近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良県で弥生時代のエノキの切り株発見・展示!

2013年07月25日 | 歴史
約2400年前の弥生時代前期のエノキの切り株が、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で無料展示されている。

話題のエノキ株は、3年前、奈良県御所市の水田跡の隣から200本以上の埋没林の一つとして見つかり、約3年の保存処理を経てようやくお目見えとなった。切り株の幹は直径約80cmで、重さは約1.1tもあるらしい。
弥生人が火や石器を使って切った跡も残ると云う。





写真は、弥生時代のエノキ切株と橿原考古学研究所付属博物館に展示された同切株。

切り株には火を押しつけて黒く炭化した跡も発見。弥生人が切ったと思えば感動も一味違う。

博物館の人気展示物として根付きそう?

切り株は、平成22年の橿考研の発掘調査で、洪水による砂に覆われた状態で出土したと云う。

高さ1m・重さ1.1t・直径80cmで、根を含めた最大幅は5mに達する。根元付近を焼きながら石の斧でたたいて切り倒したとみられる。

調査で掘り出された後、奈良県生駒市の元興寺(がんごうじ)文化財研究所が合成樹脂で補強する保存処理を進めていた。

処理が完了したため、同博物館の玄関ホールで平成25年3月20日から特別展示されている。

平安貴族邸宅跡地の9世紀後半土器に最古級の平仮名発見!

2013年07月01日 | 歴史
昨今の遺跡の中から、一大新発見について、以下更に続けます。

京都市中京区の平安京跡にある平安時代の有力貴族の邸宅跡で見つかった9世紀後半の土器片から、多数の平仮名を記した墨書が見つかったと、同市埋蔵文化財研究所が平成24年11月に発表した。





写真は、今回国内最古の平仮名文字が発見された土器片とそこに刻まれた平仮名文字の解読。

平仮名は勅撰和歌集「古今和歌集」や「土佐日記」が編集された10世紀前半に確立したと考えられてきたが、平仮名が通説より半世紀程度早く完成したことを示す一級の発見で、完成された平仮名の文書としても最古とみられる。

土器片は、右大臣を務めた藤原良相(813~67年)邸跡で出土した。

平仮名は書風から複数の人物が記したとみられ、文字列の多くは意味が不明だが、鑑定によると、皿の裏にある「ひとにくしとお□はれ」は「人憎しと思われ」と読めるという。

別の皿には「かつらきへ」という墨書もあり、当時、宮中で歌われた神楽歌の一節にある「葛城へ」という句とみられる。

毎日新聞は更に続ける。
「貴族の館での供宴に使われたのでは」「呪術的な性格を感じる」等々。

京都市中京区の平安貴族の邸宅跡から見つかった最古級の平仮名による大量の文字が書かれ、解読に当たった専門家の間では、その中身を巡って半年以上も熱い議論が交わされたらしい。

しかし解明できたのはごく一部。多くは謎のまま残ったが、専門家は「研究は急速に進むだろう」と期待を込めた。

皿や高坏(たかつき)に書かれた文字を目にした国語学研究者は、「流れるような筆致にびっくりした」と話す。

しかし、多くの資料が残る10世紀以降の平仮名とは崩し方が異なり、解読は難航。

国宝や重要文化財級の古筆の写真集などを手がかりに一字一字検討していると云う。

9世紀後半の赤田(あかんだ)遺跡(富山県射水市)の調査に関わった富山大教授(日本古代史)は、「平安貴族の館で供宴を開く際、皿に和歌を書いて楽しむことがあった。

今回もそれに使われた可能性がある」と指摘。「古今和歌集(905年)を代表する六歌仙、例えば在原業平(825〜880年)と同時代の教養人が、どんな字を書いていたかがうかがえる第一級の資料だ。

解読に加われたのは学者冥利に尽きる」と興奮を隠せない様子であったという。

土器が出土したのは、平安時代前期の右大臣・藤原良相(ふじわらのよしみ)(813~867)の邸宅跡(京都市中京区)。庭の池から墨で文字が書かれた土器約90点が見つかり、うち約20点にひらがなや、漢字が崩れてひらがなになる途中の「草仮名(そうがな)」が多数書かれていた。

大半は良相が没した867年前後のものとみられる。

1枚の皿(直径13.5cm)の裏には約40字が書かれていた。「け」「あ」「ら」「と」「は」などは現在と同じ形。

今後の更なる研究成果が待たれる。