近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

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沖縄の歴史・文化 “黒潮民族と琉球人”・沖縄史の裏話!

2008年07月30日 | 歴史
これまで沖縄離島の将来像について、そのあるべき姿・チャレンジすべき課題と見通しなどを取上げ、試行錯誤してきたが、ひとまず休憩して、沖縄の最新事情について、触れてみたい。

特に沖縄の自然にかかわること・伝統文化・食文化・社会問題などのトピックスを取上げてみたい。

先ず琉球民族・“沖縄人”の源流を辿っていくと、今から5~6千年前に南太平洋から黒潮に乗って、琉球列島に北上してきた黒潮民族・漁労集団に当り、元々は2~3万年前、南太平洋から北上してきた古いアジア人・モンゴロイド人。

何千年もの間、ポリネシア・ミクロネシアなどの南海で、長い歴史の時を経て漁業・造船技術・操船技術などを身につけて、北上していたモンゴロイド人と考えられる。

故郷の南太平洋島を出た一族は、黒潮に回流する豊富な魚群を追って、北へ北へと進み、東南アジア・琉球列島・日本列島まで北上し、上陸して住み着くようになったらしい。

日本へ到達した海洋民族は、潜水漁法などの海洋文化を継承して、“海人”と呼ばれる種族へと変わって定住していったと云う。

黒潮民族の沖縄漂着から紀元後1,000年ぐらいまでを“貝塚時代”と呼び、沖縄諸島沿岸浅瀬の貝類を蛋白源食材としたらしく、沖縄の貝塚時代は縄文時代中期から弥生・平安時代まで長く続いたと云う。

本土のように弥生時代にあたる時期の水田は見つかっておらず、稲作が始まるのは本土より千年ほど遅れ、貝塚時代の末・本土の平安時代であったらしい。





写真は、沖縄県石川市の古我地原貝塚から出土した貝製小玉及び伊江村具志原貝塚から出土したヤコウガイ製貝匙。

沖縄諸島は珊瑚礁に取り囲まれ、遠浅な海辺を最大限利用した漁労を中心に、海での生活に依存していた。特に弥生時代には、沖縄で作られた貝製品が北海道を含む、広く日本本土へ交易品として大量に運ばれたようだ。

黒潮民族の中で、沖縄の久高島に渡来してきた海洋民族・“アマミキョ”(遠い海から来た人の意)の集団は、航海する時、上陸した島で食糧を確保するために、穀物の種子を持って移動してきたと云う。

これが、久高島が沖縄での五穀(稲・麦・粟・豆・黍または稗)の発祥地となる理由らしい。









写真は上から、沖縄本島南部の東側の久高島全景、神の島・久高島の光景及び浜比嘉島に残るアマミキョ墓所遠景と墓所。

久高島は、沖縄本島南部・知念岬から東へ約5.5キロメートルの海上に浮かぶ、人口約300人、周囲約8キロメートルの南北に細長い小さな島。本島からフェリーで20分ほど。

久高島にはガジュマル・ビロウ・シャリンバイなどが作る小さな森が、御嶽(社はないが、本土の神社に相当する)となって点在しており、その御嶽に多くの神々がまつられていると云われ、神秘的な雰囲気が漂う。

琉球王府は久高島を神の島として崇めることによって国を治めようとしたと思われる。

アマミキョ集団は、稲作の場所と飲料の水源を求め、対岸の本島に渡り始めたと云われている。久高島から本島の知念村・玉城村に渡る経路には、アマミキョに関する数々の神話・伝説が生まれ、現在でも残されていると云う。

沖縄列島は、神々と先祖に深く関わる民族が宿る島々!
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・伊是名村は!

2008年07月28日 | 歴史
伊是名村は、沖縄本島の西約30kmに位置し、伊是名島・屋那覇島ほか4島から成る。沖縄本島とはフェリーで結ばれ、那覇市から約4時間かかる。

交通アクセスが不便なことから、近年伊是名地域に空港を整備し、那覇との間を航空機で結ぶことが検討されているが・・・。

伊是名村の人口は約1,800人、産業はサトウキビ・稲作の農業、モズクの養殖が柱の漁業、トライアスロン大会開催など観光関連産業等から成立っている。

伊是名島は、琉球王朝時代の第二尚氏である尚円王の生まれた地としても有名。







写真は、“伊是名森林公園”から望む珊瑚の海、二見ケ浦海岸の巨岩・海・空及び朝日に照らされた海。

伊是名島は、中央を走るように岩峰状の山があり、まわりを美しい海浜に囲まれ、低地では広い範囲でサトウキビ畑や田圃に利用されている。

島の南岸・伊是名城跡から港まで続く約1kmの美しい海岸や、珊瑚や貝殻からできた白い砂浜、目の前には珊瑚礁と真っ青な海が広がるなど、日本の渚百選の島。

写真のように、切り立った岩を意味する“ギダラ”が点在し、別名“ギダラ海岸”がそそり立ち、周辺は伊是名森林公園になっている。









写真は上から、伊是名島出身で農民生まれの“尚円王”の碑、伊是名城跡、玉御殿跡及び銘苅家住宅。

13~14世紀には伊是名城を拠点に支配者があらわれ、一帯を支配するようになった。琉球王朝第二尚氏の始祖・尚円王は伊是名島の出身であり、後に伊是名玉御殿も造られた。

島の東南端にある伊是名城跡は、伊是名のシンボル的な存在のピラミッド型をした石山で、その麓の一角に玉御殿がある。伊是名玉御殿は、琉球王国第二尚氏王統にかかわる陵墓で、沖縄県の有形文化財に指定されている。

銘苅家(メカルケ)住宅は、尚円王の叔父の子孫で、代々地頭職を務めた銘苅家の屋敷。戦災を免れた琉球建築民家の中でも保存がよく、上級士族住宅の格式ある建造物遺産として、1977年に村内で唯一、国の重要文化財に指定された。









写真は上から、伊是名村の集落、本島特産の天然モズクと油みそ及び古酒・10年もの“金丸”。

写真のような、旧家群が集まる地域では、民家・フクギ並木・石垣が面的にまとまっている様子が高く評 価されている。

近年、赤瓦民家の台風被害が目立ち、 集落道のカラー舗装も進められているが、空き屋敷が多くなり、美しい家並みの連続が損なわれつつあると云う。

次に伊是名村の特産物を紹介すると、本島は綺麗な海に囲まれ、海産物の資源が豊富だが、中でも天然モズクは、写真のように細身で柔らかく、きめ細やかさが特徴らしい。

叉タコ・サザエを使った変り種の油みそとは!
この油みそは、磯の香りが食欲をそそり、おかずがなくても、これだけで、ご飯が食べられると評判。

10年古酒・“金丸”は第二尚円王の昔の名前で、高級&自信作いうこと。

米作りは、離島地域では、伊是名村・伊平家村や石垣島・与那国島など八重山地域が中心。台風や病害虫の発生が多いが、温暖な気候を活かして二期作をする農家もあると云う。

“金丸”は、徹底した水へのこだわりを持ち、地元産米の洗米、醪の仕込み、南蛮甕で10年じっくり熟成させるなど、伊是名酒造所の自慢の古酒で、まろやかで甘みのある銘酒。

第一次産業従事者が、サトウキビ・水稲・天然モズク獲りなど農水産業に31%ほどと比較的に高いが、今後ともこれらの地場産業・加工業及び元々強力な伝統文化・自然に恵まれた観光資源と相俟って、持続的発展を遂げて欲しいし、その可能性を十分持ち合わせていると信じる。
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・多良間村は!

2008年07月26日 | 歴史
多良間村は、宮古島と石間村は!垣島の間にあり、東西6.0km・南北4.3kmほどの多良間島とその西方約10kmにある水納島の2島から成る、のんびりとした静かな村。

島への交通アクセスは宮古・多良間(39名乗り飛行機)、石垣・多良間の空の便とも15分ほどで、多良間・宮古島間のフェリーでは約2時間かかる。

多良間島は、地理的には宮古島と八重山諸島の間に位置しているが、その方言も宮古方言と八重山方言の両方の特徴を持ち合わせていると云う。

人口が約1,400人、高齢化率(65歳以上)は24%ほどだが、女性が一生に産む子どもの数が多い自治体のランク付けによると、多良間村が全国トップの3.14人。(1998~2002までの平均出生率)若い女性に優しい村に違いない。

「夫や近燐の人が子育てに協力する点、野菜を近所とやり取りすることで生活費が安くつく点、子どもを大事にする価値観などが大きな要因ではないか?」と云う。

「都会では失われつつある絆が、本島にはまだ色濃く残っているのではないか?」とも云われている。









写真は上から、多良間島の全景と遠景及び朝日が昇る光景2点。

多良間村は、写真のように、多良間島と水納島とも周囲を海に囲まれた円形に近い形をし、屋敷はフク木で囲まれ、集落も防風等のための抱護林に囲まれるなど、緑豊かな二島一村。夕日より朝日の光景が似合う村らしい。





写真は、多良間島の珊瑚礁と海中の光景。

本島は珊瑚石灰岩で形成されており、島の周囲は美しい砂浜に囲まれ約300m~1,000m先の沖合まで珊瑚礁が続いている。

しかし多良間島・水納島の貴重な珊瑚礁が、広範囲にわたりアンカーにより破壊され、叉ダイビング船による事故も各地で見受けられ、船に監視人員を配置して、最大限の注意を払いダイビングするよう指導しているらしい。

地元では村存続の貴重な財産だけに、珊瑚礁保護・維持に神経をすり減らしている。







写真は、多良間村の豊年祭・“八月踊り”の光景3点。

本島の八月踊りは、昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
この祭は17世紀中頃、一年間の五穀豊穣に感謝し、また来年の豊作を祈願したことに始まったと云う。

本村では、人情豊で連帯感がみなぎり、多くの年中行事を行っており、昔ながらのユイマール(結束の意)が定着している。

八月踊りは、琉球王国時代の士族と百姓の身分が如実に反映され、奉納芸能の中心が御冠船踊りの琉歌・舞踊・組踊りなどは士族系で構成されていると云う。

本島は三線の楽譜を中心とした歌と三線が踊りとともに受け継がれてきたことが大きな特徴で、踊りにとって大切なのは歌であり歌詞であると云う。





写真は、多良間島産の黒糖と山羊。

本島の面積は約20k㎡で主な産業としては、サトウキビ・葉タバコ・かぼちゃ等の栽培及び肉食牛の飼育が行われてきたが、将来性が見えない。

現状は農業・畜産業従事者が主体で、漁業者は数人しかおらず、島の過疎化も進んでいる。小さな島では農地にも限りがあり、海の利を活かした水産業が発展すれば、雇用も増え、若者の定着も図れるとの期待のもと、車エビ・シャコガイなどの養殖に取組んでいるが・・・・。

叉村おこし事業の一環として、山羊の大型化に着手。改良種の山羊は、従来多良間村で飼育してきた山羊にアフリカ原産を交配させたもので、両親より飛びぬけて大型になるのが特徴。はたして将来性は?

多良間村は、サトウキビ・畜産など農業振興のため土地改良事業・草地再編事業を実施してきたが、草地造成という大義名分の下、自然の犠牲を上に成立っていないか?必要以上に自然を壊していないか?

何百年もかけて育まれてきた自然は、村の貴重な財産であり、先人に対して自然を守り・後世に継承する義務があることを胆に命じることが先決。

と云うことで、村おこしも自然に生きることを大前提に、或いはそのことを歯止めとして、村の再生を志すべきではないかと思うが・・・・・。
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・渡嘉敷島は!その2

2008年07月24日 | 歴史
沖縄諸島の隠れていた観光地として、昨今注目されている渡嘉敷島について、その魅力に迫ってみたい。





写真は、渡嘉敷島の渡嘉志久ビーチを高台から眺めた光景及び渡嘉志久ビーチの砂浜。

渡嘉敷島の中央西側、波の穏やかな入江の白い砂浜。
慶良間内海に面し、波は穏やかで海の透明度は非常に高い。岩場ではサンゴ礁の上を泳ぐ熱帯魚を観察できると云う。

写真のように、水中には珊瑚の影と薄い水色に見える砂地が見え、海の地形がどうなっているのか知ることが出来る。

以上の通り、マリンリゾート、マリンレジャーツアー、無人島探索アドベンチャー、未知の世界巡りなど盛りだくさんのメニューは、渡嘉敷島ならではの贅沢三昧といってよい。

当地は将来的にも、沖縄観光地の目玉の一つとして、輝き続けると信じる。

次に、渡嘉敷島の特異な食文化・伝統文化に触れてみたい。





写真は、渡嘉敷島の伝統料理・“もち米あんだきー”及び渡嘉敷島特産のマグロジャーキー。

ここでは、渡嘉敷島らしい地元でしか入手できない特産品を紹介する。

渡嘉敷島では、お祝い事や法事の際の料理に“もち米あんだぎー”という料理を作って仏壇にお供えしたり、お客さんにふるまったりすると云う。

“もち米あんだぎー”とは、もち粉と煮てつぶした芋を混ぜ合わせて砂糖と塩で薄味をつけ揚げた料理。芋の種類によって出来上がりの色が変わり、黄色芋・紫芋・紅芋などを使うらしい。

渡嘉敷島の土産品としてよく買われる“マグロジャーキー”は、マグロをタレに漬けて乾燥させたもので、最近は、あまりにも人気が出すぎて生産が追いつかないと云う。

渡嘉敷島NO1の土産品・マグロジャーキーは、お客さんの口コミだけで生産が追いつかないほど、人気が出ているらしい。

渡嘉敷島は、昔からキハダ・ビンチョウなどのマグロが大漁に獲れ、土産品として、マグロを佃煮に加工していたが、マグロが捌けないで余っている状態が続いたと云う。





写真は、渡嘉敷島の定番エイサー踊り及び女性が叩くクラマ太鼓。

旧暦の8月13~15日に行われる沖縄を代表する伝統芸能の一つで、渡嘉敷島の青年が踊る“エイサー”は見る人のこころを惹きつける。いつも見慣れている島の人でさえ、その太鼓と三線に酔いしれるらしい。

青年会のメンバーもこの日の為に1ヶ月以上も練習を積んで本番を迎え、普段とは違う迫力を生むと云う。

以上のように、沖縄観光のメインルートとはチョット外れているだけに、或いは外れているからこそ、珍しく貴重な食文化・伝統文化に接することができる。

渡嘉敷島の恵まれた豊かな自然・海洋資源に加え、観光資源の文化的要素として今後とも継承され、観光客を惹き付けるに違いない。

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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・渡嘉敷島は!その1

2008年07月22日 | 歴史
渡嘉敷島は、沖縄本島の西・約40Kmの海上に点在する大小20余りの島々から成る慶良間諸島のうち、4つの有人島の一つで、渡嘉敷島が人口約700人、座間味島は約600人など、渡嘉敷島は人口が一番多い島。

渡嘉敷島は、古くは貝塚や石器が発掘されたこともあり、叉琉球王朝時代からの文献に残る民話や昔話も多いと云う。





写真は、渡嘉敷島遠景・手前が座間味島と集落及び渡嘉敷島ビーチ。

写真の一番奥が渡嘉敷島で、大橋を挟んで手前左側が座間味島とその集落。

渡嘉敷島から約800m沖にある無人島・“ハナリ島”は、全長わずか600m弱のひょうたん型をした小さな無人島だが、シーカヤックに乗って行くガイド付きのツアーがお薦めらしい。
初心者はシュノーケリングの講習を受けた後、シュノーケリングガイドが一緒にメインポイントへ案内してくれる。

そこでは、沖縄特有の魚達が数えきれないほどに群れをなしていると云う。





写真は、渡嘉敷島の海底及び海底の天然水族館。

渡嘉敷島は、世界でも5本の指に入るダイビングポイントとして知られ、1年を通してダイバーが訪れる。特に透明度は抜群で、透き通っている時には50mの透明度を誇ると云われている。

もちろんサンゴ礁も格別で、シュノーケリングでもビーチから入ってわずか50m辺りのところでもサンゴ礁が広がるらしい。

ふと足もとの水中に目を向けるとそこには、白い小魚が群れている。コバンアジの群れだ!小魚たちは、列を作りまるでダンスを踊っているかのようだ!と云う。

渡嘉敷島のダイバーたちは、青い空・白い砂・透明な海の色・緑溢れる景色・繰り返される波の音など、自然と一体化しているのに気付くらしい。





写真は、渡嘉敷島の阿波連ビーチ及び阿波連ビーチから見上げる星空。

渡嘉敷島の南西部、真っ青な海に約800mの白い砂浜が弧を描く見事な景観で、南国の離島旅情も満点。ダイビングやスノーケルなどにはもちろん人気が高い。

民宿やペンション、ショップなども多いらしい。阿波連ビーチ海岸沿いには、“ビロウ”と呼ばれる天然のヤシの木や、“アダン”と呼ばれるタコノキ科などの日本本土では見ることができない、亜熱帯特有の植物が目に入ってくる。

ビーチへ行くのに着替えを持っていく人は、誰もいないと云う。皆宿から水着のままで、阿波連ビーチへと歩いて行くらしい。

眩いくらいに輝く星達を見るために、阿波連ビーチに出てみると、空一面に星が散らばっているほど、星を見るのにも近い、ビーチらしい。
渡嘉敷島の夜空は、30分に一回ぐらいの感覚で、流れ星を見る事が出来る。

というように、渡嘉敷島では、まるで絵に描いたような、夏のひと時を味わうことが出来る!
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・座間味島は!

2008年07月20日 | 歴史
座間味島は那覇市から西へ約40キロ、渡嘉敷島の西に位置し、座間味村が中心で、座間味村は座間味島・阿嘉島・慶留間島の有人島を含め、屋嘉比島・久場島・安室島などの無人島で形成された離島。

面積は16.9k㎡で、全島の地形は平坦地が少なくほとんどが山林地域と云う。







写真は上から、座間味島々の景観、ダイビングで撮った写真の海底及びホエールウォッチング。

座間味村の人口は座間味島が約640人など、合計約1,040人。

自然が数多く残り、透明度の高いダイビングポイントが多いほか、冬はホエールウォッチングのメッカとしても知られる。

座間味村海域は国内でも有数のホエールウォッチングスポットで、寒い時期でないと体験できないが、観光客には人気のスポット。

島の大部分が山林に覆われた山が多い土地であるのも特徴で、島内各所には展望台が点在しており、多くのホエールウォッチングファンが集まると云う。

沖縄本島とを1時間弱で結ぶ高速船の利便性は高く、日帰り観光も可能。







写真は、座間味島の古座間味ビーチ、高月山展望台より眺めるビーチ及び東シナ海に沈む夕日。

座間味島はサンゴ礁が広がるビーチあり、無人島あり、ダイビングありとマリンレジャーを存分に遊び尽くせるが、一番人気の“古座間味ビーチ”は、整ったビーチ環境と美しいサンゴ礁がウリ。

“古座間味ビーチ”は、波打ち際から数メートルで深くなり、サンゴが発達しているため、ダイビングスポットやスノーケルポイントとして人気が高いらしい。

座間味島の特徴である“無人島渡し”もオススメらしく、嘉比島・安慶名敷島など好きな無人島に好きな時に渡ることが出来るといい、座間味島で無人島初体験は如何ですか?

山が多い座間味島には景色では負けない展望台が数多くあるが、写真のように、“高月山展望台”から見下ろす古座間味ビーチは絶景で、コバルトブルーに輝く海に癒されること間違いなし。

標高137mの高月山展望台は、集落や港、美しい海原を見渡せる展望地で、周辺は亜熱帯樹原生林に囲まれ、展望台や遊歩道などが整備され、慶良間諸島が一望できると云う。

叉なだらかな海岸線の遊歩道を歩いていくと、岬には絵に描いたような夕陽が落ちて、この世の光景とは思えないほどの絶景に出会えるかも・・・・・。





写真は、座間味島の高良家住宅及び高良家のマリリン像。

琉球王朝末期に建てられた離島の沖縄民家で、国の重要文化財。

屋敷地は防風対策で周囲より低く、珊瑚が積み上げられた石垣に囲まれている。
マリリン像は、“マリリンに逢いたい”というイヌのロマンス映画で、映画ファンには外せないスポットと云う。

座間味島村の収入源には、モズク・海ブドウの養殖があるが、慶良間諸島の中心として、観光業への依存度は高く、観光資源の存在価値は圧倒的魅力。
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・慶良間島は!その2

2008年07月18日 | 歴史
慶良間諸島は、“最重要保全区域”と位置づけられた海域で、世界的にも有名なサンゴの海が広がる。

沖縄からフェリーで慶良間までは約1時間と、本島に比べると少し時間はかかるが、ダイビングを満喫するには慶良間諸島に行くのが一番と評判。

那覇からの日帰り無人島海水浴プランは、慶良間島ならではの白い砂浜と青い海を思いっきり堪能できるプランとして大人気。
慶良間諸島へは沖縄本島から行けるので、リピーターも多い場所らしい。





写真は、慶良間諸島でのホエールウォッチング2点。

ザトウクジラの繁殖・子育の時期にあたる1月~3月末には、ホエールウォッチングを楽しむことができると云う。青いエメラルドグリーンの海に囲まれ、日帰りで体験ダイビング・ホエールウォッチングを楽しむのは如何?









写真は上から、慶良間諸島のダイビングスポット2点及びサンゴの白化現象2点。

慶良間諸島の珊瑚に異変が起こりつつある。海水の温度が上がることによって起こる“白化現象”、ウィルスによる謎の病気或いはオニヒトデの大量発生などで、慶良間の珊瑚は死につつある。

サンゴの白化現象は海水温が上がったり、また極端に下がったり、海水の塩分濃度が低くなったりした場合によく起こると云う。

写真のように、死滅したサンゴは崩れ、魚影もない。触ったり足ヒレを引っかけたりするなどダイバーの不注意が、サンゴを少しずつ傷つけていると云う。

地理に不案内なダイビング業者が、サンゴに錨を引っかけて傷つけてしまうケースもあるらしいが、島の経済の9割以上が、観光に依存しているだけに、サンゴの破壊は、環境問題のみならず、生活基盤を崩す死活問題。

観光資源であるサンゴを守るため、連合会など関係者は、海域ごとに利用者数の上限を決める自主ルール作り、例えば一つの海域でダイビング業者が連れて来られる客数に上限を設けるとか、叉観光客らから1人100円程度をいただく環境目的税の検討などを始めたらしい。

地球温暖化や新しいウィルスの脅威が忍び寄るなか、サンゴへのストレスを少しでも減らして、末永く利用しようと地域の模索が続く。
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・慶良間島は!その1

2008年07月16日 | 歴史
慶良間島諸島は、沖縄本島の西・約40Kmの海に点在する、大小20余りの島からなる。このうち有人島はたったの4つで、島内居住人口順に渡嘉敷島・約700人、座間味島・約600人、阿嘉島・約300人、慶留間島・約60人、合計約1,660人。

交通アクセスは、沖縄空港から慶良間空港(外地島)までエアーで約20分、フェリーで沖縄から座間味まで約1時間で、いずれも一日数本運行している。





写真は、慶良間列島の地図及び海と空の色。

慶良間諸島のうち大小16以上の無人島の中には、原生林がそのまま残る島もあり、自然を十分満喫できると云う。

無人島の前島は,沖縄本島と渡嘉敷島の中央くらいに位置する、面積1.6K㎡の小さな島。慶良間諸島の一番沖縄本島寄りに位置する島だが、350人ほどいた島民が、台風の被害などで全員本島等に移住してしまい、島が無人化されてしまったらしい。
現在は電気や水道は通っておらず、公的な交通手段もない。

このように不幸にも無人化されてしまった島々もあるが、例えばナガンヌ島は那覇から西へ約15kmに位置し、海は世界でも有数の透明度を誇り、白く広い砂浜が広がる美しい無人島。

と云うように、島の大半が無人島の為、豊かで美しい自然が今もなお残っており、世界でも屈指のダイビングスポットとして有名。









写真は上から、フェリーから望む島々の景観、無人島・ナガンヌ島の環礁、船上からの海の色及び夕陽。

慶良間諸島は、サンゴ礁と美しいエメラルドグリーンの海に囲まれた、まさに南国のリゾートアイランド。

“とにかく海がきれい!”という評判で、沖縄本島のビーチとはその透明度が全く違うらしい。海は、クレバス・洞窟などのダイナミックな地形や、サンゴ礁などさまざまで、透明度は抜群に高いと云う。









写真は上から、慶良間諸島のダイビングスポット、ダイビングスポット・イソギンチャクとクマノミ、イソギンチャクとクマノミ2及びイソギンチャクとクマノミ3。

写真のような幻想的な光景、世界に誇る慶良間諸島サンゴの海・楽園を一目見ようと、毎年夏になると日本中から大勢のダイバー・観光客が集まり、この小さな島々への年間観光客数は20万人にも及ぶ。久米島への観光客の2倍以上。

観光客の目当てはダイビングで、主なダイビングスポットだけでも100はあり、ダイバーになって、潜ってみたい憧れの海。
詳しくは、次回に譲る。
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沖縄の歴史・文化 “久米島の将来”・久米島そばは!

2008年07月14日 | 歴史
大分前に“沖縄そばシリーズ”で、離島そばの地域差・特徴を特集したが、大東そば・宮古そば・八重山そばは紹介したが、久米島そばを飛ばしてしまった。そこで遅まきながら、久米島そばを取上げる。

久米島の農業は、元々続いた稲作がサトウキビに変わったが、泡盛文化500年の伝統が物語っているように、発酵・醸造技術は延々と培われてきた。

戦後アメリカ軍占領下で、小麦粉が入手可能となり、小麦粉を使った代表的な料理の一つが沖縄そばで、久米島でも各家で独自のそばが誕生した。

その後家計を支える現金収入を求めて、おばあちゃんが沖縄そば屋を始め、そばの味を競い合った結果が、現在でもポピュラーな久米島そば屋であり、沖縄そば普及のきっかけとなったらしい。









写真は上から、久米島“三坊”の沖縄そば500円也、久米島空港内“松原”の久米島そば500円也、“パーラートップ”の野菜そば600円也及び“スリーピース”のピリ辛味噌そば600円也。

“久米島そば”は、他の離党“沖縄そば”とどこが違うのかというと、久米島で製麺されたものを使っていれば“久米島そば”であるらしい。

久米島そば屋で手打ちされたそばは勿論のこと、久米島の3つの製麺所で加工された、そば麺も含めて久米島そばと云う。

久米島そば麺は、平均的な沖縄そばに近く、やや黄色くて平たい、少し縮れた柔らかい麺で、沖縄そばと特別に違った特徴はないらしい。きしめんに似ているとの評価もあるが・・・・・・。

そば屋により多少違うが、豚骨・鶏ガラ・カツオ・野菜などからとられるあっさりダシが一般的で、優しくまろやかな味が売物らしい。

海洋深層水で発酵させた、特産物の久米島味噌を使ったスープは、久米島ならではの格別な贈物だけに、是非とも味わいたいそばの出汁。

久米島そばは、素材の持ち味を引出した、シンプルな仕上がりで勝負していると云える。



写真は、久米島の“ちきあぎ”とカマボコ巻きの黒米にぎり。

沖縄そばにはカマボコがトッピングされるが、久米島そばの特徴は、“ちきあぎ”と呼ばれる、カマボコのような具が載っている。

“ちきあぎ”は、魚のすり身と野菜を混ぜ合わせた、さつま揚げのような揚物で、特に香り・彩り・風味などからヨモギやアーサー入りが好まれている。

シンプルな久米島そばに、“ちきあぎ”・アクセントを加えたコンボそばは、彩を演出するのに十分。
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・久米島は!その5

2008年07月12日 | 歴史
更に久米島経済・産業の将来を展望してみたい。
久米島町の標語に、「文化・活力・潤いを創造する元気な町」があるが、名産・特産品にも、久米島紬・泡盛・クルマエビ・久米島みそなど、地元生活文化がかおる。

海洋深層水関連事業が、久米島町が期待を寄せる未来型産業なら、久米島紬は500年の歴史を持つ伝統産業。





写真は、久米島の久米仙壷が並ぶ泡盛醸造所及び久米仙・5年もの古酒。

久米仙は、泡盛文化500年の歴史が育んだ黒麹を用い、100%米麹で醗酵させた原酒をじっくりと熟成させた、華やかな口当たりの古酒。

全国的に有名な久米仙の古酒は、3年以上寝かせた泡盛で、風味とまろやかさが増し、年代が経つほど高価になる。久米仙の工場には石瓶・壷に入った泡盛がずらりと並んでいる。





写真は、久米島で、養殖された車エビ及び久米島味噌。

沖縄県で養殖されている車エビは、先進地の熊本県・山口県を追い抜いて“日本一の生産量”を記録しているが、実のところ久米島が全国一の車エビの生産高を誇る。

世界有数のサンゴ礁にかこまれた久米島の紺碧色の美しい海は、車エビの養殖には最適な環境のようで、活車エビは養殖池から水揚げされた後は、10~15度の海水で冷却し冬眠状態にする。

その後は梱包から輸送まで一貫して10~18度の低温で扱うため、活エビは90~100%が生きていると云う。

久米島は水が豊富で、昔は水田も多く、大豆も作農され自給自足ができる豊かな島。そのため各家で味噌作りが盛んに行われ、その美味しさが評判になった家が、後に商売するようになった。

味噌を調味料としてではなく、おかずの一品として食べることから“おかず味噌”と呼ばれ、おにぎりの具やご飯にも美味く合うらしい。







写真は久米島のサトウキビ畑、久米島特産物・手作りの黒糖及び天然モズク。

久米島の畑といえば、ほとんどがサトウキビ畑で、元々稲作地帯だったのがサトウキビ畑に変わり、サトウキビは草丈が2m以上もあると云う。

製糖期(例年1月~3月)になると、久米島は島中の人たちが、サトウキビ畑で刈取作業をするが、サトウキビは久米島の基幹産業。
サトウキビは、その後製糖工場・本土の精製糖工場に送られて、砂糖になる。

最近機械化が進んだと言っても、久米島ではまだまだ手刈り収穫が主流で、農家の高齢化が進んでいるだけに、更なる機械化が望まれる。

久米島の未来図が“エコアイランド”で、産業基盤となる農業は、2000年以降、機械化による省力化や利用面積の集積によって遊休地が解消した。収穫面積も増加し農業の活性化につながっていると云う。

久米島産“天然モズク”は100%天然もので、すべて手摘みであることが、久米島産モズクの美味しさの秘密らしい。モズク1本1本が太くしっかりしていて、心地良い歯ごたえが特徴。

水産業のうち、釣りでは漁業組合関係者の魚場である、“パヤオ”の開放によりマグロ・カツオ・カジキ釣りが手軽に楽しめるらしい。

以上久米島経済・産業の将来性について概観したが、久米島経済を支える農水産業の幅は広く、自活対策も其々について手を打ってきたお蔭で、経済基盤は磐石のように見える。

ステディーな観光業収入と相俟って、久米島の将来は明るいと云える。
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・久米島は!その4

2008年07月10日 | 歴史
久米島は、沖縄本島に近いだけに本島の陰に隠れて目立たないが、将来の発展性に富んだ、島・人口のサイズvs.島及び近海の資源・開発可能性などは、将来性を秘めている。

久米島で先ず注目されるべきは、海洋深層水。





写真は、久米島の海洋深層水及び久米島の“沖縄県海洋深層水研究所”。

久米島の将来性を一手に背負っているのが、“未来型産業”に位置付けている海洋深層水。2000年6月に国内最大、世界でも2番目の規模となる“沖縄県海洋深層水研究所”が開設され、毎日最大13,000トンの海洋深層水が汲み出され、水深は612mというから日本では最も深いところからの取水となると云う。

久米島の海洋深層水は、グリーンランド周辺で塩分濃度の差によって生じた、“プルーム”と呼ばれる垂直に沈む海流が始まりで、太陽の光や、大気に一度も触れることなく深海を巡り、北太平洋にたどり着くと云う。

その一部が、久米島沖で湧昇流として姿を現わすのが久米島海洋深層水で、特殊なパイプを水深612mまで降ろし、外気や、日光に触れることなく取水されるらしい。









写真は上から、久米島の車エビ養殖場、車エビ、久米島産“もろみ”酢及び海洋深層水を使った化粧水・“ポイントピュール”。

水温が常に10度程度に保たれている深層水は、クリーンで栄養素に富んでいる特性を生かして、車海老・うに・ひらめなどの養殖に適し・活用されている。

その他にも久米島を代表する泡盛メーカー・“久米島の久米仙”は、深層水を使った“もろみ酢”を発売、全国的に爆発的な勢いで売れているらしい。

泡盛を醸造した際に出る“もろみ”を使って、人間の体には他の食品から摂取しなければならない必須アミノ酸を9種類も作り、疲労回復・食欲増進・風邪予防・健胃・下痢などに効用が顕著な“もろみ酢”を造っている。

叉深層水を化粧水に使って大ブレークしているのが、ベンチャー企業の“ポイントピュール”で、世界で初めての試み。

これらのほかにも、100%海洋深層水を利用した展望風呂プールをはじめ、深層水サウナもあり、住民はもとより観光客の健康増進と、久米島観光の起爆剤として期待されていると云う。

海洋深層水を使った特産物には、他にもみそ、ミネラルウォーターなどがあり、すでに全国規模人気になっている。

久米島産海洋深層水は、確実に久米島の未来産業として確かな足取りで歩き始めたようだ。久米島経済を支える屋台骨になることは間違いないと云える。
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・久米島は!その3

2008年07月08日 | 歴史
久米島の異色の天然記念物、歴史的・文化的な遺産について続ける。







写真は上から、“クメジマボタル”は県の指定天然記念物、サザエのような貝殻に住んでいるヤドカリ及び大変珍しい“カンザシヤドカリ”。

絶滅の危機にあるウミガメやヤドカリ、久米島にしか生息しない県指定天然記念物の“クメジマボタル”などは、水の清澄さゆえに生息できると云う。「久米島は空気さえ商品になる」との表現もまんざらでもない。

ヤドカリは、巻貝の殻を住みかとし、そこに体を収め、殻を背負って生活をする。











写真は上から、久米島紬の里・ユイマール館、久米島紬及び久米島夏祭りの一こま・古堅シンカによる民謡、創作エイサーの光景及びシーサー作り。

久米島紬は15世紀頃久米島に伝えられたといわれる養蚕技術を基礎として発達し、その後全国の紬織物の元となった。久米島紬は、琉球王朝時代には、貢納布として租税の代納品に使われたらしく、成人女性すべてが製織に携わる必要があった。

農家がそれぞれに織機を置いて自宅で製織に携わっていたため、織り子一人一人に技術と経験が蓄積され、今日では伝統を継承するための大きな宝物。
現在でも島の代表的な産業の一つとして紬織物の伝統が受け継がれている。

その紬技を後継者に伝えるために建設されたのが“久米島紬の里・ユイマール館”で、糸紡ぎや染め、機織りなどが体験できる施設も併設され、周辺の島人・観光客・修学旅行生の体験施設としても期待がかかっていると云う。

8月上旬に2日間かけて行われる久米島夏の一大イベント・夏祭りでは、島の伝統芸能・勇壮なエイサー・島唄・民謡ショーなど、盛りだくさんのプログラムで、祭り会場は、観光客も含め熱気が漂うらしい。

ところで、沖縄の土産としては、“久米島やむちん土炎房”などで、自分の作ったシーサーは心がこもっているので、喜ばれるのでは?

島の赤土粘土はやわらかくて、滑らかで、丸めたり伸ばしたりしながら仕上げていく。そして乾燥させ、窯で焼いたら完成だが、家に届くまでには約1ケ月かかると云う。体験学習も魅力の一つでは?
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・久米島は!その2

2008年07月06日 | 歴史
次に久米島の歴史的・文化的な遺産について概観する。
その前に久米島の自然にかんして、他にも自然の豊かさを証拠立てるものがあるが、それは島の洞窟から8世紀ごろの米が見つかったこと。

古から稲作があった証拠だが、その当時から島は“球美(くみ)”と呼ばれ、現在でも球美は久米島の古語として、地元では親しまれていると云う。









写真は上から、久米島の東海岸に横たわる白砂だけの島、国指定天然記念物・“五枝の松”、“畳石”及び幻想的な朝の風景。

夏場は東京から直行便が出るなど、本島にはない魅力満載のアイランド。
見渡す限りの青い海、どこまでも続く真っ白な砂浜、町の通りでは四季折々の草花が息づき、福木に囲まれた伝統的な赤い瓦屋根の家々を目にする。
見渡せば色とりどりの自然の色に囲まれた島は、将に幻想の世界に誘ってくれる。


“五枝の松”は、久間地集落にある樹齢約250年のリュウキュウマツとして国指定の天然記念物。伊平屋島の“念頭平松”と並んで沖縄二大名松とされ、国内でも1本の松がこれだけ枝を広げ悠々とした姿は他では見られないらしい。

“畳石”は県指定天然記念物で、島の東にある奥武島の海岸に、五角形や六角形に区切られた火山岩(安山岩)が整然と並ぶ柱状節理。岩の直径は1mにも達し柱状節理の直径としては極めて大きい。

王朝時代には中国との交易の中継地として栄え、歴史的にも特別な位置付けがされているが、幻想的な朝焼けの風景のように、豊かな自然環境を持っていただけに、武力支配者は他の離島よりも重要視した証拠。









写真は上から、久米島の具志川城跡、宇江城城址、宇江城城址から見下ろす久米島海岸線及び上江洲家・国指定重要文化財。

15世紀に按司の時代が到来し、なかでも最大勢力を誇ったのは伊敷索(いしちはな)按司一族であった。
その一族が拠点としたのが、現在も国指定重要文化財として残る具志川城跡。

他にも宇江城城跡(県指定史跡)、登武那覇城跡など、離島でありながら城跡が多いのも久米島の特徴である。それだけにそこから独自の文化も生まれている。

標高310mほどに位置する宇江城城址は、沖縄に残る城跡の中でも、最も高い位置にあるといわれ、写真のように、頂上からは久米島のほとんどを眺めることができるイチオシのビューポイントで、晴れわたった日には久米島周辺の離島を見渡すこともできると云う。

もう一つ、上江州家民家は1754年建築で現存する沖縄最古の民家。具志川城主の末裔であり、代々地頭代を勤めた旧家で、国指定の重要文化財。

キレイな石垣に囲まれた古き良き面影を残す建物であり、赤瓦の屋根もモダンで、縁側もいかにも沖縄の古き良き家。
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沖縄の歴史・文化 “沖縄諸島の将来”・久米島は!その1

2008年07月03日 | 歴史
久米島は、那覇市の西方約94kmの東シナ海に位置し、周囲約48キロの久米島本島、奥武島(おうしま)、オーハ島などの有人島及び硫黄鳥島などの無人島で構成されている。

久米島町の人口は約9.4千人、総面積は63.2k㎡ほどで、沖縄本島・西表島・石垣島・宮古島についで5番目に面積の大きい自治体で、年間平均気温22.7℃と一年間を通して温暖な気候に恵まれている。

交通アクセスは、久米島空港と那覇空港との間を1日数便運航し、約20分の距離にある。

平成16年の観光客数は約95,000人で、観光客のお目当ては、島全体が県立自然公園に指定されているという魅力的な島、特に“日本の渚百選”に選ばれた“イーフビーチ”や東洋一と言われるサンゴでできた真っ白な砂の島・“ハテノ浜”など美しい海はシュノーケリングの目玉。





写真は、久米島白い砂浜が広がるイーフビーチのホテル及び同ホテルのプールサイド。

当地はダイビング地として有名で、国内の大手航空会社が共にリゾートホテルを展開しており、長く広がるイーフビーチには民宿なども多く点在する。

島全体が県立自然公園に指定されるという、素晴らしい島だけに、或いは島だからこそ、沖縄本島に比較的に近いことからも、注目度がやや低い久米島の宝物を、以下とくとご覧あれ!









写真は上から、久米島の海と空、海岸線、久米島のイーフビーチ及びハテノ浜。

古くはその美しさから『球美(くみ)の島』とも呼ばれ、その由縁は見渡す限りの青い海、どこまでも続く真っ白な砂浜、標高300mにも及ぶ緑の山々が物語っている。

島の周囲は水深1,000メートル級の深い海に囲まれ、北上する近海の黒潮海流が豊かな漁場を生み、市場には色鮮やかな魚が並び活気に満ち溢れる。

イーフビーチは島の東部にある、長さ約2kmにおよぶ白い砂浜で、“日本の渚百選”にも選ばれた。近くにはリゾートホテル・民宿・飲食店・コンビニなどがあると云う。

ハテノ浜は、久米島の東側、奥武島・オーハ島の沖合に浮かぶ長さ約7kmの3つの砂洲で、イーフビーチから送迎船で渡ることができ、海水浴やシュノーケリングを楽しめるらしい。白砂だけの島で、その美しさを語るのに、言葉は要らないと評判。











写真は上から、ダイビングスポットのトンバラ島、久米島ダイビングの醍醐味、水中写真、ザトウクジラ遊泳の姿.及び近海の海底・サメ遊泳の勇姿。

ダイビングポイントは、ハテノ浜を挟んで大きく北側と南側に分けられ、主に北側はダイナミックなドロップオフ(海中の断崖絶壁)のスポット、南側は真っ白な砂が広がるスポットで、南の沖合には海面からの高さおよそ50m突き出した“トンバラ岩”が名所として際立っている。

いろいろな種類の熱帯魚のほか、マンタ・ザトウクジラ・ジンベイザメといった、大物に出会える憧れの最高スポットでもある。

久米島の周囲が1,000m級の深い海で囲まれ、いろいろなチャレンジ・ロケーションが揃っているため、あらゆるタイプのダイバーに楽しんでもらえると云う。

以上海に関連して、異色な久米島の美しさ・素晴らしさを紹介したが、次に紹介する久米島の文化的・歴史的な遺産についても驚きの連続です。
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沖縄の歴史・文化 “八重山の将来”波照間島は!

2008年07月01日 | 歴史
波照間島は、沖縄県の八重山諸島にある日本最南端の有人島で、面積は12.7km2、標高約65m、人口は600人弱。

交通アクセスは、石垣空港から所要時間25分ほどで、週4日運行されている。





写真は、波照間島日本最南端の碑など遠景と蛇の小道及び日本最南端の碑。

有人島として日本最南端の島であると共に、民間人が行くことのできる日本最南端のスポットでもあり、「日本最南端の碑」と「日本最南端平和の碑」が建てられている。

“日本最南端の碑”の脇に延びる、2匹の蛇が絡み合ったような小道。蛇はそれぞれ沖縄と日本本土を意味し、二度と離ればなれにならないという思いを表していると云う。





写真は、波照間島の日本最南端のニシ浜ビーチ及びニシ浜の夕焼け。

波照間島は隆起珊瑚礁であるが比較的起伏が大きく、中央部には標高65mに達する地点もあり、この付近には灯台が立つ。

日本最南端の“ニシ浜ビーチ”は、毎日見ても感動する青のグラデーションと白い砂が最高だが、観光客は余り寄り付かず、広い砂浜を海水浴でもして満喫できるほどで、叉いつか来て見たくなる場所らしい。



写真は、波照間島の星空観測タワー。

波照間島と言えば“星空!”ということで、普段天文に興味がない人も必ず行くのが、写真のような“星空観測タワー”らしい。

施設自体は3階建で、屋上にドームがあり、星空観測タワーには200mmの屈折式天体望遠鏡やプラネタリウムがあり、観光客も見学可能らしい。





写真は、波照間島から観測した各種星空及び波照間島の天の川。

日本国内では南十字星を好条件で観測できる数少ない島の一つであり、周囲に人工的な灯りが極めて少ないため、他の場所では見えにくい星を肉眼で見ることができると云う。

館内の説明員の方も親切にいろいろな星座を教えてくれると云う。

天の川もくっきり見え、白鳥座あたりには、人工衛星が通過していくのも良く見ることができるらしい。
こんなに素晴らしい星空観測環境は、極めて貴重なものと云う。





写真は、波照間島の酒造所及び当酒造所生産の“泡波”。

波照間島の主な産業は、サトウキビ栽培と製糖・泡盛焼酎。

65歳以上の人口構成比は、2005年の調査によると、実に34.3%と3人に1人を占め、叉就業人口の3分の2が農業に従事し、以前は米や粟が作られていたが、1960年代初めにほとんどの農地が、サトウキビ栽培に転換、島の主力産業になっている。

島内の酒造所では、沖縄の泡盛焼酎の中でも、製造量が少なく入手困難なことで有名な「泡波」という銘柄を生産している。

“泡波”は、確かに幻と言うだけあって、島内の各売店を探しても小瓶は見つかるが、大瓶は手に入らないらしい。大瓶が西表島の土産店で、なんと一万円であったというから、本土では何倍になるのであろうか?

近年になり観光客がとみに増え、民宿が7軒から12軒に増え、ペンションもオープンするほどで、2005年の入域観光客数は約14,000人に達したと云う。

これからも観光収入とサトウキビ産業のバランスの上に、島の生計勘定・生き残り策が見えるようだ!
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