ここでは、又貴重な新発見のお知らせです。
世界文化遺産の国内候補「百舌鳥・古市古墳群」に含まれる堺市の前方後円墳、ニサンザイ古墳の後円部付近で、周濠を渡るための橋の跡とみられる柱穴が見つかったと、堺市が平成25年2月21日発表した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/c2/4f32daa21cd4523bd3a0e31c2f3e20fd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/32/9f8e157bc0a131016ff21324ded69f00.jpg)
写真は、ニサンザイ古墳で見つかった柱穴跡及び復元した橋脚想像図。
ニサンザイ古墳後円部の裾と対岸の堤を真っすぐ結んだ長さ約40メートルの橋があったと推定され、他の古墳では例のない遺構という。
専門家は「被葬者の棺を運ぶために造られた橋では」とみている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
市文化財課によると、柱穴は後円部の裾で25個、周濠で4個を発見。古墳の中心線に沿って整然と並び、柱とみられるクヌギ材(直径約20センチ)も一部残っていたと云う。
同課は周辺の堆積物や地層から古墳築造時のものと判断。周濠に木製の橋が架かっていたとみている。
ニサンザイ古墳は、全長約290mの巨艦のような大型前方後円墳にもかかわらず、宮内庁による大王墓に比定されないまま、陵墓参考地扱いのため、拝所も設けられず、民家や市民公園が隣接している情況。
ニサンザイ古墳は「反正陵」とする伝承が、地元では伝わっていたと云う。
現在、宮内庁はこの古墳を、天皇陵の可能性あるとして、陵墓参考地に指定して管理しているが、主体部の構造や副葬品を確認できないため。
現在反正天皇陵に治定されているのは、田出井山古墳だが、ニサンザイ古墳は田出井山古墳に比べて4倍近い面積を占め、大王陵としてふさわしい。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
世界文化遺産の国内候補「百舌鳥・古市古墳群」に含まれる堺市の前方後円墳、ニサンザイ古墳の後円部付近で、周濠を渡るための橋の跡とみられる柱穴が見つかったと、堺市が平成25年2月21日発表した。
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写真は、ニサンザイ古墳で見つかった柱穴跡及び復元した橋脚想像図。
ニサンザイ古墳後円部の裾と対岸の堤を真っすぐ結んだ長さ約40メートルの橋があったと推定され、他の古墳では例のない遺構という。
専門家は「被葬者の棺を運ぶために造られた橋では」とみている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
市文化財課によると、柱穴は後円部の裾で25個、周濠で4個を発見。古墳の中心線に沿って整然と並び、柱とみられるクヌギ材(直径約20センチ)も一部残っていたと云う。
同課は周辺の堆積物や地層から古墳築造時のものと判断。周濠に木製の橋が架かっていたとみている。
ニサンザイ古墳は、全長約290mの巨艦のような大型前方後円墳にもかかわらず、宮内庁による大王墓に比定されないまま、陵墓参考地扱いのため、拝所も設けられず、民家や市民公園が隣接している情況。
ニサンザイ古墳は「反正陵」とする伝承が、地元では伝わっていたと云う。
現在、宮内庁はこの古墳を、天皇陵の可能性あるとして、陵墓参考地に指定して管理しているが、主体部の構造や副葬品を確認できないため。
現在反正天皇陵に治定されているのは、田出井山古墳だが、ニサンザイ古墳は田出井山古墳に比べて4倍近い面積を占め、大王陵としてふさわしい。
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