近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

大阪人のマナー 遊郭の現状

2007年03月31日 | 文化
今日は、既に取上げた主題テーマ・大阪人のマナーのうち、これまた置き忘れてしまった”遊郭”について概括してみたい。

“遊郭”は治安や風紀を統制するため、公許の遊女屋を集めて、周囲を塀などで囲った区画で、成立は安土桃山時代に遡る。
16世紀後半、秀吉の治世時代に、道頓堀川北岸で始まった遊郭は、その後京都へ波及し、17世紀になると江戸でも遊郭が誕生したと云う。

大坂の新町・京都の島原・江戸の吉原は三大遊郭と呼ばれた。
これら以外にも、江戸期には全国20数ヶ所に、公許の遊郭が存在したと云う。

江戸時代当初の遊廓は、代表的な娯楽の場であり、文化の発信地でもあった。
富裕な町人や、武家・公家を客とした、上級の遊女は、芸事にも秀で、文学などの教養が必要とされていたと云う。

明治に入り、「芸娼妓解放令」が出され、遊郭を郊外に移転するなど、規制が施行されたが、実態は変わらなかった。

第二次大戦終了後、公娼制度は廃止されたが、“赤線”と呼ばれる通称で残されたままであった。
昭和33年には「売春防止法」が成立し、公娼地域の遊郭は歴史上幕を閉じた。
しかし大阪の飛田新地・松島新地など、当時の趣をそのまま残している地域が幾つかある。





写真は、現在の西成区飛田地区の街並及び料亭・百番の店頭。

飛田遊郭は、難波新地が火災で全焼した後、大正初期に築かれた遊郭で、昭和初期には200軒を超えるまでに繁盛したと云う。
かつては新世界から通天閣へ、そこから南へ飛田新地まで繁華街が続いていたと云う。

戦災により多くが焼失したが、戦後赤線として復活し、昭和33年の売春防止法施行以降は、料亭街として、当時の雰囲気を伝えていると云う。

表向きは料亭の看板を掲げているが、営業内容は以前のままで、料亭に転向したという名目で、実質売春防止法適用を免れているようだ。

このあたりの対応は、業者・顧客とも実利主義本位で、生活のパターン・慣習優先で、法遵守・ルールは二の次と云う、大阪らしい利便性上位の姿が現われている。一部大阪人の快楽志向が黙認されている?????「あほくさ!」







写真は上から、戦前“松島遊郭”であった場所で、現在は松島公園として開放され、その西隣に残る、現在の九条・松島地区の風俗街と風俗店頭。

松島遊郭は、明治初期に近くの川口居留地の繁栄策として営業をスタートさせたが、大坂市中に散在していた非公認の遊所を一ヶ所に集めるためであったらしい。

大正期後半には、楼閣270軒以上・芸妓4000人など、日本最大の花街・大歓楽街であったと云う。

そして明治の大火災・大阪大空襲によって二度にわたり、松島遊郭は灰燼と帰したが、戦後には西隣に松島新地として誕生し、“売春防止法”発布後も、飛田新地と同じく、料亭街として存続している。

この界隈は、昼と夜の顔が一変すると云う。
「ほんまでっか!」


大坂の伝統上方文化 天満・天神繁盛亭の誕生

2007年03月30日 | 文化
昨日やっと悲願が達成でき、昨年9月オープンにこぎ着けた「天満・天神繁盛亭」を見聞に行ってきました。
本日は、見聞録とでも言いますか、その印象を申し上げ、落語ファンを元気付けることができればと願って、ここに紹介する。

素晴らしい「定席」小屋誕生に、ずばり感激・感動しました。

上方落語協会と天神橋筋商店連合会の連携で結実した上方文化の新しいシンボルであり、同商店街では、「天満・天神繁昌亭」を核とした新たな町づくりを目指し、「芸能の町」復活に向けスタートしたが、前途は洋洋と云える。

「定打ち小屋」土地の確保や建設費の募金活動に奔走された、関係者のご苦労に拍手を送りたい。





写真は、天満宮の入口にオープンした「天満・天神繁盛亭」の雄姿。

元来、天満宮界隈は、明治・大正期、落語や浪曲の定席が立ち並んでいた「芸能の町」であり、吉本興業発祥の地でもある当地に、天満宮の駐車場を無償提供してもらって、いわば寄付でできたのは「大阪らしさを取り戻してほしいという願い」が込められている。

元々町人が文化を支えてきたのが大阪の伝統であり、ナニワの意地を見せた「天満・天神繁昌亭」の成功を、心から祈りたい。





写真は、亭内への受付・売店・会場の雰囲気及び会場内2階から見た舞台正面。

256席全てが自由席である座席配置を含む亭内レイアウト・舞台装置・音響装置・演出など申し分なく、演目のバラエティー・運営などもほぼ完璧で、欲を言えば、座席前後の幅が狭く、座席への出入りにチョット難があるが、これも関係者の繁盛意欲の現われとも思える。

演目を大まかに紹介すると、上方落語・江戸落語・京落語と趣向を凝らした演出に加え、仲入を挟んで、前後にお笑い曲芸・曲独楽を挿入して変化をつけ、計10演目・正味3時間の興行は観客を飽きさせない。

又各演者の熱の篭った芸には、TVなどで観るのとは違い、新鮮味を感じた。
おまけに前売り券2,000円(当日券は2,500円)は他のエンターテイメントに比べても割安であり、十分値打ちがある。再度行って見たい気持ちにさせる。

聞くところによると、開業以来平日昼席を含め、空席率は低く、極めて順調に営業しているとこと。

「天満・天神繁盛亭」にかける期待が大きいだけに、是非とも成功して欲しいし、現在までの経過を見る限り、期待に十分応えられると見た。
「すきやねん、がんばってや!」


大阪人気質 おばちゃんのイメージ

2007年03月29日 | 文化
これから数日は、主題テーマが既に取上げられたテーマに戻るが、置き忘れたサブ・テーマを拾い上げていくので、悪しからず!

先ず大阪の代名詞の一つである「大阪のおばちゃん」が今もって健在であり、一般的に背が低く、少し小太り、豹柄の衣服を着て、大声で機関銃のように喋り捲る。新幹線車内であれ、レストラン内であれ、トイレであれ、どこでも3人寄れば・・・・で、周囲には全くお構い無しで喋り捲る。
そして、おせっかいでズバズバ・ズケズケとお喋りし、やたら厚かましく口をだし、物怖じしないイメージが強い。





写真は、大阪のおばちゃんをイメージしたスナップ写真。何となくイメージが脳裏を掠めそうな傑作?

でも「大阪おばちゃんのイメージ」を裏返せば、衣服の派手さはサービス精神の現われであり、大声でうるさいが、笑いで周りを明るく包み、ズバズバというが、ホンネであるから気持ちが良いし、おせっかいの厚かましさは、愛嬌との表裏であり、物怖じしない強引さは、たくましさの裏返しでもある。

大阪のおばちゃんを憎めないのは、表裏両面を持ち、一見常識外れのように見えても、実は愛すべきひょうきんな一面も持ち合わせている。
これぞ大阪のおばちゃんのパワーの源であり、今やテレビCMに取上げられるほどの人気ものであり、説得力がある。

話題を集めた、静岡県放映の「振り込め詐欺」予防CMに主演した、3人の大阪のおばちゃんが、えげつなさ過ぎるとして一部抗議が出たが、静岡県としては、詐欺予防に実績があるだけに、おばちゃんパワーに頼った経緯がある。

大阪府警によると、電話をしてきた犯人に「あんさん、誰だんねん、うちの息子は“オレオレ”いう名前とちゃいまっせ!」と逆に質問攻めにして犯人を撃退したとか。
更に話がおかしいと思ったり、疑わしい場合は、躊躇することなく電話の相手に“怪しい”と意思表示できる、物怖じしないパワーは、なるほど分かるような気がする。

大阪のおばちゃん人気は留まるところを知らず、おばちゃんの人生訓で包んだ、大阪名物のたこ焼き味のライススナック「おばちゃんチップス」が江崎グリコのネットで売り出された。

大阪の大学と企画会社が共同で「おばちゃんチップス」が提供する、「おばちゃんがええ言うたらそれでええねん!」・「己を信じて貫き通すんが勝ちや!」などの人生訓6種類から、スナック・人生訓を選択できる。
イラストもヒョウ柄やジャージー着用などコテコテのスタイルで、同名の映画もできたほど。

チョット変わったところで、大阪のおばちゃんならではの厚かましさは、高速道路のトイレで、女性用トイレがこんでいるからと、男性の方に入っている女性がいると聞く。
一方「男性が女性のトイレに入るのを見かけたら痴漢とみなします!」との張り紙が、男性のトイレに貼られているとは、何とも皮肉な笑いを誘う。

今や無形文化財並みの大阪のおばちゃんは、大阪の庶民文化を代表する、記念碑的存在であることは間違いない。
「しゃあない!」


大阪人の行動様式・嗜好の違い 大阪の特性

2007年03月28日 | 文化
昨今の生活様式の顕著な傾向として、全国的均質化という事実が挙げられる。
とにかく、日常生活の中で「地方色」が消滅しつつあると云われる。

例えば、都市型ホテルは、東京・大阪など巨大都市圏のみならず、県庁所在地・地方の中小都市にも、現在は近代設備の整ったホテルが存在し、サービスも全国ほとんど共通になった。
 
 飲食店のメニューやスーパーの品揃えもほぼ全国均一で、地方特有の食品や調理法が「地方文化」の一環として多少残ってはいるが、代わり映えしない。
 
県庁所在地には、かならず百貨店があり、衣料品から家具にいたるまで東京、大阪など扱っているのと同じ品目・ブランドが品揃えされている。
地方都市でもグッチ・セリーヌ等々のヨーロッパのブランド品々・贅沢品が百貨店の店頭に並んでいる。
極端に言えば、全国津々浦々にゆきわたっていると云える。

 このような均質化は、巨大流通業の発達・国民所得の平準化により可能となった。
 都市と農村、中央と地方といった格差は、ほぼ完全に消滅したとみてよい。
国全体が均質化の傾向に向かってきたことは、一方で所得格差など個人生活レベルの格差が広がる社会現象の中では、一面喜ばしいこと。

 それでも地域特性が残っているのは、歴史的伝統というものであろうか?



写真は、秋田名産の塩魚汁、「しょっつる」。
極端な例では、秋田県の「しょっつる」はタイ、ベトナムなどで使用されているものと製法も全く同じで、これが何故秋田県と出雲の一部だけに残っているのか?????

 或いは南九州では、数世紀にわたって、焼酎を愛好してきた。
大量生産と大量流通によって、消費生活が均質化しているにもかかわらず、伝統の力以外のなにものでもない。決して生活水準が低いからではなく、生活の構造・嗜好形態が違うからで、何とも説明が付きにくい。

嗜好傾向の違いで大阪・東京を比較すると、大阪は特級日本酒の消費量が東京の約3倍、東京では二級ウィスキーが大阪の9倍、牛肉は大阪が東京の約2倍、マグロは東京が大阪の3.6倍など、なかなか説明が付きにくい統計数値が踊る。

アルコールは東京が洋風、肉類などは大阪が洋風と相矛盾する。





写真は、大阪・東京の地域特性を物語っている、一般大衆食品として、東京のあなご丼と大阪のやきそば定食。

嗜好品以外の地域特性として、大阪・東京を比較すると、例えば人気TV番組は、大阪が漫才などお笑い娯楽番組、東京は大河ドラマや深刻なドラマなどで、歴史・文化・伝統などが折り重なった違いとして、何となく分かるような気がする。

どちらが良く・どちらが悪いという性質ではなく、全国どこに行っても残っている、地域固有の特性・地域文化であり、地域特性にまつわる文化財なども含めて、サブ・カルチャーとして大切に維持・保存したいもの。

 日本が均質化に向かっている反面、同時に地域特性がより明確にされつつあることも事実。
地域特性と全国的な共有・統一への動きが共存していると云える。「おもろいやん!」


大阪食文化 粉もん・たこ焼き最新情報そのⅡ

2007年03月27日 | 文化
3月24日付けの新聞に、次のような記事が目に飛び込んできた。
「「たこ焼き」の老舗が、先月約1年ぶりに復活した。大阪市北区浪花町の「天五中崎通商店街」の一角にある「うまい屋」だ。近所の火災が燃え広がり店は全焼。後継ぎの急死が重なり廃業の危機を迎えたが、家族の力を合わせて再出発にこぎつけた。焼け残った創業以来の大看板の下、再開を待ちこがれた客の行列が途切れることがない。 ”やっと開いたね。何回も見に来てたんや”、のれんをくぐる客が声をかけてきた。」と云う記事。



写真は、火災焼失後、先月再オープンにこぎつけた「うまい屋」の店頭。
調べてみると、昭和27年創業で、伝統の美味で多くの客を魅了する昔ながらのたこ焼屋。

取手の付いた特注の“たこ焼き鍋”を動かしながら、こまめに火を強めたり弱めたり、7割方焼けたところで生地を継ぎ足すという、独自の手法「2度焼き」で、表面はカリッとしているが、中はモチモチした食感を作り出す。



写真は、焼きあがったばかりの特製「たこ焼き」。
毎朝中央卸売市場から仕入れる新鮮なタコの風味がみごとに調和し、ソースなしでも抜群のうまさを発揮する。

材料は小麦粉からソースまで、全てオリジナルの特注品というこだわりようで、しかも7種類の調味料をブレンドした生地に独特の下味が付けられ、そのままで十分楽しむことができる。 一度ご試食あれ!

それと8個¥300円、12個で¥450円は、平均的なたこ焼きより割安。
遠方より大阪に来た時に、わざわざ立ち寄るほど、根強いファンを持つと云う。
「すきやねん!」


大阪外食産業のルーツ 飲食店事情あれこれ

2007年03月26日 | 文化
大阪の外食店のルーツは、太閤秀吉の治世に、大坂の道頓堀川北岸に遊郭がつくられ、茶道の中のもてなし料理が振舞われたのがスタート。
当時から茶道と料理の世界は一体であるとの考えの下、茶懐石料理の正しい提供の仕方やいただき方の作法などが大事にされたと云う。

一方庶民の間では、町民文化が花を咲かせ、豪商と呼ばれる人々を中心に、廓での遊びを彩る料理がキッカケで料理店が発展していった。
廓の内では豪華な料理が提供さたと云う。

一方廓の外では簡単で手軽な料理店が出現し始めた。
大名のいない大坂では、気ままで合理性重視の商人たちが、安くて旨い料理を求めたため、実利本位の料理店が育った。

この時代から、大坂外食文化の伝統が生まれ・育まれ・継承されてきたと見られる。大坂こそ、庶民向け食文化情報の発信地として現在まで引継がれている。





写真は、大阪ミナミ道頓堀通りの飲食店オンパレードの光景。

昭和に入り、うどんすきの「美々卯」・しゃぶしゃぶの「スエヒロ」、最近では、“とれとれ、ぴちぴち、かに料理♪”の「かに道楽」、煙の出ない焼肉店の「食堂園」などが関西の外食店をリードしてきた。

直近では、大阪JR環状線は大阪市内中心部を一周するが、その各駅周辺はほとんど下町で、どこも個性豊かな飲食街が広がり、庶民の味を試食できる。
TVでの料理番組でも、人気スポットとして、しばしば取上げられている。

大阪繁盛飲食店の基本は、安い・旨いだけではなく、早い・愛想が良いと、四拍子揃わないと成功は覚束ない。





写真は上から、大阪では一般的な、ご飯と麺類のセットメニュー及びお好み焼定食のサンプル。

「安い」では、合理的なセットメニューに人気があり、ボリューム満点で、一品一品より割安感があって、大衆料理店では今や当り前の選択肢となっている。

大阪人はご飯ものを食べないと、食べた気にならないので、“粉もん”でもご飯つきのセットメニューは外食店必至の条件。

東京人が不思議がる「お好み焼定食」・「うどん定食」等々、炭水化物尽くめのセットメニューなどは、店側もサービスする上で、極めて効率的で大阪ならではのアイディア。

「早い」・「愛想が良い」では、大阪の飲食店は、店員の動きが良く、愛想も良く、又大きな声で客をテーブルに導き、注文を取り、「まいど」で客に感謝し・送り出すという、サービス・サイクルは当り前で、必要条件と云えるほど。

大阪の街角では、一般論として元気がよく、声が大きい飲食店は流行っている。
店舗間の「早い」サービス条件では、分刻みの厳しい競争を強いられていると云える。
「ほんまでっか!」


大阪食文化 チゲ・水炊き・寄せ鍋編

2007年03月25日 | 文化
今冬の鍋シーズンもそろそろ最終章に入った感がするが、今シーズンの特徴・将来を予兆するデータなどを紹介したい。特に昨今インターネットや通販などの新しい流通チャンネルが台頭すると共に、地域性が薄れ、又新グルメ情報・流行のスピードが速まるなど食文化に大きな変革が起こっていると云える。

最近のアンケート調査結果によると、「すき焼」に続く、人気鍋の第2位は「キムチ鍋(チゲ)」で、世代別では20、30代に「キムチ鍋」の人気が高く、「すき焼」を抜いて、好きな鍋のトップになったと云う。



写真は、辛そうな典型的「キムチ鍋」。
辛いものが苦手でも、「キムチ鍋」の具を「すき焼」のように生卵に通して食べると、辛さが半減し、まろやかに美味しくいただけるとのこと。一度お試しあれ!
昨今の健康志向ブームで、辛くて熱い「キムチ鍋」は、発汗作用、食欲を増進させる効果などが見直され、人気上昇中。

続いて3位は調理が簡単で、野菜をたっぷりと食べることができるという理由から「水炊き」で、「おいしいポン酢があれば、何でも水炊きにして食べることが出来る」ことから、「水炊き」は「ポン酢」好きからも高い支持が集まっていると云う。



写真は、これぞ水炊きの好サンプル。
「水炊き」は自宅では、鶏ガラスープに鶏肉・野菜・豆腐などを入れて食べる鍋料理。
しかし本来の「水炊き」の食べ方は、最初に鶏の旨みが溶け込んだスープに薬味などを入れて飲み、そのあとで、 鶏をぽん酢でいただくとか・・・・・。

写真などで紹介されている「水炊き」は、白いスープに鶏がごろごろと入ったシンプルな鍋に見える。
慶応年間にその起源を持つ「博多水炊き」が本場で、その後各地に広がったと云う。
鶏・野菜などを食べ終えたら、さらりとした雑炊で締めくくるのが通例で、油分もほどよく落ち、大変ヘルシーな料理として、女性に大好評。



写真は、ヘルシーそうな「豆乳の寄せ鍋」。
「水炊き」に続く鍋料理が、お馴染みの「寄せ鍋」で、昆布と鰹節の出汁がベース、これに酒・みりんに、塩・醤油などで味を調えてスープを作る。
ここに野菜・練り物・魚貝類など入れてにぎやかに食べるもの。

「お鍋」の締めくくりは、人気1位が「雑炊」で、「冷凍庫の残りご飯を、ここで一気に処分。関西風の昆布だしをたして、あっさり風味の雑炊に仕上げ、溶き卵と大量の刻みねぎを添えると、老若男女に大人気。

「寄せ鍋」は、自宅では冷蔵庫の残り物を処分する絶好のチャンスとして、家庭の主婦には大助かりで、しかも低カロリー・ヘルシーと申し分ない。
又体も心もポカポカにする「お鍋」は、日本の冬に欠かせないメニューであることを再認識させられた。



写真は、秋田県の専売特許品「きりたんぽ鍋」は東北人に大人気。
そして近年、産地直送通販・インターネット販売などで、ローカル色豊かな鍋物が全国規模で大流行し、例えば秋田県が発祥地と云われる「きりたんぽ鍋」は、比内地鶏のだしに、野菜を入れ、最後に焼いた「きりたんぽ」を入れる郷土料理として名を馳せた。





写真は、北海道にはなくてはならない「石狩鍋」及び九州ならではの「もつ鍋」。
北海道では鮭を主食材とした「石狩鍋」、九州では“牛もつ”のほか、ニラ、キャベツたっぷりの「もつ鍋」。





写真は、関西で大人気の「ふぐちり鍋」と「かにすき」のサンプル。
関西では定番の「ふぐちり(てっちり)」・「かにすき」は、関東では馴染みが薄いそうだが、瀬戸内海や日本海側からの流通・輸送も容易である近畿地方で人気の高さが際立つ。



写真は、大阪名物クジラのハリハリ鍋。
大阪でもう一つ忘れてならないのが「ハリハリ鍋」で、主役である水菜の歯ごたえの擬音から“ハリハリ”と呼ばれるようになったと云う。
京都の水菜・和歌山のクジラ又は河内カモ・大阪の菊菜・難波葱・田辺の大根などが加わると、何ともローカル食材満載の贅沢な一品。

このように、その土地ならではの名産品が「お鍋」の具にも反映され、郷土料理として地元に定着しているだけでなく、全国規模で流通し、食されている。
流通革命の恩恵は、食文化の地域格差・垣根を限りなく取り外す効果が現われつつある。「けっこうでんな!」

大阪“食い倒れ”文化のこだわり

2007年03月24日 | 文化
近世から「京の着倒れ・大阪の食い倒れ」と云われてきたが、食い倒れとは、飲食に贅沢をして財産をつぶしてしまうという喩え。

食事にはけちけちしないが、出来れば安くて栄養があって旨いものを選ぶ。
大阪人は、食べ物を味わうことに大変熱心で、美味しく食べるためなら時間と労力を惜しまず、家庭の主婦なら食材を大切に上手に料理し、料理屋・腕の良い職人なら、お客をもてなすために腕前に磨きをかける。



写真は、大阪道頓堀で有名な“くいだおれ”の看板。

大阪の料理人は、新鮮な食材にも恵まれ、「のれん」を護るためにも、商売・研究熱心で、「食い倒れ」とは、大阪を日本の食文化発展の中心にしたいぐらいの意欲・プライド・屋号的意味合いを込めた“称号”として受け止めるべき。

大阪は「天下の台所」と呼ばれ、北海道からは昆布・広島のかき・下関からはふぐなど地方の新鮮で・貴重な食材が手に入ることで、外食店・料理屋が繁栄し、食材調理法の創意工夫が「食い倒れ」文化を創ったとも云える。

「食い倒れ」とは、唯美味しい食を頂くだけでなく、食を“感じる”存在感の旨さ、“値打ち”を実感できる厳しい目・舌を養う、大阪らしい食文化を云う。



写真は、“てっちり”料理の見た目の華麗さ・醍醐味。
大阪で「てっちり」とは「ふぐちり」のことで、大阪の“ふぐ条例”は、料亭でふぐを出すことを禁じているので、「てっちり」としているそうな???

「てっ」とは鉄砲のことで、鉄砲が当たることを、ふぐにあたることになぞられたという、いかにも大阪人らしい、ウィットに触れた漫才流の逸話。

庶民の味が粉もんから“ふぐ”・“カニ”まで、食のバラエティー・幅の広さは、大阪と云う土地柄・風土・伝統が生んだ食へのこだわりであり、“食い倒れ”文化を象徴している。「ほんま!」


大阪食文化 東西比較 すき焼編

2007年03月23日 | 文化
鍋物の代表格は何と云っても「すき焼」だが、今風のかたちが完成したのは昭和30年代、おりしも日本の高度成長時代で、当時としては贅沢品だった牛肉を存分に食べることができることから、正月・誕生日など“特別な日”のイメージを持ったご馳走として、日本人の食卓を飾ったことが思い起こされる。

中には「昔、兄弟で肉の取り合いをしたことをよく覚えている」人たちがいるように、そんな懐かしい思い出深い、日本の伝統的ご馳走メニュー。

「すき焼」の起源には諸説ある中で、室町幕府・足利家の料理手引書に、油をひいた鉄板で肉を焼く「南蛮焼」の記述があり、その流れで農民たちが鳥獣類の肉を薄くそぎ「剥き身」にして、たまり醤油に漬け込み、鋤など鉄製の農具などで焼いて食べたのが「すきやき」の語源だと云われている。

明治時代には、イギリス公使館に牛肉を納める業者が、横浜で始めた「牛鍋」が広まる一方で、関西では肉をタレに漬けて食べる「すきやき」の流れが進化し、関東大震災で「牛鍋屋」が被害を受けたのをきっかけに、関西の「すきやき」が一気に上京し、「牛鍋」と融合して今日の「すき焼」になったようだ。





写真は、典型的な関西風すき焼サンプル。
食材は、関西・関東ともほとんど同じで、牛肉・白ネギ・春菊・椎茸・焼豆腐・こんにゃく又はしらたき・焼き麩のほか、関西では地元産の白菜・玉ねぎも使う。

関西風では、先ず鍋を熱してから、鍋の真中に牛肉を1枚ずつ広げて入れ、肉の脇に砂糖を入れ、脂味が溶けるので肉で鍋肌をなでる程度に、サッと酒・醤油をからめて先ず肉を食べる。
そして鍋に残った汁に調味料と水を足して、残りの肉と、上述の野菜を煮て、溶き玉子をつけながら食す。





写真は、典型的な関東風すき焼サンプル。
一方関東風は、鍋を強火にかけて醤油・みりん・砂糖・水などで割り下汁を作り、上述の野菜類を鍋半分に入れる。
軽く煮立ったら、鍋の空いたところに牛肉を1枚ずつ広げながら入れ、裏返しながら、好みで玉子をつけていただく。

もともと野菜と一緒に肉や魚介類を煮込んだ鍋料理が、明治以降、牛肉を使った「すき焼」が一般的になったため、牛肉以外の時は、具材に合わせ「~すき」と呼ぶようになったと云う。

と云うように、関西ではあくまでも肉が主役、特に脂が多めの高級な牛肉をサッと焼いて味わい、野菜はおまけのようなもので、家庭では野菜類をたっぷり食べられる関東風が健康的食品と云えるかも・・・・・・。

そのほか関西・関東の違いは、関西ではこんにゃくは、肉を硬くするので使わないとか、関東では割り下汁で「煮る」ことから、すき焼「鍋」にするが、関西では「焼き煮」の表現に近く、むしろ「焼く」要素が強い。

最近のアンケート調査によると、鍋料理のトップは「すき焼」で、キムチ鍋・水炊き・寄せ鍋・しゃぶしゃぶが続く。
小さな子供でも食べられる甘い「すき焼」は、家族全員で楽しめるお鍋の王道と云える。

某ウェブサイトの口コミ情報のうち、全国すき焼店ベストファイブ・ランキングでは、山形県米沢市の「米沢牛亭ぐっと」をトップに、京都の「三嶋亭」、三重県松阪市の「和田金」、三重県上野市の「金谷本店」、大阪心斎橋の「北むら」と続く。



写真は、ほっぺたがおちそうな、あの米沢牛肉!
すき焼店トップの「米沢牛亭ぐっと」では、「すき焼は、しゃぶしゃぶのようにあまり煮過ぎず、ほとんど生に近い状態で食べてください。」と勧められていると云う。
すき焼試食だけのツアーで、米沢を訪れても良いくらいと云う、もっぱらのうわさ!
「ほんまでっか!」


東西食文化の違い 歴史的背景・思想

2007年03月22日 | 文化
関西料理の特徴は、大阪では自然の食材を最高の状態で提供しようとこだわり、京都では食材から自然を再生するという京料理の伝統を育んだ。

この点は、海に近く魚介類の多い大阪と、海に遠くて野菜が手じかに採れた京都との違いで、総じて関西の料理は、自然の食材を如何に生かすかに、心血を注いだ結果、今日的食文化の伝統に繫がっていると云える。





写真は、日本的伝統食材の原風景及び京料理らしく盛付けられた京寿司。

関西は古代から食材に恵まれ、瀬戸内海や若狭の魚介類や、京都を中心とした淀川平野の野菜などは、いずれも貴重な食資源であり、昆布の出汁・薄口醤油など、食材に合うように、女性的な美味・独特の味覚が作り出されてきた。

関西人は、“上方町民時代”から美味しいものを食べることに貪欲で、それを恥ずかしいとも思わないし、「あそこは美味しい・ここは不味い」と食べ物情報に敏感にして、情報交換に熱心。

一方江戸では大名屋敷が定着し、江戸ご用達町人が成立し、独自の江戸食文化が育ってくると、江戸自慢の自前の料理が発達していった。

東京湾の魚は美味とされ、これらが即席に料理され、特に鍋物料理が発達し、他にも江戸前寿司・天ぷら・うなぎの蒲焼や、そばなども即席料理として人気を博した。





写真は、美味しそうだけでなく、見た目が鮮やかな江戸前寿司。

関東では良質な野菜が少ない分、濃厚な醤油を用いて、濃厚な味付けにより、男性的味覚の腰掛料理・即席料理が発達していったと見られる。

東京人は美味しいものに執着しないというが、「食い物のことで熱くなるな!」と云われ、江戸文化は武士の価値観が基本で、食い物という下賎なことに関知しないというポーズをとる習慣が影響しているかもしれない。
うまい・まずいなど五感に関わることに対して、つべこべ云わないことを美徳とする、武家社会の常識が支配していた?

しかし江戸時代中期以降は、食材・酒・調味料なども手に入るようになり、江戸町人も美味しいものに目覚め、江戸っ子は宵越しの銭は持たないとばかりに、美食し、遊興したと云う。

このような歴史的背景・東西文化の違いが、今日の食文化に影響している!
「さよか!」


大阪食文化 東西比較 粉もん・中華まん

2007年03月21日 | 文化
次にお馴染みの「中華まん」OR「豚又は肉まん」を取上げる。
関東では「豚」のことを「肉」と呼び、関西では「肉」といえば牛肉を指し、「豚肉」は「豚肉」、「鶏肉」は「かしわ」という。

関西の一戸当たり牛肉消費量は関東の2.2倍であり、例えば首都圏で家庭の「肉じゃが」の作り方は53%が豚肉を使い、牛肉を使う家庭が38%に対して、関西では80%以上が牛肉を使うと云うデータがある。又関西には関東に比べ、焼肉屋がやたら目に付くのも頷ける。

と云うことで、「牛肉が入ってへんのに肉まんゆうたら変やんか!」となる。
一部の例外を除き、中華まんの主たる具は豚肉であることから、関東では肉まんとなり、関西では豚まんとなるわけ。

関西で豚まんといえば、「蓬莱」が代表格で、関西を中心に多店舗展開中。
昭和20年3人で始めた中華料理店が、現在では夫々が独立して、「蓬莱本館」・「蓬莱別館」・「551の蓬莱」の店舗名で、関西を中心に豚まん・焼餃子・しゅうまいなど、同じような事業を展開している。

昨今特にマスコミの露出度が高いのが「551の蓬莱」で、「味もサービスも “ここ” が“ いちばん” を目指そう!」という意味を込めて、「551」 の名前が生まれたそうな。





写真は、「551の蓬莱」自慢の典型的豚まんの表皮と中身、値段は140円/1個。
ボリューム感たっぷりの中身は、豚肉と玉ねぎを中心に、手作りにこだわった看板メニューで、57店舗で一日平均12万個以上を販売していると云う。
豚まんの皮が厚めなのに皮自体も旨い点が特に忘れられないそうな!
又大阪自慢のみやげ物として、常に人気上位にランクされていると云う。







写真は上から、「新宿中村屋」・「江戸清」・「神楽坂五十番」の肉まん。
関東の代表格は、昭和2年に始めた肉まんの老舗・新宿中村屋、横浜中華街を中心に肉まん人気ランキングトップの「江戸清」、昭和32年神楽坂でスタートした、四川中華料理店「神楽坂五十番」などが挙げられる。

コンビニルートでは「ヤマザキ」の中華まんが圧倒的人気を誇るが、スーパー・コンビニに卸している「井村屋」の肉まんも、簡単に電子レンジでチンできる、手軽な“チルド肉まん”を中心に、不動の人気を博していると云う。







写真は上から、チョット変わった肉まんで、スープ入り小ぶり肉まん・玉子入り・豚の代わりに牛肉を使った、福岡市の和牛肉まん。

夫々何とかユニークな特徴を出そうとしている努力は窺える。
中でも、和牛肉まんを試食してみたい。牛肉と玉ねぎ・椎茸・タケノコなど野菜との混ざり具合・相性・ジューシー感などが心配されるが・・・・・・。

豚肉文化圏の関東の方が、肉まんの消費量が多いのでは?
肉まんの清楚な見栄え・出来栄え・食べやすさなどは、関東人の好みに合っていることからも、肉まんは関東人の食べ物!

関東と関西の違いは、関西で豚まんを買うと、必ず“からし”を付けてくれる。
コテコテ好みの関西人にはピリッとこない豚まんには、“からし”のような刺激なしでは何か物足りなさを感じてしまう????
「ほんまでっか!」


大阪食文化 粉もん イカ焼・餃子の巻

2007年03月20日 | 文化
大阪で粉もんといえば、たこ焼き・お好み焼がメジャーだが、これらに次ぐ粉もんとして、イカ焼・餃子が挙げられる。

「イカ焼」というと、露天などで売られている「イカの姿焼き」を連想するかもしれないが、大阪ではお好み焼の一種で、お好み焼の生地にイカを短冊状に切り、野菜などと混ぜて焼いた庶民の味で、バリエーションとしては、これに卵がプラスされる程度。

イカ焼発祥の地には諸説あるが、お好み焼の展開・変形と見れば、やはり大阪が妥当なところか・・・・・。





写真のように、大阪のイカ焼は形が定まらず、未だ創作の余地があるが、そのうちのサンプル。
少し柔らかめに焼いたものと、パリパリ直前の「堅焼き」状のものがある。
焼きたてにさっとソースを塗ったものを、2つ折りにしてかぶりつく姿は、大阪独特のローカルな食風景。

次に餃子発祥の地は、中国東北の長春、ハルビン、北京、中国西北の西安、蘭州など諸説あり、どこかは特定できないが、それぞれが固有の旨さを持ち、特徴が異なると云う。

国内の発祥地は、「餃子の街」宇都宮で、市内あちこちにある餃子店の看板や餃子広告のちらしが目に付き、人気店の前には長蛇の列ができるなど、フィーバー振りには定評がある。



写真は、ボリュームたっぷりの宇都宮の餃子。
第二次大戦後、中国にいた日本人が宇都宮に帰国して、中国東北の餃子を懐かしく再現したところ、評判が良く、瞬く間に普及したと云う。

中国では、目出度く、縁起の良い食べ物として、新年を迎える大晦日には欠かさない料理と云う。



写真は、大阪王将の典型的餃子。
関西では、餃子の「王将」が、京都市山科区に本社を置き、京阪地区を中心に全国展開しているほど、大阪風の餃子を売りにした中華料理チェーンの名称。

他方「大阪王将」と名のつく中華料理店も存在するが、京都の創業者一族が本店から独立して始めたもので、その後のチェーン展開でお互いに激しい競争を繰広げていると云う。

いずれも「安い・早い・うまい」の3拍子揃った、大衆中華料理店としてチェーン展開し、郊外店も含めて、いつもいっぱいの盛況。
餃子の値段は、大阪王将の12個・180円が基本で、店によっては100円のところもあると云う。

東京では、餃子の値段が6個・400円もする店もあるほど高い。
サイズの違いもあるが、餃子のボリューム満点と安さは大阪庶民の味方。
「すきやねん!」

大阪食文化 粉もん お好み焼の巻そのⅡ

2007年03月19日 | 文化
次に大阪の代表的お好み焼屋・トップクラスの2店舗を紹介しよう。
大阪のお好み焼屋で、よく行く店ランキングでは、鶴橋風月・千房・ぼてじゅう・ゆかり・とおりゃんせなどが上位にランクされている。





写真は、大阪東成区鶴橋にある“風月”店頭の光景及び小麦粉の量が少なめで、キャベツたっぷりの“風月”のお好み焼きは、関西風の代表例。

“風月”は、創業60余年の老舗お好み焼き店で、関西トップ・クラスの繁盛店としてランキングされている。
人気の秘密は、目の前でつくられるライブ感・できたての熱々を味わう食の醍醐味・慣れ親しんだ当店オリジナルの美味としてPRしている。

“風月”は、自身のHPによると、座右の銘を作り、事業発展のためには「飛耳長目」(吉田松陰作)の構えであらゆる情報に気を配り、何に対しても主体性をもって臨むこと。

そして「百歩狂人 現状落伍 十歩成功」(小林一三作)の諭しに習い、先走りしすぎず、現状に止まらず、実現可能な目標に向かって着実な進歩を遂げるべく、日々努力することを社是としている。「なかなかやるやん!」

現在65店舗ある関西を中心に、全国規模のフランチャイズ店を展開中で、急拡大している。まだまだ店舗増大の可能性を秘めている。

鶴橋風月本店は、JR鶴橋駅から続くショッピング街の一角にあり、間口は狭いが、奥行きが広く、二階もあり、125席を有する大型店。
店員の動きはキビキビして、サービスの流れはスムーズで、サービス・ノーハウが出来上がっている印象が強い。値段もリーズナブルで良心的だ!

数ある店内の鉄板に出向いて、お客の目の前で、手馴れたベテランが焼いてくれる焼き方は、裏返しも入れて15分前後と十分過ぎるほど時間をかけているようだが、実はメニューにより調理の時間管理が行届いていると観察した。

ふっくらとした厚みにじんわりと、火が通るように試行錯誤した結果であろう。
ふわふわしっとりした出来栄え・味わいは、見かけどおり、ずばり旨い。
一度ご試食あれ!





写真は、大阪千日前“千房”本店の店構えと店内の光景。
大阪ミナミ・千日前の“千房”は、創業30年の歴史とノウハウを生かし、お好み焼きへのこだわりや人間味を重視したポリシーで、全国に直営34店舗、FC加盟16店舗のチェーン店を展開している。

3つの味を大切にすると称して、「前味・中味・後味」を謳い文句に、「前味」はお店に入ったときの第一印象。内装や従業員の迎え方など、その店の雰囲気。
「中味」は食品そのものの味 つまりお好み焼の味。そして「後味」は、お好み焼が焼きあがってソース・マヨネーズ・青海苔・かつお節をふりかけ、さらにその上にふりかける人の味、そして食べ終わってから店を出るまでの味等々を売りとしている。チョット理解に苦しむが?????

「前味」では、「店内に入ると、そこは造形と質感と光の変化による異なるイメージゾーン」云々と宣伝しているが、格別に印象付けられることはなかった。





写真は、千房のお好み焼メニューのうち、代表的なもの2枚。
焼き方は、ベテランによる集中調理方式で、一ヶ所で焼いた後、出来上がった品を各顧客の鉄板付きテーブルに移して食べてもらう方法。

値段は他の競争相手に比べ、割高感は否めない。鉄板焼きも中心メニューに据えているので、客層がチョット上層かもしれない。

でもお好み焼と云うように、好みはそれぞれであり、各人のテーストに合わせて、一度試食・比較してみてください。
あなたの好みはどっち?????「なんぎやな!」


大阪食文化 粉もん・お好み焼きの巻そのⅠ

2007年03月18日 | 文化
大阪人は、そもそも安くておいしい庶民的な食べ物にこだわる。
この合理的な精神は、タコ焼き、ネギ焼き、モダン焼き・・・と、街のあちこちに目立つ看板を見ても、よくわかる。

昼食に、会社帰りのちょっと一杯に、粉もんの焼き物は大人気であり、これら粉もんに共通するメリケン粉文化の歴史を遡って概観してみたい。

小麦を粉にして、調理するようになったのは奈良時代だそうで、当時は小麦粉をこねて油で揚げた、中国の「唐菓子」が最初だったが、上流貴族の口に入るぐらいで、庶民とは無縁であり、町民が小麦粉を口にするようになったのは、江戸時代の“うどん”が最初だったと云う。

お好み焼きの原形は、江戸時代末期に、水で溶いた小麦粉を鉄板や鋳物鍋に流し込んで焼き、片面に味噌をぬって食べるという習慣が、今日のお好み焼きのルーツ。

これが幕末から明治初期にかけて、大坂では「文字焼き」として、鉄板の水溶小麦粉辺上に文字を焼いて見せたと云う。

大正時代に入ると、小麦粉に干しえび・刻みスルメなど魚菜を加えて焼いたり、豚肉の細切れを配したり、今風のお好み焼きがお目見えしたと云う。

そして第二次大戦前から、キャベツなどの野菜、イカなどの海産物を混ぜて焼き、1枚1銭で売られていた、“一銭洋食”が登場し、以来、大阪のメリケン粉文化は途絶えることなく、庶民の味として根づいた。

炭水化物の小麦粉をベースに、肉・魚介類のタンパク質を加え、ネギ・キャベツといった繊維質の野菜を混ぜて、栄養バランスの良い、健康食品の定番として定着した。

恐らく全国どこに行っても、お好み焼きが庶民のテーブルに載るほど、日本人に愛される、国民的食品のアイドルとも云える。

お好み焼とは個人注文に応じる特別食品で、十人十色の食を実現した点で、画期的メニューと云える。
最近では牛スジ肉・チーズ・サラミソーセージ・ベーコン・ハムなど、若者の嗜好に合ったものまで出現し、好みのものを混ぜ入れて、まさしく「お好み焼き」は更に変化・進化している。
「お好み焼き」とは上手に名付けたものである。



写真は、関西の若者向きのお好み焼き。
しかしこの若者向きのお好み焼きは、イタリアのピザを思い起こすような、脂肪分過多の洋風フードになりつつあり、“健康食品”とはかけ離れていくようで、先行きがチョット心配。

現在のお好み焼を生地などで分類すると「関西風」・「関東風」・「広島風」の3つの流れと,少数派の「もんじゃ焼」を加えて4つにまとめられる。

まず関西風・大阪風は、キャベツやねぎを混ぜた生地を鉄板に流し,豚肉・牛肉は鉄板で炒めて後からのせて焼く。
関東風よりもコテコテとして、生地もベーキングパウダーなどを混ぜで、関東よりふっくら・どろどろ感が強い。





写真は、典型的関西風の”コテコテ”お好み焼きサンプル。 
ボリュームたっぷりの具沢山から厚みがあり,マヨネーズやソースもたっぷりと塗る。



写真は、関東風お好み焼きの代表例。
関東風は、関西風に比べて具に対して生地の量が多く、薄めにカリッと焼き上げるのが特徴で、ソースやしょうゆをさっと塗って,シンプルに仕上げる。





写真は、全国的に良く知られている、広島風お好み焼き及び東京風のもんじゃ焼きのサンプル。
薄い生地に野菜と具にそばを重ねる、重量感たっぷりの広島風や、東京の下町に伝わるユニークな、「文字が書けるくらいに柔らかい」ことから名付けられた「文字焼」が訛った、もんじゃ焼きなどがある。

大阪をはじめ関西一円では、例えば豚玉のお好み焼きに、味噌汁・ご飯・漬物を加えた、「お好み焼き定食」が大食いサラリーマンの強い味方で、定番の昼食メニュー。



写真は、関西風の焼きそば定食。
関西では同じ理屈で「焼きそば定食」も存在し、炭水化物オンパレードといった大阪ならではの食文化。

大阪人の食生活の特徴に、「ソース文化」があり、「ソースものはおかず」であり、トンカツ・コロッケなどと同じ扱いで、とにかくソース大好人種。
「すきやねん!」


大阪食文化 粉もん・たこ焼き最新情報

2007年03月17日 | 文化
続いて、たこ焼きに関する最新情報をお届けする。
先ずつい一週間ほど前に気づいたが、新幹線新大阪駅の中央出口を出て右方向に並ぶ、飲食店通りに新たに“くくる”店がオープン。



写真は、大阪道頓堀“くくる”本店舗の光景。
午後7時近かったが、長い行列ができるほどで、チョットビックリ。
調べてみると、“くくる”店は、道頓堀に本店を持つ、創業60年の老舗で全国規模の多店舗展開。

たこ焼き中心部分の温度・焼成時間・生地の熟成時間など、温度・時間の計測管理にこだわることで、玉子の入ったトローリ生地から、大タコがプリッと出てくる絶妙な食感を大事にしているとか。



写真は、“くくる”店のたこ焼き具合と美味しそうな澄まし汁。
玉子焼き風のたこ焼きを、特性のだし汁につけて食べる点もユニーク。





写真は、“和楽路屋”の店頭及び特性のたこ焼き。
御堂筋線終点千里中央駅のセルシー地下街にある“和楽路屋”のたこ焼きは、隠し味の白ワインが、ほんのり香る仕上がりで、外が香ばしく、中はふっくら。
試食の値打ちは十分、ご試食あれ!





写真は、たこ焼き入りうどんとたこ焼き入りラーメン。
それと大阪らしいといえば、粉もの同士の融合食品で、ふんわりと柔らかいたこ焼き入りうどんやそば、たこ焼き入りラーメンなど。
前者は新大阪駅の在来線コンコース“浪速そば”店、後者は布施駅前の商店街にある。

たこ焼きうどんは、麺類とご飯のセットものよりも、同質の炭水化物色が強いコテコテの粉もん食で、チョット抵抗を感じるが、はたしてお味の方は?
粉もの代表選手同士のぶつかり合いは、返って夫々の持ち味を帳消ししてしまうのではと懸念するが????「ええやん!」

最後にたこ焼きの海外最新事情について、中国・台湾・韓国・タイ・インドネシアなどの東南アジア諸国、ニューヨーク・サンフランシスコ・ハワイなど日本食店が数多い地域には、たこ焼き店が進出しているようだ。

でも現地ではタコを食べる習慣がないため、限定的な食材で、現地人にとっては、どちらかと云うと物珍しさの域を出ない。

それから冷凍食品として、電子レンジで“チン”タイプのインスタント“たこ焼き”が海外に輸出されている。タコも入っており、外はサラサラ・中はモチモチ・歯応えもよく好評とか。「さよか!」