goo blog サービス終了のお知らせ 

過労死予備群の「食から笑顔になる生活」

夜討ち朝駆けで仕事する日々。忙しくとも自分なりの手間をかけて、美味しく笑顔になる生活を志します。

乾杯のための食1

2014-12-28 12:38:31 | 外食でリフレッシュ!
自分の中に新しく生まれた考え、それを分かち合う輩と、早く乾杯したかったのです。
だけどその場所は、初めての店で、新しい関係を築く場所でなくてはならないと思いました。
乾杯に相応しい場所と酒を、5階のフロアで、探しました。
始まりは静かで、上手に関われそうなスタッフがいて、気取らずに楽しめそうな店(微笑)。

ブーブクリコのイエローを頼んで、あれこれとメニューを組み立てて。
テーブルを担当してくれる女性と、少し打ち解け初めて(笑)。
沢山の乾杯をしたので、ボトルが半分、開く頃に、最初のお皿が運ばれてきました。
▪️トマトとモッツァレラのバジル焼き
いわゆるホット・カプレーゼです。
ひんやりの泡に、バジルの青さ、トマトの酸味、とろけるチーズを重ねて。
ホッとする一口。
この量と展開に、六本木を感じます(笑)。消費する街の姿です。
■鉄板焼 開化屋 (六本木ヒルズ)


二つの食の選手権に参加しています。一日一回、クリック応援していただくと、更新の励みになります。ありがとうございます。
にほんブログ村 グルメブログ 今日食べたものへ
グルメブログ 今日食べたものへ">

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人が暮らす街、人が祈る空

2014-12-28 12:24:09 | 旅日記
夕暮れのギリギリの明るさの中で。
暗がりの東京には、首都高にテールランプの赤。家路を急ぐ人の気配が、川のようにうねる。
見上げる空には、消えゆく残光と富士山がある。
沢山の人が窓辺に立ち、沢山のシャッター音が響く。
人が暮らす街、人が祈る空。
二つの空間は切り離されることなく続く。それを観る人の心と時間のなかに。

私の手の中に一輪の花。賑やかにさざめく、ばらばらの人々。
この人の中に分け入って、この花を渡すのは違う。まだ、この花は私と共にいるべきなのだ。
▪️森ビル、52階 展望台にて


二つの食の選手権に参加しています。一日一回、クリック応援していただくと、更新の励みになります。ありがとうございます。
にほんブログ村 グルメブログ 今日食べたものへ
グルメブログ 今日食べたものへ">

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隘路の向こうに広がる眺望

2014-12-28 12:10:06 | 旅日記
回廊をすすめば、隘路に踏みこむ。一時の暗がり。
抜ければ、正面に富士山!
丹沢に富士山。美しい夕暮れ。
足下に拡がる東京の街に、暮らす人の想いと切り離されたような静けさ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天空の回廊から東京を俯瞰する

2014-12-28 12:02:35 | 旅日記
リー・ミンウェイ氏に出会って、自分が少し変わったことを意識する。
片手に花を一輪、そこから踏み出す天空の回廊、52階からガラス越しに俯瞰する東京の南。
エンパイアステートビルから臨む、小さなマンハッタンのようだと思う、東京湾の周辺の姿。


同じ場所で、フォーカシング。自分が関わることで、すっくりと空に伸びる東京タワー。
雑踏の中の一つの歴史は、違う表情をもつ。私が関わることで。
何も現実は変わらなくとも、自分の中の輝きは形に出来る。
喜びは生み出すことができる。空間と私との関係によって。
ああ、これを忘れたくない。ぎゅっと自分を抱きしめる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贈ることの意味(リー・ミンウェイとその関係 展)

2014-12-28 10:36:29 | 旅日記


耳からのアート、というキャッチに惹かれて、森美術館(六本木ヒルズ)に立ち寄った。ヤコブ・キルケゴールの名前を見つけられずに、受付で尋ねると、それは「リー・ミンウェイとその関係展」の最後にあるという(笑)。そんな理由で臨んだ展覧会に、心を揺さ振られた。それを書いておきたい。
★開催中の展覧会に触れた内容があります★

■「リー・ミンウェイとその関係展」、森美術館

自分が参加することで、作品の一部になっていく、参加型インスタレーションは、禅、否いや、"ZEN"を根底に持っていることに驚かされる。
個人の表現としての作品が、別の個人との「関係」によって、変化していく。その「関係」を思考ではなく、体感するのが"ZEN"との切り出しだ。禅を内省と捉える自分は、ZENが自分と何かの関係と捉えていることを知らなかった。ホールに流れる鈴木大拙の英語講演記録に、聴き入った。

「プロジェクト・繕う」は、ゲストの持ち物の何かを繕い、ゲストが受ければ、それを会期中、会場の壁から繋がる糸に留めてある作品だ。
その糸はカラフルで、まるで刺繍のように感じられる…目立たないように繕う行為とは、全く異なる。されど衣類は会期後に返されて、また衣類になる。見知らぬ人の手を経て、特別な記憶をもった服になる。誰かと自分の共有した時間の証。「繕う」の意味が染み込んでくる。

「プロジェクト・広がる花園」(写真1、2)は、川の流れのようにいけられた花達だ。ここから一本の花を持ち、来た時と違う帰り道で、見知らぬ誰かにその花を贈る、のだ。
「贈る」とは与えることだけでは無く、受け取ってくれる者がいるから成立する。だから贈る者は、相手から与えて貰っているのだ。
知人に花を贈ることは出来ても、見知らぬ人に花を贈る難しさ!私はその場に立ち尽くし、涙が零れて止まらなくなった。
相手に遣ってあげている、のではなく、受け入れて貰っている。拒まれないという信頼…それが「関係」ということだと気付く。
「プロジェクト・ともに食す」も、好みを聞く一本の電話をして、食を作り、向かい合って食事をする。記録されない、されど一度だけの特別な関係を完成させる。
「布の追想」(写真3)は、様々な人の個人的な想い出の品が箱に納められ、その想い出を記した言葉と共に、リボンで贈物のように飾られている。リボンを開き、箱の蓋を開ける時、誰か知らぬ人の想い出・存在が、実体として自分に語りかけてくる。顔もしらない誰かの想いが、自分の中の眠っていた想いを呼び覚ます。空間も時間も越えた共感、それは参加することでしか生まれてこない。

個人の歴史、想い出は、選んだ写真を共有することで、時代の関係を静かに語る。
李 明維 (リー・ミンウェイ)氏は、1964年に台湾に生まれ、アメリカで美術教育をうけた。日本が統治した時代の台湾を生きた、彼の曾祖父母や祖父母の写真。彼の名前は、明治維新から取られたという言葉。豊かなアメリカを想起させる、色褪せたカラー写真の中にはにかむ少年。
各作品のコンセプトを語るビデオ動画の中の、現在の彼の深いところに、想い出の写真に切り取られた、様々な「関係」があって、今の彼がいる。そして、これからの「関係」を経て、変わり続ける彼がいるはずだ。
我にかえる。
それは私も同じだ。同じ事象を体験しても、私が感じたこと、受け入れた関係によって、どの可能性も開かれるのだ!。
辛い内省とは、自分一人のものではなかった。関係の中の一瞬を正しく留め、そこから開放される行為かもしれない。永遠は無くても、共有することで、人は生き続けるのかも知れない。
心に残る、暖かい驚きだった。
■「リー・ミンウェイとその関係展」、森美術館にて
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする