これまで、大阪平野の古墳群を巡ってきましたが、ここでは百舌鳥古墳群を総括することで、締めくくってみたい。
大阪府の堺市には、古市古墳群と並んで我が国を代表する百舌鳥古墳群がある。
そもそも古墳群が築かれている一帯の地名そのものが、古墳の造営と関係があるらしい。
『日本書紀』に記された伝承によれば、その昔、この地で古墳の工事中に飛びこんできた鹿の耳から、百舌鳥が飛び立ったことから百舌鳥耳原と名づけたという。
百舌鳥古墳群は、堺の旧市街地の東南方向に位置し、東西・南北とも約4kmのほぼ正方形の区画に、かつては94基の古墳(前方後円墳23基、帆立貝式古墳9基、方墳8基、円墳54基)が存在したと言われている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
現在は、残念なことにその半数近くがすでに失われてしまって、現存する古墳は、半壊のものも含めて48基にすぎない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/d2/84826596fa0ddf44e9e554c2e44e3a4b.jpg)
写真は、百舌鳥古墳群のマッピング。
本古墳群の中でも、墳長100m以上の代表的な古墳群は、墳長の長い順番に以下の通り。
大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)、土師ニサンザイ古墳、御廟山古墳、乳岡古墳、田出井山古墳(伝反正天皇陵)、いたすけ古墳、永山古墳そして長塚古墳の9古墳を数える。
百舌鳥古墳群は、4世紀末頃から乳岡古墳が築造され、次に履中陵古墳、仁徳陵古墳・御廟山古墳・いたすけ古墳、そして反正陵古墳・土師ニサンザイ古墳の順に築かれたものと考えられている。
ここで使われた埴輪を焼く窯のひとつが御廟山古墳の南東、百舌鳥川左岸にある窯跡で、5世紀中頃の築造と考えられ、いまのところ百舌鳥古墳群で発見されている唯一の埴輪窯。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/25/efdc8688ba00bec760a494997f9dd475.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0c/d2b735e88919b3659040e6d31217285d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/8d/681461afb8732ebfbf97fe1e4621fb06.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e8/6c8ba44d1ae151ef6d6396e09fd9d5e7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/20/1926f878b25b8c4a911826fbbab300b4.jpg)
写真は上から、百舌鳥古墳群の中で墳長の長い順番に、大仙陵古墳・伝仁徳天皇陵正面遠景、同陵の外濠光景、上石津ミサンザイ古墳・伝履中天皇陵正面、同陵周濠の様子及び土師ニサンザイ古墳全景。
これら古墳群には、倭の五王中の仁徳・履中・反正(はんぜい)の三代にわたる王陵が含まれている。
特に、仁徳天皇陵に治定されている大仙古墳は、墳長およそ486m・前方部の幅305m・高さ約33mで、日本第1位の規模を誇る超巨大前方後円墳であり、エジプトのクフ王のピラミットや中国の始皇帝陵と並んで、世界の三大古墳に数えられている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
大阪府の堺市には、古市古墳群と並んで我が国を代表する百舌鳥古墳群がある。
そもそも古墳群が築かれている一帯の地名そのものが、古墳の造営と関係があるらしい。
『日本書紀』に記された伝承によれば、その昔、この地で古墳の工事中に飛びこんできた鹿の耳から、百舌鳥が飛び立ったことから百舌鳥耳原と名づけたという。
百舌鳥古墳群は、堺の旧市街地の東南方向に位置し、東西・南北とも約4kmのほぼ正方形の区画に、かつては94基の古墳(前方後円墳23基、帆立貝式古墳9基、方墳8基、円墳54基)が存在したと言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
現在は、残念なことにその半数近くがすでに失われてしまって、現存する古墳は、半壊のものも含めて48基にすぎない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/d2/84826596fa0ddf44e9e554c2e44e3a4b.jpg)
写真は、百舌鳥古墳群のマッピング。
本古墳群の中でも、墳長100m以上の代表的な古墳群は、墳長の長い順番に以下の通り。
大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)、土師ニサンザイ古墳、御廟山古墳、乳岡古墳、田出井山古墳(伝反正天皇陵)、いたすけ古墳、永山古墳そして長塚古墳の9古墳を数える。
百舌鳥古墳群は、4世紀末頃から乳岡古墳が築造され、次に履中陵古墳、仁徳陵古墳・御廟山古墳・いたすけ古墳、そして反正陵古墳・土師ニサンザイ古墳の順に築かれたものと考えられている。
ここで使われた埴輪を焼く窯のひとつが御廟山古墳の南東、百舌鳥川左岸にある窯跡で、5世紀中頃の築造と考えられ、いまのところ百舌鳥古墳群で発見されている唯一の埴輪窯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/25/efdc8688ba00bec760a494997f9dd475.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0c/d2b735e88919b3659040e6d31217285d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/8d/681461afb8732ebfbf97fe1e4621fb06.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e8/6c8ba44d1ae151ef6d6396e09fd9d5e7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/20/1926f878b25b8c4a911826fbbab300b4.jpg)
写真は上から、百舌鳥古墳群の中で墳長の長い順番に、大仙陵古墳・伝仁徳天皇陵正面遠景、同陵の外濠光景、上石津ミサンザイ古墳・伝履中天皇陵正面、同陵周濠の様子及び土師ニサンザイ古墳全景。
これら古墳群には、倭の五王中の仁徳・履中・反正(はんぜい)の三代にわたる王陵が含まれている。
特に、仁徳天皇陵に治定されている大仙古墳は、墳長およそ486m・前方部の幅305m・高さ約33mで、日本第1位の規模を誇る超巨大前方後円墳であり、エジプトのクフ王のピラミットや中国の始皇帝陵と並んで、世界の三大古墳に数えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)