近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良県田原本町の唐古鍵遺跡公園建設にまつわる最新情報そのⅡ

2016年03月31日 | 歴史
奈良の唐古鍵遺跡公園建設にまつわる最新情報第二段を以下紹介します。

整備委員会による整備計画では、遺構を保護するための盛り土を行ったあと、唐古池の東側に発掘調査で見つかった環濠を復元。

コナラやクヌギ、ヤマモモ、シラカシなどの樹木を植えて、当時の植生もよみがえらせる。又散策路周辺にはノシバも植える。





上の写真は、当遺跡の現在の入口と遺跡内部の唐古池越しに見える楼閣光景。

池の東側の国道24号沿いには公園への入り口と、当時の建物跡を再現した遺構展示館を設置。

平成15年に大型建物跡が見つかった場所については、「復元整備ゾーン」として展示方法を検討する。

池の南側にはイベントや野外活動ができる広場、トイレ、東屋(壁がなく、柱だけの、眺望、休憩などの目的で設置される簡素な建屋)などを設置予定。

町は「町民の皆さんに憩いや歴史学習の場を提供するとともに、観光拠点にもなるように整備したい。遠くの山並みや周辺の田園風景がよい借景となり、散策や自然観察も楽しめる場所になるだろう」としている。

ここからは、唐古鍵遺跡ならではの画期的・全国的にも珍しい特徴・発見について概観する。

最初に取上げなければならないのが、多量に見つかった絵画土器。

絵画土器は百数十点を数え、全国出土総数の半分ほどを占める。

絵画土器の中でも楼閣絵図は写真の通り、既に本遺跡内に復元されている。

更に絵画土器の絵図の中には、シャーマンの衣服を髣髴とさせるものも見つかっている。






上の写真は、唐古鍵遺跡から出土した絵画土器に描かれた楼閣絵図と絵図をそれらしく復元した、唐古池脇の楼閣光景。





上の写真は、本遺跡から出土した壷に描かれたシャーマン風衣服とその絵図をもとに復元した衣服を纏ったシャーマンの模型。

絵画土器に描かれたこれら絵図からも卑弥呼や倭国との関係が想造される。

卑弥呼に象徴される倭国の最有力候補地である、桜井市纒向遺跡は当地から僅か2kmほどと近距離にある関係をどう考えるか

ここからは次回のお楽しみに・・・・・・。

奈良県田原本町の唐古鍵遺跡公園建設にまつわる最新情報そのⅠ

2016年03月06日 | 歴史
首題の弥生時代巨大集落が復元される、奈良県田原本町の唐古鍵遺跡公園建設にまつわる最新情報を、以下3回シリーズで紹介します。

奈良県田原本町が、国史跡「唐古・鍵遺跡」(弥生時代)で史跡公園整備を進めている。

遺構展示館や広場などを設けるほか、発掘調査で出土した環濠や森を復元し、「弥生の風景」をよみがえらせる。

平成29年度完成・平成30年4月オープンを予定している。









写真は、上から現在の唐古鍵遺跡の上空写真、遺跡公園完成予想図及び平成27年9月上旬現在の公園工事現場2点。

唐古・鍵遺跡は町北部に位置する弥生時代を代表する集落跡。環濠に囲まれ、全体の広さは約42万㎥で、町教委による発掘調査で建物跡のほか、土器や木製品など膨大な量の遺物が出土している。

本遺跡は、稲作農耕が始まった弥生時代を代表する環濠集落跡で、遺跡発見から100年以上の発掘調査史があり、直近の発掘調査は第115次に及ぶ。

弥生時代600年間継続したムラは近畿地方の中核集落と考えられ、多種多様な出土遺物から当時の生活文化を知ることができる。

ムラの周囲には、幅5~10mの環濠が幾重にも巡り環濠帯を形成し、敵からの防衛や運河の機能を担っていた。

集落の内部では、石器・木製品の生産や青銅器の鋳造を行い、物資流通の中心となっていたと思われる。

唐古池周辺の中心部約10万㎥は平成11年に国史跡に指定され、町は公有化をはかるとともに、有識者による整備委員会を組織し、平成21年度から史跡公園整備を進めてきた