二本松古墳は、東大阪養護老人ホーム南西に隣接する標高18mほどにあり、同古墳からは大阪平野が一望できる。
写真は、二本松古墳墳丘から望む市街地光景及び往生院六万寺。
本古墳付近には楠木正行ゆかりの“往生院六万寺”や市定文化財の“旧春日神社”等の多くの文化財が残されている。
東大阪市の山麓には、山畑古墳群・花草山古墳群・五里山古墳群など多くの群集墳墓が分布している。
本古墳は、六万寺町の山麓に営まれた小群集墳の一つで、六万寺古墳群と呼ばれ、平成4年に市史跡に指定されている。
写真は、二本松古墳全貌とその墳丘光景。
本古墳は、南側に入口を持つ横穴式石室を内部主体とした、一辺約20m・高さ4~5mの方墳で、築造は6世紀後半。
本古墳は、住宅開発ラッシュの中で、かろうじて残された古墳群の一つ。
写真は、二本松古墳の登り口、横穴式石室入口、両袖式石室内部の光景及び本古墳から見上げる生駒山系の様子。
巨大な自然石の花崗岩・せん緑岩を積上げて築造されている石室は、入口から玄室までの長さ11.3m・幅1.9mほどの羨道と呼ばれる通路と、奥行き4.5m・高さ3m・幅2.2mあまりの棺を納める玄室部分に分かれている。
この玄室は府下でも大規模なものとして知られているが、この地域共通の構造、左の段差が僅かな両袖式石室。
本古墳は、山畑2号墳や八尾市の愛宕塚古墳などに次ぐ巨大古墳。
石室は昭和39年に発掘調査が行われたが、盗掘されていたにもかかわらず、須恵器の長首壷や杯等の土器・金環・銅環などが出土している。
石室は、現在小さな公園内に保存されているが、平成3年に遺産相続の際、遺族の方から市に寄付されたらしい。
西側墓地の中にも古墳が3基あるらしいが、それらしい墳丘が一ヶ所と石碑が一つあるだけと云う。
写真は、二本松古墳墳丘から望む市街地光景及び往生院六万寺。
本古墳付近には楠木正行ゆかりの“往生院六万寺”や市定文化財の“旧春日神社”等の多くの文化財が残されている。
東大阪市の山麓には、山畑古墳群・花草山古墳群・五里山古墳群など多くの群集墳墓が分布している。
本古墳は、六万寺町の山麓に営まれた小群集墳の一つで、六万寺古墳群と呼ばれ、平成4年に市史跡に指定されている。
写真は、二本松古墳全貌とその墳丘光景。
本古墳は、南側に入口を持つ横穴式石室を内部主体とした、一辺約20m・高さ4~5mの方墳で、築造は6世紀後半。
本古墳は、住宅開発ラッシュの中で、かろうじて残された古墳群の一つ。
写真は、二本松古墳の登り口、横穴式石室入口、両袖式石室内部の光景及び本古墳から見上げる生駒山系の様子。
巨大な自然石の花崗岩・せん緑岩を積上げて築造されている石室は、入口から玄室までの長さ11.3m・幅1.9mほどの羨道と呼ばれる通路と、奥行き4.5m・高さ3m・幅2.2mあまりの棺を納める玄室部分に分かれている。
この玄室は府下でも大規模なものとして知られているが、この地域共通の構造、左の段差が僅かな両袖式石室。
本古墳は、山畑2号墳や八尾市の愛宕塚古墳などに次ぐ巨大古墳。
石室は昭和39年に発掘調査が行われたが、盗掘されていたにもかかわらず、須恵器の長首壷や杯等の土器・金環・銅環などが出土している。
石室は、現在小さな公園内に保存されているが、平成3年に遺産相続の際、遺族の方から市に寄付されたらしい。
西側墓地の中にも古墳が3基あるらしいが、それらしい墳丘が一ヶ所と石碑が一つあるだけと云う。