近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良県高取町の立地と歴史

2013年10月24日 | 歴史
ここからは、平成25年9月にマスコミ報道された、奈良県高取町の市尾天満古墳の発見に関連して、先ずは高取町について、歴史的意義・背景などを吟味してみたい。

奈良県高市郡高取町は、飛鳥の南に位置しており、町内にも古墳が多数見られる。









写真は上から、奈良県高取町市尾駅周辺の略図、平成25年10月中旬頃の市尾田園風景、同上略図にも表示されている市尾墓山古墳遠景及び市尾の古道・高野街道と刻まれた石碑。

写真の通り、飛鳥から吉野や紀伊に通じる道の途上にあたる位置でもあった。

渡来人の東漢氏がこの地域に定着した有名な明日香村の隣にある。

あまりにも有名な飛鳥の里に隠れてあまり目立たないが、この地も古代には結構重要な地域だった。

古墳時代から飛鳥時代にかけての遺跡が多く残り、飛鳥同様、古代史のふるさとと言っていい。

高取の属する高市郡は、大和地方の中でも特に渡来人たちが多く住み着いた所でもあり、彼らが大陸からもたらした新しい文化は、大和朝廷に多大の技術革新をもたらしたと思われる。

1万5千年前の煮魚? 縄文土器に痕跡、世界最古級

2013年10月03日 | 歴史
世界的新発見と云われる遺跡を引続き紹介します。

縄文時代の草創期に当たる1万5千年前の土器で魚を煮炊きした痕跡を、日英の研究者らが土器の破片から見つけ、平成25年4月11日付英科学誌ネイチャーで発表した。

世界最古級の土器の使い方を示す初の発見で、土器作りの発祥と発展の経緯を知る手がかりになるという。



魚の煮炊きの痕跡が見つかった、1万5千年ほど前の土器片。

英ヨーク大や新潟県立歴史博物館などの研究チームが、1万1200年から1万5300年前の土器の破片を北海道、新潟、鹿児島など国内13の遺跡から101個集め、表面や付着物に含まれる炭素や窒素の同位体、脂質などを分析した。

大半から、海の魚を高温で調理した際に出るのに近い成分が見つかった。土器の外側からは同じ成分が出ず、煮炊きした痕跡と結論づけた。

遺跡の多くは内陸にあるため、サケのように海と川を行き来する魚の可能性があるという。

北海道帯広市の大正遺跡群「大正3」遺跡で発掘された約1万4000年前の縄文土器片から、海産物を煮炊きした焦げかすが見つかったと、日欧研究チームが4月10日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。

土器を煮炊きに使った証拠としては世界最古で、海産物は川をさかのぼったサケ・マス類の可能性があるという。

この研究はオランダ・フローニンゲン大が、土器は狩猟採集時代にアジアから欧州に伝わったとみて行っている調査の一環。

中国江西省の洞窟遺跡では、世界最古の2万~1万9000年前の土器片が見つかっているらしい。

今から約1万3千年前に最後の氷河期が終わり、その後約1万年前に、温暖な間氷期への過渡期といえる比較的温暖な晩氷期が始まる。

自然環境の変化は、その都度、人類の生存生活に、大きな試練を与えてきた。それに適応しょうとする懸命な努力が、文化発展の画期となった。

日本列島においても、この現象の例外ではない。この温暖化は大型哺乳類の生息環境の悪化を招き、同時に人類の人口増加による乱獲と相まって大型哺乳類の減少を引き起こし、新たな食糧資源を探す必要性を生じさせた。

それ迄の遊動・狩猟活動主体の生業体系に、根本的な変革を迫られた。

一方、この温暖化は、木の実を豊富に生産する落葉広葉樹の森を育成することとなり、半ば必然的に植物性食料へと、人々の目を向けさせることとなった。

縄文人の生業活動は、落葉広葉樹林の高い植物性食料の供給力に支えられるようになり、これにより、縄文文化的定住を実現するための基盤が、整っていったと云える。