近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良田原本町の唐古鍵遺跡公園の整備進行情況そのⅡ

2017年06月11日 | 歴史
主題の件、更に続ける。
弥生時代の「風景」を再現し、弥生時代の「出来事」を体験・学習できる史跡公園オープンが今から楽しみである。整備計画では、遺構を保護するための盛り土を行ったあと、唐古池の東側に発掘調査で見つかった環濠(幅4~8m)を復元。コナラやクヌギ、ヤマモモ、シラカシなどの樹木を植えて、当時の植生もよみがえらせると言う。散策路周辺にはノシバも植える。
池の西側の国道24号沿いには公園への入り口と、当時の建物跡を再現した遺構展示館を設置。平成15年に大型建物跡が見つかった場所については、「復元整備ゾーン」として展示方法を検討する。
 池の南側にはイベントや野外活動ができる広場、トイレ、東屋などを設置予定。町は「町民の皆さんに憩いや歴史学習の場を提供するとともに、観光拠点にもなるように整備すると言う。遠くの山並みや周辺の田園風景がよい借景となり、散策や自然観察も楽しめる場所にしたいとしている。
 今回開催の「唐古鍵考古学ミュージアム」春季展示会を覗いてみたが、特に際立っていたのが、本遺跡の目玉的発掘遺物である絵画土器と記号土器の展示であった。これらの土器類は弥生当時の生活文化レベルを顕示する国宝級の遺物であると考えられる。中でも楼閣絵画土器は当時楼閣が存在していたことを示唆する証拠的存在で、当遺跡の希少価値を際立たせていると云える。
 そこで、絵画土器・記号土器の一部を以下紹介する。
先ず唐古鍵遺跡からは弥生時代の絵画土器が多数出土し、全国で出土した数の半数以上を占めると言われている。




復元された壺と描かれていた楼閣の絵図及び当遺跡内に現存する楼閣の勇姿。この絵図を参考にして、当遺跡の中心的存在として復元されている。
「魏志倭人伝」に示されていた楼閣とも考えられる。



絵図がはっきり見れないが、当遺跡から出土した土器片には鹿・魚が描かれている。
絵画の画題となるものは、人物・鹿・スッポン・魚・鳥などの生き物や建物・舟などが確認されているが、しかし当時身近にいたはずのイノシシが描かれていないなど、特定の画題を選んでいたように見られる。稲作とともに大陸から伝わった農耕儀礼との関連が考えられる。
これらの絵画土器は、弥生時代中期の壺に多く見られ、絵画土器を使った「まつり」がこの時代に盛んであったとも考えられる。
 次に紹介するのが弥生時代後期に現れる記号土器です。





はっきり見えにくいが、文字のような記号土器は、壺に付けられている場合が多い。ヘラで描いたもの、竹管状のものを器面に押し付けたようなもの、粘土紐を貼り付けたものなど様々。弥生時代中期に絵画土器が盛行する地域と重なることから絵画から記号の誕生に深く関わっていると考えられる。
これら記号のついた壺は、井戸や環濠で多く出土することから、水に関係する祭祀に使用されたと見られる。
文字のなかった当時ではあるが、何らかの意思疎通を意図した意味合いが込められているように想像できるが・・・・・・・。
いずれにしても、当時の文化レベルを象徴する発見であったと云える。