行から移住目的の方までゆったりくつろげる。



写真は、那覇市内のウィークリーマンション。

宮古島のレンタカー付リゾートウィークリーマンションはリピーターに人気があり、一方沖縄本島西海岸リゾート地の格安民宿は、出張・観光・移住前視察・受験・引越等で沖縄本島へ滞在される方へ最適。

2007年7月オープンした那覇市の、短期1泊1,400円・長期1泊1,000円の民宿は、全室クーラー設置、無線LAN接続可能、自炊可能、立地条件良好、貸し切りOK、駐車場あり、少人数制でキレイであり、女性専用部屋もあると云う。

長期滞在客には、朗報の格安宿泊施設が充実しつつある。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・沖縄のエコ社会は!

2008年09月08日 | 歴史
先ずは、沖縄バス会社の生残り作戦について、沖縄県で路線・観光バスを走らせる、那覇市の那覇バスの作戦とは?

沖縄バスでは、団体客が減る6~9月にバスガイド8人を北海道・利尻島と礼文島に派遣し、地元稚内市宗谷バスのガイドとして働いてもらうというガイドの地域間有効活用の話題。



写真は、北海道礼文島から利尻富士を望む光景。

沖縄とは逆に北海道は夏の団体客が多く、ガイドが足りない状況のため。
那覇バスの担当者は「利尻島・礼文島の歴史・名所のガイド・マニュアルを暗記すれば大丈夫!」と話す。

日本の南北両極地であればこそ、北海道・沖縄の季節格差を利用して、遊休人的資源を融通しあうことが可能であり、お互いにメリットがある。

北海道と沖縄には、アイヌ民族と琉球民族に共通する、縄文時代まで遡るDNAが確認されているが、顔形・骨格だけでなく、発想・行動パターンなどにも合い通じる共通点が見られ、お互いに近づきやすいのではないか?

“沖縄そば”を食べさせる店が、本土では余り見られないが、北海道にやたらと多いのは何故か?

北海道と沖縄は経済的にも恵まれてこなかった、地理的・歴史的背景に共通する面があるが、それらの理由以前に、民族的なつながり・かかわりが関係しているのではないか?

次にアサガオを市役所庁舎の壁にはわせて直射日光を遮る、“壁面緑化”に昨夏取り組んだ尼崎市が、今年はゴーヤとツルムラサキで壁を覆う計画を進めている。

室温の上昇を抑えて地球温暖化防止に役立て、収穫後は食用にする一石二鳥の試みで、うまく育てば8月にゴーヤなどを使った料理教室を開き、市役所育ちの「産直野菜」を市民に振る舞うと云う。



写真は、尼崎市役所の壁面緑化状況。

最終的には約400平方メートルの壁が緑に覆われ、市が8月に温度を測ったところ、直射日光があたる部分と葉陰とでは1日平均2.5度の差があり、最大で6度の差となることがわかった。

「涼しくなった」・「安らぎや潤いが感じられる」「景観がよくなった」などと市職員らにも好評だったらしい。

市民や企業にも壁面緑化を呼びかけようと、市当局と尼崎緑化協会は、ゴーヤとツルムラサキの種を無料で配布していると云う。

エコ活動の一環として、中央又は県の関係省庁が音頭をとり、沖縄列島の自治体・企業を含め、全国規模でキャンペーンを広げてはどうか!

今年はタイミングを失したが将来に向けて、壁面緑化運動は、ボランティア活動のレベルでキャンペーンできるのではないか?

次に沖縄の“かりゆしウェア”を知っていますか?
沖縄では、毎年夏になるとホワイトカラーの人たちが“かりゆしウェア”で出社する。暑い沖縄らしいフォーマルシャツで、如何にも涼しそう!

“かりゆし”とは、沖縄方言で、「めでたい・縁起がよい」という意味とか。





写真は、沖縄のフォーマルウェア・“かりゆしウェア”2点。

基本的なデザインはアロハシャツと同じで、半袖開襟シャツに、裾はズボンから出して着ることを想定して、やや短め。

柄は沖縄独特の風物を絵柄にしたモチーフが多く、シーサー・ゴーヤなどが良く使われているらしい。もちろん、沖縄伝統工芸織物の絵柄もあると云う。

2000年の沖縄サミットで、各国の首脳が着用したのがきっかけで、一気に広がりを見せたらしい。“かりゆしウェア”が本土でも広まるといいですね!

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・米軍基地問題は!

2008年09月06日 | 歴史
政府は6月10日、宜野湾市の米海兵隊普天間飛行場の移設問題で、同飛行場の危険性除去策を検討する県と合同の作業チームを発足させる方針を固めた。

作業チームは、内閣官房・内閣府・外務省・防衛省と県の課長級職員で構成すると云う。同飛行場の危険性除去について、飛行ルートの変更や飛行の障害となる木や鉄塔の除去などの具体策を示したが、県側は「抜本策をさらに考えてほしい」と求めていたらしい。

一方代替施設に関する作業チームは、沖縄側が政府の移設案修正に向けた協議の場を設置するよう要請していたことを踏まえ、政府側が提案した。

移設案の修正問題で、政府は沖縄側の要求に応じる方針だが、米側の反発が強く具体的な協議が進まない状況が続いている。沖縄側は、移設先の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部に、滑走路2本をV字形に配置する代替施設を沖合にずらす修正を求めている。







写真は上から、名護市のキャンプ・シュワブ周辺地図、キャンプ・シュワブ現場及びキャンプ・シュワブのV字形移設サイト。

町村官房長官は協議会で、「位置の移動などを含め、意見が提起された場合は地元の意向を念頭に置き、誠実に対応する」と改めて修正の可能性に言及した。

しかし、高村外相・石破防衛相は「合理的な理由なくして変更は困難だ!」とそれぞれ指摘するなど、政府内では修正に否定的な声が依然根強い。

一方で、米軍普天間飛行場の代替施設(V字型の滑走路)を建設するため、沿岸部の埋め立て計画を進めた場合、絶滅危惧種ジュゴンが棲む豊かな海を破壊してしまうかも。

国際環境保護団体の“グリーンピース”は、この軍事基地の建設に反対する声を世界から集め、キャンペーン船エスペランサ号を名護市辺野古に派遣した。

辺野古沖でのアメリカ軍の水陸両用戦車の運行は、絶滅危惧種指定のジュゴンの生息環境をすでに破壊しているらしい。





写真は、名護市大浦湾のアオサンゴ海面及びアオサンゴ群落。

名護市の大浦湾で見つかったアオサンゴの群落が、国内最大規模であることが、日本自然保護協会など自然保護団体と国士舘大の共同調査で、この度明らかになった。

アオサンゴ群落は汀間漁港の南東約2キロ・メートルにあり、米軍・普天間飛行場の代替施設予定地から約4キロ・メートル離れた位置にある。

群落は水深2~14メートルのなだらかな岩壁斜面を覆い、幅約30メートル、長さ50メートル、高さ12メートルの範囲で壁のように密集していることが判明。面積は約1,000平方メートルにも及ぶことも分かった。

「沖縄近海のサンゴが白化現象などで被害を受ける中、健康な状態で広範囲に生息している貴重な群落。他のサンゴも含めて生物の多様性も高く、大浦湾の環境の特異性を象徴する!」と調査団は話している。

このように世界的規模の環境遺産を抱えているだけに、世界の共有資源を維持・保全する重大な義務があり、基地問題の枠をはるかに超えた、総合的な視点で判断する必要がある。

移設に伴う辺野古や大浦湾の環境アセスメントを慎重に行い、後々後悔しないよう環境問題プロの評価・判断を尊重した、客観的な決断に依存するしかない。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・沖縄戦に纏わる話題!

2008年09月04日 | 歴史
最初に沖縄戦での体験を語り続けている“大城盛俊”さん(75歳)が、家庭の事情や健康上の理由で、語り部を引退すると決めたと云う。沖縄県石垣島で同県内では最後となる講演を行い、戦争の残酷さを訴えた。

大城さんは沖縄戦当時12歳。「男の子は日本軍に何をされるか分からない!」と案じた父が少女の格好をさせていたが、結局日本兵に殴られて右目失明などの大けがを負ったと云う。

沖縄住民は「我々が皆さんを守る!」という日本軍に住まいや食糧を提供し、道路や陣地作りに動員され、最後は米軍の砲弾の嵐から逃げまどった。

日本兵は、壕から出る時には住民を先に立てて“盾”にした。大城さんの実母もスパイと疑われて殺された。

「でも私が本当に訴えたいのは日本軍の残酷さではない。彼らにそうさせた戦争が残酷。ベトナムもイラクもそうです!」と大城さんは言う。

講演は1,230回を超えた。語り部は多くが沖縄在住で旅行客が相手だが、兵庫県伊丹市在住の大城さんは主に本土で沖縄戦を語り続けてきた。

「講演を始めた頃は、沖縄ってアメリカ?という子供たちもいた。海は青く空は広い、というイメージばかり。沖縄の歴史が甘いものではなかったということはわかってほしい!」と。

次に、女性と子どもたちの体験を中心に戦争の悲惨さを紹介する企画展・“女性・子どもたちの『沖縄戦』展”が那覇市歴史博物館で開催されている。



写真は、女性・子供たちの“沖縄戦”展のチラシ。

同展は、6月23日の“慰霊の日”に合わせて同博物館が企画・開催しているもので、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考えることを目的にしている。
「戦争は軍隊だけのものではなく、子どもはもちろんすべての住民が巻き込まれ、多くの犠牲を出した沖縄戦の教訓を改めて学んで欲しい!」と。

最後にもう一つ、米軍秘密文書の紹介。

太平洋戦争末期の沖縄戦で、警察官が日本軍の士官らと連絡を取りながら、沖縄本島北部で米軍に対する破壊工作をしたり、住民の米軍への投降を抑えようとしたりしていたことが、当時の米軍秘文書から分かったと云う。

北部地域では日本軍がゲリラ戦を展開しており、警察が軍と一体になってこの作戦に加わっていたことを裏付けるものと研究者はみている。



写真は、阿嘉島に上陸した米軍、いよいよ沖縄戦開始の時。

沖縄戦で、日本軍は本島中南部の戦線に主力部隊を置き、北部にはゲリラ戦を任務とした部隊を配置。米軍が北部西岸から上陸し、南部へ勢力範囲を広げてからも山間部などで抵抗を続けた。

この地域での警察の活動については、住民を利用した敵陣営の攪乱など、警察官の任務を記した「戦闘活動要綱」が2005年に米英軍の没収文書の中から見つかったが、活動の実態はわかっていなかった。

しかし今回発見された秘文書は、「住民の命を軽視し、住民から警察官まで根こそぎ動員してゲリラ戦を続けようとした日本軍の方針が、実際に実行に移されていた!」ことを裏付ける、貴重な史料と話している。

沖縄の歴史・文化 “沖縄の最新情報”・ブラジル移民は!

2008年09月01日 | 歴史
日本人のブラジル移民100周年の記念祭典が、皇太子さま出席のもと、平成20年6月21日サンパウロのカーニバル会場で開かれた。

日系人ら市民約4万人が参加し、和太鼓とサンバの力強い響きで新たな世紀の幕開けを祝った。





写真は、ブラジルへ移住して100周年が経つ当時の神戸港及びブラジル移民100周年記念祭典を前に和太鼓の現地練習風景。

最初の移民船、笠戸丸が出港した神戸で今年4月に採火され、ブラジルに運ばれた「友情の灯」はこの日、同国を構成するインディオ・白人・黒人・日系人のランナーに引き継がれ、最後は笠戸丸移民の6世である、サンパウロ在住の大西優太くん(3歳)とその家族の手で灯火台にともされたと云う。





写真は、日本ブラジル交流100周年記念フェスティバル2点。

推計150万人に増えた日系人の多くが暮らすサンパウロのカサビ市長は「今日の繁栄は日系移民の努力なくしてありえなかった」と讃えた。

ブラジル全土から集まった1,200人による和太鼓演奏を披露、同国で和太鼓は人種を超えて親しまれる日本文化の象徴的存在で、式典は最高潮に達した。

皇太子さまは6月20日、サンパウロ市内のホテルで、日系人ら約50人と懇談したが、その中に、約60年前、皇籍離脱してブラジルに渡った元皇族がいた。その人は羅間俊彦さん(79)で、終戦直後の皇族首相・東久邇宮稔彦氏の四男、明治天皇の孫。

1947年、他の宮家とともに皇籍を離脱して、コーヒー農場を経営する元外交官夫人の養子となって、ブラジルへ渡った。日系2世の女性と結婚し、現在は長男と3人ともサンパウロで生活していると云う。
ブラジルでの半世紀を超える年月は「非常に豊かな人生でした」と話した。

皇太子さまは、翌日21日、ブラジルの港町・サントス中心部で日本人会館の落成式に出席した。

サントスは日本からの最初の移住船・笠戸丸が到着した場所。戦時中にブラジルと日本の国交が断絶した影響で、1943年7月、ブラジル政府に接収された、日本語学校が60年以上たって返還されたのを機に、改修が進められてきた。
今後は市民向けの日本語教室などに利用し、日本文化の発信を目指すと云う。

翌日22日に皇太子さまは、日本人の移住100周年にあたって整備された“トミ・ナカガワ公園”の開園式に出席された。

トミさんは笠戸丸で渡った第1回移民の最後の生存者だったが、一昨年10月ロンドリーナ市内で、100歳で亡くなったと云う。同市は日本人移民の功績をたたえるために1万平方メートルの土地を提供、大鳥居や日本庭園が配された公園が完成した。

皇太子さまは、ブラジル移民100周年記念式典出席と合わせて、ブラジル国内での諸記念行事に出席するなど、皇室外交をこなされた。