次に本論である、桜井茶臼山古墳の石室を紹介します。
写真は、本古墳石室の発掘現場及び石室内部。
墳丘長約207m・後円部径約110m・前方部幅約61m、前方部が細長く、全体が柄鏡形を呈する柄鏡式古墳。
古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓に続いて造営された巨大な前方後円墳。
本古墳中央には、底部穿孔の壷形土師器を並べた長方形の壇とその内側に竪穴式石室を検出したが、石室は偏平な割石を架したもので、石室にはトガの巨木で造った刳り抜き式木棺が遺存していた。
一面朱に塗られている桜井茶臼山古墳の石室内と中央に横たわる木棺は異様な光景。
大王級の人物の墓とされる奈良県桜井市の前方後円墳で、桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀初め)について、橿原考古学研究所が60年ぶりに石室を再調査し、平成21年10月に魔よけなどのために、全面が鮮やかな朱色に塗られた内部を公開した。
石室は盗掘を受けていたが、鏡・勾玉・剣・銅鏃などのほか、車輪石・鍬形石など腕飾類などが検出されている。
朱色の原料は主に、「辰砂」(しんしゃ)と呼ばれる鉱石を粉状に磨り潰して水に溶かした水銀朱で、類例を見ないほど多量な、少なくとも200キロ使われたと推定されている。
同研究所は「当時貴重とされていた朱をふんだんに使っており、被葬者の権力の強大さがわかる」としている。
石室は竪穴式で、長さ6.75m・幅1.27m・高さ1.71m。壁は幅30~40cmの板状の石を煉瓦のように積み重ねており、天井は12枚の巨石で塞がれている。
石室全体には水銀朱が塗られており、埋葬者の権力の大きさを物語っている。
水銀朱は、壁面として積み上げられた石や、天井石の全面にも塗られていたほか、内部には一部残っていた木棺にも塗られていたとみられる。
古代の貴人は、何故水銀朱のような赤にこだわったのであろうか?
この当時中国で流行していた神仙思想では、「水銀朱を飲めば不老不死の仙人になれる」と信じられ、不老不死を強く願い、叉死者の再生を願ったのではないかと考えられる。
いずれにしても、「被葬者の魂を守る施設」「たたりを恐れて権力者の霊を封じ込めた」等々、前代未聞の発掘成果に識者は戸惑っている状況。
本古墳は箸墓古墳などから南に約4キロ離れ、大王説に否定的な見解が多数を占めるが、大王に近い有力者の墓かもしれない。
写真は、本古墳石室の発掘現場及び石室内部。
墳丘長約207m・後円部径約110m・前方部幅約61m、前方部が細長く、全体が柄鏡形を呈する柄鏡式古墳。
古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓に続いて造営された巨大な前方後円墳。
本古墳中央には、底部穿孔の壷形土師器を並べた長方形の壇とその内側に竪穴式石室を検出したが、石室は偏平な割石を架したもので、石室にはトガの巨木で造った刳り抜き式木棺が遺存していた。
一面朱に塗られている桜井茶臼山古墳の石室内と中央に横たわる木棺は異様な光景。
大王級の人物の墓とされる奈良県桜井市の前方後円墳で、桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀初め)について、橿原考古学研究所が60年ぶりに石室を再調査し、平成21年10月に魔よけなどのために、全面が鮮やかな朱色に塗られた内部を公開した。
石室は盗掘を受けていたが、鏡・勾玉・剣・銅鏃などのほか、車輪石・鍬形石など腕飾類などが検出されている。
朱色の原料は主に、「辰砂」(しんしゃ)と呼ばれる鉱石を粉状に磨り潰して水に溶かした水銀朱で、類例を見ないほど多量な、少なくとも200キロ使われたと推定されている。
同研究所は「当時貴重とされていた朱をふんだんに使っており、被葬者の権力の強大さがわかる」としている。
石室は竪穴式で、長さ6.75m・幅1.27m・高さ1.71m。壁は幅30~40cmの板状の石を煉瓦のように積み重ねており、天井は12枚の巨石で塞がれている。
石室全体には水銀朱が塗られており、埋葬者の権力の大きさを物語っている。
水銀朱は、壁面として積み上げられた石や、天井石の全面にも塗られていたほか、内部には一部残っていた木棺にも塗られていたとみられる。
古代の貴人は、何故水銀朱のような赤にこだわったのであろうか?
この当時中国で流行していた神仙思想では、「水銀朱を飲めば不老不死の仙人になれる」と信じられ、不老不死を強く願い、叉死者の再生を願ったのではないかと考えられる。
いずれにしても、「被葬者の魂を守る施設」「たたりを恐れて権力者の霊を封じ込めた」等々、前代未聞の発掘成果に識者は戸惑っている状況。
本古墳は箸墓古墳などから南に約4キロ離れ、大王説に否定的な見解が多数を占めるが、大王に近い有力者の墓かもしれない。