近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

大坂の伝統上方文化 上方歌舞伎・人形浄瑠璃

2007年02月06日 | 文化
歌舞伎は、1573年頃、出雲で始めたとされる、当時の風俗演劇。
上方歌舞伎は、江戸時代後期に大坂・京都で生まれた、北新地・祇園など花街で、主に酒宴席の座敷で行われる舞として発展した。

この上方舞は、能の動きを基本に歌舞伎の舞踏や浄瑠璃の要素を加え、優雅な落ち着いた舞が特徴で、女性の心理を表現した演目が多く、深い心情を舞で表現していると云う。
上方歌舞伎は、町人の町らしく、義理・金・色恋が絡んだ話や心中物が人気を集めたと云う。

一方江戸は武士の町らしく、歌舞伎の題材は、喧嘩や勧善懲悪の話が多く、凛とした正義の味方が悪人をやっつける筋書きの「荒事」嗜好で、上方の「和事」とは演出・型が際立って違うと云う。
関東で上方舞が行われるようになったのは、昭和に入ってからのこと。



写真は、現在歌舞伎興行が時折催される、道頓堀の松竹座。
松竹座は、大正12年に大阪初の洋式劇場として誕生。
築後70余年を経て、ルネッサンス様式の正面アーチを残し、最新設備を導入した演劇専門の劇場としてリニューアルし、歌舞伎からミュージカルまで、あらゆる舞台芸術を上演する演劇専用の劇場になった。



写真は、道頓堀商店街の西端である、御堂筋西側の大阪新歌舞伎座。
唐破風桃山様式の大阪新歌舞伎座は、元々現在の千日前商店街にあった「3,000人劇場」を縮小し、昭和33年現在の地に移転・開場した。

歌舞伎座の名の手前、当初は歌舞伎興行を行ったが、昨今は歌舞伎にこだわらず、より収益のあがる新しい興行形態の開拓に積極的に乗り出した。

現在では、ライトアップした外観は一段と豪華になり、人気のある映画スターや歌手を中心に据えた「座長芝居」「歌手芝居」などを月替わりで公演している。
これも時代の流れで致し方ないところ。「ええやん!」

大坂の伝統芸能の代表格は、文楽であり、人形と浄瑠璃が一緒になった世界遺産。
人形遣い・物語を語る太夫・三味線弾きの三業から成り立っている芸能で、大坂で人気語り手であった竹本義太夫が近松門左衛門の作品を舞台にかけて、大人気となったことで知られている。
いつしか大坂が本場の地位を確立した。

江戸時代中期以降には、新興の江戸文化に対して、伝統的な上方文化が並存したが、近松門左衛門・井原西鶴などが登場し、元禄文化が上方で花開いたと云える。



写真は、現在の大阪国立文楽劇場。
一体の人形に3人もの遣い手がかかり、人間のように喜怒哀楽を表現する文楽芝居は、300年以上の歴史を持つ。





写真は、現在のお初天神、別名露天神社の社と拝殿。
近松門左衛門が「曽根崎心中」として発表し、「お初天神」と呼ばれるようになった。
ここ「天神の森」であった実話、平野屋の旦那と北新地の遊女・お初の心中事件を作品として書上げ、一躍有名にした。「ほんまでっか!」
現在は縁結びを願う、参拝者で賑わう。

文楽は、戯曲・舞台装置・音楽としての三味線・朗唱・演技が一体化した舞台芸術で、文楽劇場は、舞台と観衆を巻き込んだ小宇宙を実現すると云う。
なるほど世界遺産たりうる由来が分かるような気がする。
「うそやん!」



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (クロスケ)
2020-05-07 16:07:01
上方文化は東京が否定しているということになってるが、
実際は国自体が上方文化に限らずに近畿に纏わる伝統や郷土を煙たく卑損じているというのが、妥解であろう?!
現に東北と九州は近畿の伝統や上方文化を稀に見向いていないというから、それがこの日本国に於ける上方文化の知名層であろう?!
返信する

コメントを投稿