近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

兵庫県南あわじ市で、国宝級の日本最古銅鐸発見!

2015年06月14日 | 歴史
ここでは、近畿発最新の考古情報を発信します。

先ず驚いたのは、弥生時代中期(紀元前2世紀頃)の銅鐸7個が、兵庫県淡路島の南あわじ市で見つかり、県教委と市教委が平成27年5月19日、発表した。

海岸近くの松帆地区から採取された砂の山から見つかり、「松帆銅鐸」と名付けられた。

出土数では、最多の島根県雲南市・加茂岩倉遺跡(39個)などに次ぐ4番目となり、一度に大量に埋められた最古のケースとなる。専門家は「初期の銅鐸祭祀の解明につながる国宝級の資料」と評価している。





写真は、南あわじ市の砂山で発掘された銅鐸の状態及び陳列された計7個の銅鐸。

銅鐸は、高さ22~32cm、底幅13~19cmで、絵画が描かれていない古い時期のもの。うち1個は、上部の半円形の「鈕ちゅう」と呼ばれる部分の断面がひし形をした「菱環鈕(りょうかんちゅう)式」で、全国でほかに11例しか確認されていない最古段階のものだ。

また、3個には銅鐸を鳴らすため内部につるす青銅製の棒「舌ぜつ」(長さ8~13cm)が付いていた。

一度に見つかった舌の数としては最多。舌が付いたまま大量埋納された例はなく、銅鐸を大量に埋める祭祀の最初の形態だった可能性がある。

今回の発見は、全くの偶然から生まれた。

第一発見者の西田さんによると、4月8日朝、副工場長を務める南あわじ市の砂利加工会社「マツモト産業」の工場で、重機を使って高さ約5mの砂山から砂をすくった際、大きな塊があるのに気付いた。

「金属ごみかな?」と思い、引き出してみると、全長30cmほどの釣り鐘状の金属の物体。ずしりと重く、表面には青サビが付着し、中に砂が詰まっていた。

「歴史の本で見たことがある」とスマートフォンで調べ、銅鐸とわかった。大小2個が「入れ子」の状態になっていたが、土を落とした際に外れたという。

同社によると、砂は工場から約10km北西で、海岸から1kmほど内陸の同市松帆地区の田んぼなどから採取。

7mほどの深さまで掘って、いったん資材置き場に置いた後、工場に運んだという。地区の砂は細かく質が良いことで知られる。

社長の松本康宏さんは「よく壊れずに残っていた。長い間、砂が守っていたのでは」と話している。

☆発見後の動向「まだ砂の中に銅鐸どうたくが埋まっているのでは」??

上述の通り、兵庫県南あわじ市で弥生時代の銅鐸7個が見つかり、県教委などが発表した19日、調査に当たった職員らは「古い時代の銅鐸で全国的にも珍しい」と興奮気味に説明した。

一度に出土した数としては全国で4番目。発見を聞いた住民らは「やはり国生み神話の島だ」「銅鐸を街の活性化につなげたい」などの声が上がっていた。

記者会見は、銅鐸が出土したとみられる南あわじ市松帆地区近くの湊市民交流センターで開かれ、報道関係者約40人が出席した。

砂がついたままの青緑色の銅鐸が並べられ、市埋蔵文化財調査事務所の職員が説明。自社工場に搬入した砂の中から銅鐸を見つけた砂利加工会社「マツモト産業」の松本社長も同席した。

松帆地区は海に近く、弥生時代には砂丘のような地形だったといい、建材用の良質な砂が採れることで知られる。

「同社は地区内の古津路、櫟田(いちだ)のいろんな場所から砂を買っており、銅鐸が埋められた場所は今のところ、特定できていない」と話した。

同調査事務所によると、「松帆古津路で1966、69年に出土した銅剣計14本と並び、今回の銅鐸も非常に古い年代のものだ」と説明。今後、出土場所の特定など本格的な調査を行う方針。

松本社長は「会社の砂から銅鐸が見つかり、驚いた。光栄で名誉なこと」と述べた。