石のカラト古墳は、木津川市と奈良市の境の標高112mほどの丘陵緩傾斜面に築造された上円下方墳で、国の史跡・名勝天然記念物に指定されている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/5c/6e0411967fd7d6f41b426283bddec85c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/0d/6c0f9d5ac96a5a5da99bcee76b06dfc3.jpg)
写真は、石のカラト古墳現場。
前方後円墳でなく上段が円形、下段が方形の上円下方墳で、お供え餅みたいに見える。上円下方墳は、天智天皇などわずかな古墳にしかみられない形態。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
誰のお墓かははっきりしていないが、立地から平城京遷都に関係する、奈良時代初めの皇族の墓ではないかと云われている。
“カラト”の命名は、石室が唐柵に似ているからだというが・・・・・。
下段の表面には、約30cm大の葺石が敷かれてあったが、上段の葺石はほとんど失われていたらしい。
昭和54年に、ニュータウン建設に先立って奈良国立文化財研究所によって発掘調査が行われた。残念ながら盗掘されていたが、朱塗りの棺があったらしく、漆の破片、金・銀製の玉など豪華な副葬品の一部が出土したと云う。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/1e/c756ee77739a1d2f628a2548e0c2345d.jpg)
写真は、本古墳から出土した装飾品のうちで、右上が銀製玉。
この銀製玉と、奈良県明日香村にある、同時期の官営工房「飛鳥池遺跡」で見つかった銀粒が、水銀を使って銀の純度を上げる当時の最新技術、“アマルガム法”を利用して作られていたことが分かったらしい。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_4.gif)
当時の精錬技術の高さは驚きに値する。
飛鳥池遺跡は、最古の貨幣・富本銭などを造っていた工房として知られている。
下の方形部は、一辺約13.8m・高さ約1.4m、上の円形部は、径9.2m・高さ1.6mほどで、高松塚古墳石室が退化した、横口式石室を内部主体としている。
と云うことで、埋葬施設は横穴式石槨で高松塚・キトラなどと同じ。
7世紀末~8世紀前半の終末期古墳と推定されている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
現在築造当時の姿を復原し、公園として整備されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
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写真は、石のカラト古墳現場。
前方後円墳でなく上段が円形、下段が方形の上円下方墳で、お供え餅みたいに見える。上円下方墳は、天智天皇などわずかな古墳にしかみられない形態。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
誰のお墓かははっきりしていないが、立地から平城京遷都に関係する、奈良時代初めの皇族の墓ではないかと云われている。
“カラト”の命名は、石室が唐柵に似ているからだというが・・・・・。
下段の表面には、約30cm大の葺石が敷かれてあったが、上段の葺石はほとんど失われていたらしい。
昭和54年に、ニュータウン建設に先立って奈良国立文化財研究所によって発掘調査が行われた。残念ながら盗掘されていたが、朱塗りの棺があったらしく、漆の破片、金・銀製の玉など豪華な副葬品の一部が出土したと云う。
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写真は、本古墳から出土した装飾品のうちで、右上が銀製玉。
この銀製玉と、奈良県明日香村にある、同時期の官営工房「飛鳥池遺跡」で見つかった銀粒が、水銀を使って銀の純度を上げる当時の最新技術、“アマルガム法”を利用して作られていたことが分かったらしい。
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当時の精錬技術の高さは驚きに値する。
飛鳥池遺跡は、最古の貨幣・富本銭などを造っていた工房として知られている。
下の方形部は、一辺約13.8m・高さ約1.4m、上の円形部は、径9.2m・高さ1.6mほどで、高松塚古墳石室が退化した、横口式石室を内部主体としている。
と云うことで、埋葬施設は横穴式石槨で高松塚・キトラなどと同じ。
7世紀末~8世紀前半の終末期古墳と推定されている。
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現在築造当時の姿を復原し、公園として整備されている。