近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

大阪府岬町の古墳群とは!

2015年02月13日 | 歴史
ここからは、大阪府岬町の古墳群について、4回に分けて紹介します。

先ずは、岬町の特徴・歴史的経緯・古墳時代の役割などについて。総覧してみたいと思います。

岬町は大阪府の西南端に位置し、背後に和泉山脈を望む。大阪湾に面して対岸に淡路島が見え、古くから紀伊国や淡路国・四国へ渡る、陸海南海道の交通の要衝であった。





写真は、大阪湾を望む岬町光景と岬町に点在する古墳群マッピング。

ここ大阪湾に面して造られた古墳群は、被葬者の海とのかかわりの深さが想像でき、紀伊を本拠地とする人物かも知れない。

渡来人達が海からやってきてまず海岸縁に居を構え、そこに覇を唱えたのがよくわかる。

朝鮮半島からの渡来人達は、瀬戸内海を東進し、大阪湾岸南部、泉南部、そして紀州北部へと根付いていったと思われる。

あの山向こう側の紀伊地方には大谷古墳があり、そのずっと南には広大な山肌におびただしい数で造られた岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群がある。

いずれも朝鮮半島からの渡来を窺わせる出土品が出ている。大谷古墳の馬兜は、近年発掘された釜山の福泉洞古墳のものとそっくり同じものであると見られているし、宇度墓古墳がほんとに垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の墓だとすれば、古事記・日本書紀にかかれた古代天皇達の物語は、その多くが渡来人達の物語かも知れない。

次回からは、古墳の背景に潜む当時の様子を覗いてみたい。