近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

静岡県沼津市高尾山遺跡の驚くべき新発見とは!そのⅢ

2014年12月20日 | 歴史
ここからは、首題の第三弾として、今後の遺跡動向に注目していきたい。

振返ってみると、平成20年度から平成21年度にかけて実施した発掘調査の結果、高尾山古墳は東国では最古級の古墳であることが判明しました。

この古墳については、研究者の間で、卑弥呼の墓と云われる箸墓古墳よりも古いと考える説(西暦 230年頃)と、これとほぼ同じ年代(西暦 250年頃)と考える説が併存していました。

そのため、教育委員会文化振興課では、古墳の構築年代についてのより詳細な資料を得るため、平成26年5月より試掘調査を開始し、7月中旬に調査が完了したので、その結果は以下の通り。

・墳丘は、原地形を2mほど削平にしたのち、4mほど盛り土・版築によって構成されている。
・墳丘内から大量に出土した土器(約2,000点)に、西暦230年より古い年代のものはなかった。
・古墳の主体部から出土した遺物から、古墳へ埋葬されたのは、西暦250年頃と判断できる。また、主体部から西暦230年頃の土器も出土しているが、これは埋葬時混入した可能性が高い。
・別の主体部(埋葬施設)が墳丘内に存在する可能性は少なくなった。

以上の通り、東日本最古級の古墳の一つとされる沼津市東熊堂の高尾山古墳(旧辻畑古墳)について、沼津市教委は今年行った追加試掘の結果、「古墳の築造は230年ごろで、埋葬は250年ごろとみられる」と発表した。

築造と埋葬の時期にずれがはっきりと分かるケースは珍しい。市教委は今後、「空白の20年」の謎に迫っていく。

年代を明確にするため、市教委は平成26年5月15日~7月18日、棺が眠る後方墳に溝を掘り、出土した2千点の土器片を調べた。

この結果、230年のものが大半だったことから「古墳の築造は230年ごろ」とした。

埋葬時期は、平成20~21年度の調査の際、矢が抜け落ちないように工夫した「逆刺(かえ)り」という細工がしてある鉄製の矢尻が、埋葬者の足元に、副葬品としてあったことや、埋葬の際に行った祭事に使ったとみられる土器片が250年のものであったことから「埋葬は250年ごろ」と結論づけた。



上の写真は、本古墳の保存を巡り最終意思決定が留保されたまま、道路工事が中断している様子。

全体の道路工事事業は継続しており、用地買収も99%終了した。だが高尾山古墳の調査のため、現在一部周辺の工事がとまっている。

沼津市は今後、試掘調査の結果をふまえ、保存の方針を検討していく。

市道路建設課によると、古墳を完全な形で残しての道路建設は難しいという。

市当局は「道路建設も古墳の保護も大切。調整しながら保存の方法を考えていきたい」と話した。

今後の動向に注目していきたい。