近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

青森県の三内丸山集落、食糧激減のため2℃の寒冷化で消滅!

2013年08月10日 | 歴史
最新の歴史的な新発見について、引続き紹介します。

縄文時代に大いに栄え、当時の日本の中心であったとされる、青森県の「三内丸山遺跡」集落が約4,200年前に消滅したのは、2度の気温低下が原因だった可能性が高いことが分かったと云う。

それまで豊富だった食料用の木の実などが、この寒冷化で激減したらしい。





写真は、4,200年前頃の寒冷化現象の略図と三内丸山遺跡現場に広がる光景。

三内丸山遺跡は陸奥湾の南約3kmにある、縄文時代最大規模の集落跡。

当集落は約5,900年前に成立し、約1,700年後に消滅した。しかし、長期にわたる気候変動の詳しいデータがなく、集落の盛衰と気候の関連は不明だった。

今回、本遺跡から約20km離れた陸奥湾で、水深61mの海底から堆積物を採取し、プランクトンがどのような物質をつくっていたかを手がかりに、当時の海面水温を推定したと云う。

その結果、海面水温は5,900年前から約1,700年かけて、約22度から約24度まで徐々に上昇したが、4,200年前ごろ、約22度まで急激に低下したと云う。気温の低下も、おなじ約2度とみられる。

堆積物中の花粉などを調べたところ、温暖期には陸上では食用に適したクリなどが多く育ち、海中には魚が多く生息できたが、寒冷化して、その環境が失われたことがわかった。

この寒冷化は、この地域に吹く南西からの暖かな季節風が弱まったことなどが原因らしい。

専門家によると、「2度の寒冷化の影響は、思いのほか大きく、数度の温度変化でも、農業などの1次産業は大きな影響を受ける可能性がある」と云う。