近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良県田原本町の唐古鍵遺跡公園建設にまつわる最新情報そのⅢ

2016年05月29日 | 歴史
奈良唐古鍵遺跡公園建設にまつわる最新ストーリーの最終編をお送りします。

先ずは唐古鍵遺跡の弥生時代の推移を概観してみると、中期には3ヶ所の居住区が統合され、全体を囲む大環濠が掘削される。

内側の環濠は幅8m以上、その大環濠を囲むように幅4~5mの環濠が4~5重に巡らされる多重環濠。

これらの多重環濠群は居住区の外縁を幅150~200mで囲み、環濠帯を形成している。大環濠で囲まれたムラの大きさは、直径約400mと考えられる。

このムラの西南部に河内や近江、紀伊など各地の搬入土器が多く出土する私的な場所であり、また、南部では木器の未成品や青銅器鋳造関連遺物や炉跡、北部ではサヌカイトの原石や剥片が纏まって出土する所などがあり、各種工人の居住の場所と推定される。

南地区の中央部に高床建物が建っていた可能性が高く、ムラの中枢部と考えられる。

このようなことから大環濠内では、各種の機能別に区画されていたと考えられている。

弥生時代中期初頭(紀元前3世紀末~2世紀初頭)に建てられた東西約7m・南北11.4mの大規模な建物の柱穴跡及び柱の一部が見つかった。





上の写真は、第74次発掘調査で検出された大型掘立柱建物跡とケヤキ製柱根の一部。

弥生時代中期初頭(紀元前3世紀末~2世紀初頭)に建てられた東西約7m・南北11.4mの大規模な建物の柱穴跡及び柱根の一部が見つかった。

今回検出された大型掘建柱建物は、南北に3列の柱穴列から成る。東柱列5本・中央柱列5本・西柱列6本で、柱穴の長軸約2m・短軸約1m・深さ約60cmの規模を持つ。

柱根が残存しヤマグワとケヤキ材計4本が確認されが、多くの柱で床を支える総柱型の高床式建物の跡で、日本最古と云われる。

その後弥生時代中期末の洪水で環濠の大半は埋没する。その後再掘削が行われるが、弥生時代後期には大環濠はなくなり、ムラの規模が縮小していく。 井戸などの居住区関連の遺構は大幅に減少していったと云う。

唐古鍵遺跡から僅か2kmほどしか離れていない、纒向遺跡との関係について、唐古鍵遺跡は大規模な多重環濠集落であったが、纒向遺跡にはそれが見えないことなどから、唐古鍵遺跡が纒向遺跡の衛星集落ないし「邪馬台国」の一部だったかもしれない。

その後集落の移動が起こり、弥生後期には人口現象が著しい。

唐古鍵集落の弥生時代文化が纒向へと引継がれていったとも考えられる。




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