近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

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静岡県三島市の向山古墳群とは!そのⅠ

2012年09月25日 | 歴史
伊豆地方には大型古墳はなく、前方後円墳は向山古墳群に1基あるのみ。

三島の古墳の大半は、中郷地域などの水田地帯を見下す箱根山麓の尾根上に造られている。

向山古墳群は、三島市南東部の向山小学校から東大場に続く、箱根丘陵上の道沿いに所在しているが、史跡指定されたのは、通称「向山」と呼ばれる丘陵の尾根上に展開する16基からなる古墳群。













写真は、向山3・4・5号墳墳頂状況、同7号墳墳丘、同8号墳墳丘、同10号墳墳丘、同11号墳墳丘及び工事中に削平された墳丘断面。

この向山丘陵は、幅20m~30mときわめて狭い痩せ尾根だが、尾根幅の広いところに大型の古墳が占めている傾向が窺える。

向山古墳は、前方後円墳と円墳の2種類があり、周りの溝土を盛土し、塚として築造している。

昭和50年、向山小学校建設に伴って調査された第1号墳(消滅)と第2号墳(消滅)を含めて、現在までに16基の古墳が確認されている。



写真は、最近第16基目が確認された、現在調査中の古墳現場。

確認された16基目の古墳は、尾根頂部から南斜面にかけて構築されており、10m~20m間隔でほぼ一線に並んでいる。

直線距離にして800mほどあるが、消滅した1・2号墳と13基の古墳群との間には長さ約350mの空白域があるため、向山小学校に所在した古墳をA群、指定を受けた範囲をB群とよび、本古墳群は2群構成で報告されている。

したがってB群は3号墳から15号墳まで13基あるが、平成4年に市道の拡幅工事に伴い、拡幅部の発掘調査が行われた折には、伊豆地方では初めての前方後円墳が発見された。









写真は、向山3号墳前方部から望む後円部、同後円部墳丘状況、同後円部西端の墳丘状況及び同墳頂から望む富士山と市街地光景。

発見された向山3号墳の前方後円墳は、13基の古墳の最東端に位置し、大きさは全長約21.5m・後円部の直径約11.6m・高さ1.9mほどであった。

写真のように、ここからは、市街地と富士山が一望できる。当日残念ながら富士山は、雲の中であった。





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伊豆の国市の北江間横穴墓とは!そのⅡ

2012年09月12日 | 歴史
伊豆の国市北江間横穴墓巡りを続けます。

北江間横穴群と共に、函南町柏谷にも大規模な横穴群があり、ともに国指定の史跡となっている。











写真は上から、北江間横穴群の奥行きの深い大型石室、横穴群の大型凝灰岩製石室の幅広い入口、凝灰岩が崩れ落ちそうな石室、崩落の恐れがあるため、施錠された横穴群石室及び横穴墓に残された石櫃。

横穴の平均的大きさは、開口部が50㎝~1m前後、奥行きが1~3m前後程のもので、凝灰岩をノミのような道具で掘り込んで造られている。

狩野川左岸の北江間横穴群を中心とした地域で、最大かつ中心的な横穴群として知られるが、中には幅3~4m、玄室2つをもち全長が7mを超える、巨大な横穴群もある。横穴群の形成は7世紀前半から始まっているらしい。

横穴の形・構造・工法・埋蔵物にも個性が見られ、奥行きが6~7mに及ぶもの、奥壁に接し高さが1mほどの造りつけの石棺のあるもの、入口前方に広げられた床面を持つものなど多様に及ぶ。

サイズ・形態・埋蔵物など千差万別な横穴墓の存在は、家族単位の身分・老若男女などの違いを表しているかもしれない。

この横穴群が造られた時代は、出土した須恵器から古墳時代の終り頃と考えられ、直刀片や人骨が発見されたとも伝えられている。

伊豆半島の根っこ部分に近く位置する北江間横穴群を中心とした旧伊豆長岡町や韮山町、函南町などに展開する横穴には、「追葬」のような形で石櫃が集中する。付近に寺院が多くあるわけでもないが・・・。

北江間横穴群では、「国指定文化財」として鍛冶窟の蓋つき石棺が指定を受けている。

古墳時代後期から奈良時代にかけての横穴墓群で、石製骨櫃が多く出土し、土葬から火葬への変遷を示す遺跡と云える。

壮大な家型石棺をもつ特色ある本横穴群は、大北群から発見された「若舎人(わかとねり)」銘入りの石櫃が、重要文化財に指定されている。

石櫃にも各種形式のものが多数出土したと云う。

伊豆石製の石棺の他に蔵骨器(石櫃)も見られるようになり、伊豆の国市には約1,200年前の石櫃がある。

これは昭和53年に北江間横穴群の大北横穴24号から発掘され、平成5年には、国の重要文化財として指定を受けている。

石櫃側面には被葬者と思われる、「若舎人」と呼ばれる人物を示す文字が刻まれているが、「舎人」とは当時の地方の有力者から選ばれ、天皇・皇太子の側近に仕えた身分で、「若舎人」は皇太子に仕えた身分と言われている。



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静岡県伊豆の国市の北江間横穴群とは!そのⅠ

2012年09月07日 | 歴史
沼津市周辺の古墳巡りを続けます。

伊豆の国市の北江間横穴群は、伊豆中央道の大平山のトンネルの南側出口の直ぐ東側に所在する。

横穴が無数並び、異様な雰囲気だが、芸術的な居並びにも見え、県下でも最大級の墓群落と言われているのが分かる。

昭和50年、市教委により正式な分布測量調査が行われ、92基の横穴が確認されると共に、上方に横穴式石室を持つ4基の円墳があることも判明した。

凝灰岩の山体に造られた横穴墓は3群に分かれ、それぞれが更に幾つかの小群に分かれる構成から、家長を中心とする家族集団が見えてくる。













写真は上から、北江間横穴群墳丘の傾斜状況、本横穴群から覗く韮山地方の光景、いろいろな構造の横穴墓の配置状況、密集した横穴群、整然と並ぶ横穴群及び大小様々な形の横穴墓。

横穴とは、石室を岩に掘り込んだ古墳時代の墓の一種で、市内ではこの地域に特徴なものだが、埋葬された当時の人々の集落は発見されていないと云う。

と云うのも、本横穴群は、近年でも氾濫に見舞われた狩野川に隣接しているだけに、その集落も慢性的な水害に晒されていたとも考えられる。

このような横穴は、尾根を隔てた多比にも24基の横穴群の存在が確認されているほか、沼津市内香貫山(霊山寺横穴)・内浦(三津横穴)等にも見られると云う。

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静岡県伊豆の国市の平石古墳とは!

2012年09月03日 | 歴史
ここからは、沼津市周辺の最新古墳情報を紹介します。

先ず伊豆半島入口に位置する、伊豆の国市の平石古墳は、伊豆の国市立花の守木丘陵上にあり、立花団地の南側斜面に所在する。

道路沿いに標識があり、そこから少し下ったところ。



写真は、平石古墳墳丘と石室入口の様子。

本古墳は、付近は静かな住宅街にあり、古墳時代終末期の全長約14mの円墳。

大正5年に、山道改修工事の際、偶然発見されたといわれている。

横穴式石室を内部主体として変形家形石棺を伴う円墳で、静岡県伊豆田方地方唯一の家形石棺を持つ円墳。

幅の狭い石室いっぱいに組合せ式家形石棺が置かれているが、石室前面の石材はそのまま外護列石に繋がっている。





写真は、横穴式石室前面の崩れた石組み状況と露出している石棺の様子。

平石古墳群は6基からなる群集墳だが、6基のうち4号墳のみが、発掘調査後に整備公開され、東に隣接したもう1基は、天井石が露出していたと云う。

写真のように、石室開口部で、家型石棺が露出している。


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