中国文化の影響が濃い沖縄には、当然ながら早くから“風水思想”が根付いており、叉琉球王朝時代に首里王府の政策として取り入れられていたほどで、政治や暮らしと密接に絡んでいたと云う。
写真は、中国の伝統的建築様式・風水思想の住居。
中国では家屋が、左右対称に造られることが多いのは、風水思想の影響であると云う。
風水思想では、人が最も安心できる自然状態の場所に住むのが一番良いとされており、例えば「幼児が親の膝に座って抱かれて、何の不安も感じない、安心しきった状態!」を云う。
自然状態・条件としては、第一に山、第二に川、第三に方位だと云う。
風水思想実現によって変化するのは、新しい快適な住環境を作り出すことによって得られる“心理学的な効果”であり、そこに住む人が心理的・生理的にリフレッシュされ、本来の生きる生命力を増大させる点にあると云う。
人間が幸せを確保しようとするならば、“天地=自然”の影響と調和していかなければならないという。
写真は、沖縄諸島内久米島の位置及び久米島の海岸線。
風水思想の実践する“風水師”の職歴経路を辿っていくと、久米島・久米村に行き当たり、琉球王朝時代には、この地が風水師を輩出した場所として知られている。
中国留学を盛んに行っていた久米村では、中国福州に留学させ、儒学と共に風水も学ばせるほど熱心で、“琉球国由来史”に残るほど。
1879年、琉球藩が廃止され沖縄県となったため、琉球藩お抱えの風水師も仕事を失い、それまで蓄積されていた風水の知識・技術は、写本と共に散逸してしまったらしい。
久米島には琉球王国や明、清の時代の風水師が度々訪れており、風水の記録がはっきり残っていた島であり、ムラや集落の配置変え、墓・家の設計には、久米村の風水師が関わっていたと云う。太平洋戦争の戦禍を免れた久米島・八重山などの離島にのみ、風水思想の資料が残されているらしい。
琉球王国の財宝・サトウキビ畑の増産による大規模な土地開発ブームや黒糖を煮詰めるための燃料として森林伐採が進み、琉球史上初めて環境問題を引起していた。
写真は、琉球の大政治家・蔡温の肖像。
蔡温は、いち早くこの環境問題に取組み、植林・森林育成の施策を実施したことで知られているが、その場合でも風水思想を元にした森林づくりを志向し、風水を技術の裏づけとして活用したと云う。
風水に良いとされる山が少ない琉球で、山の代わりを果たすものとして樹木に注目したと云う。
例えば、風水では川は曲がっている方が良いとされ、直線だと“気”のエネルギーが一気に流れ出てしまうから、蔡温は、川を曲線にすることで河川の氾濫を防ぎ、叉気の流出を防ぐことができると考えた。
写真は、沖縄の街路樹として植生するビロウの木々。
台風の通り道である琉球では、川筋や村の囲い、屋敷・集落、海岸線に樹木を植えることが極めて重要であり、防風林の役目と共に、風によって内部の“気”が飛散しないようにする役割も担っていたらしい。
沖縄という地理的・地形的特殊性が、風水思想を取込む素地があったと云える。
写真は、中国の伝統的建築様式・風水思想の住居。
中国では家屋が、左右対称に造られることが多いのは、風水思想の影響であると云う。
風水思想では、人が最も安心できる自然状態の場所に住むのが一番良いとされており、例えば「幼児が親の膝に座って抱かれて、何の不安も感じない、安心しきった状態!」を云う。
自然状態・条件としては、第一に山、第二に川、第三に方位だと云う。
風水思想実現によって変化するのは、新しい快適な住環境を作り出すことによって得られる“心理学的な効果”であり、そこに住む人が心理的・生理的にリフレッシュされ、本来の生きる生命力を増大させる点にあると云う。
人間が幸せを確保しようとするならば、“天地=自然”の影響と調和していかなければならないという。
写真は、沖縄諸島内久米島の位置及び久米島の海岸線。
風水思想の実践する“風水師”の職歴経路を辿っていくと、久米島・久米村に行き当たり、琉球王朝時代には、この地が風水師を輩出した場所として知られている。
中国留学を盛んに行っていた久米村では、中国福州に留学させ、儒学と共に風水も学ばせるほど熱心で、“琉球国由来史”に残るほど。
1879年、琉球藩が廃止され沖縄県となったため、琉球藩お抱えの風水師も仕事を失い、それまで蓄積されていた風水の知識・技術は、写本と共に散逸してしまったらしい。
久米島には琉球王国や明、清の時代の風水師が度々訪れており、風水の記録がはっきり残っていた島であり、ムラや集落の配置変え、墓・家の設計には、久米村の風水師が関わっていたと云う。太平洋戦争の戦禍を免れた久米島・八重山などの離島にのみ、風水思想の資料が残されているらしい。
琉球王国の財宝・サトウキビ畑の増産による大規模な土地開発ブームや黒糖を煮詰めるための燃料として森林伐採が進み、琉球史上初めて環境問題を引起していた。
写真は、琉球の大政治家・蔡温の肖像。
蔡温は、いち早くこの環境問題に取組み、植林・森林育成の施策を実施したことで知られているが、その場合でも風水思想を元にした森林づくりを志向し、風水を技術の裏づけとして活用したと云う。
風水に良いとされる山が少ない琉球で、山の代わりを果たすものとして樹木に注目したと云う。
例えば、風水では川は曲がっている方が良いとされ、直線だと“気”のエネルギーが一気に流れ出てしまうから、蔡温は、川を曲線にすることで河川の氾濫を防ぎ、叉気の流出を防ぐことができると考えた。
写真は、沖縄の街路樹として植生するビロウの木々。
台風の通り道である琉球では、川筋や村の囲い、屋敷・集落、海岸線に樹木を植えることが極めて重要であり、防風林の役目と共に、風によって内部の“気”が飛散しないようにする役割も担っていたらしい。
沖縄という地理的・地形的特殊性が、風水思想を取込む素地があったと云える。